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リポーターセンス 目次


◆ストーリー◆

 リポーターセンス。
 それは凄惨極まりない事件現場と状況を、巧みな臨場的な描写で事件リポートする類いまれな才能のこと――。

 就職活動の道すがら、マリアは偶然にも凄惨な事故現場に居合わせてしまう。テレビ局側にテレビ前での目撃証言を頼まれ、それを披露したことで、マリアはその事件描写の卓抜した能力から事件リポーターに就任することになる。

 緻密な描写は定評だったが、やがて描写を悲惨に凄惨にとエスカレートさせてゆくことで、破綻が訪れてしまう。社会派サスペンス。


第1章

第2章

第3章

第4章

第5章


リポーターセンス 1


◆ストーリー概要◆

 リポーターセンス。それは凄惨極まりない事件現場と状況を、巧みな臨場的な描写で事件リポートする類いまれな才能のこと――。

 就職活動の道すがら、マリアは偶然にも凄惨な事故現場に居合わせてしまう。テレビ局側にテレビ前での目撃証言を頼まれ、それを披露したことで、マリアはその事件描写の卓抜した能力から事件リポーターに就任することになる。

 緻密な描写は定評だったが、やがて描写を悲惨に凄惨にとエスカレートさせてゆくことで、破綻が訪れてしまう。

 メディアの功罪を描いた社会派サスペンス。


◆ 第1章 ◆

 最初に轟音がした。
 軽い閃光、舞い上がる黒煙、そして燃え盛る炎。

 マリアが交差点の歩道の隅に設置されていた自販機の取り出し口に手を伸ばしたとき、それが起きた。何気なく周りを見回したマリアの目にその光景は飛び込んできた。マリアの目は凍ったように大きく見開き、それを凝視し続けた。

 飛び交う悲鳴。響く怒号。

 そこで一体何が起きたのか、マリアはしばし分からなかった。目を閉じて、目の前に起きた光景を思い出してみた。

   

 大きなトラック。横断歩道で歩いていた人。信号は……自分が見た方角からだと、路上は赤だったように思える。加速するトラック。歩行者。トラック。歩行者。そして―――。

   

 マリアは顔をしかめた。ほんの少し動悸がしている。その瞬間の飛び散る血潮を思い出したためだ。ひどい、ひどい事故だ。本当にひどい事故だった。こんな光景、自分は初めて見た。人が人形のように飛んでいく光景を。夢のように空中に舞い上がった血しぶきを。

 マリアは唐突に胸が苦しくなった。思わず、自販機のそばにしゃがみこむ。目に涙が溢れてきた。声にならない叫びが全身を襲う。身体全体が自分では止められないくらいに激しくワナワナと震えた。ふっと気が遠くなりそうな柔らかな感情が溢れる。マリアは喉を突き上げる熱いものを幾度となくその場に吐き出した。すえた臭いが周りに広がるのも気にならなかった。地面に座ると感じる、脚に焼け付くようなアスファルトの熱さがありがたかった。その熱さは、ともすると、この激しい衝撃で、遠い場所に飛翔しそうな自分を、唯一この場につなぎとめているようだった。この昼の暑さがいつまでも続けばいい、と思った。
 灼熱の太陽が自分に向かって真っ直ぐに降り注いでいる。
 陽光の赤い血潮のような放射線が自分を照らしている。
 もっと自分を照らして照らして照らして照らして照らし―――

   

「ちょっと、ちょっと! お嬢さん!」
 激しく両肩を揺すられ、マリアはうつろになった目を目の前の人物に向けた。
「なに……か?」
  マリアは、わずかに開いた口の隙間から、やっとの思いで言葉を発する。
「大丈夫? あ、俺は怪しくないよ。こういう者だから」
 その人物はその眉を哀しげに寄せて、マリアの顔を覗き込んでいた。そして、肩にかけたショルダータイプのカメラを持ち上げてマリアに見せた。
「さっき報道局にこの事故のニュースが飛び込んできてさ、慌てて飛んできたんだ。キミ、ねぇ、大丈夫?」
 マリアは目の前の男性をしばらくぼんやりと見ていた。
「なに……が?」
 男性はマリアの答えに溜め息をついて目を地面に落とし、しばらく黙り込んだ。
「分かった。キミは今この場にそのままいるんだよ。今から僕が近くのお店で服とか買ってきてあげるから。この汚れた服のままじゃどこにも行けないだろ」
 マリアは男性が何を話しているのかがさっぱり分からなかったが、とりあえず頷いて見せると、その男性は笑顔を見せてその場を立ち去った。

   

 地面が熱い。熱いのはなぜ?そうか。自分は地面に座っているから熱いんだ。なんで自分は地面に座ってるんだろう。こんなに真夏日の日中のオフィス街で、なんで自分は地面に座っているんだろう。 なんで? なんでよ。
 マリアはゆっくりと周りを見渡した。すると、マリアが座っているすぐ横の交差点で、何やら騒然としているのが目に入った。救急車、パトカー、多くの見物人らしき人たち。何があったんだろう。分からないや。
  マリアは首を傾げた。その時、自分の服についている褐色の液体に気付いた。なんでこんなものが自分の服についてるの? 今日は就職の面接なのに。ローンで買ったスーツが台無しじゃない。ちょっとどうしてくれるのよ。
 それにしても、喉がヒリヒリと痛むのはなぜだろう。思わず、口元を手で拭う。ぬるりとした感触を指先に感じた。ゆっくりと自分の手を見つめ、その時、自分の手についたその褐色のものを見て、マリアは初めてそれが自分の嘔吐物だと知った。何で自分は道端で吐いてるの? なんで? なんで?
 そう思ったときに、ふっとさっきの衝撃的な光景が目の前にフラッシュバックした。

   

 そうだ。大きなトラックが走っていたんだ。そして、横断歩道で歩いていた人がいて。赤信号なのにトラックは加速してて。そのトラックと歩行者が―――。

   

 また胸をぐっと突き上げるものが出てきて、耐えられずマリアは何度もその場で吐いた。胸の苦しさで顔が歪んだ。服が汚れるのも気にならなかった。ただ、今自分の中の全部を吐き出すことで、目の前の光景の記憶を全部消し去ることができるような気がしたのだ。

   

 しばらく時が経った頃であろうか、数人の警察関係者が自動販売機の横にうずくまったマリアの元に訪れた。彼らは事故についてのマリアの目撃情報について色々と聞き取っていった。スーツ姿に自分の吐いた物をまとい、目の虚ろな放心状態で事情を訊かれるマリアを気遣うことなく、淡々と聴取は続いた。
「じゃ、また何か思い出したら連絡して」と名刺を渡されて、彼らはマリアの後を去った。しかし、マリアは自分が事情聴取されたことにあまり関せずにいた。そのことは、マリア自身にとって全く何でもないことだった。
  再びマリアは自分でも気付かないうちに、自らの思考のうちに身を沈めていた。

   

 マリアは不思議だった。
 自分はなぜ見知らぬ人が轢かれる様子を見て、自分がこんなにも衝撃を受けているだろうか。人がただあたかも自然現象のように轢かれたことに対する驚愕? 轢かれた人が明らかに絶命をしたその死を目の前で見たことへの衝撃? 
 日常生活から乖離した死。明日の存在を無意識・無自覚に信じている人が明日を失った瞬間を見たという、死の直視。死は、人間の根源的な恐怖だ、とマリアは思った。その恐怖の対象である死は、身近な者や見知った者という言葉で飾られた死ではなく、人間のそこにある単なる生命の断絶という客観的な事実であった。何十年も続いた人の生命の灯火がふっとかき消されるという死を目の前で見て、マリアは肌で恐怖を感じた。死が死が死が死が……目の前で……

   

「おまたせ……って、キミ、ほんと大丈夫? ああ……さっきよりも沢山吐いちゃったみたいだね。可哀相に」
 男性の声に、マリアはハッと我に返った。声のした方を見上げると、TシャツとGパンという軽装で、重そうなカメラを肩にかけた三十代後半くらいの男性が、紙袋を手にして立っていた。
「あの……あなたは」とマリアが不思議そうに尋ねると、その男性は、
「俺はテレビ局の報道カメラマンだよ。俺のことはいいから、それよりもキミ、ちょっと」
 男性はマリアの腕をつかんでゆっくりとマリアを立たせた。少し足が震えたものの、マリアは何とか立つことができた。そのまま、その男性に引かれるようにして、自販機の裏通りをずんずんと進み、あるビルの裏口に入っていった。入るとすぐ、小さなデスクが置いてあり、そこの前に警備服を来た守衛らしき人が座っていた。彼は伏せていた顔を上げ、眠たげな顔でこちらを見つめた。
「さっき話をした通りだから。この子の着替えのために更衣室、借りるよ」
 男性がそう言うと、その守衛は静かに頷いて、マリアに言った。
「階段上がって右手の奥が女子更衣室だから。鍵は開けておいたから、入ったら内鍵して下さいね。シャワーも使っていいですよ」
 そう言うと、その守衛は眠たげに再び顔を伏せた。その守衛の座った椅子が微妙なタイミングで小刻みに揺れる。どうやら眠りに入ったようだ。
 その男性とマリアは階段を上って建物の中を進んでいくと、《女子更衣室》と書かれたプレートの貼られたドアの前に着いた。男性は手にした紙袋をマリアの手にに押し付けると、
「これに着替えたほうがいいよ。今着ているスーツはこの紙袋に入れて」
 マリアは戸惑った。
「でも……。見ず知らずのあなたに、こんなことまでしてもらう理由がないですし……」
「いいから、いいから。気にしないでよ。この服は、後で事故の話を聞かせてもらうお礼、ってのはどう?」
「事故……」
 ふっと事故の光景を思い出し、マリアはすっと足元が冷えていくのが分かった。フラッと身体が横に揺れる。慌てて男性がその身体を支えた。
「事故の話は今は、いいや。とりあえず着替えてからだ。外で待ってるよ」
 そう言うと男性はマリアを更衣室に押し込んだ。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 更衣室の中で、マリアは途方に暮れて紙袋を見つめた。紙袋を逆さにすると、Tシャツとデニムジーンズ、数枚のフェイスタオルが入っていた。 どうやら着替えたほうがいいみたいだ。確かに反吐にまみれた服を着たこの身体では、電車に乗ろうとしても、乗客にも迷惑がかかるし、おそらくそもそも駅員さんに止められて電車にも乗れないだろう。着替えを買いに行く余裕は、あの事故を目撃した茫然自失状態の自分にあっただろうか。
 これに着替えれば、あの事故の記憶からほんの少し遠くなることができる。男性の心遣いに感謝して、マリアは着替えることにした。自分の服についたその汚れを服を脱ぐときに落として床などを汚さないように気をつけながら、マリアはスーツのジャケットを静かに脱いだ。

   

「ありがとうございました」
 マリアが守衛に深々と頭を下げると、守衛はニコリともせずに、軽くマリアを見やり、そのまま再び深い眠りに入ったようだった。そのまま守衛の元から離れると、マリアはビルの外に出た。
  周りを見回すと、さっきの男性がマリアに背を向けてどこかに連絡している様子だった。マリアはそっとその男性のそばに立った。男性がマリアに気付き、アッという声を上げかけ、慌てて電話の送話口を押さえ、マリアに話し掛けた。
「どう? ちゃんと着替えられた?」
「お陰さまで、ありがとうございました」
 マリアがその男性に深く頭を下げると、男性はそれを制止した。
「いいんだって。それよりもさ、今、時間ある? 落ち着いてきた?」
 マリアは紙袋の中からバッグを取り出し、腕時計を取り出して眺めた。持っていたバッグや腕時計は自分の吐いた物ににまみれていたため、更衣室の洗面所で軽く洗ったものだった。
「もう……面接の時間が過ぎちゃいました。就職の二次面接があったんですけど、もういいです」
 言葉を止めると、あの光景がふっと目の前を過ぎる。このような状態で面接など、できるとは思えなかった。面接の最中に沈黙が生じると、きっとその後、胸の内に漆黒の闇が広がり、その闇からあの衝撃的な光景が鮮烈に蘇ってくるように思えてきた。これで冷静に面接官と受け答えができるなんて、自分の今の心理状態から可能なのだろうか。恐らく、無理だ。
「面接? 就職の予定だったんだ。可哀想に。本当に災難だったね……」
 男性は哀しげに眉間に皺を寄せて目を伏せがちにした。軽くマリアの肩を叩いた。マリアには、彼が自分のことを本気で心配しているように思えた。
 マリアは何だか申し訳ない気分になった。徐々に自分の顔が曇ってくるのが分かった。自分に着替えの服をプレゼントしてくれたこの人に何かお礼をしなければいけない。あの状態のままだったら、自分は、きっと一日中そのまま路肩に座り込んだままだったのかもしれない。座り込んでいる自分自身に気付いても、きっと動くのが面倒になってしまっていたかもしれない。そのまま自分はあの場所で朽ちていたのかもしれない。もしかしたら、もしかしたら……。怒涛のように嫌悪感が全身を襲う。
 マリアはハッと我に返った。静かに顔を上げて、目の前の男性を見つめる。この人はテレビのカメラマン。自分に事故の話をして欲しい、とか言っていたような気がする。そうだ、確かにそう言っていた。もし自分がこの人に事件のことを話すことで、もしかしたらあの事故のことを少しでも自分の中で消化することができるかもしれない。全身を貫いたあの事故の衝撃を、徐々に自分の中で中和させるには、時間の経過も相当に必要かもしれないが、人に話すことで、その中和が促進されるのではないのだろうか。

   

 その時、昔、自分の友達が自分に対して言った言葉を思い出した。
「マリアって、ホント強いよね。しっかりとした自分自身があるっていうか。精神が強いって言うか、気丈だよね」
 五年以上の片思いの果てに、その相手が遠隔地に引っ越すことを知り、自らの恋が終わったことを知ったときも、マリアはそのことを友達に笑って世間話のように話したのだった。本当のところは胸の奥がズキズキと痛んでとてつもなくショックだったのだが、それをみじんも感じさせないように、人前では強い自分をアピールするように振舞ったのだった。弱い自分ではなく強い自分を周りは求めている、そんなプレッシャーを自分自身の中で形成していた。弱い部分を見せると、何かが崩れるような気がしたからだった。
 そう、今回の事故を目撃したように、あまりの衝撃で理性のたがが外れ、強い自分どころか、自ら戻した物にまみれた状態の茫然自失のまま、何もせずに一日を暮れる、そんな弱々しい自分をさらけ出してしまっていた。このままじゃいけない。いつもの強い自分に戻らなければ。
  いつもの強い自分を取り戻すには、早急に自分自身の中であの事件を解決する必要があった。そのためには、そのためには―――。

   

「事故のことで自分に聞きたい、って言ってましたよね。……いいですよ」
 男性がマリアを見て、大きく目を見開いた。
 マリアは、まだ自信はなかった。いつもの強い自分を取り戻すためとはいえ、あの衝撃は強すぎた。きっと悪夢のように光景が脳裏にフラッシュバックするだろうと容易に予測することができた。また吐き気が自分を襲うかもしれない。
 正直なところ、このまま真っ直ぐ家に帰りたかった。ベッドに寝転んで、抱き枕に抱きつきながら、好きな音楽をMDでかけて、それに耳を傾けていたかった。テーブルにはミルクと砂糖がたっぷり入った特製のコーヒーを作る。猫舌だから、やけどに注意しながら少しずつ飲みながら、枕元の雑誌入れに入れた今月号のファッション紙を見て、来月買いたい服をチェックしたり。
 しかし、自分の目の前の欲求に溺れ、本当の目の前の困難から回避しているだけでは、強い自分をいつまで経っても取り戻せない気がした。
 強い自分を、本当の弱い自分が、その隙間を埋めてくれるように求めている。頑張れるだけ、頑張ろう。
「本当に大丈夫なの? 無理しなくてもいいよ」
 男性が眉をひそめて言った。
「大丈夫です。……たぶん」
 マリアは気丈な振りをして答えようとしたが、少しだけ、声が震えた。紙袋を握る手と足が小刻みに震えていた。

   

 喫茶店の奥まった席で、ティーカップの中に沈んだ半月型のレモンをスプーンでグリグリと裂きながら、マリアはその男性が話し出すのを待った。
「まずは自己紹介からだね。俺は神山って言うんだ。よろしく。キミは?」
 神山の差し出した白紙に名前を書きながら、マリアは言った。
「……マリアです。氷田真理、って言うんですけど、"陽だまり"とか、氷を水にして"水たまり"とか言われてからかわれるんで、名前の真理を取って、片仮名でマリア。通称です」
「マリア……素敵な名前だね」
 神山が笑顔になった。その温かい笑顔につられて、マリアのこわばった顔の筋肉がやっとほころび始めてきた。
「お、やっと少し笑顔になったね」
 マリアは恥ずかしくなって何となく目を伏せた。しかし、何とか自分を奮い立たせるように、神山の顔を真っ直ぐに見直した。強くならなければ、そう自分に言い聞かせた。
「事故の話、しましょうか」
「うん。ありがとう。でも今、他のスタッフがこっちに向かってるんだ。あと30分くらいかかると思う。だからその間は、この喫茶店で好きなものとか食べててよ」
 そう言って、神山はマリアにメニューを渡した。メニュー裏面全面に大きなヨーグルトパフェが書かれていて、それが昼から何も食べていないマリアの空腹を誘った。
「いつもなら、甘い物は太るから食べたくないんですけど……今は何か甘い物を食べたい気分」
 マリアは少し照れながら言った。それを見た神山は、手を挙げて店員に合図を送った。
「いいんだよ。食べたいときに食べたいものを食べれば。欲求の赴くままに食べるのが、ストレスフリーの健康の秘訣!」

   

 神山の「欲求の赴くままに」という言葉にマリアはドキッとしてしまった。いつも、太りたくないからと主張して、甘いものを人前では自制して食べることはなかった。甘い物は凄く好きだったが、どうも人前で食べることは、若い女の子と同列に並んでいたダイエットの競走馬から落馬してしまうような、そんな気がしてしまうのだ。強い意志で自制する、それが自分の美徳だと思っていた。外出すると、1人で甘い物を食べることすらできなかった。甘い物を注文すると、店員が陰で「あの子ダイエットしていないのかしら」と言って嘲笑しているような気がしてしまうのだ。だから、甘い物は絶対にダメ。別に太っているというわけでもなく、ごく標準体型でダイエットは別に必要でもないのだが、どうしても人前で甘い物を取ることには抵抗がある。まして欲求の赴くままに人前で甘い物を食べるだなんて、どうしよう。私にはできないよ。できないよできないできないできない―――。

   

「どうしたの? やっぱり体調悪い?」
 神山が心配そうにマリアの顔を覗き込んだ。
「注文したパフェ、来てるよ。気が済むまで食べて」
「はい」
 どうも気分がすぐれないようだ。どうもあらぬ方向へ思考が向かってしまう。今日の自分は変だ、やっぱり。あんな事故を目撃した後だから、しょうがないのだろうか。
 ヨーグルトパフェの山に、柄の長いパフェスプーンを差し込む。軽くすくい上げると、ヨーグルトの下に埋もれていた赤いストロベリーソースが姿を現した。とろりとスプーンから流れ落ちるその赤いソースはまるで、鮮血のようだ。あの事故で飛び散った、青空に映える真紅。赤血球の強い赤色は、テレビで見たことのあるルビーの宝石のごとき美しさ。なんてきれいなんだろう―――。
「マリアちゃん!」
 マリアはがっと肩をつかまれ、ハッと我に返った。向かいのテーブルにいたはずの神山は、隣に立っていて、マリアの顔を覗き込みながら肩をつかんでいた。
「どうしたの? 目が泳いでいるよ。無理ならいいだ。帰ったほうがいいかもしれないし。事故の話はまた今度でもいいし」
 マリアは急いで首を振った。
「大丈夫です。話さなきゃ解決しないんです。これは自分自身の問題ですから」
 思わず口を滑らせてしまったが、神山は別に不審に思わなかったようだ。
「ならいいんだけど」
  その時、神山の携帯電話が電話着信した。
「ごめんね」
 こう言い残し、神山は急ぎ足で携帯を手に喫茶店の外へ出て行った。残ったマリアは、少しずつパフェを口に運んだ。人前で初めて食べる甘い食べ物だった。店員や客などの人の目が気になったが、マリアはまぶたを薄く開け、自らの視界を狭くすることで安心した。口の中で広がるヨーグルトの甘い味と、優しい香りが心を静めるようだった。

 パフェを食べ終わり、冷めたレモンティーを飲んでいると、喫茶店の表を神山が右往左往しているのが見えた。Tシャツに包まれた神山の細身の身体が、喫茶店の窓越しに消えたかと思うと、突如ドタバタと喫茶店に飛び込んで来た。マリアの座ったテーブルに慌しく座ると、
「今から、いい? 表にスタッフが揃ったんだ。気分が落ち着いたのならお願いできるかな」
 マリアは小さくと頷いた。
「大丈夫です。気持ちは何とか落ち着きました」
「それなら行こうか」
 神山がテーブルの隅に置いてあった伝票を手に店頭に向かった。ソファの奥に押しやっていた紙袋を手に取り、マリアは神山の後を追うようにして店を出た。

   

「ライトは?」
「こっちはオーケー!」
「じゃあ、いきま~す」
 喫茶店を出た横の人通りの少ない道で、マリアはテレビの前でインタビューを受けることになった。事故の話を聞く、とだけしか神山は言っていなかったので、マリアはてっきり報道のメモ程度に聞くだけかと思っていたのだが、そうではなかった。
 本格的なカメラと音声マイク、照明にマリアは少し怖気づいた。胸の内に何度も不安が立ち上っては消えた。
「一回リハーサルする?」
 神山がマリアに尋ねた。マリアが目を伏せて首を振った。
「早く終わらせたいです」
「オーケー。分かった」
  神山は隣にいた別のスタッフに小声で耳打ちした。
「リハーサルすると少しリアリティがかけるかもしれない。すぐ撮ろう」
 神山がスタッフと打ち合わせているのを横目で見て、マリアは道端の植木の花壇にちょこっと腰をかけた。
 総勢4人がそこにいた。打ち合わせをする者、路肩に停めてある白のワゴン車から機材を路上に搬出している者。その中にいる神山をぼんやりと見つめていると、ふっと風が吹いて、神山の白いTシャツの背中が軽く揺れた。

   

 白いTシャツ。彼も白いTシャツが良く似合ってたな。5年間の片思いが失恋に終わったのは悲しかったけれど、それは過ぎたこと。彼が自分の嫌いな女子と付き合ったというのを風の噂で聞いて、何で早目に彼に告白しなかったんだろうって後悔した。でも、失恋になると分かっていても、彼が自分に告白しない限り、自分は自分から絶対に告白なんてしなかっただろう。人目を気にして彼を放課後呼び出したりとか、震える手で電話のプッシュボタンを押しかけて止める、などということは自分には決してできない。告白なんて恥ずかしいもの。自分から想いを打ち明けるなんて、強い自分にはありえない。強いからこそ告白するもの? それは違う。自分から相手に好きと告げるのは、弱みを見せるのと同じこと。好きということを相手に伝えた瞬間から、自分は相手から嫌われたくないという心の重荷を背負うことになるからだ。そうなったら強くなんてなれない。自分から告白したら自分の心の強さは壊れてしまう。だから、あの失恋は強い自分の心を崩壊させずに、維持存続させるための運命だったのだ。運命を受け入れて、失恋を悲しがらない、なんて。強くてカッコイイ生き方なんだろう。ねぇ、そう思わない?

   

「それじゃ、いきます!」
 カッと照らされたマリアの上に熱く照らされたライトで、マリアは我に返った。
 そうだ。今からインタビューをするのだ。インタビュー。何のインタビュー? ああそうか、あの事故のことだ。あの事故、あの事故……。
 ふっと蘇ってきた記憶に胸の内が猛烈に痛くなり、目の前が暗くなりそうな気がした。頑張らないと、頑張らないと。耐えて耐えて耐えて―――。
 マリアを前方から取り囲むように固唾を飲んで凝視するスタッフたちの目。ファインダー越しに見つめる神山の目。神山の隣に立った男が、優しげな目を湛えて、柔らかい声でマリアに尋ねた。カメラを見ずに、その男の目を見つめる。
 さぁ、マリア。落ち着いて、落ち着いて。見た通りのことを話せばいいだよ。思い出してみよう。事故の記憶を。
「あの事故、目撃したんだよね」
「はい」
「どんな様子だった? 詳しく教えてくれる? 考えながらでもいいよ。編集し直すから」
「え……と」
 マリアは目の前の男から目を離し、すっと遠くを見つめた。思いがけず口が独りでに開いた。

   

 あの時、自分は―――。
 自動販売機の飲み物の取り出し口に手をかけていました。何気なく横を見ると、真っ先に前方の道路の横断歩道の青信号が目に入りました。そしてその信号を見て、顔を自動販売機に戻そうとした瞬間、横のほうから大型トラックが横断歩道にハイスピードで突っ込んできたのです。
 すると、横断歩道に歩いていた人が、まるで人形のように放物線を描いて吹き飛ばされていきました。打ち所が悪かったのでしょうか、赤い血潮が細かい霧となって高く舞い上がりました。晴天の下、その血しぶきの赤と、青い空の鮮烈で美しいコントラストが今でも目に焼き付いています。そして、トラックはそのままガードレールにぶつかりました。接触したときに、軽い火花のような閃光が輝きました。
 そして、ガシャン、という鈍い嫌な音がしました。何かが潰れてしまったような、胸をわしづかみにされたような痛みを伴った音でした。それはまさしく轟音でした。それが白昼のビル街に轟くように響いたんです。その轟音の波動は、アスファルトの地面が事故現場を中心にして、一瞬ゆるりと波打ち、その地面に生えた雑草がそそけ立ったような感じでした。そして、そして―――。

   

「カット! オーケー、とっても良かったよ!」
 スタッフの声で、マリアはハッと我に返った。今のは何だったのだろう。
 頭で考えるよりも、脳裏のイメージがそのまま口を借りて出てきたという感じだった。驚くほど、自分の中で事故の恐怖は消え去っていた。心の中は、無風状態の海原のように、穏やかな海面のようだった。さっきのインタビューで事故の記憶を話すことで、自分の中の鮮烈な記憶を放出することができたのだろうか。これが、克服ということなのだろうか。インタビュー前に全身を漂っていた何かしらの恐怖が、嘘のように脳裏から消え去っている。再び事故のことを思い出そうとしても、脳裏のイメージはすりガラスが一枚挟まっているように、不鮮明になっていた。
 これはどういうことだろう。マリアはうずくまって考え込んだ。どういうことだろう。どういうことだろう。どういう―――。
 トントン、と肩を叩かれた。顔を上げると、神山の笑顔がそこにあった。
「さっきのインタビュー、最高だったよ!」
 神山の嬉しそうに上気した顔を見て、なぜかマリアの心は弾んだ。恥ずかしくなって、頬が紅潮してくるのが分かった。
「本当ですか? 記憶にあることだけを話したんですけど」
 はにかみながらマリアは言った。どうして自分、照れているんだろう。照れちゃいけない、動揺しちゃいけない。マリアは自分の心理状態がよく分からなくなっていた。
「凄く良かったよ! さっき上司と電話で話したんだけど、マリアちゃん、就職先……探してるんだよね? 良かったら、俺のところのテレビ局に来ない? 報道部なんだけど。考えてくれるかな」
 マリアに向かって神山は顔の前に両手を合わせて拝む格好をした。マリアは突然舞い込んだ就職採用の話に驚いた。
「就職面接は今日の事故でダメになっちゃったんで、採用してくれるのなら凄くありがたいんですけど……。その前に、自分の何が良くて採用しようと思ったんですか」
 マリアが尋ねると、神山はニヤリと笑って、ゆっくりと言い含めるように言った。
「マリアちゃん、キミのリポーターセンスを買ったんだ、僕らは」

   

 マリアは神山と別れると、真っ直ぐ帰宅することにした。途中、買い物の予定があったが、そんな元気も起こらなかった。一人暮らしの冷蔵庫は冷え冷えとしているため、何か食料品でも、とは思ったがパフェの甘ったるさが口中を漂い、お腹が空いていなかったため、何も買う気力が沸かなかった。
 家に着くと、早速、汚れたスーツを洗濯ネットに入れ、洗剤を一緒に洗濯機に放り込んだ。洗濯機のスイッチを入れ、ソファに寝転んだ。テレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れる。
 いつもは笑い転げて見るはずのバラエティ番組が面白くない。番組の笑いの溢れる異様な盛り上がりが、なぜか心を締め付けられるように苦しく感じる。テレビのボリュームを下げ、ぼんやりと眺めた。

   

 ―――それにしても、今日は一体何という日だったのだろう。就職面接はできなかったのに、別の会社から採用の依頼を受けるなんて。マリアは大して採用の動機を教えてもらうことなく、安易に神山の申し出を承諾した。何か腑に落ちないものを感じながらも、悪い話じゃない、と考えたのだ。事故を目撃したら、そのインタビューを受けるなんて。  
  いつも通りの時間に、いつも通りのメニューでマクドナルドで食べた朝ご飯。少しだけ太陽の眩しい、穏やかな日差しの朝だった。面接の模範解答を練習するために行った公園でのお昼ご飯。日常が音を立てて崩壊した、その日の午後。それなのに、今はこの異様なほど平静な心。不思議だ。不思議な気分だ。

   

 色々と考えつつテレビを見つめていると、唐突に、テレビの画面であの事故を報じるニュースが始まった。慌ててボリュームを上げる。淡々とアナウンサーが事故の状況を告げた後、場面が変わり、マリアの顔のアップになった。
「自分だ!」
 驚いて思わず大声で叫んでしまった。インタビューを受けたのだから、当然だ。
  画面の中のマリアは、遠い目がどこか悲しげで、細い声が儚げだった。白い面輪の、色を失った血色の悪い唇が、あるかなきかに細かく震え、それが事故の恐怖を如実に物語っているようだった。事故の凄惨さがブラウン管を通して、見る者にじっくりと伝播しているようだった。
 ふと、神山の言葉が頭の中を横切った。
「マリアちゃん、キミのリポーターセンスを買ったんだ、僕らは」
 自分の目撃証言を絶賛した神山。自分のリポーターセンス。自分がそのセンスを生かして事故現場のリポートをする……? 神山の意図がほんの少しだけ分かったような気がした。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 数日後。マリアはテレビ局に出社した。フロントでプレスカードの提示を求められたが、事情を説明すると、すぐに中に通された。初めて入る異世界ともいうべきテレビ局の中で、周りをキョロキョロ見回しながら、報道局へと向かった。報道部、と書かれたコーナーが目に入ると、そのすぐそばで神山がデスクに向かっているのが見えた。静かに神山のデスクに歩み寄る。
「神山さん。おはようございます。先日はどうも……」
 精一杯、元気よく声をかけた。マリアは自分が少し緊張しているのが分かった。当たり前だ。初出社の日なのだ。それも、自分がなぜ必要とされているのかを知らされずに、採用を判断した会社への出社。ここでの自分の居場所を全く予想し得ないこの段階では、見るもの全てが初めてで、それがどうしても自分を必要以上に不安にさせる。
「あ、マリアちゃん。おはよう。ちょっと今からプロデューサーに会うんだけど、いいかな」
「は、はい」
 緊張した面持ちで答える。マリアはデスクを離れて廊下に向かった神山の後を追った。

「マリア君、君を採用した理由はただ一つ、リポーターセンスだ」
 プロデューサー室に入り、対面ソファの片側にかしこまって腰を下ろしたマリアに対し、プロデューサーは開口一番、そう言った。
「リポーターセンス……」
 マリアは囁くように呟いた。
「そう、リポーターセンスだ。テレビで事件・事故のリポートするリポーターがいるだろう? アナウンサーとか、リポーター専門の人とかが担当しているんだが……」
 プロデューサーは自らの言葉を遮り、強い口調で言った。
「陳腐なんだよ、陳腐! 最近のリポートはみんな型通りなんだ。原稿を丸暗記したり、捜査状況を警察発表のままレポートしたり、中継だって、視聴者が見ているそのままを見たまましか言えないんだ。よく、《レポーターが話さなくても、テレビを見れば分かります》っていう視聴者からのクレームも来るんだよ。
 まぁ、いくら我々が歯痒く思って地団駄を踏んでも、それがレポートの限界だと思っていたんだ。―――つい先日までは」
 プロデューサーの言葉を引き継いで、プロデューサーの隣に座った神谷が真剣な面持ちで答えた。
「君にインタビューをしようと思ったときまでは、別に何も考えてはいなかったんだ。けれど、君のインタビューを受けている姿を撮っていて、これだ! って思ったんだ。リハーサルなしのアドリブで、あんなにイマジネーション豊かに話せる人は、そうはいないよ。いたとしても、カメラ映えする美しさをも兼ね備えている人は、まずいない。それを俺はリポーターの資質、リポーターセンスと言ったんだ」
 プロデューサーが満面の笑みを浮かべて頷いた。
「神山から君の話を聞いたとき、金の卵を見つけたと思ったね。アナウンサー養成をしていない、正真正銘の素人を即戦力として採用するなんて、先にも後にも、君だけだ」
 マリアは眉をひそめて首を傾げた。
「自分が……金の卵、ですか?」
 自分が金の卵だなんて、そんなことがあるのだろうか。今まで、自分自身に才能があると実感できるものに出会ったことはなかった。中学校のときに入部したバレー部は、練習がきつくて一週間で辞めてしまったし、高校のときに入った演劇部は、部員同士の人間関係が原因で1年で辞めてしまっていた。推薦入学で入った大学でも、毎日飲み会ばかりのサークルに嫌気がさして辞めてしまっていた。自分に根気がない以上、金の卵である分野が自分に存在するとは思えなかった。
 しかし……このプロデューサーは、自分に対するたった数分のインタビューだけで、自分のことを金の卵である、と断言している。あのインタビューは、自分はただ思いつくままを言っただけ。ということは、このリポーターセンスは、努力しないでも得られる天賦の才能?
 プロデューサーは相変わらず満面の笑みを湛えつつ言った。
「君を金の卵と言った根拠がある。君へのインタビューを放送した後、視聴者からの問い合わせの電話が鳴りっ放しなんだよ! あの子は誰なんだ、目撃者にしてはコメントの表現が良かった、とな。果ては、またあの子が出る予定があるんですか、ときたもんだ。君への問い合わせだけで一日数百件以上だ。こんな凄い反響の持ち主は、金の卵と言い切っても過言じゃない、と自分は思う」
「はぁ……」
 返事に困って、マリアはそうとしか言えなかった。
「新人をリポーターにすぐ使うなんてことは前例がないから、アナウンス部からの風当たりが強くなるかと思ってな、既に局長の許可は取ってある。局長に君へのインタビュービデオを見せたら、即OKだったぞ」
「……あ、それはどうも。ありがとうございます」
 とりあえず、何が何だか分からないままマリアは軽くお辞儀をした。
「ということで、突然で悪いんだけど、今から現場に行って来て欲しいんだが。神山のチームと一緒に行ってくれ」
 プロデューサーはマリアの全身を舐め回すように眺め、
「服装は……今着ている格好でいいか。意外性を持たせるために、今度からはもっとカジュアルな格好をしてきてくれないか」
「カジュアル……ですか?」
 マリアは、ショルダーバッグから手帳を取り出し、プロデューサーの言葉をメモに取り始めた。
「そうだ。TシャツにGパン、ジャケットくらいでいいな。もちろん、仕事内容が増えたらスーツを着たり、自分で考えて着て欲しい。で、あと……化粧はなるべく薄めに」
「薄化粧、ですね」
「唇は血色の悪さをアピールするために、塗らなくてもいいよ。そのほうが緊迫感があって、リポート内容に凄惨さが伝わりやすいから。流血の殺人ものだったら、口紅の赤が血を連想させるから、赤い口紅をつけたり……まぁ、インパクトだ。自分で考えて色々チャレンジしてみてくれ」
「はぁ……」
 そこまで言うと、プロデューサーの顔から笑みが消え、真剣な面持ちになった。
「今回は腕試し、ということで、思う存分頑張ってきて欲しい。ある事件のリポートをしてもらいたいんだが、完成度が高ければ、夕方のニュースの特集のコーナーで使う。充分な資料、近所の聞き込み調査、裁判の判決文、警察発表、それを総合的に、《君の言葉で》リポートしてくれたまえ。いいね」
「はい」
 マリアはしっかりと頷いた。
「それと、君は、いくら金の卵だと我々が判断したとはいえ、アナウンサーの養成を受けていない本当の素人なんだから、我々の負った様々なリスクを考慮しておくんだ。君は決してスタジオでニュースを読み上げることはない。インパクトの強い事件や事故を、君の感性で《より衝撃的に》視聴者に伝えること、それが君の責務だ」
「《より衝撃的》に、ですね」
 マリアがプロデューサーの言葉を繰り返すと、プロデューサーは大きく頷いた。
「そうだ。陳腐なベテランリポーターと、君のようにリポーターセンスを持った素人リポーターでは、余りにも元々の持ち合わせの武器が違いすぎる。年代物のマシンガンと、切れ味鋭いカッターナイフと言うべきかな。向こうはマシンガンだけに威力はあるが、年代物で単調の動きしかしない。同じ場所にしか狙い撃ちができないんだ。しかし、一方、君の場合は、カッターナイフだから見た目は小さく、威力がなさそうに見えるが、切り方によっては、縦横無尽に対象を斬ることができる。それに、ベテランだと一定の視聴率しか取れないが、君の場合、未知数なだけに、無限の可能性を秘めている。視聴率の、な。
 今日、この場からゼロのスタートラインに立つ君には、丸暗記ではない何かを見つけてくれると我々は信じている。それが、我々は君に求めているものなんだ。他局にはない実に充実したモノを我々に提供して欲しい。我らは君の《真実》のリポートを楽しみにしている。
 付け加えておくが、ただ、君が視聴者にウケたのは、目撃したことを丁寧に描写したからじゃない。他の追随を許さない迫力と臨場感のある《真実》の目撃証言だったからだ。多くの情報を丁寧に細かく伝えることは確かに大切だが、秒刻みで動いている番組には、それは冗長であり不要のものだ。だけど、君のリポートは違う。《真実》には無駄がない。それを君が視聴者へしっかりと伝えて欲しい。―――さぁ、話は以上だ。細かいことは神山に聞いてくれ」
 プロデューサーが立ち上がった。マリアは慌てて立ち上がり、プロデューサーに向かって深々と大きくお辞儀をした。プロデューサー室を後にしようとしたとき、プロデューサーがマリアに歩み寄り、マリアだけに聞こえるように小さな声で呟いた。
「我々は、君のリポーターセンスの威力と可能性を信じたいんだ」
 その目はとても鋭かった。

   

◆ 第2章へと続く ◆


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リポーターセンス 2


◆ 第2章 ◆

 取材用のワゴン車に乗り込むと、マリアはファイリングされた厚みのある資料をスタッフから渡された。ファイルを開いてみると、ほとんどが書き殴りの資料の寄せ集めという感じだった。ワゴン車に揺られながら資料の一つ一つに目を通すのは、最初のうちは車の揺れに遮断されて非常に読み辛かったが、次第にマリアの心の中で平静さを取り戻していった。資料の読み込むうち、マリアの中で何か世界が形成されていくのが分かった。
 マリアの心の中の、薄くぼんやりした暗闇に、一つの小さな光がボッと瞬き、その光を丹念に見つめていると、その光がどんどんと大きくなっていった。その光は、たゆたうように輝いたり、ある時はすっと暗い色を落とし、再び恍惚と燃えたりもした。光がガラス玉のように透き通った瞬間、マリアは、自分の心の中にある灯火の中の不思議な世界が見えたような気がした。

 男の眼。血走った狂気の目。熱を帯びたギラギラとした三白眼。
 銀色のきらめき。冷たい感触。愛らしいお面。
 汗。汗。汗。緊迫感。震える手。勇気。
 のたうちまわる男。床の染み。斑点。
 騒然。金属音。拍手。歓声。安堵。
 汗。汗。汗。あせ、あせ、あせ―――。

 その時急ブレーキがかかって車が停車した。マリアはハッと我に返った。
「マリアちゃん、現場に着いたよ」
 隣に座っていた神山が、マリアの頭をポンと叩いて、勢いよく車を飛び出した。

 今回マリアが取材することになった事件は、コンビニ強盗事件だった。
事件は、住宅街にあるコンビニエンスストアに、深夜、刃物を持って押しかけた強盗を、店員が撃退した、というものだった。
 ワゴン車を降りたマリアは、現場となったコンビニへと向かい、周りの様子を伺ったり、神山がそれをカメラに収めたりした。強盗を撃退したコンビニ店員の住まいへ尋ねて、店員に直接事件の様子や感想や、撃退に協力した店の客や手錠をかけた警察官、目撃者のインタビューなどを丁寧に集め、さらにコンビニの店長や関連会社の許可を得て、犯行を撮影した防犯ビデオを確認したりした。
 マリアたちの取材班は、取材を一週間かけて綿密に行った。事件の関係者に対するインタビューや聞き込み調査などを朝から晩までじっくりと4日間費やし、それと平行して、マリアは関係資料を徹底的に読み込み、それを自分の内なる世界に取り込もうと励んだ。
 そして、インタビューと平行してVTRの編集作業を行い、取材開始から6日目にマリアが事件のリポートを行い、その後に足りない部分や補足説明をナレーションを吹き込むことになっていた。
 マリアは、ボイスレコーダーで聞き込みのインタビューを録音しながら、大まかな点はノートにメモ書きをした。聞き込みを終了すると、聞き込み資料や捜査資料などを何度も読み込み、頭の中にその事件世界を思い浮べる。
 《丸暗記ではない何かを我々は君に求めているんだ》
 マリアはプロデューサーの言葉がふと脳裏に蘇った。
 テレビ局が自分に求めているもの。自分の持つ何か。その何かの果てに自分の居場所がある。そこに自分の存在意義がある。

 事件取材を開始して六日経った。この日は、マリアが事件現場で事件リポートを行うことになっていた。マリアは、テレビに映るんだから、と貯金を下ろして買った濃いグレーのパンツスタイルのスーツを身につけていた。プロデューサーはカジュアルな格好でいい、と言ったが、さすがにリポーターとしてデビュー画面から、TシャツとGパンじゃちょっと……と思い、マリアはスーツを着込んだ。
  早朝に起きて数時間かけてセットしたセミロングのウェーブヘアが夕刻の時折の突風で大きく乱れると、マリアはその都度ポケットの中から手鏡を出して、髪形を整えた。自分は神経質になっている、とマリアは思った。
「マリアちゃん、初めての撮りだから緊張するのは分かるけど、もっとリラックスしないとダメだよ」
 神山がカメラをいじりながら、マリアに声をかけた。
「はい……」
 マリアは小さな声で頷いた。正直なところ、自信はなかった。しかし、やり遂げないと、次はない。私はクビになってしまう。ずっと就職活動を行ってきて、何十社も受けたうち、面接試験にまでやっとこぎつけた会社への就職の道が断たれてしまった以上、このリポートを頑張る他はなかった。
マリアは、目をキュッと閉じて、心に平静を呼び戻そうとした。事務的なことを行なえば、きっと冷静になれる。

 マリアは、鞄に入れていた事件ファイル取り出した。それは、聞き込みやその他の調査で得られる次々と継ぎ足される事件の情報を、総合的にまとめて自分なりにファイリングしたものだった。マリアは全ページを通して、何度も確認した。現時点で曖昧で分からないところは、保留、という形でそのまま述べるか、取り上げないことにした。
 よし、気分が落ち着いてきた、とマリアは自分に言い聞かせた。自分は《真実》を述べることに徹しよう、とマリアは心の中で大きく頷いた。自分のリポーターセンス。存在意義。自分であること。前回の目撃証言とは違う、証言ではない、事件の顛末を綴ったリポート。誰にもできない自分だけの《真実の》リポート。

 雨の気配を感じさせる重く鈍い朱色の光と雲模様が、空全体を重苦しく塗りたくっている。夕闇が近づきつつあった。子どもたちの笑い声が路地を反響して時折小さく聞こえた。軒先にある樹木の葉擦れ。落ちる影。静かな夕刻。
 箱のように小さなコンビニが遠目で確認できる位置に立ったマリアは、周囲を見渡して再度、手鏡で髪型を見直した。カメラワークや照明その他の準備が終わり、スタッフたちは機材を手にマリアを囲んだ。神山がカメラを肩に固定させて言った。
「マリアちゃん、リポートお願い。自由に動き回って話していいからね」

 マリアは照明に照らされた中央に立ち、少しこわばった緊張した面持ちで深呼吸した。マイクを握り締める手が、心なしか震えている。
「よし。いつでも始めていいよ」
 目の前に沈黙を守ったままの黒光りしたファインダーがある。マリアはそのファインダーの強い瞳を見ていると、すっと目の前が遠くなり、頭の中がぼんやりと霧がかってくるのが分かった。雲がかった不透明な意識に包まれ、マリアは、自分の目の前に事件のイメージが蜃気楼のように目の前に薄く灯ったが見えた。緊張で口が少しガクガクと震えたが、徐々に言葉とつかないものが口から飛び出し、次第にそれが言葉として形成されていった。
 マリアは思った。事件のイメージを、その顛末を、《真実》のまま、見えるだけ、自分は口に出せばいいんだ。
 《丸暗記ではない何かを我々は君に求めているんだ》
 マリアは漫然と漂う意識の中、ふっと光が見えた気がした。イメージの輪郭が次第にはっきりしてくる。しっかりとカメラに自分の目を見据えた。マリアは静かに、かつ強い口調で独りでに開いた口の動きに自らのイメージを重ねた。


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 淡々と日常が更けていく深夜、その男はやって来ました。男は自動ドアをくぐった後、明らかに挙動不審な素振りをしていました。襟ぐりがよれた少し大きめの白Tシャツとジーンズ、手元にコンビニ袋、という姿をしていたその男は、店内で軽く一周した後、レジ棚と対極にある陳列棚の前でしゃがみこみ、隠れるような格好をしました。そして、おもむろに手にしていたコンビニ袋から、縁日の屋台で売られているようなプラスチック製の有名なキャラクターお面を取り出すと、それを自分の顔に取り付け、更にその袋の中から刃渡りの長い包丁を取り出しました。男は、周りをチラチラ見回しながら、何度か深呼吸をして息を整え、その袋を無造作にジーンズの後ろポケットにねじ込んだ後、真っ直ぐレジへと向かいました。

 マリアは一旦言葉を切り、更に言葉を続けた。

 男は、レジで退屈そうにぼんやりと立っていた店員に対し、「金をよこせ」と声をかけました。コンビニ店員は目を丸くしました。店員の目の前に立っていたのは、包丁を震える手で握り締め、有名なキャラクターお面をつけた、甲高いかすれ声の小男だったのです。包丁をちらつかせてお金を要求する強盗犯の凶悪さに、店員は一瞬怯みました。しかし、この、相手を畏怖させるはずの覆面が、意外にも愛すべき有名キャラクターのお面であったため、その店員は、恐怖に震えることなく、冷静に状況を判断し、策を練ったのです。
 店員は、敢えて強盗に言われるまま、レジを開けようとする傍ら、素早く店内を見渡すと、そこには、雑誌コーナーで立ち読みをしている一人の客が、強盗の存在に気付いている素振りを見せました。その客の様子を見た店員は、その客が、体格の大きなスポーツマンタイプであったことから、直感で、「この人は強盗退治に協力してくれるはず」と思い、強盗撃退のチャンスを伺うことにしました。
  一方、店員のそんな様子に気付かないその強盗は、ポケットからさきほどの袋を取り出すと店員に向かって突き出し、「お金をこれに詰めろ」と言いました。店員は言われるままに袋を受け取ると、レジに向き直るときに、さりげなくさきほどの客を確認すると、強盗の男に見られないように陳列棚に隠れるようにして、携帯電話をかけているその客と目が合いました。目が合った瞬間、大きく頷いた客を見て、「本当に協力してくれるんだ。あの電話はきっと警察への通報だ」と思った店員は、包丁を突きつけられている恐怖をしばし忘れながらも、慎重に事を運ぶことにしました。
  必死に頭を回転させて作戦を練っていると、その時、レジカウンター横に置いてある二重鍋の湯煎式のおでん保温鍋が目にとまりました。そのおでん鍋は湯煎式で、鍋と保温機は別々に重ねるように設置されていました。店員は、これを使おうと即断しました。そして。
 レジを開け、ゆっくりとした動作で高額紙幣を袋に入れる店員。そのあまりにゆっくりとした動作に、苛々したのか、強盗犯は「早くしろ」と凄みましたが、その声が甲高いかすれたものだったため、全く迫力がありませんでした。紙幣を入れ終えると、レジを閉じ、店員は、強盗に、「足元に金庫があるんですけど、それからもお金をいれなきゃダメですか?」と言いました。これは店員の誘導尋問の作戦でした。
  「ああ、早くしろ」と強盗が言った瞬間、店員は、足元を見る振りをして、向きを変えたその時、おでん鍋の熱くなったアルミ鍋の取っ手をつかみ、勢い良くカウンターに中身を引っくり返すようにぶちまけました。その熱々のおでんがカウンターを覗き込むようにして立っていた強盗犯の身体に被るようにかかると、強盗犯はそのとてつもない熱さに床に悶えるように倒れました。
 その瞬間、陳列棚の陰で様子を伺い今か今かと自らの出番を待ってた客がその倒れた強盗に飛びつき、その腕をつかんで逆手にし、押さえつけるように組み伏せました。店員は、客が飛びついた瞬間から、着ていたエプロンを脱ぎ、レジカウンターを通り抜けて、押さえ込まれた強盗犯の逆手になった両手首をエプロンでグルグルと巻きつけました。
 そして、客と店員二人が、強盗犯の足と背中に乗り、全体重で押さえ込んだとき、制服を着た警察官が数人、店の自動ドアを突き破るような勢いで、息せき切って駆け込んできました。そして、強盗犯は、その場で警察官によって手錠をかけられました。
  これが今回の事件の一部始終です。

 マリアは言葉を切ってじっとカメラを見つめた。緊張の一瞬。少し間をおいて、スタッフの「カット!」という声がした。マリアはほっと肩をなで下ろした。全然ダメだったかもしれない。取り直しでもいいや、とマリアは思いつつ、この胸に漂う充実感は、きっと事件に対する想いを全て吐き出したからなのかな、とふと思った。ずっと喋り詰めていたことと、緊張とで、極度の喉の渇きを感じ、現場から、取材ワゴンに置いてあるペットボトルの清涼飲料水を取りに戻った。
 現場に戻ると、スタッフたちが機材を片付けながら何やら話し合っていた。やっぱり取り直しなのだろう、と自分の頑張りのどの部分がまずかったのか、疑問符と不安に胸を絞られる思いで、マリアはスタッフのそばに歩み寄った。
「あの……」
 マリアは恐る恐るスタッフに尋ねた。スタッフの面々は興奮した面持ちで、異様なほどに目を輝かせていた。神山も紅潮した頬で満面の笑みを浮かべてカメラを操作していた。
「マリアちゃん、良かったよ! 素人にしては、花まる合格点だよ。上出来! 最高!」
「あ、ありがとうございます」
 自分の何が評価されたのかは分からないが、とりあえずは良かったのだろうと、マリアはぺこっと頭を下げた。
「私はただ言われた通りにリポートしただけです。資料に基づいて、《真実》を述べることに徹しただけなんです。それが良かったのなら、嬉しいです」
 マリアは自分の顔がほころんでくるのが分かった。
「台本、自分で作ったの? とってもよく出来たリポートだよね、さっきの」
スタッフが機材を片付けながらマリアに聞いた。
 マリアは笑って、
「全部アドリブですよ。台本なんてないです。イメージをそのまま思いついた通りに話しただけなんです。言うことを箇条書きにしたメモすらないんですから」
 スタッフの手が止まった。恐る恐るマリアを見上げる。顔が硬直している。神山も目を丸くしていた。
「あれ全部……アドリブ? ホントに?」
 スタッフの仰天した顔が面白くて、マリアは思わず笑ってしまった。
「ホントのホントですよ。思いついたことを話しただけですって」
 マリアは、事件を調査の資料を元にして、事件のことをイメージして想い考えることで、頭の中立ち上った事件のイメージを、口について出ただけをそのまま話しただけだった。事故を目撃したとき、イメージをそのまま話したことで、マリアはテレビ局に勤める神山にスカウトされ、この役に抜擢された。それを見込まれていることを知った上での今回のリポーターの役だったから、マリアはインタビューや資料によって、知りえた事件の《真実》を頭の中でイメージして、それを言葉にしただけであり、別に驚かれるほどのことではない、とマリアは思った。
「本当に……金の卵だったんだ」
 スタッフの一人がマリアを見つめて呆然とした様子で言った。
「そんなに凄いことなんですか?」
 何に驚いているかが分からず、たまらずマリアは神山に尋ねた。
「別に凄いことじゃないですよ。ねぇ、神山さん」
 神山は冷静を取り戻した様子で咳払いして、マリアを見つめた。
「いいかい、マリアちゃん。普通は、こういうリポートをするときは、予め台本があって、リポーターはそれを覚えるか、視聴者に気付かれないようにカンニングペーパーを見て、リポートするんだ。
 でも、マリアちゃんは、台本を覚えるどころか、台本すら元々無くて、あんな長々とした一発OKのリポートを思いつきで行なったんだ。ベテランの実況中継のアナウンサーでも、こうは上手にリポートできないよ」
 不思議そうにマリアは首を傾げた。他人がどうなのかは知らないが、自分のイメージを元にして自然体で話したマリアにとっては、自分の凄さというのが、いまいち認識できなかったのだ。
「まあ、いいや。」
 神山が爽やかな笑顔を浮かべて、ポンとマリアの肩を叩いて言った。
「お疲れさま。本当に、本当に良かった」
 なぜかその一言が、マリアは心に染み渡るように嬉しかった。
「マリアちゃん、今日はもう帰っていいよ。あとはこっちで編集しとくよ」
 取材ワゴンに乗り込んだ後、マリアは隣に座った神山に尋ねた。
「私、帰っちゃっても……いいんですか?」
 神山はニヤッと笑って、
「休めるときに甘えて休むのが一番だけど……マリアちゃん、今夜の予定は空けておくように」
 いたずらっぽい目をして神山が言った。首を傾げたマリアに対して、
「今夜は食事をしながら、マリアちゃんのリポーターデビューをお祝いしよう。二人だけでね」
 神山はマリアにウィンクして言った。マリアは思いがけず、恥ずかしくなってしまいうつむいた。その耳はほんのり赤くなっていた。


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「僕の賭けは大当たりだ」
 夜景が綺麗に見える展望型のレストランの奥の席で、マリアと神山は夕食をとっていた。テーブルの上にはパスタ料理とサラダ、スープが細々と並んでいた。
「賭けって……?」
 慣れない手つきでスパゲッティをスプーンとフォークで巻き取りながら、マリアは神山に尋ねた。
「君のリポーターセンスを賭けてみたい、って俺が言ったの覚えているかい? 今日の君のリポートを見て、俺の賭けは大当たりを引いたって実感したんだ」
 マリアは恥ずかしそうに笑った。
「まだ大当たりかどうか、分かりませんよ。放送を見てからじゃないと」
「そんなことはないよ。放送しなくても分かるんだ。君のあのリポートは、本当に素晴らしかった。君を見つけたことはまさにミラクルだよ」
「ミラクル……?」
 マリアは不思議そうに尋ねた。
「そう、ミラクル」
 神山は口をつけたシャンパングラスをテーブルに置き、真剣な眼差しをマリアに向けた。その目に圧倒されながら、マリアは神山の話に聞き入った。
「プロデューサーは新人の君に体面上言ってなかったけど、本当は俺たちの番組は、視聴率の低迷でもうすぐ打ち切りになる予定だったんだ。報道部は全面的に人員を入れ替えて、別の人たちが新しい報道番組を作ることになっていたんだよ。
 俺たち取材班は、視聴率を稼ぐためには何でもしたんだ。俺は自分のことを報道カメラマンって言っているけど、それは昔の話。最近は結構タレントのパパラッチみたいなことを多くしているから、今はワイドショーのカメラマンなのかもしれない」
 マリアは黙って神山の言葉を待った。
「でもそれは、俺の望む姿じゃない。スクープを撮りたくて、俺は入社当初からずっと報道局を一筋だったんだ。でも、どんなに意気込みがあっても、この業界はスポンサーと視聴率あってこそのものでね。でも、俺たちの報道番組は視聴率がどん底。打ち切りは時間の問題だったんだ。番組が終わったら、俺は出番の無い報道カメラを捨てて、バラエティー番組の制作に加わろうと思ってたんだ。それが俺の本当に望むことではなかったけれど」神山は言葉を切った。
「でも、たまたまテレビ局の近くで事故が起きたって言うニュースが報道局に飛び込んできて、急いで現場に駆けつけたら、放心状態の君がひどい格好をしてで自動販売機の横にうずくまっていたってわけ」
 マリアは恥ずかしさで赤くなった。
「全身汚れていて、見苦しくなかったですか」
 神山は首を振った。
「ショックな出来事を目撃したんだから、しょうがないと思う。ただ、君のあまりに驚愕した表情を見て、俺はピンと来るものがあったんだ」
「ピン、とですか」
「そう。閃いたって言うか。普通の人なら、事故を目撃したとしても、その事故が見知らぬ人の事故だった場合、君ほどにはショックを受けないと思うんだ。でも、君は違った。あのショックの受け方は、確かに普通じゃなかった。これは何かある、って思ったんだ」
「何も……ないですよ。あの時の自分の精神状態、自分でも訳が分からなかったんです。なぜそんなにショックを受けたのかって。とってもショックを受けたのに、あの目撃インタビューを終わってからは、それほどショックではなくなっていましたし。第一、事故の後の記憶は自分の中でかなり途切れているんです。お酒でも飲んだみたいに意識がなくて」
  神山が目をしばたかせ、徐々に声を曇らせた。
「記憶が途切れている……んだ。一種のショック状態なんだろうね。辛かったんだ。可哀想に」
 神山の声が沈んでいくのを見て、マリアは慌てて言い直した。
「インタビューを終えてから、凄く気持ちが落ち着いたんです。自分の中の混乱を整理できたんだと思います。私のほうがインタビューさせてもらって、本当に感謝しています」
  マリアは照れたように頭をちょこっと下げた。それを見て神山は笑顔になった。
「君を出会えて本当に良かった。君のインタビューを見て、俺はその表現センスが凄く気に入ったんだ。アドリブで見たもの全てを表現豊かに話している。あらゆることにマニュアル化が進んだ世の中で、パターン化していない君のインタビューは、極めて異質だった。そのインタビューが単なる偶然ではないことを、俺は期待して賭けたんだ。君の天性のリポーターセンスに」
 神山はじっとマリアを見つめて言った。
「俺は信じている。君が俺たちの番組を救う起死回生の起爆剤だってことを」

 マリアの事件リポートは、数日後に放送することになった。プロデューサーは、マリアの事件リポートを見たものの、まだ結論は出せない、放送を見てから、マリアの今後を決める、と判断を先送りにした。
 放送までの間、マリアは、リポーターの勉強のために、新人アナウンサーと一緒に、アナウンス講習を受けることになった。腹式呼吸、発声・発音練習、アクセント、原稿読みなどの練習を簡単に行った。正式採用ではないためか、新人アナウンサーとはどうも勝手が違う、とマリアは思いながら練習に励んだ。
 アナウンサーたちから「どこの担当なの?」と聞かれても、マリアは言葉を濁すだけだった。まさか、スカウトされて正式採用ではないリポーターを担当している、なんて言えない、とマリアは心の中で呟いた。まだ、テレビ局には、マリアの完全な居場所がないのだ。ちゃんと採用が決まって仕事をこなす彼らアナウンサーたちと違い、マリアは、まだ正式採用と告げられていないことから、この局における自分の意義を模索していた。
  あの日まで、就職すると決めていた会社。就職したら、時々上司にお尻を触られるセクハラに辟易しながらも、コピーやファイル整理、お茶汲みなどをこなして、機会があれば寿退社でもして、機会がなければ結婚はしないで定年まで会社に勤めて、ゆったりとした余生を送る、という未来予想図をマリアはそこはかとなく描いていた。その会社なら、リストラや倒産でも起きない限り、自分のいる空間、自分の座るデスクというものがずっと保証されているような気がしたのだ。そこに、マリアは自分の存在意義があるような気がした。
 しかし、テレビ局のように世間で勃発する事件や事故に左右されるような、自分の想像とはかけ離れたせわしない生活を送ることのない場所へ就職するなどということは、マリアは夢にも思っていなかった。ましてや、視聴率至上主義の厳しい業界、と称されるサバイバル的な場所に、マリアは自分の居場所があるようには思えなかった。視聴者やスポンサーの好みに左右され、外れれば大きな打撃を受けるバクチのような、この世界に足を踏み入れたことに、マリアは一抹の不安があった。しかし、先日のリポーターをやり遂げたときの爽快感を想起すると、マリアの胸は一杯になった。その爽快感は、まるで、自分の中に自分の意義が充填されるような感触を出していて、マリアはこのリポーターという仕事に期待を抱いた。プロデューサーに「金の卵」、神山に「起死回生の起爆剤」と、自分のことを高評価されても、マリアは自分のリポーターセンスに自信がなかった。それどころか、正式採用されるといいな、という僅かな希望を胸に抱いていたのだった。

 そして、数日後、マリアの事件リポートは、夕方の報道番組の特集コーナーで放送された。反響は、マリアの予想を遥かに上回るほど凄さだった。放送直後からテレビ局にかかってきた問い合わせの電話は殺到し、一時回線がストップしたほどで、またインターネットでに寄せられた問い合わせや感想のメールも驚異的な数のものが届いた。それから数日後に発表された視聴率では、特集コーナーが放送された直後はそれほど高くはなかったものが、内容が進むにしたがって、ぐんぐん上昇し、瞬間最高視聴率は人気ドラマ並みの数字を叩き出し、特集コーナーだけの平均視聴率では、他局の人気報道番組のそれと肩を並べるほどであった。
 このあまりに劇的な反響に、プロデューサーは有頂天になって喜んだ。「次期の昇給は確実だから、これからも頑張って」局長がプロデューサーを呼びつけ、そう言ったからだ。マリアの採用も、保留という話はどこへやら、続々と仕事の話が舞い込んできた。
  神山の所属する取材班の報道番組の打ち切り予定は、完全に立ち消えとなった。マリアのリポートは、ニュースとニュースの時間つなぎのわずかな特集コーナーだったが、それが番組の激戦時間帯の名物コーナーの枠に格上げされた。マリアは、たった一回の放送で、完全に番組の起死回生の起爆剤となったのである。

「マリアちゃん、とっても良かったんだけどさ……」
 プロデューサーが言葉を濁した。マリアはプロデューサー室に呼ばれていた。プロデューサーの話に耳を傾けながら、いつついたか分からないスーツのスカートについたインクの染みに気付き、マリアは知らず知らずのうちに、何度もそれを指でなぞった。
 神山カメラマンを含んだマリアの取材班は、放送後の大反響を受けて、改めて事件取材についての取り組みを始めた。企画会議を開き、他局が特に熱心に取材しなかったような小さな事件をも拾い上げ、取材対象の候補として挙げた。
 事件の取材は順調だった。丁寧に取材をすることで《真実》が見えてくる、と考え、マリアのリポートにつなぐ前段階としてのインタビューや聞き込み調査は怠らなかった。一週間まるまる取材に没頭する毎日。全ての労力は、単に視聴率を取る、というよりも、番組を打ち切りにさせない、マリアの起爆剤としての効力を長続きさせるためのものだった。マリアはとにかく取材に打ち込んだ。打ち込みすぎることで、ときどき精神が訳もなくふらつくことがあったが、マリアは気にはとめていなかった。
「もっと頑張って欲しいんだ、今よりも、もっと」
 プロデューサーは汗の浮き出た額をハンカチで一生懸命拭いながら言った。
「頑張るんですか? もっと」
 マリアはスカートを指でいじるのをやめ、プロデューサーの目を見て聞き返した。
「ズバリ、演技だよ。演技。マリアちゃんは女優じゃないから、演技とかはあまり出来ないとは思うんだけど、それを敢えて頑張ってくれないかな。オーバーアクション、っていうものではなくて、情感タップリに、という感じが理想なんだけどなぁ」
「演技……ですか? 高校の時は演劇部に入っていましたけど、すぐに辞めてしまったので、練習とかは全然しませんでした。小学校の学芸会なら舞台に立った記憶がありますけど」
 マリアは首を傾げた。

 学芸会。演目は、浦島太郎だった。目立ちたがり屋のクラスの女の子が、乙姫役に抜擢された。先生のえこひいきだ、とマリアは思った。
  毎日上品な服を着て、長い髪をポニーテールした子。目のクリッとしたその女の子は、男子からの人気が特に高かった。成績もいつもクラストップで、運動会では足が早かった。小学生の低学年のときに、唇に色つきリップをつけて学校に来ていた。憧れ、ではなかった。嫉妬、苛立ちに近い感情だった。
 マリアが乙姫を演じたいと、挙手をしたとき、先生は、あの子を指して、「あの子のほうが向いてるから」と言った。マリアは結局、竜宮城で乙姫の周りに使える魚役になった。あの子の演じる乙姫が、薄くてキラキラした布をまとっているのに対して、マリアは、朝顔の絵が書かれた短めの浴衣を着て、頭に鯛の絵が書かれた紙をお面のように貼り付けて、踊らなければならなかった。嫌だった。恥ずかしかった。浴衣が親戚の子どもから譲り受けた物で、サイズが全然合わなかった。でも、言えなかった。
  学芸会は大成功だった。学芸会終了後、あの子に向かって「乙姫似合ってたよ」と、マリアは明るく笑ってあの子の肩を激励するように叩いた。
「全然楽しくなかった。だって私、ピアノ弾きたかったんだもん」 口を尖らせて言うその子の唇は、色つきリップでピンク色に染まっていた。
  その唇に先生は弱いんだ、とマリアは思った。自分が演じたかったのに。自分ならもっと上手に演じたかもしれないのに。自分はなぜそう言えなかったのだろう。マリアのばか。マリアのばか。マリアの―――。

「マリアちゃん、聞いてる?」
 プロデューサーがマリアの肩を揺さぶった。マリアは慌てて、
「ごめんなさい。ちょっと考え事してて」
 プロデューサーは話を続けた。
「リポートに色々な演出をしたいんだ。まず、君は演技指導を受けてきて欲しい。それから、本を沢山読むように。そして、発声練習などは怠らないように」
「はい」マリアはしっかりと頷いた。
「じゃあ、頑張ってね。次回のリポートを楽しみにしている」
マリアはプロデューサー室を後にした。

 マリアがテレビ局の駐車場に停めてあった取材ワゴンに乗り込むと、スタッフは既に乗り込んでおり、車はすぐに出発した。
「今日はリポートに入るんですよね」
 マリアがスタッフに尋ねると、車内から一斉に、「ファイトだよ、マリアちゃん!」という声が返ってきた。マリアはちょっと照れた。
 今日は取材開始の日から六日目に入っていた。マリアのリポートで仕上げに入り、この取材の良し悪しそのものが決まる。頑張らなきゃ、とマリアは自分に言い聞かせた。ワゴン車に揺られながら、現場に着くまで、マリアは事件ファイルを開き、復習することにした。

 現場についた。ワゴン車から降りるとすぐに、スタッフたちは手早く機材を準備した。マリアはワゴン車から降りずに、車内で事件ファイルをめくって目を閉じた。
 イメージを大切にするのだ。《真実》を探し出し、《真実》を見つけ、《真実》を表現する。頭の中に浮かぶ事件のイメージを、そのまま口に出せばいいだけ。丸暗記ではない、そこに存在するものを表現する。その表現は、自分しかできない。テレビ局が求めているもの。自分の居場所。
 そして、表現するときには、感情を込めてで語ろう。プロデューサーが言っていた。学芸会で乙姫を演じられなかった分、ここで悲しみ漂うリポーターを演じなければいけない。
 あとは、神山から誉められたい。その点も、大事。
 マリアはちょっと笑った。大事なリポートの前に、集中しなきゃいけないのに、何を考えているんだろう、私。マリアは再び事件へと思いを巡らせた。

 事件。事件。聞こえてくる。何? 何の声?
 子どもの悲鳴だ。助けて助けて助けて助けて。
 小さくなる影。般若のお面。水色の世界。
 打撲音。打撲音。打撲音。助けて助けて助けて助けて。
 孤独。絶望。水色の世界に溶ける闇。
 美味しかったキャンディー。甘い温もり、交錯する闇。
 これはなぜ起きたのか。なぜなのか。なぜなぜなぜ―――。

「マリアちゃん、そろそろお願い」
 ワゴンの扉が開いてスタッフが中にいるマリアに声をかけた。マリアはハッと我に返った。
「今、行きます」
 マリアはファイルを抱えて車を出た。

 事件は、両親による虐待によって、子どもが死亡したものだった。二人の間に出来た男児を、日常的に母親が虐待していた。
  その日、母親が男児をお風呂に入れていると、石鹸が目に染みた、と男児が泣き出し、その泣き声がうるさくて、泣き止ませようと思った母親は、洗面器に水を入れてその男児の顔を水の中に埋めたところ、男児が溺死した。母親は子どもが死んだことに慌てて、子どもを病院に連れて行ったところ、医師に虐待の事実を追求され、それを認めたため、警察に逮捕された。
 男児の通っていた保育園では、男児の日常的につけられた全身のあざを見て、何度か近くの児童相談所に連絡していた。相談所が両親に対し何らかのアクセスを試みようとした矢先の出来事だった。
 裁判では、母親が傷害致死懲役五年の実刑判決を受けていた。父親については、事件当時以前から長期出張で単身赴任していたこともあり、何も問われなかった。

 マリアは取材ワゴンから降り、事件発生現場であるマンションの玄関前に立った。自分用にファイリングした事件の資料の資料を胸に抱え、事件への想いを静かに募らせた。
  マリアは、今は受刑者となった被告人から受け取った日記のコピーを何度も何度も読みこんでいだ。事件を取材することを弁護士を通して被告人に告げたところ、彼女は、自分の男児に対する日々の虐待について日記として綴っていた一冊のノートのコピーを、「取材の何かの足しにして下さい」として、マリアに渡してくれた。犯人の心情を適確につかみ表現するには、この日記は最高の取材資料となった。頭では子どもへ暴力を振るいたくないのに、それに反してどうしても身体が反応して手を出してしまう母親。心と行為の大きな隔たりに、怒号のように押し寄せる全身全霊の叫びが、延々と日記に書き連ねられていた。

 マリアは全身で深呼吸をした。事件のイメージが、映画の予告編のように脳裏にフラッシュした。
 私のリポーターセンスを見せるときだ。私は、《真実》を語る。カメラのファインダーをしっかりと見つめ、マリアは口を開いた。

 事件は、ごく普通のマンションの一室に住んでいた母親と子どもとの間に起きました。彼女は、自分の子どもについて、最初の頃は、それが自分にとってとても大切な存在であることを認識していました。自分が子どものご飯を食べさせるときに、その子どもの一生懸命動く小さな口を愛らしいと思っていました。お風呂を入れるときに、子どもの身体を洗いながら、そのマシュマロのように柔らかな肌を可愛いものと思っていました。そして、夜、ベビーベッドに寝かしつけた子どもの寝顔を、この世で一番素敵な天使の寝顔だと思いました。しかし、それがある日を境に崩れ始めたのです。

 マリアはカメラ目線を外し、歩き出した。カメラがその横顔を追い続ける。

 彼女には夫がいました。子どもが四歳になりかけた時、彼女の夫の長期の単身赴任が決まりました。彼女は夫のいなくなった3LDKの広い部屋で、子どもと二人での生活を始めたのです。
 その子どもは、その当時の年齢の子どもとして当然のことながら、やんちゃ盛りで、遊びたい時期でした。その活発さが、彼女の心を徐々に変化させていきました。
 愛らしい存在だったはずの子どもが、ご飯を食べずに、奇声を上げて部屋中を飛び回るのを見ると、彼女の心に苛立ちが芽生え、それが少しずつ増幅し始めたのです。苛立ちは時に怒りに変貌し、牙を剥き出して燃えるような火の玉となって母親の心を制圧しようとしました。その度に、母親は強く心を静めて、心の奥に掛け金をかけて自分の心を落ち着かせました。しかし、子どもが自分の思い通りでいる時間はとても短く、何度も何度も、怒りの掛け金は脆く、すぐに外れそうになりました。
 寝かしつけようとしても、布団に入らない我が子。読もうとしていた雑誌にマッジクペンで落書きをする我が子。ご飯の好き嫌いが激しく、スナック菓子以外の食べ物を全然口にしない我が子。
 母親は時に我を忘れて大声で自分の子どもを叱り付けました。その声の大きさにショックを受けたのでしょうか、子どもが母親の叱り声に劣らず大声で泣き出すと、母親の心の中で、唐突に抑えていた心の掛け金が外れたのです。泣き止んで欲しい、その一心で母親は子どもの身体を自分の背よりも高く持ち上げ、何度も絨毯の床に叩き落しました。物を叩きつける重い音が広い部屋に何回も響き、やがて音は途切れました。
  目を閉じて力なく横たわっている子どもを見て、母親は自分の両手を広げて見つめ、嗚咽しました。自分の子どもを暴力の対象にするなんて何と恐ろしい、と、母親は自分の行為に心から激しく後悔し、畏怖し戦慄しました。母親は、自分の心に灯った陰鬱な炎に恐怖しながらも、震える手で子どもを抱き上げ、ソファに横たえました。そして、母親は、後悔と懺悔の気持ちを、手元にあった空白のノートに、日記として書き綴りました。
 この日から、彼女の衝動の扉の掛け金は、何度も外れました。彼女は無意識の領域で手を上げるようになっていきました。その度に、子どもの悲鳴がリビングルームで、台所で、お風呂場で、ベランダで、悲痛に響きました。
  掛け金を強い力で押さえ、抑えていた彼女の自制心の手は次第に緩くなり、「お母さん止めて!」「お母さんごめんなさい!」と切望する子どもの声が耳に入らなくなってきました。彼女は、毎日日記を書きました。自分の子どもに対する虐待の様子を詳細に書き、これを自分で省みて読むことで、何とか自制したいという希望を込めていたのです。彼女の心の葛藤と虐待は、一年以上続きました。

 すっとマリアは足を止め、カメラに向き直った。その目は遠いところを見つめていた。カメラはズームし、マリアの目がうっすらと涙でにじみ、キラキラと光っているのを捕らえた。

 事件は、少し厳しい秋の日差しが、徐々に夕暮れの優しい空気に包まれ過ぎゆく午後六時過ぎに起きました。
 母親は、長期出張で単身赴任している夫の帰りを一週間後に控え、少しばかり心が弾んでいました。しかし、久しぶりに夫からかかってきた電話は、自分は予定変更になって帰れない、というものでした。夫と会えることを心待ちにしていた彼女は、電話を切った後、寂しさで泣いてしまいました。涙を拭ったエプロンがぐっしょり濡れるほどに泣いた頃、子どもが帰宅しました。
  お帰り、と言おうとして子どものもとに向かった彼女は、衝撃でその場に立ち尽くしました。玄関からリビングにかけて子どもの泥のついた足型が点々とついていたのです。それを見た彼女の心の掛け金は一瞬で外れてしまいました。彼女の心は怒りに震えました。大声を上げて子どもの腰を抱え込み、お風呂場に連れ込みました。頭からシャワーを掛けて、子どもの身体を洗おうとすると、それを嫌がるように拒否した子どもは、火がついたように泣き出しました。
  彼女はその様子を見て、思い通りに行かない現実に怒りに全身が燃えるように感じました。ふと横を見ると、水を一杯に湛えた洗面器がありました。彼女は無我夢中で子どもの頭をつかみ、洗面器の中に押し付けました。全身で暴れる子どもの身体に上から圧し掛かるようにして押さえつけました。
  しばらくすると、子どもの暴れる力は軽くなりました。彼女は子どもの身体から離れ、子どもの身体を揺すりました。何度も何度も揺すりましたが、子どもの身体は微動だにしませんでした。強く揺すると、洗面器の水がこぼれ、子どもの身体が横倒しになりました。洗面器の水の冷たさを、彼女のしゃがみこんだスカートにかかり、その水の冷たさに彼女は我に返りました。
 しかし、彼女は自分の行為の重大さに気付いてはいませんでした。目の前に息無く横たわる我が子。目の前に広がったありえない情景に、彼女はふとおかしくなり、思わず吹き出してしまいました。笑いをこらえながら、大きく子どもの身体を何度も揺さぶると、目をむいた子どもの口の端から水がぽたぽたと垂れ流れ、やっと彼女は我が子に起きたただならぬ出来事を衝撃とともに受け入れました。
 水浸しになった子どもの身体が自分の身体くっつくと濡れるから、と子どもの身体をバスタオルでぐるぐる巻きにして、彼女は保険証と財布を手にして、近くの内科医院に向かって、玄関の鍵をかけずに家を飛び出しました―――。
 これが、母親が子どもを虐待の末に死亡させてしまった、これが事件の全貌です。

 マリアは情感を込めて、ゆっくりと目を閉じた。一瞬の沈黙。
「カット!」スタッフの一人が叫んだ。やはりこの瞬間が一番緊張する、とマリアは思った。マリアは、強張っていた足をほぐすように、左右に動かしたり、筋を伸ばしたりした。
「マリアちゃん、本当にアドリブなの? 未だに信じられないよ。でも暗記……にしても凄いしな」
 スタッフが目を見張った。
「全部アドリブです。口をついて出た言葉をそのまま出して表現しているだけなんです。凄くないです、全然。全然凄くない」
 マリアは笑って言った。その目は、気のせいか神山の姿を探していた。神山は機材をワゴンに詰め込んでいた。その後姿は、なぜかマリアの心を熱くした。神山さん。誉めてくれるかな。

 ……神山さん。神山さん。優しい人。素敵な人。
 マリアは神山のことを考え、胸が一杯になった。三十代後半くらいなのに、いつも身軽で若々しい神山。神山の、カメラを肩に担ぐ腕の引き締まった腕と、浮き出た青々とした血管。「良かったよ!」とマリアを誉める時の声の温かさ。困ったときに、決まって片方の眉を吊り上げて悩む顔をする神山。
 神山さん。神山さん。なんて素敵な人なんだろう。マリアは目を閉じてうっとりと微笑んだ。かみやまさん。何て良い響きなんだろう! か・み・や・ま。かみやま、かみやま、かみやま―――。

「マリアちゃーん!」
 取材ワゴンの助手席から身を乗り出して、スタッフが大声でマリアを呼んだ。
 マリアはハッと我に返り、周りを見回した。日の陰って寒々として人通りの無い住宅街の道の真ん中で、棒立ちになった自分がそこにいた。スタッフの声に、慌てて取材ワゴンへと向かいながら、マリアはぼんやりと考えた。
  今、自分は何を考えていたんだろう。リポートのこと? マリアは心の中で首を振った。いや、神山さんのことだ。かみやまさん。神山さん。……神山さん? 自分は神山さんのことを考えていたの? マリアは、予想もしていなかった―――ひょっとすると予感はあったかもしれないが―――想いが自分の心を支配していたことを知り、心底驚いた。どうして? どうして? どうしてなの? ―――それはきっと、貴方が彼のことを好きになったからです。そんな声がどこからともなく、頭の中をこだました。マリアは驚いた。自分が神山に恋……? 突如降って沸いたような心境の変化に、マリアは自分自身で驚いた。冷静さを取り戻すのに、取材ワゴンへと乗り込む距離は短すぎた。
 マリアのいつもの席、という感じで空いていた席は、ワゴン車の一番奥のシート、神山の隣だった。ワゴン車に乗り込みながら、狭い車内の中を移動するために他の男性スタッフの脚などに自分の脚がぶつかっても、全然何とも思わなかったが、神山の横のシートに身体を沈めたときに、わずかに神山に触れた自分の肩が愛おしく感じた。少しだけ触れた、神山の膝に、マリアの胸はに鼓動した。神山のことが、とても気になった。

   

◆ 第3章へと続く ◆


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リポーターセンス 3


◆第3章 ◆

 数日後。マリアによる幼児虐待の事件リポートが放送され、それは大きな反響を呼んだ。マリアのリポートを望む多くの視聴者の声が、怒涛のようにテレビ局に寄せられたのだ。社会背景の反映か、単なる現代人の趣向・傾向なのか、そのリクエストの多くは、より赤裸々で、より残虐で、より衝撃的で、より激しくて……という、より一歩前へ進んだ描写を望むものばかりだった。
 「描写の語彙を増やすために、色々な本を読むように」と、プロデューサーは当初マリアに告げていたが、マリアへの視聴者のリクエストの傾向を考えて、「特に、ホラー小説やサスペンス小説などの、リポートに使えるジャンルを絞って集中的に読むように。緊迫感や残忍さなど視聴者が望むものを適確にイメージできるようにしなければいけないから」と、訂正してマリアにアドバイスした。
 マリアは、帰宅途中に、指摘されたホラー小説やサスペンス小説、官能小説などの有名な作家の作品を古本屋でどっさり買い込んだ。ふと、テレビの昼メロを思い出し、エロティシズムも視聴者が好むはずと思い、官能小説も過激なタイトルを選んで数冊購入した。
 マリアは、今よりももっと頑張るぞ、と自分自身に喝を入れた。

 放送翌日に一日だけ休みをもらった後、マリアは再び取材リポートを開始した。マリアの事件リポートがあまりにも好評なために、プロデューサーの計らいで、マリアはいくつかの事件を掛け持ちしながら、取材に取り組むようになっていたため、マリアは以前のような丁寧かつ綿密な取材ができなくなってしまっていた。マリアはそれが少し残念だったが、全部の事件に全力を注ぐことを決意し、それでも淡々とインタビューや聞き込みなどをしながら、着実に資料を集めていった。

 今回のリポートは、いじめを苦にして自殺した少年の事件だった。一人の少年に対して、複数人の少年たちが、暴行・恐喝を繰り返し行ったのだが、徐々にそれがエスカレートしていき、それを苦にして、被害者少年が、登校途中にあったマンションから飛び降り自ら命を絶った、というものだった。

 マリアは、スタッフと一緒に、亡くなった少年の家へ行き、焼香した。少年の話を聞くと、両親は目を潤ませるばかりだった。いじめた少年たちに対し、損害賠償訴訟を提起し、係争している最中です、と母親は泣きじゃくりながら言った。
 亡くなった少年の両親にインタビューを撮った後、両親の許可を得て、その少年が自分に向けられる日々のいじめについて綴っていた日記を読むことができた。
  全体のページに渡って、「死にたい」「なんで僕は生まれてきたんだろう」「誰か僕を殺してくれないかな」「いっそ事故にでも遭えば」と、相手への恨み辛みよりも、自分の生を悔やむ言葉が多くあり、少年の心の傷の深さを知ることとなった。凄惨ないじめの記録である日記を読みながら、マリアは胸が苦しくなって、何度か涙をこぼしてしまった。
 日記の紙面に自分の涙の染みをつけないように、時折目をハンカチで拭いながら読んでいたが、よく見ると、紙面にはぽつりぽつりと字のにじんだ跡があり、少年が書きながら涙を流していたというのが容易に想像でき、それが更にマリアの心を痛ませた。その字のにじんだ文面は、厭世的な想いと、両親への愛に溢れていた。
  最後に日記が書かれたページには、いじめを行なった張本人の少年たちと思しき名前が、丁寧に罫線を引いた一覧表となって書かれていた。マリアは少年の苦しみが脳髄に染み渡るように伝わってきて、居たたまれない気持ちになった。しかし、これは仕事。自分はやり遂げなければならない。マリアは自分自身に気合を入れた。
  少年の両親にお礼を言い、マリアたち取材班は、少年の家を後にした。

 リポート現場は、亡くなった少年が飛び降りたビルの屋上で行なうことになった。ビルの専用駐車場に取材ワゴンを乗り入れながら、ワゴンの奥の席に座ったマリアは、車窓から目の前のビルを見上げた。
  高層というわけではないが、かなり高い建物だ。沢山の部屋のベランダで布団や洋服などの洗濯物が色鮮やかに干してあり、風でひらひらとはためくと、さながら鯉のぼりのようだった。
 マンションに入る。そのままエレベーターで屋上へと向かった。少年はこのエレベーターをどんな思いでに乗ったのだろう、とマリアは心が痛くなった。そして、屋上についた。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 屋上の重い扉を開くと、まぶしいくらいの青空の下、殺風景な灰色の地面が広がっていた。取材スタッフは重い機材を地面に置き、準備をし始めた。
 マリアは独り、路上側に面した柵のついた端に向かった。照りつけるような暑い日差しに、ふっと気の遠くなるような意識が遠のく感触を、マリアは感じた。柵に両腕をかけ、前かがみに体重をかけてもたれかかる。目の前のコンクリートの途切れた端に、揃えて置いてあったという少年の靴が幻影となって、今も置いてあるような気がした。
  少し身体を乗り出して下を見下ろすように軽く覗き込む。小さな車と、ごく小さな人間の姿。それほど高層ではないと思ったが、こうして見ると、その高さに息を呑んでしまう。交通量の多い道路なのか、絶えることなく車が流動的に動いている。ここから落ちたということは―――。
  マリアは想像して胸が苦しくなった。思わず目を閉じた。耳元で風を感じる。汗ばんだ首元をすり抜ける涼やかな風。それは、そこで少年が命を自ら断った絶望と悲しみに色塗られた場所だとは思えないくらい、切ない心地良さのする風だった。
 少年の想い。明日も明後日も続くであろう、いつまで続くか分からないいじめによる精神的かつ肉体的苦痛より、たった一瞬の激痛と存在しない明日を選んだ少年。そんな少年が、この場所で、自らのこの柵を乗り越え、靴を脱ぎ、地上へと飛翔した。一つの小さな生命の灯火が消えた、哀し過ぎる現実。

 さぁ、靴を脱ごう。脱いだらちゃんと靴は両足揃えて置くんだ。怖くなんかないよ。下の世界を見下ろすから怖いんだ。なら、背を向けて下を見なきゃいい。そして、両手を真っ直ぐ横に水平に伸ばすんだ。両手両足、全身で風を風を感じるよ。凄く気持ちがいい。そして、深呼吸をしながらゆっくりと体重を背中にかけていくんだ。すると、足が床から離れるんだ。
 怖くなんかないよ。後ろに、ふかふかのベッドがあると思えばいい。青空の布団に包まれながら、遠い遠い大地のベッドに身体を沈めよう。落ちてくよ。落ちていく。すーっと落ちていくんだ。一筋の飛行機雲と、ビニールシートのように真っ青な空。目の前一面のブルー。風のタオルケット、青空の布団が全身を包み込む。なんて爽快な気持ち。
  ほら、ベッドについたよ。ふかふかなベッドに身体が沈み込んだよ。なんてふかふかなんだろう。果てしなく身体が沈んでいくんだ。沈みすぎて、もうあんなに青空が遠い。ベッドのふかふかの闇が身体の周りを埋め尽くしているんだ。
  目の前が狭くなってきたよ。青空が小さい。もう青色はビー玉くらいになった。後は闇だよ、闇、闇―――。

「ちょっとマリアちゃん! 何してるの! 飛び降りないで!!」
 マリアは激しく両頬を叩かれ、ハッと我に返った。周りを見渡すと、マリアは柵にまたがり外に身を乗り出していた。その身体をスタッフ数人が抱きかかえていた。
 足元の地面から噴き上げる風と、その吸い込まれそうな遠い地面が目に入り、「怖い!」と思わずマリアは身震いした。スタッフたちに抱えられるようにして、マリアは屋上の入り口付近に運ばれた。
 神山がマリアの目を覗き込み、肩を揺すった。
「どうしたの? 少年に感情移入して飛び降りたくなったの? 何考えてるの!」
 顔を真っ赤にして、激しい口調で叫んだ。マリアは入り口の壁に背をもたれ、呆然としていた。
「ごめんなさい……。自分が分からなくなって」
  マリアの虚ろな目を見て、神山は怒鳴った。
「出会った時の目と同じだよ! 自分を取り戻さなきゃ。冷静になって」
  神山はマリアの横に座り、マリアの身体を包み込むように優しく抱きしめた。
「ほら、目を閉じて深呼吸して。いい? 君は今、マンションに着いたばかりだ。車を出て、玄関に向かう。そして、屋上へ着いた―――」
 耳元で囁くように呟いている神山の声を聞いて、マリアは自分を顧みて泣きそうになった。
 自分はなんてことをしたんだろう。どうして飛び降りようとしたんだろう。分からない。分からない。時々自分の意識が遠いところにいくことは多かったが、遠のいている最中にマンションから飛び降りようとしていたとは思わなかった。なんてこと、なんてこと……。
 混乱していた自分が、落ち着いてきて、少しずつ見えるようになって、マリアは神山に抱きしめられている自分を考えて、照れと恥ずかしさで一杯になってしまった。顔が熱い。頬が真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
 自分は、今、神山さんに抱きしめられているんだ。Tシャツに包まれた神山さんのがっしりとした身体。背中に回された腕。汗の臭い。首を傾げると触れる髪。神山さん。神山さん。なんて心地良い響きなんだろう。仕事なんか忘れて、このままの状態でずっといたい。私は神山さんのことが―――。マリアは思わず神山の背中に手を回した。神山が慌てたようにビクッと身体を震わせた。
「ちょちょっと、マリアちゃん?」
焦って問い掛ける神山の声を、マリアは「もう少し、このまま……」と神山の耳元で囁いた。しばらく時が流れ、遠巻きに神山とマリアを眺めていたスタッフたちが声をかけた。
「ラブシーンは仕事が終わってからにしてくれよ!」とヒューヒューと口笛を鳴らして笑いながら冷やかした。慌ててマリアと神山は互いの身体を離し、立ち上がった。マリアは神山と目が合い、少し照れたように笑った。神山は少しはにかんで、カメラを準備するために機材の元へ向かった。その後姿を見て、マリアは胸が満たされる気分だった。

 マリアがファイルと見直していると、ディレクターが声をかけてきた。
「それはそうと、マリアちゃん。今回のリポートはどうしようと考えてるの?」
マリアは少し考え込んで言った。
「自分の中のイメージでは、少年たちのいじめが始まってから、徐々にいじめがエスカレートする様子と、被害少年の心の変化を重点的にリポートしたいです。
  いかにいじめが理不尽なものなのか、ということを一番伝えたくて。被害少年の日記を何度も読みましたので、そこがとても印象深かくて。イメージがきれいに浮かぶんです。少年の悲痛な心の叫び声が」
 マリアの言葉に、ディレクターは顔をしかめて眉間に皺を寄せた。
「いじめの描写もいいんだけどね……。それよりも、もっと残酷な描写が欲しいんだよね。少年がこの屋上に着いてから、飛び降りた後、どう悲惨に亡くなったかが、マリアちゃんのリポートの中心にして欲しいんだ。事件は、飛び降り自殺であって、いじめじゃないだ。そこのところを理解して欲しい」
  その言葉にマリアは戸惑った。
「でも、私は死体写真を実際には見てませんし、少年の最後の瞬間やその後の様子は警察発表の大雑把な発表からしか得てませんから、少年がいかに悲惨に亡くなったかは、私には分かりません。それは少年の死体を発見した方のインタビューのほうがより悲惨さが視聴者に伝わるんじゃないんですか?」
  マリアの言葉にディレクターは首を振った。
「発見者や目撃者のインタビューそのものが知りたいんじゃないんだ。人々のインタビューは事件を淡々と伝えているが、それだけなんだ。事件を目撃した、あるいは事件に関係したというその唯一の貴重な価値だけをインタビューは求めている。しかし、君のリポート違うんだ。詳細で豊かな言葉で表現した事件を我々は知りたいんだよ」
「でも、私は死体の写真を見ていない以上、詳細には表現はできませんよ。いじめのことなら、日記に詳しく書いてあったので、イメージが沢山浮かぶのですけど」
  マリアの言葉に、ディレクターは笑った。
「あまり深く考えなくていいよ。警察の報告書をイマジネーションたっぷりに言えばいいんだから。連想したことでいいし」
  マリアは思いがけない話に目を丸くして動揺した。
「想像して、ということですか? 想像上のことを言うのは、嘘を言うことですよね? 《真実》のリポートをするのが、私の役目じゃないんですか? 私の中にある《真実》のイメージを自由にリポートとして話していいはずじゃないんですか? そうプロデューサーが言ってましたし……」
  ディレクターはマリアの言葉を制して、
「それは今までの話。確かにマリアちゃんの才能は素晴らしいよ。光るものがあると思う。大反響があったし」
  ディレクターは続けた。
「マリアちゃんのリポートを見た視聴者が、ただ単に『素晴らしかった。また見たい』というだけの感想だったら、今のままでいいと思うんだ。でも、実際は、『凄く良いけど、こうだったらもっと見たくなる』とか、『こうであったらいい』とリクエストしてきている。良かったと評価されたものを同じレベルで延々と放送するわけにはいかないんだ。
  もっと面白く、もっとスリリングに、もっと見たいと思わせるように、常に視聴者の要求に応えるような変化しなければいけない」
 ここまで言って、ディレクターはマリアの両肩を正面でつかみ、マリアの目をしっかりと見つめて言った。
「いいかい、マリアちゃん。テレビはスポンサーあってのものなんだ。スポンサーのテレビに対する指標は、いかに多くの人にCMを見てくれるか、ということだから視聴率になる。で、視聴率は視聴者のこと。視聴者の要望に応えることが、視聴率アップにつながり、スポンサーの期待にも添えるんだ。だから、これからは君の自由なリポートももちろん大事だけど、カメラのレンズの向こうには何千万人の視聴者がいることを意識してリポートして欲しい。 《より衝撃的》なリポート、それが視聴者の望みなんだ。それが、絶対不動の《真実》なんだ。これを忘れないで欲しい」
  ディレクターの話に、マリアは腑に落ちず、考え込んでしまった。
 客観的な事実としての《真実》。視聴者の希望する存在としての《真実》。どちらも真実であるならば、どちらがより《真実》なのだろう。私が行なう《真実》のリポートは、一体どちらの《真実》なの? 私のリポートが視聴者に向けたものである以上、私にとっての《真実》は、視聴者の望む《真実》なのだろうか。でもそれは、本当の《真実》ではないはず。でも、でも―――。
 考え込んでいたマリアをスタッフたちが呼んだ。マリアはハッと我に返り、慌ててマイクを握り直して神山のカメラを探した。カメラの前の撮影位置につき、軽く髪を手直しして深呼吸をする。
 悩んでいても、しょうがない。この仕事での自分の存在意義は、リポートそのものにあるのだから。リポートが少々変化しても、リポートはリポート。それがマリアの事件リポートであることには変わりない。視聴者の望む《真実》をリポートすることは、《真実》のリポートをすることと同じことだ。これからは、それが私の《真実》のりポート。それでいい。それが《真実》なのだから―――。
 マリアはカメラをしっかりと見つめ、ゆっくりと語り出した。

「乾杯!」
  二人の互いに合わせたビールがガチャンと小気味良く鳴った。神山とマリアは軽く笑顔を交わしてビールを飲んだ。
 リポートが無事終わり、マリアと神山はテレビ局に寄った後、その近くにある屋台のラーメン屋に夕食をとるために入った。屋台のカウンターに横に並んで座った二人は、揃って同じラーメンを注文した。マリアは夜の屋台でラーメンを食べるのは初めてだった。物珍しそうに、店主のラーメンを作る手際や油で茶色く汚れたアルミの天井をマリアは面白そうに眺めた。
「マリアちゃん。本当に色々とありがとう」
 神山がポツリと呟いた。ラーメンの上に載せる野菜を炒める音で、半ば消えかけて聞こえたその声に、マリアはドキッとした。昼間の光景が思い浮かんだのだ。

 マンションの屋上。照りつける太陽。重なった身体。伸び上がった一つの影。ワイシャツ。背中に回された腕。温もり。神山さん―――。

 マリアは神山に気付かれないように、神山とは反対側にそっぽを向くように肘をつき、横を向いて赤らめた頬を隠すようにした。燃える頬。記憶が鮮明に立ち上る。
 私は何てことをしたんだろう。恥ずかしい。神山さんに嫌われていたらどうしよう。どうしよう。どうしよう―――。

「……さっき神山さん、私にありがとうって言いました?」
 公園脇にあったラーメン屋台に入った神山とマリアは、二人並んで座っていた。ぼんやりと眺めていた湯気立つラーメンの器から視線を逸らし、マリアは神山へと向き直って聞いた。神山はラーメンに口をつけていないマリアに目を一瞬見張ったが、視線をラーメンに戻して、話し出した。
「うん。言ったよ。マリアちゃんのお陰で番組は救われた。とても感謝してる。君のリポートの驚異的な視聴率を見ると、君が本当の金の卵っていうのを実感するよ。俺はなんて凄い宝物を見つけたんだろうな。自分でも驚いているよ」
「そんなこと、ないです」
 マリアは少し照れた。以前は同じことを言われても、ただ謙遜というよりは買い被られている申し訳なさというような気持ちで言っていたが、なぜか今は、神山に誉められるだけでくすぐったくなるほどに嬉しかった。照れた自分を隠すように、マリアはラーメンの熱さを少し耐えながら、ラーメンを一生懸命食べた。
「一つ聞いてもいい? マリアちゃんって、好きな人とか、いるの? ―――いなかったら、俺と付き合ってくれないかな?」
 何気なく話している会話のついでに飛び出した神山の言葉に、マリアは飛び上がるような衝撃を受けた。胸が打ち付けられるように激しく鼓動した。
  神山さんが、自分と、付き合う? 神山さんが? 神山さんが。神山さん。かみやまさん―――。自分も神山さんのことが―――。でも、でも。神山への恋しさに痛いほどに高鳴る胸。なのに。自分は―――。
「好きな人は、いません。でも、今は仕事で大変なので、付き合うとか、ちょっと考えられません」
  マリアは小さな声で呟いた。しかし、心の中で嵐のように葛藤が起こった。心にもないことをどうして平気で言えるの? マリア? どうしちゃったの? 自分の気持ちを正直に言えばいいのに。あのマリアの背中に回された腕と温もりは、マリアの心をがんじがらめを捕らえたはずなのに。あれは神山に想いを告げる背中への後押しだったはずなのに。
  マリアは、目の前に余韻として浮遊する、心に反して自らの口をついて出た自分の言葉を、何が何でも掴み取りたい衝動に駆られた。
  どうして、どうして。後悔するくらいなら、どうして素直に神山の言葉に頷かなかったの? それはね―――と、どこからともなくマリアの中で声が響いてきた。それはマリアの単なる強がり。でしょ? 今すぐに抱きしめて欲しいのに、それを言うと、何かを失うような気がして怖かっただけ。可哀想なマリア。お前は単なる弱虫。
  でも―――と、マリアの別の部分が言い返す。今は弱いかもしれないけど、強くなったとき、今度はちゃんと自分から神山に付き合って欲しいと言おう。今はまだ、自分に自信がない。まだテレビ局でちゃんとした自分の場所があるわけじゃないし。自信を持てたら、そのときは、もう一度、神山に、神山に―――。
「そっか。分かった。俺はただ、マリアちゃんのことが好きだから、ずっと一緒にいたくて付き合って欲しかったんだけど、まだ仕事始めたばかりだったね。それに、俺とマリアちゃんとでは、結構年齢差とかもあるし。無理言ってごめんね。忘れて」
 ラーメンを食べ終わった神山が、優しい笑顔をマリアに向けた。その笑顔の優しさが、マリアの胸に深く深く差し込んだ。
  確かに、十五歳以上の年齢差が二人の間にあったが、それはマリアにとっては、年齢差があるという客観的事実のみでしかならず、それはマリアの意識に何の働きをもたらすものではなかった。年齢差なんてどうでもいい、とマリアは思った。
  マリアへ向けた神山の顔が正面へと向き直る瞬間、屋台の照明がキラリと強く反射して神山の横顔に当たり、その顔が切ない表情になっているのにマリアはハッと気付き、マリアは自分で自分を傷めつけたくなった。

 数日後。マリアのリポートは放送後、またもや大反響を呼んだ。ディレクターの言った通り、リポート描写の残虐性が好評だったらしく、多くの電話やファックス、メールで、「サスペンスドラマのようだった」「スリラー小説のようだった」などという感想がテレビ局に寄せられた。
  マリアがフリーに近い単なる雇われリポーターだと知った他のテレビ局から、リポートの依頼が続々と舞い込んだが、プロデューサーは、マリアのリポートを自分たちのテレビ局の専売特許だと主張して、丁重にリポーター依頼を断った。そのため、他のテレビ局では、自分たちの局のリポーターを使って、マリアのような事件リポートを行なった。あらゆるテレビ局で同じようなリポートを頻発に行なったため、事件リポートはある種の流行となっていた。しかし、マリアのように、完全アドリブで臨場感溢れる特殊なリポートのできるリポーターは、全くいなかった。
  事件リポートが乱発する中、際立った才能を開花させたマリアのリポートは、他の事件リポートと一線を画していて、それが更なる視聴率アップへとつながった。いつしか、マリアの事件リポートの視聴率は、人気ドラマ並みの高視聴率を叩き出すようになっていた。他のテレビ局は、躍起になって、無名の役者や声優を使って、再現ドラマのように演技力たっぷりのリポートを行なわせる戦法を試みたが、それはかえって「わざとらしいリポートで面白くない」という視聴者の不評をかってしまい、作戦は失敗に終わってしまった。
 マリアの事件リポートの人気が飛ぶように上がるにつれ、視聴者の関心は、マリアのリポートだけでなく、マリア自身へもと広がった。事件をリポートするというお堅いイメージからか、当初は新聞からの取材が多かったが、マリアの年齢の若さに、次第に若者向けの雑誌からの取材も増えていった。やがて、テレビのトーク番組のゲストとして招かれるようにもなった。リポーターになった切っ掛けでもある、マリアの事故の目撃証言の映像は、マリアの勤めているテレビ局で、「ほれ見ろ」と自慢するかのごとく、事故から数ヶ月も経過しているのにもかかわらず、何度も何度も放送された。
 何度も自分に対する取材をこなし、テレビ出演を経験していくうち、マリアの中に、強い気持ちが生まれてきた。上手くやっていけるだろうか、という不安の多かった心境が、次第に自分が認められた、という揺ぎ無い安心感に変わっていった。それは、元々自分が精神の強い気丈な人間であるということを取り戻したようだった。マリアは淡々と様々な事件リポートをこなす横で、マリアを真似をして次々と降板させられているマリアと同じ事件リポーターを見て、他にはない自分だけの唯一の個性を実感し、それがマリアに更なる強い安堵感を生み出した。マリアは自らの仕事に対する自信をつけたのだった。自信をつけたマリアは、一層、精力的に何件もの事件取材を掛け持ちし、より衝撃的な事件リポートを行い、雑誌や新聞の取材を受けた。
 いつしかマリアは、世間で一際輝く時の人となっていた。

 現場へ降り立ち、マリアは事件ファイルを読み直した。最近は事件リポート以外の仕事が多くて、以前は一週間かけて一つの事件リポートを完成させていたものが、今では三日で一つ、というペースになっていた。充分な事件取材ができている、とは言えなかったが、それよりも何よりも、マリアには、自分自身の事件リポートに対する感性を信じていた。取材内容が少なくても、自分の事件リポートの才能があれば、上手く事件を描写し、リポートすることができる。大勢の人に自分の才能を認められたことで、マリアの自信は揺るぎないものへとなっていった。プロデューサーやディレクター対しては、以前は、彼らの全ての要求を受け入れて、それを実現するように努力していたが、今ではマリアは堂々と自分の意見を主張するになっていた。
 マリアは、自ら進んでボイストレーニング教室へと通い、レッスンを始めた。演技力を身につけようと雑誌で見つけた小さな劇団に見習い生といして入団して、仕事の合間を縫って合宿などに参加した。一日ニ時間はテレビ局の資料室にこもり、全社の新聞やスポーツ紙に目を通した。さらには、カルチャーセンターで、小説の書き方講座を受講して、自分の表現の描写により磨きをかけようとした。少しでも空いた時間を見つけると、本を読み、知識を増やすようにした。最高視聴率をとったことで支給されたボーナスで、家庭用ビデオカメラを買い、それをいつも持ち歩くバッグの中に入れ、自分から何かスクープを撮れないかと準備していた。 マリアは、身体がいくつあっても足りない、と思いながらも、自分の存在感のある仕事に、心地良い充実感を感じてた。満ち足りた想い、そのものだった。

「今日の事件は……マリアちゃんの得意分野じゃないの?」とディレクターがおどけて言った。マリアは苦笑して少し頷いた。確かに、得意なジャンルかもしれない。残虐性の高い事件は、マリアの表現能力に輝きが増す、とプロデューサーが絶賛していたからだ。
「とにかく、頑張るだけです。他の局のリポーターに負けないように!」とマリアは微笑んだ。

 事件は、数人もの人間を殺害した放火殺人だった。犯人は逮捕され、今は公判中だった。犯人と何の関連性もない家に、その家の住民が寝静まった頃を見計らって、犯人は灯油を庭中に撒き、火を放ったのだった。住宅は全焼し、逃げ送れた住民は全員焼死した。近隣の住宅数棟に延焼し全焼して、焼死者が多数出たというとても残虐な事件だった。 犯人の幼少時代における両親による虐待などの過去や、犯人の動物虐待に興じる異常な性癖が明らかになり、連日その事件がワイドショーを賑わせていた。
 タイムリーな話題なだけに、マリアがこの事件をリポートすれば、驚異的な視聴率を叩き出すのは目に見えていた。

 マリアは、いつもの通り、目を閉じて事件の様相を脳裏に深くイメージさせた。日々のリポート表現の勉強が効を奏したのか、マリアの頭の中は、絶えることなくこんこんと湧き上がる事件の描写のフレーズで一杯だった。あれも言いたい、これも言いたい。この表現はかなりショッキングで使えそうだ、などとワクワクする気持ちを抑えられずに考えていた。

 灯油の臭い。庭は一面の灯油のじゅうたん。月明かりに照らされて、草木が艶やいだ一瞬のとき。小波のような青白い炎は、白い光を放ち、いくつにも姿を変容させる怪物になった。燃え盛る炎。揺らぎ。飛び散る火花はまるで美しい珠玉のよう。
  ……って、美しい、って言っちゃダメかな、やっぱり。不謹慎とかクレームがついたら困るから、この表現はカットしよう、と。瞑想に耽りそうになりながらも、意識を取り戻して、マリアは慌ててファイルにメモをした。

 煙だ。煙が部屋に侵入している。火事か。近所が火事なのか。いや、違う、我が家が火事なんだ。胸が苦しい。煙を吸い込んだみたいだ。娘は。息子は。妻は。みんなのそばにいけない。熱い。炎が扉を食べている。逃げ道がない。苦しい。息ができない。力が出ない。どうして身体が動かないんだ。起き上がらないと。逃げないといけない。娘は。息子は。妻は。
  熱い。熱い。熱い。昨日の夕食は美味しかった。冷蔵庫に飲みかけの日本酒がある。熱い。熱い。熱い。助けて。誰か助けて。明日は営業先に回った後は、お昼休みに役所に行こう。火事だ。焼けている。身体が。みんな焼けている。焦げている。自分の身体の肉が骨が血液が。熱い。熱い。熱い。

 あちこちで人肉が焼けている。身体の皮膚がとろりとめくれ落ちて、あちこちに散らばっている。仰臥して焼けた屍体。積んだ木炭のように覆い被さるように燃え尽きた数人の屍体。苦痛に歪んだ顔面の、眼球が焼け落ちて黒く落ち窪んだ目。漂う異臭。焦げた皮膚、肉。エキゾチックな香り。なんて香ばしい。―――香ばしい?


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 マリアはビクッとして全身を身震いさせた。自分は今、何を考えていたんだろう。目を覆いたくなるような恐ろしい情景が脳裏に凝縮し、そして散っていった。自分の想像力に一瞬寒々しく思ったが、それも表現能力を沢山身につけたせいだ、と思い直し、再び事件を頭の中で思い描いた。

「今日も良かったよ!」
  神山はマリアのリポートが終わると、以前と変わることなく、爽やかな笑顔で、マリアを誉めた。
「ありがとうございます」
  マリアは神山を見て微笑んだ。そのマリアの笑顔を神山はニッコリと笑って受け取り、パッと機材を肩に担いで取材ワゴンに向かって走り出した。
  その神山の後姿を見て、マリアは愛しさで胸が痛かった。なんて素敵な人なんだろう。つれない返事をした自分に対し、何事も無かったかのように、爽やかに笑顔を見せるその優しさ。マリアはますます神山に惹かれている自分に気付いていた。神山の行動の全てが気になった。前にも増して、神山に対して熱っぽい視線を送っている自分がそこにいた。今なら、きっと自分は言える。神山さん。
 以前の自分はこの仕事に対して自信がなかった。しかし、今は違う。他のリポーターを意識して、絶対に負けないように、色々とリポートに役立つ知識や表現方法を学び、身につけつつある。自分のこの秀でた感性に、自分自身、信頼を寄せることができるようになった。だから、だから―――。今の自分には勇気がある。昔のように強いマリアに戻った。たぶん、きっと、絶対。神山さんに、自分の想いを伝えよう。今なら、きっと。

「神山さん……ちょっと」
  取材ワゴンの一番奥の席で、膝を並べてマリアの横に座っていた神山に、マリアは小さな声で囁いた。
「あの……先日のお付き合いの件で……」
 とマリアが言いかけると、神山は首を左右に振った。
「いいんだ、マリアちゃん。忘れて」
  小さな声で言い放つように答え、神山は過ぎ行く窓の外の景色を眺めた。それを見て、マリアは今しかない、と思った。マリアは深呼吸をした。自分ならできると何度も自分自身に言い聞かせて、マリアは行動に移した。
  マリアは、何気なく横に置かれた神山の手を取り、両手で包み込むように握り締めた。窓の外を見つめた神山の目が驚いたように大きく見開き、せわしなく瞬いた。その表情の変化を、ワゴンの前に座ったスタッフは誰も気付いていない。マリアは、神山の手を握ったまま、正面を見つめ、神山だけに聞こえるくらいの小さな声で、言葉を続けた。
「以前の私は自信がなくて、どうしても言えませんでした。でも、今の私は、仕事を一生懸命頑張っていて、自分に自信を持てるようになりました。だから、だから……先日言えなかったことを今、言います」
  神山がゆっくりとマリアへと顔を向けた。二人の視線が合った。マリアは神山の目を見て、囁くように言った。
「私、神山が好きです。きっと、お会いしたときから」
  神山の目がさらに大きくなった。神山の手を握り締めたマリアの両手の上に、すっと伸びてきた神山のもう一方の手が重なった。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
  神山の声は小さくかすれていた。マリアは胸が一杯になった。神山の目を見つめ、ずっと見ていたい、と思った。

 マリアの日常は、日を追うごとに、徐々に超過密スケジュールになっていった。リポーターに必要な表現や描写を学ぶ機会は、その習得の度合いに合わせて徐々に減らしているものの、それ以外の仕事が分刻みでびっしりと詰まるようになっていた。同じテレビ局内でのワイドショーやいくつかの報道番組で、レギュラーのリポーターとして出演するようになっていた。打ち合わせや下準備などを寝る間を惜しんでマリアは仕事に没頭した。
 神山とは、以前は事件リポートの取材で毎日顔を合わせていたが、今では一週間に一度くらいしか合わせることがなくなった。マリアが素直な自分の気持ちを神山に伝えたことにより、二人はお互いの気持ちを少しずつではあるが通い合わせつつあった。一応二人とも同じ取材スタッフということもあり、急に親密な関係になっては、ディレクターから何か苦言でも言われかねない、と二人は敢えて口にはしなかったものの、互いの胸の内にはその不安があった。ただ、今までは業務連絡的なやりとりだった携帯電話のメールは、一気に親密さの度合いを深め、互いの身体を思いやる優しさ溢れる文面になっていった。二人の距離は、少しずつだが縮まっていた。

 マリアの事件リポートが輝きを増すにつれ、マリアのファンの中には、自分たちで開設したインターネットのホームページに、マリアの名言集なるコーナーを作るほどの熱狂ぶりを示したファンもいた。ファンが増えるにつれ、マリアの表情豊かさに目をつけたファッション雑誌が、マリアをモデルにして撮影を行なったりした。ごく普通の体型のマリアにオシャレな服を着せると、とってつけたようではあったが、いかにもモデル然とした風にも見え、さらにマリアの地味な顔立ちに施した派手なメイクは、マリアの顔をカメラ映えさせたため、ファッション雑誌のにわかモデルとしては、好感があったらしく、読者の人気も急上昇した。マリアはとことん忙しくなっていた。

 多忙になったことで、マリアの事件リポートの取材頻度は極端に落ちていた。綿密、徹底、隙のない取材という方針で行なわれていたものが、いつしかありきたりの取材レベルになっていた。そうして取材の質は一気に落ちたが、マリアの事件リポートの質は向上する一方だった。描写の残虐性はより鮮明になり、表現の露骨性は一層クリアーになっていった。
 マリアは、事件リポートで描写しなければならない取材で足りない部分を、自らの想像力の感性、イマジネーションに全面的に委ねていた。
 客観的に存在する《真実》を見事に描写していたマリアのリポーターセンスは、事件の残忍さや残酷さ、悲惨さなどがクローズアップされたものを徹底的に描写する《真実》へと変わっていた。マリアはただひたすら、今まで通り、自分の脳裏に浮かぶ情景のみを表現していった。ただ、絶対的な情報量の少なさから、マリアの脳裏に浮かぶ情景は不鮮明だったが、それをマリアは自らのイマジネーションでああもあろうか、こうもあろうかと補い、独特のリポートを作り出していった。マリアの描写する《真実》は、いつしかマリアの《真実》となっていた。

   

◆ 第4章へと続く ◆


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リポーターセンス 4


◆ 第4章 ◆

 数週間が経った後、マリアは特別番組用の事件リポートを担当することになった。相変わらず超多忙なスケジュールの中、マリアはとにかく一心不乱で仕事をこなしていた。
 時折、仕事中に軽い貧血がマリアを襲い、マリアは何度かその場を耐えしのぎながらも、その度ごとに仕事の合間を縫ってはソファに横になり、身体を一時的に休めていた。そして、栄養ドリンクなどを定期的に補給しながら、さらに仕事に打ち込んだ。

 マリアは、自宅で翌日撮影する事件リポートの資料を一通り目を通しながらファイルに綴っていた。長い時間集中して小さな字を目で追っていると、時折ふっと字がにじんで見えるような気がした。頭の側頭部がズキズキと痛んだ。部屋の電球の明かりがやけに眩しく感じる。やがて目が開けていられないほどに目の奥が痛み出し、マリアは苦しさに唸りながら、ファイルを枕元に置いてベッドに倒れこんだ。ゴロリと仰向けになって、目を閉じる。部屋の明かりがまぶたの内側を通して、赤く幻影のように灯った。じんわりと疲労感が重く全身を圧し掛かり、マリアをベッドの底に引きずり込もうと目論んでいるようだった。
 最近の自分はどう考えても働き過ぎだ。このままのペースで仕事を続けていたら、必ずいつか身体を壊してしまうだろう。早いうちに、この仕事の量を減らさないといけないと思う。でも……仕事が楽しい。きっと自分は仕事が楽しいのだと思う。やっと見つけた自分の居場所、自分を必要としてくれている人たちのいる場所。そこで自分が毎日を過ごすことができることに、マリアは得も言われぬ充実感、充足感を感じていた。
 ただ、以前のマリアなら、ここで今仕事を減らせと他者から言われたら、とても不安に気持ちに駆られてしまっていただろう。給料が減るという現実的な不安ではなく、仕事を減らしてしまうことで、やっと確保した自分の居場所がいつしか小さくなってしまい、やがては自分の存在そのものが他者の目から消えうせてしまうのではないか、という内面に依存した不安や恐怖を抱いてしまっていたからだ。他者から言われることですらこうであるのからまして、自ら自分の仕事を減らしたいと欲する気持ちが、マリア自身の内なる部分から生じるはずも無かった。
 しかし、今のマリアは心境は違っていた。もし今、自分の仕事を減らすことに自分自身で宣言したとしても、現在のマリアは、卓越したリポーターセンスの才能と、光るイマジネーションの感性とを併せ持っていると自負していた。これらを自分自身の居場所を確保する保険のごとく持っている以上、少々仕事を減らしたくらいで、今まで築き上げたこの地位を失うなんてことはありえない、そう自信を持って言うことができた。
  体力の限界があるんだもの、しょうがない、とマリアは自分自身に言い聞かせながら、翌日の事件レポートを終えたら、短期休暇の希望をプロデューサーに言おうと心に決めた。
 マリアは閉じていた目をゆっくりと開けた。目の前の天井に煌々と輝く照明の光が、さほど眩しいものだとは感じなかった。ようやく頭痛も落ち着いてきたようだ。マリアはベッドの上に起き上がり、壁に背をもたれて、事件ファイルを再び開いた。明日のリポートに備えて、少しイマジネーションを脳裏に焼き付けようと思った。最近の多忙な事件リポートとは違い、明日の事件リポートは視聴率をガッポリ稼げるゴールデンタイムの特番のため、マリアの気合もいつも以上に入っていた。ゆるやかに脳裏にイメージが立ち上る。

 一組の男女。女性の口端から伝う一筋の白い液体。もがき苦しむ女性。驚愕の表情。肩を落としてしゃがみこむ男性。慟哭。木目調の床に落ちた涙。涙。涙。張り裂ける思い。後悔。靄がかった意識。光。黒く細長い紐。左右に揺れる身体。結び目。飛び出した赤黒い舌。白い足。足。揺れる足。

 その情景は、マリアの目の前に蜃気楼のごとく鮮明にふっと現れた。グロテスクな光景が連写のように見えたとき、マリアは胸が苦しくなった。そして、その瞬間、全身に冷や水を浴びせたかのような寒々しさが走り、喉に込み上げるものを感じたマリアは部屋のユニットバスへと走り、便座カバーを開け、うずくまるようにして、便器の中に何度も吐いた。
 昼ご飯の食べ合わせが悪かったのか、体調の悪さが現れたものなのか、事件への感情移入の極みなのか―――。全力で便器の中に嘔吐感を放出したマリアは、バスタブにもたれかかりながら、立ち上がる気力すら失っていた。力なく震える手でトイレの水を流すレバーを押す。水流の音をぼんやりと聞きながら、マリアは、明日の仕事以降はしばらく絶対に休もう、と誓った。

 翌日。マリアはスタッフと一緒に乗り込んだ取材ワゴンで現場に向かった。現場に着くと、ワゴンの中から機材を運び出し、撮影の準備を始めた。その近くを通りかかった数人がマリアに気づき、見物するように遠目で眺めていた。何人かの人が、マリアに話し掛けて、マリアからサインをねだった。渡された手帳のスケジュール紙の切れ端に、芸能人のようにミミズがのたうち回ったようなサインではないが、あまり上手ではない自己流で書き手渡した。いつの間にか、マリアの周りは、見物人で黒山の人だかりになっていた。
「ちょっと! 今から撮影するから、静かにしてね!」
 数人のスタッフが、大声を上げてマリアを囲むように前に迫り出した見物人を押し止めた。見物人の好奇の目は全てマリアに注がれていた。マリアはそれらの人の視線を肌で感じて、全身に鳥肌の立つようなゾクゾクとする高揚感と快感が襲った。マリアは自分が有名人であることを実感した。
「それじゃあ、マリアちゃん、用意はいい?」
  カメラを肩に担いだ神山がレンズを覗きながらマリアに叫んだ。
「はーい!」
 とマリアは元気良く答えると、神山はちらっとレンズから顔を外し、マリアを見て微笑んだ。マリアはとても幸せな気分になった。

 今回の事件は、自分の母親の介護に疲れた一人の青年が、寝たきりのその母親の食べ物に農薬を混ぜて母親を殺害し、そのまま自らその場で首を吊って死亡した、というものだった。安楽死になるかが問われたのであるが、犯人が自殺したこともあり、被疑者死亡のまま送検されて、裁判ではそれを形式的に争っただけだった。

 マリアは深呼吸して、じっとカメラを見つめた。見物人の波がすっと引き、群集は遠巻きにマリアとスタッフを眺めた。スタッフが頷いた。合図だ。周りに静寂が包む。道端に舞い散った枯葉が、風に吹かれて乾いた音を立てて砂埃とともにサラサラと舞い上がった。空の一部が太陽の朱色の光に染まるのを感じた。マリアはゆっくりと口を開いた。


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 事件は、残暑の残る蒸し暑い日の夜遅くに起きました。小さな木造2階建てのアパート。建物の周りに高層マンションが乱立したせいか、そのアパートの風通しは悪く、一年中じめじめとした暗がりが、アパートの玄関口を始め、廊下や各部屋に湿った重苦しい空気を澱ませていました。その湿り気は、住人の人々の心を静かに浸食し、陰鬱な雰囲気がそのアパート全体を包み込んでいました。
 アパートの四方に切り倒されずに残された数本の木々に、隙間無くびっしりと張り付いた蝉の群れ。それらが、あたかも轟音のように、毎日毎夜、鳴り響く蝉の声。湿り気を帯び重く沈んだ空気のそのアパートの一室で、気が狂いそうになるほどの苛立ちが男を襲いました。延々と続く脳天を突き刺すような蝉の声は、男の精神を目に見えるように蝕んでいったのです。
 寝ても覚めても頭の中を響き渡る蝉の声、エアコンなど空気調整設備のない室内、汗ばむ身体。痒くなる全身。苛立ち。苛立ち。狂気の片鱗。
ある日の夜中、男は、突然大きな奇声を上げて部屋から出てきて、部屋から持ち出した食器を次々とアパートの隅に立っている木の幹にぶつけ始めました。砕け散る食器。木の根には砕けて散らばった食器の破片で散乱していました。
 苛立ちのはけ口をその木の幹にぶつけることで、その時点の男は精神のバランスを保っていたように思われます。

 一気に話して、マリアは息をついた。一瞬カメラを強く見据え、すっと軽く顔を横に向ける。西日の彩りを少し含んだ太陽光が自分の横顔の半分に落ち、その光の加減をキラリと肌を滑るように流れたとき、マリアは静かに目を閉じ、再び目を開けた。その瞬間、マリアの大きな瞳が妖しい光で揺らいだ。その瞳の妖しさを充分に湛えながら、マリアは正面を向き、カメラをしっかりと見つめ、言葉を続けた。

 翌週、男の元に、そのアパートの取り壊し通告が封書で届きました。老朽化に伴い、そのアパートを取り壊し、大きなマンションを建てるというものでした。アパートの住人たちは、大家から受け取った立退料を手に、ひっそりとアパートから出て行きました。
 男は迷いました。一年以上前から職が無く、家賃を数か月分滞納していたため、男が受け取った立退料は、滞納分の家賃と相殺されて、微々たるものになっていました。その少ない立退料を手に、男がその用途を数日間考えているうちに、そのお金は日々の食べ物に消えていきました。お金を入れた封筒の膨らみが小さくなっていくうち、男は苛立ち、焼酎の瓶をラッパ飲みすることが多くなっていきました。床には酒瓶が多く転がるようになりました。
 男の苛立ちはもう一つありました。それは、男の部屋で寝ている男の母親のことでした。母親は若い頃離婚したまま、一人で暮らしていました。何度か職についたものの、飽きやすい性格のため、何度か転職を繰り返した結果、母親は身体を壊してしまいました。就職先を探すことができなかった母親は、生活保護の申請をしましたが、息子が扶養義務を負う、と申請を却下され、母親は、やむなく息子である今回の事件の犯人である男の家に転がり込みました。
  時とともに見るからに体力が落ちていく母親。母親はついに寝たきりになりました。言うことのきかない自分の身体に苛立ち、母親は男に当たりました。男も、就職ができずにお金に困る自分の現状に苛立ち、母親に食って掛かって言い返しました。静けさに包まれた小さなアパートの全体を、薄い壁を通して、二人の容赦ない罵声が毎日毎日、響き渡りました。
 男はある日突然、残り少なくなった立ち退き金を手に、そのまま家を出て行きました。母親の介護を放棄したのです。お金がないのにもかかわらず、あれが食べたい、これが食べたいと要求する母親。紙おむつを嫌がり、その排泄物を容赦なく部屋に撒き散らかせてしまう母親。男は数日近所のパチンコに入り浸り、全ての金を使い果たした後、家に戻りました。
 暑さで熱気を立ちこめた6畳の一間の狭い部屋は、想像を遥かに凌駕するひどい異臭を立ちこめていて、部屋に入った男を打ちのめしました。母親は男に気付き、男の名前を激しい口調で呼び続けました。アパート中に響き渡る罵声の応酬。このとき、激昂していた男が母親に対する殺意を抱きました。小さなアパートの一室に狂気が閃光のように輝きました。苛立ち、それが母親を死への送る片道切符だったのです。

 ひと息をいれて、マリアは続けた。マリアの目は妖しい光を保ちながら、ゆっくりと燃えるように輝いた。眉間をわずかに寄せてできた眉間の皺と、目の強さが言葉に緊迫感を与えていた。

 男は部屋を出て、隣の部屋の玄関先に置いてあった牛乳瓶を見やり、それを一本盗むと、それを部屋に持ち帰りました。部屋に入るとき、台所の片隅に置いてあった殺虫剤が目に付きました。おもむろに男はそれを手に取ると、転がったカップ酒のグラスに吹き付けました。スプレー状の液剤が、徐々に乳白色の液体となりグラスの底に溜まっていきました。空になるまでグラスに液剤を吹き付けると、その中に先ほど盗んだ牛乳瓶の中身を注ぎ入れました。、暗い部屋の中、グラスの中の乳白色の液剤は牛乳と混じり、幻想的な異様な輝きを放ちました。
 男の突き上げる衝動は、男に後戻りを許しませんでした。男は、母親の枕元にしゃがみこみ、眠る母親の口を強引にこじ開け、そのグラスの中身をその口に流しいれました。口端に滝のように流れる白い溶液。一瞬むせ返った母親は、かっと目を見開き、激しく咳き込みました。わなわなと震える口で、母親は必死の形相で男の名前を叫びました。力ない母親の全身が引ぴんと引きつり、「助けて!」と一声が畳を這うように響くと、ひくひくと身体を痙攣させながら、母親はやがて絶命しました。

 マリアは軽く息をついた。マリアの目の輝きはさらに増し、ギラギラと激しいものになった。マリアは荘厳な表情を作り、厳しい口調で後を続けた。

 驚愕の表情を浮かべて硬直したように目の前に転がっている自分の母親を見て、男は我に返りました。耳の奥に、母親の悲痛な最後の声が強く残っていました。男は肩を落としてしゃがみこみました。男の目に自然と涙が浮かび、その滴は木目の床に落ちました。男はそのまま畳に倒れこみ、幼児のように身体を丸めて震えました。全身を肉親を殺してしまったという後悔の念が貫きました。何度も、何度も母親の断末魔の悲鳴が貫きました。目の前の現実を否定したくて、何度も祈りつづけていると、そのまま意識が遠のいた男は、やがて、部屋の切れかけた白熱電球の光のもと、目が覚めました。転がったままその光をずっと見つめていた男は、衝かれたように壁に掛けてあったネクタイを取り、裸足のまま外に飛び出しました。幹にびっしりと張り付いた蝉を叩き落としながら、男は木にネクタイを結びつけて、輪を作り、首を通しました。太陽の灼熱に温められた熱い土が、ついに男の足から離れました。そして―――。
 男は自らの手で自らの命を断ちました。これが事件の全貌です。

 マリアは言葉を切った。フィニッシュだ。サラサラ、とマリアの顔を夜風が通っり、汗ばんだ額と首筋に清涼感が漂った。
 しばらくの間をおき、「カット!」という声がした。張り詰めていた空気がやっとほぐれた。スタッフの全員が笑顔になってガッツポーズをしている。神山もマリアに笑顔を見せ、カメラと録画テープのチェックしていた。
「さすが、マリアちゃん。サイコーだったよ! 凄く表情が豊かだったのが、見ていてドキドキさせられたよ。とっても良かった」
 ディレクターがマリアの肩を叩いて満面に笑顔を浮かべた。
「一つのドラマでを見ている気がしたよ。顔に差し込んだ太陽の光の加減とかが芸術的でさ、照明で普通に照らすのとは、質感が違って良かった。事件の内容は陰惨なのに、思わず見惚れちゃったよ」
 とディレクターは照れた様子で言った。
「あの表情とかは何気なく作ってたの?」
 というディレクターの言葉に、マリアは、笑顔で首を振った。
「リポートの撮影を始める前に、西日の色彩が綺麗にカメラに入ると予想したので、考えて表情を作ったんです。リポートに何かしらのインパクトを与えたくて」
「あれ全部計算ずくだったの?」ディレクターは目を丸くした。
「計算ずく……と言われたら、そうかもしれませんね。とっさに、一番ここで相応しい表情をカメラに見せるのはどうすればいいか、と考えましたから」
  ディレクターは苦笑いをした。
「いつも自然体のリポートだから、てっきり表情も自然体だと思っていたんだけど、そうじゃなかったんだね」
 そう言ってディレクターは思いついたように目を軽く見開き頷いた。
「よく考えたらさ、この業界ってサバイバルレースみたいなものだよね。マリアちゃんがメディアでブレイクしてからずっと、マリアちゃんを模倣した事件リポートを先を争うようにして各テレビ局で放送しているから、元祖・事件リポーターのマリアちゃんとしては、色々と負けないように対策してたわけだ。偉い、偉い」
 そのディレクターの言葉に、マリアは、自分のリポートに懸けている様々な努力のつぼみが、少しずつ着実に開花していることを実感した。この咲いた花が満開になり、その開花をずっと保つように頑張ろう、とマリアは心に決めた瞬間、「そういえば今の自分は体力的に限界に近いから、この事件リポートを終えたら休みをもらおうと昨日決めたんだっけ。休暇をもらえるように、後でディレクターを説得しなきゃ」と思いついた。

「私、休暇が欲しいんですけど」
  事件リポートを撮影した後、テレビ局に戻ったマリアは、編集室に行きかけたディレクターを呼び止め、部屋の隅に誘って話を切り出した。
「最近、凄く体調が悪いんです。今回の特番の資料集めでかなり疲れているので、ひとまず少しだけでも休みが欲しいんです」
 それを聞いたディレクターは顔をしかめて首を振った。
「それはまずいよ、マリアちゃん。今休んだら、仕事が無くなっちゃうよ。君にとって、今が一番の仕事の書き入れ時なんだ。番組編成のこの大事な時期は、特別番組をオンパレードできるチャンスなんだよ。これからがマリアちゃんに出演のオファーが最も多く寄せられる時なんだ。犯罪スクープの特番が高視聴率を取れるからね。他のリポーターに仕事取られないように、前もって対策するくらいの気概でやってもらわないと困るんだ」
  そう言うと、ディレクターは励ますようにマリアの肩に手を置いて、強い口調で言い切った。
「今頑張って欲しいんだ。人気の上昇気流を維持して欲しい」
  以前のマリアならこのディレクターの言葉に説き伏せられて頷くだけだったであろうが、今のマリアはディレクターの言葉には耳を貸さなかった。大きく首を振り、ディレクターの目をじっと見つめ、凛とした表情で言った。
「事件リポートは、私の個性的なリポートがあればこそなんです。とするならば、私じゃないとダメなはずで、私が少し休んだとしてもそれだけで仕事が無くなるなんてこと……」
 マリアの言葉をディレクターが遮った。
「いいかい、マリアちゃん。人気というのは流動的なものなんだ。少しでもメディアへの露出が減れば、それだけ視聴者への印象も薄くなる。人気が下がると、仕事のオファーが来なくなる。さっきも言ったけど、サバイバルレースなんだよ。この業界は」
 その言葉に、マリアは頑として首を振った。
「そうだとしても、今の私はとても体力的に辛いんです。仕事を続けることで私が倒れてしまい番組を沢山降板してしまうか、少し休暇を取って静養することで、また元気に再スタートを切ることのどちらがいいか、一目瞭然じゃないですか?」
  マリアは断言した。その目は是が非でも自分の意見を遠そうという、気迫がにじみ出ていた。
「そこまで言われると……ねぇ。プロデューサーとよく相談してみないと」
  とディレクターは苦虫を噛み潰したような顔で言葉を濁した。そして、コツコツ、と苛立ったように靴で地面を蹴った。
「そりゃあさ、俺だって、マリアちゃんが過労で倒れられたら困るよ。しかしまあ、どうしてスターへの階段を登る途中で休もう思うのかなぁ。過労が心配なら、病院で点滴でも打ってきてから頑張ろうとか、そういう風に考えて欲しいわけよ」
  ディレクターはマリアから目を逸らして、遠い所を見つめた。
「マリアちゃんは打ち切り寸前だった俺たちの番組を救ってくれた救世主だ。臨場感のある文学的な事件リポートという新ジャンルを、自分の才能だけで切り開いて、ここまで成長したのは、紛れも無い事実だ。マリアちゃんのことを金の卵とプロデューサーが絶賛したのは、もちろん理解できるし、当然のことだと思うよ。
 でもね、休みが無いほどの過密スケジュールの人気者になった時点で、マリアちゃんは可能性を秘めた金の卵から孵化して、輝きに満ちた鳥になったんだ。今の一時的なブレイクした人気を自分で着実にモノにするために、孵化から一歩進んで、羽ばたくことを考えて欲しい。休暇を取ることで、孵化したままの状態でいて、羽ばたくのを後回しにしていたら、羽ばたきたいときに羽ばたけなくなるよ。……それでもいいの?」
 ディレクターの押しの言葉にマリアは少し考えた。

 確かに、自分の身体は明日にも倒れてしまいそうなくらい、疲労がたまっている。しかし、倒れそう、とは言っても、確実に倒れるとは限らない。今の調子で仕事を続けた場合、明日、あるいは一週間後、一ヵ月後に、倒れるかもしれないと思っても、倒れると決まったわけではないから、自分はまだ頑張れる猶予があるということなのだろうか。点滴を打ったり、栄養剤を摂取することで、倒れる可能性の時期を遅らせなければならないのだろうか。
 自分はもう少し頑張れる。たぶん頑張ることができる。昨日の夜、家で嘔吐してしまったのは、恐らくきっと、体力の限界の徴候ではなかったかもしれない。単なる体調不良なのかもしれない。それなら、限界ギリギリの臨界線まで頑張ってみよう。もう少し頑張るだけ、ったそれだけのこと。今までこんなに頑張ってきたのだから、これからも頑張ることができるはず。仕事の過密さがピークを越えたら、時間をかけてゆっくり休もう。うん、そうしよう。
 でも、もし休んだら何をしよう。足りなかった睡眠を補うために数日間ずっと眠るというのもいいけど、それでは逆に身体が疲れてしまいそうだ。そうだ、神山さん。神山さんとどこかに遊びに行きたいな。遊園地? ショッピング? どこに行こうかな。今から凄く楽しみになってきた。神山さん。今何をしているだろう。神山さん―――。

「マリアちゃん。聞いてる?」
ディレクターがマリアを覗き込むようにして聞いた。
「あ、はい」
マリアは我に返った。つい別のことを考えてしまった。自分の悪い癖だ。
「で、どうするの? 休む? 休まない?」
  ディレクターの言葉に、マリアはキッパリと言った。
「考え直しました。もう少し頑張ってみることにします。ご心配をおかけして、申し訳ございません」
  百八十度考え方を転換させたマリアのはっきりとした返事に、ディレクターは目をパチクリとさせた。
「そ、それならいいんだ。俺としても分かってくれて嬉しいよ」
「考え方が統一されてなくて、ごめんなさい。ディレクターさんのお言葉に納得したから、考え方を変えただけなので」
  マリアはニッコリと笑った。その笑顔にディレクターが嬉しそうに目を細めた。
「マリアちゃん、最近やけにしっかりしてきたよね。輝いているというか、自信が全身に溢れている感じだよ。何だか……とっても素敵、だよね」
  そう言って、ディレクターはさっとマリアに肩近くに接近して、照れた表情をしてマリアの耳元で囁いた。
「もし良かったら、今夜、食事でもどう?」
「ごめんなさい。先約があるんです」
  マリアが申し訳無さそうに言うと、ディレクターは少し悲しそうな顔になっって、
「そ、そうなんだ。じゃ、また今度ね。じゃ、これからもよろしく」と寂しげな表情を浮かべて言い、マリアを残して去っていった。
 この先約というのは嘘だった。マリアはこれから今夜の予定を入れるつもりだった。特別番組のリポートを無事終えた、ということで神山とどこかでゆっくり食事でも取れたらいいなと思っていたのだ。ディレクターが去った後、マリアはデスクがひしめき合うように並んでいる報道部の中を見回して、神山の姿を探したが、神山の姿は見えなかった。マリアはバッグから携帯電話を取り出し、発信履歴から神山の番号を探して押した。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

「特番リポート、お疲れさま」神山の音頭に合わせて、マリアと神山はワイングラスを触れ合わせた。二人は微笑みながらワインを口にした。
 今夜の二人は、いつも仕事の打ち上げなどで立ち寄る居酒屋や屋台ではなく、高層ビルの中にあるお洒落な展望レストランで食事をしていた。
お互いに気持ちを打ち明けあってから、二人の仲は急接近していたが、マリアの仕事の多忙で、二人はゆっくり話をする機会を逸していた。
「最近とっても忙しそうだけど、ちゃんと疲れとかはとれてるの?」
 神山がスープをスプーンでかき回しながら言った。スープの中央に流し込まれた生クリームの白色と周りを満たす黄色のスープとが混じり合い、黄色と白の豊かなマーブル模様となり、さらに散らされた細かいパセリの緑色が、万華鏡のような優艶な紋様を描いた。それがマリアには、キャンバスに塗りたくられた油絵の抽象画のように見えた。
「ん? このスープ、凄く冷たい」スプーンを口から離し、顔を歪めた神山の表情が面白くて、マリアは思わず吹き出した。
「冷製スープですよ。冷たくして飲むんです」マリアは笑って言った。
  スプーンですくって飲むと、口中に程よい冷たさが広がった。
「マリアちゃんは最近凄く疲れているように見えるよ。大丈夫?」
  神山がスープを飲みながら言った。マリアは微笑を浮かべて、
「大丈夫ですよ。今にも倒れそうなくらい疲労は溜まっているんですけどもう少し頑張れると思います。……たぶん」
  マリアは少し目を伏せた。それを聞いた神山は沈んだ表情になって頭を左右に振った。
「やっぱり。テレビに写るとき以外でのマリアちゃんの表情が硬いから、相当体力的にやばいんじゃないかと思ってたんだ。炎天下での撮影とかも多かったし。休んだほうがいいと思うよ」
「でも……ディレクターに休みたいってお願いしたら断られました。休むのはもう少し先だって。だから、私も思ったんです。もう少し頑張ってみようって」
  神山はマリアの目をじっと見つめた。
「でもさ、倒れてからじゃ遅いんだ。倒れてから休むと、療養して回復するまでにとても時間がかかるんだ。倒れては休んで仕事して、また倒れては休んで仕事して……というのを繰り返していたら、どんどん疲労が蓄積されていつか必ず回復できないくらい寝込んでしまうと思うよ。
  この業界は、裏方ならまだしも、表に出る人は人気が全ての鍵を握るんだ。生き残れなければすぐ消えていく、サバイバルの世界で息長く生きるためには、今のような全速力の短距離走じゃだめなんだ。長距離ランナーのように、ペースを上げ下げを考えたりして、できるだけ長い距離を走れるようなスタミナをつけないといけない。取り返しがつかなくなる前に、今から少しずつ休んで、長期の仕事に耐えられるようになって欲しい」
 マリアは神山の言葉に考え込んだ。

 確かに、神山の言葉には一理ある。一理どころか二里も三里もある。今のようにハイペースで、点滴打ちながら倒れるギリギリまで頑張るのか、倒れないように落ち着いたペースで持久力をつけつつ頑張るのか。どちらがいいかなんて、客観的に冷静に考えても分かる。過労死という言葉もあるくらいだ。働きすぎたことが取り返しのつかない事態を引き起こしたら……自分は後悔してもしたりないだろう。
 そして、ひょっとしたら。倒れて入院した場合―――寝ようとしても、他人の生活音が過敏に聞こえてしまい寝られない大部屋での生活。運悪く窓際のベッドではなく、ベッドの両側にしきられた白いカーテン、白い壁。目覚めると見えるのは白い天井。自分の着ている真っ白の服。上も下も横も、全て白。一面白の世界。自分の内なる部分に、くすぶっていた火種が突如激しく燃え盛るように沸き起こる欲求は、その白世界をどうにかして別の色に塗りつぶしたくなる衝動。
  突発的に、自分はベッドの横に置いてあるの棚から自分のバッグを取り出す。その中から、定期券入れに入っているテレホンカードを一枚取り出し、自分の内手首にその縁で強くこすりつける。カードが曲がらないように気をつけながら、強く強く、何度も何度もその縁を手首に往復させる。薄い皮膚の表面は次第に血がにじみ、しばらくして一筋の赤い鮮血が流れ落ちる。リノリウムの白い床に赤い斑点を落とす。ベッドの白シーツに赤い斑点。白色の中ににじんだ鮮血の赤色は、まるで白い海原にポツリと輝く沈みかけた夕陽のようだった。マリアには、それが雄大な構想の芸術のように感じた。
 それに見惚れてその場でほんの少しぼんやりとしていたマリア、やがて衝動的にカーテンと壁に赤く濡れた手首をこすりつける。白と赤の豊潤なコントラスト世界。なんと美しい。マリアは自分の身につけている服が白いことを思い出し、身体全体に赤い染みをつけようと床に転がり全身をくねらせるようにして、一心不乱に動き回った。その異変な動きを察知した同室の患者がナースコールをする。そして、駆けつけた看護士が、その両開きの白いカーテンをバッと開くとそこには―――。

「マリアちゃん、聞いてる?」
  神山が眉間に皺を寄せ、いぶかしげな表情をしていた。
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて」マリアは慌てて謝った。
 今、一体自分は何を考えていたのだろうか。ワイングラスに残った少量のワインを飲み干そうとグラスを手にとったとき、そのグラスの底に溜まったワインの赤色が、手首から滴り落ちた鮮血のように見えて、マリアは胸が苦しくなった。
「飲み物、別のものを注文してもいいですか」
  マリアはとにかく目の前のワイングラスを排除したかった。

 しばらくして、カクテルが運ばれてきた。カクテルを飲みながら、二人は会話を続けた。
「で、結局マリアちゃんは休みの件をどうするの?」
  ワイングラスを傾けて飲みながら、神山が尋ねた。その言葉を聞いた瞬間、マリアは胸に冷たいものが広がった。なぜか苛立ちが横切った。
「私は……休み……ません」そう言った瞬間、神山の目を見つめていた自分の目が、なぜかふっと悔しさで燃えた。
「休まない……んだ。そうか」
  神山がキョトンとしたように目をしばたかせた。
「休みません。もし休んでしまうと、私が今まで築き上げてきたものが崩れてしまうんです」
 マリアは思わず脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口に出して言った。
「事故目撃のインタビューで神山さんにスカウトされてから、私は必死に走ってきました。これからも走り続けるつもりです。走りすぎて倒れる……はずはありません。こんなに頑張って走っているのに、今の時点で倒れていないのですから、まだ倒れないはずです。だから、私は頑張るんです」
思いがけず、声のトーンが上がって来た。静かなレストランの中、マリアの声が徐々に大きく響いた。神山は慌ててマリアを制止しようとしたが、それをマリアは、神山が何か言おうとする開きかけたその口からは反対の言葉しかないようだ、とマリアは思った。マリアは自分が苛々しているのが分かった。
「休む? 休めるわけがありませんよ。何のために今まで頑張ったと思ってるんですか。まだまだ上り坂なんです。頂点まで私は行きたいんです。一番良い時期の今の今に休んでしまうなんて、まどろっこしくて私は絶えられないんです!」
  自分の大声に耳の奥がキンと響いた。
「マリアちゃん、落ち着いて」
  神山が少し立ち上がって、なだめるように、マリアの両肩に両手を置いた。神山は他テーブルの客のマリアを不審がって見ている視線に気づき、「食事はもういいよね。―――ここから出ようか」
  神山は言い残し、マリアの肩から手を離し、目配せしてテーブルを足早に後にした。マリアは少しの間その場に立ち尽くしたが、テーブルの上の半分以上残した自分の飲みかけのカクテルを名残惜しげに一瞥して、慌ててその後をついていった。

「さっきはどうしたの? 何だか凄く興奮してたけど」
  レストランの外に出て、高層ビルの最上階から地上へと下るエレベーターの中、神山とマリアは二人きりだった。
「別に。何でもないです」
  マリアはそっけなく言った。マリアはなぜか、先ほど芽生えた、神山が反対するかもしれないという意識が何度も自分の頭の中で旋回していた。まだ自分は神山の反対の言葉を予想して苛々としていた。
  今までは他人の言うことに付き従っていた自分だったが、自分の力があると知ったときから、自分の思うままに動けないことやその予感に、とてつもない内的な苦しみを感じた。神山への想いとは別に、仕事仲間としての忠告が腹立たしく感じた。それが自分の前途を遮る予兆のように感じたからだった。
「何を苛々してるのか分からないけど……マリアちゃんが思う通りにすればいいよ。俺はただマリアちゃんのことが心配だっただけなんだ。マリアちゃんが自己責任で頑張るというなら、俺は何も言わないよ」
  そっぽを向いたマリアの耳に、神山の声が優しく届いた。―――何だ。自分が勝手にムキになっていただけなんだ。マリアは自分に後悔した。神山さん、ごめんね。そう言えない自分に腹立たしかった。

 エレベーターが地上に着いた。ビル外に出ると、夜風が頬に当たって心地良かった。お酒が少し入って、顔が火照っていた。さっきの自分の感情の高ぶりは、お酒のせいだったのか。情けない、とマリアは自分自身を叱責した。
「今日はこれからどうする?」
 駅に向かって歩きながら、神山がさりげなく―――のつもりだろうがかなり意識しているのが手に取るように分かった―――マリアに聞いた。
「これから?」考えることなくマリアは答えた。
「何も予定がないので、どうしようかと考えている途中です。」
  マリアはある言葉を神山から引き出させようとしていた。自分から言うのではなく、神山から言って欲しかった。マリアはなぜかそこにこだわった。
「神山さんはどうしたいですか?」
  マリアは敢えてよそ見をしながら言った。マリアは神山の返事を期待した。自分から言い出さずに、自分の望む言葉を神山の口から出させるつもりだった。
  神山は少し口ごもった。
「もしよければ……俺のマンションで飲み直さない? 何もしないから」
  語尾を強めて言う辺り、神山の人柄が表れている、とマリアは思った。
「いいですね。行きましょ」
 マリアは神山の腕を取り、ニッコリ笑って彼を見上げた。マリアを目の合った神山は、少し驚いた様子を見せた後少し照れた表情になって別の方向を向いた。そんな彼の様子がマリアには恋しかった。

 マリアは本当のところは飛び上がるほど嬉しかった。そんなところをおくびにも出さず、喜ぶ素振りなしに神山の腕を取るくらいがマリアの精一杯の意思の表現だった。自分の心をさらけ出して彼に優しい言葉をかけるのは、なぜか敗北感に打ちひしがれそうな気がしたのだ。神山とより深く親密になりたいと思いはすれど、自分からそうなりたいという思いを伝えるのは嫌だった。
 何度か神山に一人暮らししている彼のマンションへと来ないかと誘われるたび、マリアの心は揺れ動いたが、「易々とOKすると、男性の部屋に軽々しく上がりこむ女軽い女だと神山に思われたくない」と思い、その度毎にマリアは断ってきた。何回目かに断ったときに見せた神山の悲しげな表情に、もう二度とマリアを誘うことはないのでは、と不安になっていたのだが、マリアから神山を誘うのはどうしても気が向かなかった。
 自分から誘うということは、自分からアプローチをかけることであり、さらにそれは自分はこうしたいという一方的な意思を相手に伝えることになるのだから、その意思の許諾を相手に委ねるというのは、相手の許諾の意思一つで自分が欲した意思を肯定にも否定にもされかねない、という不安定な状態に置くことになる。マリアは、そんな不安定な状態に自分の身を置くことは、自分が相手との関係で劣勢に立っているような気がしてならかった。相手のことを想っているという弱みを相手に知られたくない、見せたくない、というのがその本当の心の内なのだろうが―――。
 相手に自らの心の内をさらけ出すことは、相手と自分との力関係を比較した場合、自分が弱い立場に立つとマリアは思っていた。でも、恋愛に力関係は必要なのだろうか。恋は駆け引き、とよく言われるが、その通りで、いかに自分が優位に立つかが大事なのではないのだろうか。マリアは、昔何度も自分が繰り返し経験した失恋の記憶を思い出した。

「着いたよ、マリアちゃん。降りよう」
 マリアが考え事をしている間に、神山はマリアの手を引いてタクシーに乗り、しばし車が走った後、あっという間に辿り着き、タクシーは停車していた。タクシーを先に降りてタクシーの車内に留まったマリアを覗き込むように見ている神山に気づき、マリアは慌ててタクシーを降りた。
 人通りのない暗い夜道を、マリアは神山と一緒に並びながら歩いた。すれ違う人も無く、お店などの明るいウィンドウも見当たらなかった。閑静な住宅街というよりは、物侘しい閑散さをマリアは感じた。道端に切れかかって点滅している古ぼけた街灯の黄色い電球の周りを、数匹の羽虫が群がりブンブンと飛び回っていた。時折、寂しげな犬の遠吠えが聞こえた。どこなのだろう、ここは。とマリアは少し不安に思った。

 神山が建物の前で立ち止まった。建物を囲むようにして植えられている花壇の中に、上を見上げるようにして埋め込まれたライトが、夜の建物の外壁を艶やかに映し出し、スタイリッシュ感を演出しているようだった。
  玄関に入ると、思わず左右を見回してしまった。一人暮らしの男性の部屋に今から入る、ということにマリアは自分が緊張しているのが分かった。見回した際にふと見上げた天井部分に設置された防犯カメラの小さな黒レンズを見つけた。それを見ていると、マリアは自分のいつものリポートを思い出し、ふっと気分が高揚してくるのが分かった。
「何してるの? ほら、エレベーター来てるよ」
  神山が建物の奥で、エレベーターから顔を覗かせるようにしてマリアを呼んだ。我に返ったマリアは、急いで神山の元へと走った。

   

◆ 第5章(最終章)へと続く ◆


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リポーターセンス 5


◆ 第5章 ◆

 神山の部屋に向かう途中、マリアの胸は高鳴る一方だった。マリアの全身を嬉しさと緊張の混在した想いが包んだ。部屋に着くと、扉を開けて、神山がマリアを通し入れた。そのまま神山は「何か飲み物を持っていく」と言い、台所へ消えた。
  マリアは部屋の中央に置かれたソファにちょこんと腰掛けた。落ち着かない様子で部屋を見回すと、そこにはテレビや本棚が無造作に置かれ、雑誌や本が床にいくつも山積みになっていて、所々の本の山が崩れて床にそれが雪崩のように散らばっていた。いくつものダンボール箱が部屋の隅に置かれていた。生活感があるというよりは、仕事場に近いような殺風景な空間がそこにあった。これが男性的な部屋なのかしら、とマリアが思っていると、いくつもの缶ビールや酒瓶を両手に抱えた神山がふらりとリビングに入ってきた。
「飲めるものはビールと日本酒、焼酎……お酒しかないんだけど。またたっぷりアルコールになるね。ごめんよ」
 神山はそれを次々とテーブルに並べた。そして、テーブルの上に散らかるように置かれていた雑誌をそそくさとかき集め、テーブルの下に置いた。マリアは所在無くその神山の様子を眺めているだけだった。神山は二つの缶ビールの蓋を次々と開け、マリアにその一つを手渡した。
「二次会、ってことで」
  神山の差し出したその手にある缶ビールに、マリアの手の缶ビールが軽く触れた。二人は缶ビールを飲みながら、それぞれの想いを胸に抱いていた。

 マリアは。神山の部屋。二人だけの空間。週末の長い夜。親元を離れて一人暮らしをしているマリアを妨げるものは何も無かった。マリアは胸の高まった鼓動が神山に知られるのではないかとドキドキしていた。すぐ隣にいる神山が缶ビールを飲む姿を見ているだけで、マリアは胸が一杯になった。手を伸ばせばすぐそばにいる神山の存在だけで、マリアは嬉しかった。

 神山は。自分の部屋に、マリアがいる。初めて会ったときから、自分が気になっていたマリア。いつも会社で同僚と一緒に笑っていたマリア。自分の手が届かないくらいに、テレビの人気者になっていったマリア。そのマリアが、自分の部屋にいる。キョロキョロと不思議そうに部屋の中を見回しているマリア。お互いの気持ちを言い合ってから、マリアの気持ちが自分のところにあるという自信はあったが、もっと親密になろうと、何度かマリアを誘ったが断られてしまったものの、友達以上に進まない二人の関係に神山は不安を募らせていた。それが、自分のすぐ横にマリアがいる。お酒が入って少し紅潮しているマリアを、神山は凄く可愛いと思い、愛おしく感じた。その愛しい身体に触れたいという神山の気持ちは、高ぶる一方だった。

 二人の間を沈黙が包んだ。背もたれに体重をかけるようにソファにゆったりと座りなおしたマリアの肩を神山がそっと抱いた。マリアの胸の鼓動が一層激しくなった。二人の身体は寄り添うように接近した。横に向いていた神山がマリア肩に置いていた手を引き、マリアに正面を向くように座り直した。その神山の動きが目の端で見えて、その先の神山の行動を想像し、マリアの胸はときめいた。神山がマリアの両肩を両手で添えると、マリアの顔に自分の顔をそっと近づけた。マリアは神山の真剣な目を見て、ゆっくりと瞼を閉じた。マリアの顔に神山の吐息がかかる。そして、二人が互いの唇を合わせた。ゆるやかに過ぎる時。
「今日は……どうする?」
 しばらく重なった互いの唇が離れた後、テレビの上に置かれたアナログ時計を見て、神山はマリアの顔を伺うようにして言った。
「帰る? それとも……」と上ずった小さな声で言った神山の声に、マリアは神山の顔をじっと見つめて缶ビールに手を伸ばした。
「明日は取材の予定もなくて、完全な休みですし、今夜はとことん飲みたいです。この部屋で」
 マリアの言葉の言外の意味を悟り、神山は目を輝かせた。
「うん、じゃあ、いくらでも飲みたいだけ飲もうか」
「はい!」
  マリアは頷いてちょっとはにかんだ。一つの部屋に互いに想いを寄せ合っている大人の男女が一晩中いることの意味するところを感じ、マリアはこれから自分に起こることを不安と緊張と嬉しさで心が震えた。


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「そういえば、今日の私のリポートはどうでした?」
 ソファで寄り添って座っている二人の目の前には、数本のビールの空き缶が転がっていた。さらにテーブルの下には日本酒や焼酎などの一升瓶が数本並んで置かれていた。
「今日のマリアちゃんのリポートねぇ……とっても良かったと思うよ」
 神山の言葉にマリアは無言で胸の内で喜んだ。嬉しさを表現するのが恥ずかしくて、さらに缶ビールをあおった。酒が回ったのか、少し頭の中にもやがかっているように感じる。隣を見ると、ワイシャツからラフなTシャツに着替えた神山がいる。いつも自分が想い続けて来た人が、そこにいる。そのそばに、お酒のせいか雰囲気に飲まれてしまったのか、頬を上気させた自分がいる。二人の間を甘美な空気が漂い、マリアは全てを至福に感じた。
「けどねぇ」と神山は続けた。神山は酔いが回ってきたのか、ろれつが回らなくなってきていた。
「……最近ずっと気になっていたんだけど、何だかマリアちゃんのリポート、変だよ。上手なのには変わらないけどさ」
 神山は眠くなったのか、ぼんやりと静かに目を閉じながら言った。変とはどういうことだろう、とマリアはキョトンとした表情で神山を見つめた。靄がかって不鮮明になった脳裏に、沢山のクエスチョンマークが羽ばたいた。
「変……って私が、ですか?」とマリアが聞くと、神山はトロンとした目を閉じて呟くように言った。
「そうだなぁ……今日の特別番組用の事件リポートに関して言うと、今回は安楽死の事件だよね」
「はい」
マリアは頷いた。神山の言葉の続きが次第に気になり始めた。何が、変なのか。自分のリポートの何が。
「でも、犯人の動機についてマリアちゃんはさ、『苛立ちが原因』って言っていたのを覚えている? リポートの最後にも、「肉親を殺してしまった後悔」って言ってたし。それなら、事件は安楽死じゃなくて殺人だよねぇ。でも、裁判も警察見解も、安楽死を問題にしていたし。これ、どういうことなのかなぁ。―――ん、もう少しじっくり話したいからちょっと顔でも洗ってくる。待ってて」
 神山は欠伸をしながらソファから立ち上がり、ふらふらとリビングを後にした。マリアは神山の言葉にすっかり目が覚めてしまった。神山は何が言いたいのだろう。こんなにまどろんだ素敵な雰囲気の中で、神山が言いたいことって、一体……。マリアの内に疑問で揺らぐ何かが蠢いた。マリアは先ほどの甘美さから覚めてしまったように感じた。
 先ほどとは打って変わってスッキリとした表情で、目のパッチリとさせて、神山がリビングに姿を現した。ソファに座るなり、神山は話し出した。
「マリアちゃんの事件リポートは、昔は取材期間が一週間はあったけど、今はマリアちゃんが売れに売れて、スケジュールの空きがないから、今では結局、マリアちゃんを含めてスタッフが事件リポートに携われ時間は二日もあるかないかなのは、分かってるよね」
  マリアは神山の言いたいことの結論が見えてこなくて、訝しげにそれに聞き入った。
「取材時間は短くても、それなりにマリアちゃんは資料には充分に目を通しているし、聞き込みだって結構しているから、取材としては充実していると思うんだけど。―――でも、昔とは大違いのあんなリポートするってことは、どうしてなのかな、って思うんだ。取材が不十分なせいかと思ったんだけど、この点についてはどう?」
 神山がマリアにたずねたが、マリアは神山の言いたいことが分からなくて、聞き返した。
「神山さんの言っていることがよく分かりません。つまり、何がいいたいんですか?」
  話しながら何気なくマリアは床に置いてあった日本酒の酒瓶を取り上げ、テーブルの上のマグカップに注いだ。マリアがそれを少しだけ口にしたとき、神山がマリアを見て、呟くようにポツリと言った。
「あれは事件のリポートなんかじゃないよ。フィクションのリポートだよ。マリアちゃんは嘘を言ったんだ」

マリアの口元へと運ぼうとした手のマグカップの動きが止まった。神山は続けた。
「君の売りは豊かな表現、それは確かだ。ただ、犯人が自殺しているから情報は限られるはずなのに、君の小説並みのあの細かな描写はどうなんだい? 涙が床に落ちたとか、白熱電球の光で目を覚ましたとか、本人しか知りえないことばかりじゃないか。それはイメージでどうにでもなるとしても、安楽死を殺人としてしまうのは、完全なアウトだよ」
 マリアは指摘されたことが、反論できなる余地のない事実であることを痛烈に悟っていた。二人とも甘いムードから脱して、完全に酔いから覚めた状態だった。
 マリアは考え込んだ。確かに、神山の言葉には誤りはない。確かに、自分の中にある事件のイメージを表現しようとして、高ぶった気持ちのままリポートすると、次々と淀みなく言葉が飛び出すのはいいが、その言葉の修飾語がどんどん膨らんでしまっていたのだ。しかし、言葉にかけた修飾語のどこが嘘だと咎められるいけないことなのだろうか。自分は自分の中にあることだけを口にしただけだ。その修飾語の少々の膨らみのどこが悪かったのか。
 考え込んだマリアを見て、神山は慌てて言った。
「別に責めているわけじゃないんだ。丁寧に調べた結果の結論をマリアちゃんはリポートしたってこと、俺はもちろん分かっている。別に嘘をつこうと思って言ったわけじゃないんだろ?」
 ―――嘘をつこうとして? マリアは首を傾げた。自分がいつ嘘をついたというのだろうか。修飾語のつけ過ぎを認めることはあっても、自分が嘘を言った記憶はない。神山はなんてことを言うのだろう。自分を嘘を言うリポーターだと思っているのだろうか。マリアは少しだけ苛立った。
「嘘じゃないです。言葉につける修飾語を多少オーバーに言ったかもしれませんが、私は《真実》を伝えるリポーターなんです。そこから外れたことは一度だってないです。私は嘘を言ってはいません」
  マリアの目が激しく燃え始めた。自分は怒っているのだろうか、とマリアは思った。その言葉を聞いた神山は、眉間に皺を寄せた怪訝そうな表情で、マリアの顔を見つめている。
「確かに君は、安楽死を殺人と言い換えた以外には、明白な嘘を言っていない。しかし、それは完全な嘘でもなく、完全な《真実》でもないんだ。君が犯人の立場に立って、きっちりと考察して深く感情移入をした結果、導き出されたリポートは、一つの可能性としての君だけの《真実》であって、俺たちが求めている事件の《真実》じゃない」
 神山はマリアが飲みかけていた日本酒の入ったマグカップを飲み干した。さらに、酒瓶から日本酒をそのカップの中に注ぎこみ、さらにあおった。
「前から思っていたんだけど、君のリポートは、徐々に《真実》のカテゴリーから外れてきている。それを君は気付いていたかい? この分だと、いつかは君のリポートは完全《真実》ではなくなってしまうんだ。そうなると、これは単なるフィクションドラマの朗読に過ぎなくなってしまう。そうなったら、君の価値は、ない」
 神山が悲しそうな目で言った。マリアは、一方的に畳み掛けるように言い続ける神山の言葉に、そうじゃない、そうじゃないの! と必死に心の中で言い返した。言い返す論拠がどこにもないと知っているからこそ、ただただ苛立ちの感情はビッグウェーブのように高まり続けるだけだった。さっきまでお酒と恥ずかしさでほんのり赤らんでいたマリアの顔は、今や理解されない怒りによる紅潮に変わっていた。
 そんなマリアの様子に知ってか知らずか、神山はマリアの顔を見つめながらさらに言葉を続けた。
「確かに、視聴者は君が専売特許として頑張っているストレートな表現のリポートを求めている。それは確かだ。《より衝撃的に》伝えるというのがディレクターやプロデューサーの要望だけど、それは俺たちが報道番組で、報道の一貫としてリポートしている以上、《真実》の範囲内において言えることなんだ。しかし、今の君のリポートは、《真実》と嘘とのあやふやなグレーゾンに漂っている。
 俺は心配しているんだ。できるだけ長く君にこの仕事を続けて欲しいから。君といつまでも一緒にいたいから……」
 神山は語尾を弱めて、顔を歪ませた。眉間に皺を寄せて目を細めて苦しそうにしているその表情は、神山がマリアのためを想って心痛な気持ちで言ったことを表していた。
 しかし、神山のその想いはマリアに届いてはいなかった。マリアは、神山の言葉を自分に対する思いやりによるものだとは全く気づいていなかった。それどころか、自分は神山に一方的に責められたという悔しさと苛立ちの併存した混沌とした想いを抑えることができなかった。気色ばみ、怒りに身体を小刻みに震わせた。神山が手にしていたマグカップを奪うように取り上げ、一気に飲んだ。
「マリアちゃん。一気飲みは身体に―――」と言いかけた神山の言葉を遮って、マリアは立ち上がった。マリアの全身をむしゃくしゃとした憤った感情が貫いていた。
「帰ります」冷たい声でマリアは言い捨てた。
  それを聞いた神山は焦った様子でマリアを引きとめた。
「ちょ、ちょっとマリアちゃん!」
  この部屋にやって来た当初の二人の甘い雰囲気を思い出し、神山はその場から立ち去ろうとソファの前から一歩踏み出したマリアの身体を後ろから抱きしめた。
「ごめん、言い過ぎた。俺が悪い。謝るから、機嫌直して」
  マリアは背中から神山の懇願するような声がさらにマリアの気に障った。
「私の言い分を全然聞かずに神山さんの謝りだけが先行するなんて、嫌です。だから私、帰ります」
 マリアはそっけなく言うと、神山は慌てた。
「じゃ、君の言い分もちゃんと聞くから、とりあえず座ってよ」
 神山のその焦りと慌しさが、マリアは気に入らなかった。疎ましくさえ感じた。自分の今まで築き上げてきたリポートの一切を神山に否定されたようで、それがマリアは嫌だった。許せなかった。

 客観的な《真実》のリポート。マリアの、自分だけの《真実》のリポート。
 両者に見られる微妙なズレ、齟齬。しかし、それはマリアのにとっては問題外だった。自分の脳裏に浮かんだ《真実》が、マリアにとっての唯一絶対の《真実》だった。

 マリアは悔しかった。自分のことを理解せずに一方的に責めた神山を、マリアは胸の内で一方的に責めた。もし後で神山が甘い言葉を沢山囁いてマリアを慰めたとしても、マリアは聞き入れることができなかった。
マリアを信頼してスカウトしてくれた神山。自分のことを好きだといってくれた神山。自分が愛おしく思える人、神山。その神山が自分を否定した。やっと見つけた自分の存在を認めてくれた、存在意義そのものを、理解者であると信じていた神山が否定したのだ。神山は自分を否定した。否定した……。
「マリアちゃん」
 マリアの手をとろうとした神山の手を、マリアは振り払った。神山をキッと睨み付けて叫んだ。
「嫌って言ってるじゃないですか!」
  それを聞いた神山は血相を変えてマリアの手を荒々しくつかんだ。
「どうしたの? 何怒ってんの?」
  こんなに怒っている自分の怒りの理由を、神山が全く理解していない、それがマリアを更に否定しているようで、マリアの更なる怒りを掻き立てた。
「いい加減にして下さい!」
  マリアは叫ぶように言った。そのヒステリックな声に、神山は目を丸くした。
「な、何?」
  その驚いた様子が、マリアには、自分と心が通じ合っていると信じていた神山が、自分に関して無知であることを露呈した、と自分の怒りを逆撫でした。この荒れ狂う怒りの矛先をどこにも向けようかと考えたときに、ふと足元に転がった焼酎の酒瓶が目に入った。それを拾い上げ、神山に向き直る。
「私のこと、分かってよ!」
  顔を歪めてマリアは酒瓶の口の部分を両手で掴んだ。ソファに座ってマリア見上げている神山の頭上に力一杯振り下ろす。

 壁に細かく反響しながら、部屋中に大きく響いた金属音。キラキラと照明に反射して輝いて美しい噴水のように放射線状に飛び散るお酒。桜吹雪のようにひらひらと広範囲に舞い落ちる茶色のガラスの破片。頭部から赤色の鮮血を滴り流しながら、ソファに仰向けに倒れこむ神山。粉雪のように軽やかに、パラパラと床にあちこちに散らばるガラスの破片。ソファやテーブルやカーペットに残った、飛び散ったお酒の美しい斑点。全てがスローモーションのコマ送りのように見えた、非日常的な光景。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 目の前の光景は、夢? マリアは自分の両手を見つめた。ドン、と音を立てて、割れた瓶の口がカーペットの敷かれたマリアの足元に落ちた。その視線の先に、血を流して倒れて身動きしない神山がいた。
「かみやまさん……?」
  マリアは神山の元に駆け寄った。神山の身体を揺すったが、神山は目を覚ます気配がなかった。……死んでる? そんな、まさか、そんなことが! マリアは目を丸くして、無我夢中で神山のTシャツをたくし上げ、その胸を露にした。右胸と左胸を数秒ずつその鼓動を聞いたが、脈動も、鼓動も、一切感じられなかった。

 自分は人を殺してしまった。この手で。

 マリアは呆然とずるずると床に座り込んだ。ミニスカートを履いたストッキングのふくらはぎにガラスの破片が突き刺さったが、痛みは感じなかった。
 マリアは自分の目の前に起きたことを一生懸命考えた。しかし、そこから冷静な思考が生まれるはずもなく、一生懸命考えている自分を、一生懸命考えているという考えに過ぎなかった。わずかながら生まれた思考のカケラをつなぎ合わせるように、マリアは事の有様を理解しようとした。
 しかし、いくら考えても、自分がなぜ神山を殺すことになったのか、その理由が思い出せなかった。神山への好きという自分の想いは変わっていなかったから、マリアは、自分が神山を殺すはずもないと決めつけ、ひょっとしたら、自分が我を忘れている間に誰かが侵入して神山を殺したに違いない、と思った。
  神山が殺された、殺されてしまった。しかし、自分が犯人を見ていない以上、この場に自分がとどまっていたら、自分が犯人と思われてしまう、とマリアは思った。早くこの場から立ち去ろう、そう考えて、マリアは自分のバッグを手にして、神山の部屋を後にした。去り際、ソファに倒れたままの神山の唇に自分の唇を押し付けてくるのを、マリアは忘れなかった。

 翌日、マリアが出社すると、報道局は騒然としていた。マリアが事件リポートのスタッフを見つけ、その騒然の理由を尋ねると、そのスタッフは興奮するように叫んだ。
「神山さんが殺されたんですよ! 驚きよりも信じられませんよ。昨日、一緒に普通に仕事したじゃないですか。犯人は誰なんでしょうね。あ、ちょっとすいません」
 そのスタッフは手にした携帯電話に掛かってきた電話に出た。マリアに会釈して、部屋の外に消えていった。

 マリアは呆然と立ち尽くした。神山が殺された。あれは夢なんかじゃない、本当のことだったのだ。今でも信じられない。身体には、肩や背中に神山に抱きしめられた優しい記憶が、唇には彼の唇の感触が残っているというのに。
  さらに、この自分の手には、昨日の酒瓶を力一杯握り締めた感触が残っている。それを落としたときに、床に響いた思いガラスの音までも鮮明に記憶にある。しかし、神山を殺した記憶はマリアにはなかった。密室の中の二人、神山は殺され、自分は凶器の一部を握り締めて立っていた、という状況証拠がマリアを犯人だということを示していた。自分は神山を殺したのだろうか……。分からない、分からない……。マリアの目に知らぬ間に涙が浮かんできた。

「マリアちゃん、ちょっといいかな」
 涙を潤ませて立ちすくんでいるマリアを見て、ディレクターが話し掛けてきた。ディレクターに促されるようにして、マリアはディレクターとともに部屋を出て、廊下の隅へと行った。
「あのさ、神山くんが殺されたの、聞いたよね」
「はい」マリアはコックリと力なく頭を上下させて頷いた。
「それを今からスクープとしてリポートをしてきて欲しい。神山は俺たちの仲間だったから、警察発表がなされるよりも先に、詳細な独自調査が出来るように思えるんだ。交友関係とかは、職業柄、圧倒的にテレビ関係者が多いわけだから、人脈を辿る上でも俺たちが有利だと思うからだ。それは、警察の第一報によると、犯人は部屋に上がりこんで酒を酌み交わしていたらしいんだ。だから、犯人と神山が知り合いということになるからだけど」
 酒を酌み交わした犯人……。そもそも、どうして自分は神山のマンションにいたんだろう。そうだ、確か自分は、レストランで食事した後、飲み直すという形で神山のマンションに向かったんだ。そして、二人でお酒を飲みながら、少しだけ甘い時間を過ごした。そしてその後―――何が起きたのだろうか。思い出せない。でも、お酒を神山と酌み交わしたのは、自分であることは確かだ。ビールの味も、日本酒の味もよく覚えている。でも、その後の記憶がマリアには抜け落ちていた。自分が犯人であることは間違いないようだ、しかし―――。
  ディレクターの言葉に、少し心で焦りで震えながらも、マリアは黙って頷く他なかった。ディレクターは続けた。
「犯人が仮に神山と面識がないとすると、俺たちのスクープは中断だ。警察発表を待って、いつもの事件リポートを特集という形で進めよう。くれぐれも捜査妨害はしないように気をつけなければいけないよ。ただ、神山君が誰にどうして殺されたのかがとても知りたいんだ。―――マリアちゃん、忙しいとは思うけど、何とか時間を作って事件に取り組んでね。スクープがつかめるかもしれないんだ。よろしく、マリアちゃん!」
 ディレクターはマリアの肩をポンと軽く叩き、その場を立ち去った。マリアはただ何も言えず力なく笑顔を見せるほかはなかった。
 マリアはこの事件リポートのためにスケジュールの調整をしようと、手帳を開いて携帯電話をかけた。午後の予定、せめて半日を何とか事件リポートの調査にあてたかった。スクープと言われた以上、初動調査が肝心である。そのために、詰め込められたいくつかの予定を延期できないかと思ったのだ。電話をかけたところ、何とかスケジュールを空けることができた。与えられた猶予は半日、自分は何ができるのか。

 マリアは厳しい表情を浮かべて考え込んだ。
 神山が誰にどうして殺されたのかが知りたい。誰に。どうして。自分が神山が殺された事件をリポートする。自分が……人を殺した事件を自分自身でリポートする。自分は本当に神山を殺したのだろうか。分からない。分からない。苦痛に歪めた神山の顔。飛び散るお酒と瓶の破片。ゆっくりと倒れこみ、その動きを止めた神山。神山、神山店。マリアは頭を抱え込んでうめいた。身体の底から突き上げる、火の吹くような悲痛な衝動に、マリアは耐えられなかった。
 リポートをすることが、自分の意義。それを神山は望んでいた。だから―――。マリアは、何とか自分の気持ちに決着をつけるべく、ディレクターから神山の自宅の住所を教えてもらい、テレビ局を後にした。

 昨日マリアが神山のマンションに行ったときには、タクシーだったため、マリアはどうやって神山のマンションに辿り着いたのか、分からなかった。神山の住所が書かれた紙を手に、電車を乗り継いで、そこに向かった。
神山のマンションに着くと、マンションの玄関先から、黄色いテープがマンションを囲むように貼りめぐらされていた。野次馬の見物人も多かったが、テレビカメラなどは来ていないようだった。マリアは、近くに置いてあった警察車両の近くにいた男の制服警官に話し掛けた。
「神山さんが殺されたって聞いたんですけど。テレビ局の者です」
 マリアは警官に自分の名刺を差し出した。
「神山さんとは同僚でした。一報を聞いて、スクープにしたいと思い、駆けつけました」
 マリアの言葉にその男の警官は形相を変えてマリアを怒鳴りつけた。
「あんた、同僚が殺されたのなら、悲しみに暮れるとか、心配するのが人間ってものだろ?何だよ、スクープって。テレビ局の人間が考えることは訳分かんないよ、本当に。あっちに行ってよ! もう!」
 膨れた顔をして、警官は手を振り、マリアを追い払う格好をした。その警官に、マリアは何も言えなかった。しかし、現場からしか情報は得られない……とマリアは考え、そのままこの場所で待とうかと考えたとき、ふっとマリアにある考えが閃いた。

 神山さんが殺されたとき、自分は神山のそばにいた。自分が神山を殺したのかが自分自身で分からない以上、自分が犯人であるという確証はない。ただ、自分は神山の死後、その場にいたのであるから、警察の捜査などよりも、一番自分自身が有力な情報を握っていることになる。……ということは。
 自分の記憶を辿って、自分だけで神山の死の事件リポートを行なう、スクープになる方法は、それしかない。自分で、スクープをつかむのだ。それには、自分が犯人でないことを祈るばかりだった。

 自宅に戻ったマリアは、スーツを脱ぎ、TシャツとGパンという軽装になり、壁にもたれかかるようにして、ベッドに上に座った。手には、事件リポートの資料集めで使っているノートがあった。ペンを手にし、マリアは目を閉じた。

 レストランでの神山。微笑んでいた神山。互いに触れ合ったワイングラス。冷製スープにビックリしていた神山。美味しい食事。少しの口論。人の視線……口論?
  マリアはハッとした。確か、自分は神山と仕事を休む休まないで言い合いをしてしまった。レストランで口論して浴びるような人の視線を感じたということは、自分と神山が食事しているところをレストランで他に食事している人や、従業員などが目撃しているはずである。つまるところ、自分が生前の神山と会っていた人となり、警察から犯人と疑われてしまう。どうすればいいのだろうか。自分が犯人でないのなら……。

 マリアは目を開けてこの点をノートに書き記した。そして、再び思考に身を沈めた。

 食事を終えた後は、何をしたのだろう。そうだ。タクシーに乗った。ということは、タクシーの運転手は、自分と生前の神山を目撃しているということになる。これはまずいなぁ、とマリアは唸った。タクシーを降りた後、人気のない住宅街を歩いて行き……ここでは、人通りがあまりにもなく閑散としていたから、自分は誰にも会っていない。これはいいとして。マンションに入った後は……自分は黒光りするレンズを見たような気がする。
 マリアは目を見開き、声を上げてしまった。あれは防犯カメラだ! 自分はまじまじと覗き込んでしまった。神山と一緒にいるところがしっかり写っているはず……ということは、数時間後、死んだ神山を置いて、自分はマンションを後にしたわけだから、確実に、自分がマンションに出入りするのがカメラに記録されていることになる。警察が神山の死亡推定時刻を割り出した場合、それがどこまで正確なものになるのかは分からないが、防犯カメラに写った自分のマンションの出入り時間を計算すれば、確実に、神山の死亡推定時間前後に自分が神山のそばにいたことが分かってしまう。

 マリアは考え込んだ。本当に自分は神山を殺したのだろうか。マンションに入り、自分は神山と一緒に彼の部屋に入った。彼の部屋で飲んだビール。ゆるやかな時間。背中に回された神山の手。温かい身体。神山の唇。柔らかな唇。……愛しい人。
 あのまま自分は、神山の部屋に泊まるつもりだった。神山と身体を重ねることに抵抗はなかった。好きだったから。愛していたから。そのまま彼の腕の中で溶けてしまいたかったから。そんなことは恥ずかしくて口には出せなくて、少しだけ冷たい態度をとったかもしれないけれど、自分は神山に身を委ねるつもりだった。結ばれた自分と神山は笑いあいながら、とろけるような甘美な時間を過ごすはずだった。
 なのに。どうして。なぜ。神山は自分を否定したのだろう。こんなに頑張ったのに自分を。たった一言の、神山の自分を誉める言葉を聞きたかったから、自分は頑張ったのに。なのに。やっと見つけた、自分が必要とされている場所の、見出したその存在意義そのもの、事件リポートを、神山は客観的な《真実》ではない、と言い張った。自分は、自分なりに努力した結果、あのような事件リポートを作り上げたのだ。取材時間が短くて、確かに調査がずさんだったかもしれない。自分の《真実》を事件リポートすることの、どこが悪いのだろう。視聴者は、客観的な《真実》ではなく、自分のイマジネーション豊かな、マリアの《真実》を知りたかったはずなのだ。だから自分は人気者になった。それを理解しようともしないで、神山は自分を徹底的に否定した。それが許せなかった。だから、足元に転がった酒瓶をつかんで、力一杯神山の頭の上に―――。

 マリアの顔が大きく歪んだ。怒涛のように押し寄せる感情の波に身体を委ねて泣き崩れた。
 自分が殺したんだ、この手で。あの花びらのように舞い散る瓶のかけらも、噴水のように舞い上がったお酒のシャワーも、驚愕した表情と苦痛に満ちた表情を浮かべて倒れていく神山は、全て自分が引き起こしたことだった。
 マリアはノートとペンを放り投げて、枕を抱きかかえてベッドに倒れこみ、泣きじゃくった。夢なら覚めて、と願いながら、身体を痙攣させるように、全身で泣いた。涙でこの身が朽ちてしまえばいい、とマリアは思った。

 玄関のチャイムが鳴った。マリアはハッと飛び起きた。警察かもしれない。床に降り立ったその足はガタガタと震えていた。胸が締め付けられるように痛んだ。
 恐る恐る、チェーンロックのまま、開錠して、ドアを薄く開いた。
「……はい」聞こえるかなきかの小さな声で、マリアは言った。口がワナワナと震えて、ちゃんと声が出なかった。
「あの、新聞とかどこの新聞を取ってます? 洗剤つけるんで、よかったら……」
  マリアは脱力した手で、何も言わずにドアを閉めた。立っていることができないくらい、マリアの身体は震えていた。自分が警察が来ることに怯えているなんて。
 警察は、防犯カメラの解析を終え次第、この部屋に来るだろう。あるいは、テレビ局に来るかもしれない。お世話になっている局に、警察がなだれ込んできたら、同僚に迷惑が掛かる。自分のいられる唯一の居場所が、警察の手に掛かる。それだけは、避けたかった。プロデューサーやディレクターの顔が浮かんだ。彼らに迷惑になることは、ダメだ。それだけは、ダメだ。自分のことは、自分で責任を取らないといけない。どうすればいいのだろう、どうすれば。
 警察に行こう。それがいい。ここから一番近い警察署に行って、この身を委ねよう。神山に身を委ねるつもりが、その翌日に神山を殺した罪で警察に身を委ねるなんて。なんという巡り合わせなのだろう。その妙な運命の取り合わせに、マリアは自嘲気味に笑った。

 警察に行くなら、長期拘留もありえると思い、マリアは押入れの中からスポーツバッグを取り出して、洋服や下着などを数着詰めこんだ。財布と携帯電話をバッグに入れようとして、「何か使うことはあるのだろうか」と思ったが、念のため、納めることにした。部屋を見回して、特に思いつかなかったため、そのままバッグを肩にかけて外に出ようとしたとき、マリアはあることを思い立った。

 スクープをリポートして欲しい、とディレクターが言っていた。そもそも、自分が犯人である以上、自分自身がスクープだ。これをリポートしない手はない。
 マリアはバッグをその場に置き、いつも持ち歩いていたバッグの中から、家庭用のビデオカメラを取り出した。いつでもスクープを撮れるように持ち歩いていたこのカメラは、一度も使うことなく今日まで来たが、ついに使うときがきたようだ。まさか、自分の犯罪を告白する事件リポートになるとは、全く想像もしていなかった。

 マリアはカメラを棚の上に置き、自分の姿が撮れるようにセットした。マリアは、泣きはらした目を隠すように軽く自分の顔を化粧を施した。蒼白になった唇に赤い色が引かれると、マリアの顔は血色がよくなった。そのまま、カメラの録画ボタンを押す。カメラの前に立ったマリアは、カメラをしっかりと見据え、震える声で話し出した。

 今回の事件は、警察に向かう前に、私がお伝えする最後のリポートになります―――。

 マリアはビデオカメラ撮影を終えると、ビデオテープを自分のバッグに押し込んだ。その足で、家の近くにある警察署へと向かう。
 外に出ると、夜風が頬に当たり、涼しかった。しばらく歩くと、大通りの商業ビルのネオンサインが見えてきた。涙でにじんだマリアの目には、その色とりどりの光はとても眩しく感じた。
 しばらく歩くと、警察の建物が見えてきた。パトカーがいるのか、赤色灯が回っているのが分かった。もうすぐだ。この横断歩道を抜ければ、警察署は目の前だ。今は青信号だから渡ることができる、と。マリアは横断歩道に足をかけた。

 大きな音で鳴り響く轟音。きらめく閃光。舞い上がる黒煙。燃え盛る炎。

 マリアは自分が宙を飛ぶのが分かった。
 自分の身体がふわりと舞っている。きれいなネオンサインが星空のように輝いて見えた。身体が軽やかになった気がした。どこまでも高く、どこまでも遠くへこのまま飛んで行けるような気がした。自分の身体が、細胞の一部一部が、たんぽぽの綿毛のように、ふわりふわりと飛んでいる。
 飛んでいた身体が、地面に降り立った。全身に強い痛みが広がった。自分が地面にのめり込んで沈んでいくようだ。段々と目の前が暗くなってくる。目の端に見えるネオンサインがきれいだ。
 このネオンサイン、神山さんと一緒に見たかったな。大好きな神山さん。今度また屋台でラーメン食べようね。一段落着いたら、休みをとって、一緒に遊園地とか海とかに行きたいな。温泉にも行きたい。ねぇ、神山さん。聞いてるの? かみやまさん―――。

そして、数時間後。その現場を後ろにして立ち、その女性リポーターは真剣な表情で、カメラを見つめて言った。

「テレビカメラマンを殺害した容疑のかかっていた、有名な女性リポーターが、さきほどここでトラックにはねられて亡くなりました。即死でした。
 目撃者の証言をもとにした警察発表によると、彼女は自らトラックの前に身を投げ出すように飛び込んだ、ということです。警察関係者によると、彼女は殺人を犯したという罪の意識に苛まれて自殺したという可能性が濃厚である、ということです。現場からは以上です」

 路上に破けてあちこちに散乱したマリアのバッグのそばには、黒光りするビデオテープが寂しげにひっそりと転がっていた。

   

◆ 終わり ◆

   

・・・あとがき・・・

 最後までお読み下さり、ありがとうございます。
 心から感謝を申し上げます。

 この作品は、創作サイト「書き込み寺」の共同企画として書いた作品です。 企画のテーマは、
 A:指定された<登場人物>を使って書いてみる
   マリア 22歳 気が強いが、内心は自分に自信がない女性
 B:「真偽」
 というもので、私は両方のテーマを合わせた形で書きました。

 稚拙な文体・内容が目に付きますが、未熟な時期に書いたという点があり、修正してはその当時の幼稚で青臭い雰囲気をも失ってしまうかと思い、誤字脱字程度の推敲をしています。ご理解をいただければ幸いに思います。

 ご感想などございましたら、コメント欄にお寄せください。
 心よりお待ち申し上げております。

 この度はお読みくださり、誠にありがとうございました。

琉球の宮


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