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ふたりのポンタ

 親愛なる君へ。
 ポンタ。
 君はーー僕のことを、覚えているかい?

 

 まず、この手紙について、説明しようと思う。
 この手紙は、山に住む魔物の長ーーマジムンの女王様に預けたものだ。
 去年の夏、手紙をビニール袋に包んで、雨の日に裏山に行ったんだ。山の入り口にいた蛙に、マジムンの女王様に渡して欲しいとお願いした。中にこの手紙と、もうひとつメモを入れて。
「マジムンの女王様へ。来年の夏、この手紙を、たぬきのポンタに渡してください」
 君がこの手紙を読んでいるということは、僕は間違いなく人間界にいて、君は今もマジムン界にいるんだと思う。

 

 君は僕のことを覚えているかい?

 

 僕と君が出会ったのは、八年前の夏だった。
 君にとって、八年なんて、あっという間だと思う。でも、あの時、十二歳の子どもだった僕にとっては、八年後には二十歳なんだ。
 そう、二十歳になった現在の僕には、君たちマジムンの姿は見えないんだよ。
 去年の夏までは、僕は、裏山で暮らす君たちマジムンたちの姿を、存在を、確かに感じていたんだ。
 でも、現在は、きっと・・・・・・もう分からない。

 

 八年前のあの日のことを、君は覚えているかい?
 僕は覚えている・・・・・・と言いたい。
 でも・・・・・・実は、もう記憶が曖昧なんだだ。あの日の出来事が、大切な思い出が、消えていくような気がしている。まるで、完成したジグゾーバズルのピースが時とともにひとつひとつ失われていくみたいに。
 僕は今十九歳だ。だけどきっと、来年、二十歳になったら、僕の中から君との思い出が消えてしまう。
 確か、僕たちの別れの日、マジムンの女王様が僕に言ったんだ。

 

「お前は今から人間界に戻る。これまでのマジムン界での出来事は、そのうち忘れてしまうだろう。もし、マジムンたちに用があるなら、山のふもとに来い。時々はマジムンたちがお前の相手をしてくれるだろう。だが、お前は二十歳になったらマジムンたちを忘れてしまう。マジムンたちの気配を感じることが出来なくなるのだ。目の前にマジムンがいても、その気配さえ感じることが出来ないだろう。それが人間というものだ」

 

 僕は、忘れてしまう前に、ここに全てを書き記したい。来年、僕の中で、君や、マジムンたちとの思い出のほとんどが、すっぽりと抜け落ち消えてしまったとしても、記憶のジグゾーパズルのワンピース、たった一つの欠片だけでも、握りしめていたいんだ。

 

 思い起こせば、僕と君が出会ったのは、僕が十二歳、小学校最後の夏休みだった。
 旧盆の近づいたある暑い夏の日、家族みんなで山にピクニックに行ったんだ。僕と、母さん、ヨータ兄さん、ミッチ姉さん、妹のリン、母さんの友達サチコさんも駆けつけて、にぎやかなピクニックだった。準備の時から家では大騒ぎだった。バーベキューやキャンプファイヤの荷物を親戚から借りたキャンピングカーに詰め込んで、出発。
 まあ、確かに最初は楽しかったよ。だけど、段々僕は家族の様子を見てイライラしてきたんだ。
 山に着いて、家族はキャンプの準備を始めたんだ。みんなが母さんの指示で準備している時に、サチコさんが、
「この森はマジムンが住むんだって。リン、知ってた? お化け、妖怪、ベロベロバー。お前をさらってやるぞ!」
 面白半分に妹のリンを脅かしたんだ。リンはお化けが苦手なんだ。リンは大泣きして、準備は中断。兄さんも姉さんも準備に飽きてしまって、広げたブルーシートに寝転がって漫画を読み始めた。母さんはサチコさんとおしゃべりをしていた。
 僕も兄さんや姉さんみたいに漫画を読みたかったんだけど、忘れてしまって持っていなかった。
 僕は家族に声を掛けた。
「ねえ! ねえったら! キャンプするんじゃないの? ねえ!」
 僕の言葉を誰も聞いていなかった。みんな思い思いで自分の世界に没入している。僕は何だか、家族のみんなに仲間外れをされたようで、居心地悪く感じた。僕は段々とイライラしてきた。
「ねえ! ねえったら!」
 叫ぶような僕の声は、大音量の蝉の鳴き声にかき消された。
「僕の話聞いてよ! 何だよ、もう!」 
 僕は蝉の声を聞きたくなくて、両手で耳を塞いで、みんなに背を向けてしゃがみこんだ。
「みんないなくなればいいんだ! 大嫌い!」
 みんなに聞こえるように大声で言ったけど、誰も僕に近寄って来なかった。少しだけ顔を上げて後ろを見てみたけど、やっぱりみんな僕を見ていなかった。
「みんな大嫌い!」 
 思わず両手が耳から離れて、大洪水のように耳の中に蝉の鳴き声が流れ込んできた。
 むしゃくしゃした。
 僕は思わず泣きたくなって、立ち上がって、後ろを振り返らずに森の中に駆けだした。

 

 どれくらい走っただろうか。不思議と足は疲れなかった。いくらでも走れるような気もした。
 森の中のキラキラ輝く濃い緑と土の匂いを全身に感じながら走り続けた。空には葉っぱの重なりから木漏れ日が落ちていたけれど、いつの間にか、空は薄暗くなっていた。
 突然空が真っ黒くなって、バサバサと何かが羽ばたく音が聞こえた。
 僕は初めて足を止めた。後ろを振り返った。僕の来た道が、木々の連なりの奥で真っ黒く塗りつぶされたように見えなくなっていた。
「僕、どこに来てしまったんだろう」
 僕は周りを見回した。どこまでも続く、木々の緑。その奥の闇。
「みんな、どこにいったの?」
 僕は大声で叫んだ。
 勝手にみんなの場所から飛び出してしまったのは、僕自身なのに、僕はみんなのせいにして怒っていた。
「小学校最後の夏休みなんだよ! せっかくキャンプに行くっていうから楽しみにしていたのにさ! みんな、大嫌いだ! 探しになんか、行くもんか!」
 僕は草を背に地面に寝ころんだ。草の匂いが全身を包む。
 森の遠くの空が目に飛び込んでくる。黒い塊のような空には、星が無かった。星が無い代わりに、いくつかぽかりと穴が空いているように見えた。その穴から何かが僕を見ているような気がして、僕はとても恐くなった。
「この森はマジムンが住むんだって。リン、知ってた? お化け、妖怪、ベロベロバー。お前をさらってやるぞ!」
 サチコさんが言っていた声が突然頭の中で響いた。僕は身震いして、両手で目を塞いだ。僕は恐くて泣いていた。泣きじゃくりながら、呪文のように言っていた。
「みんな、どこに行ったの・・・・・・」

 

 いつしか僕は眠ってしまっていた。耳元で声がするまで僕は自分が眠っていることに気がついていなかった。
「こりゃまあ、本物の人間だ。なんて美味しそうな血の匂い」
 首筋に冷たい吐息が掛かって、僕は飛び起きた。
 目の前にいたのは、顔がうっすらと白くて、黒っぽいドレスを着た、お姉さんのようだった。目が充血したみたいに真っ赤で、口の中も真っ赤だった。僕の首筋を見て、舌なめずりをしていた。
「あらあんた、子どもなのね。子どもの血は少ないから、要らないわ」
 その人はマントを翻して闇の中に消えてしまった。本で見たドラキュラに少し似ていた。僕の血を吸おうとしていたのだろうか。
 その人が消えるまで、驚きで僕の心臓は胸は激しく打っていた。
 いなくなった……。僕は息が浅くなっていた肩をホッとなで下ろした。
「あ、お前、人間か?」
 突然、背後で声がした。子どもの声だ。
 僕は何だか嬉しくなって笑顔で振り向くと、そこにいたのは、僕と背丈が同じくらいのーーたぬきだった。たぬきが僕を指さしている。僕は驚いた。
 たぬき?
 僕は思わず目の前のたぬきを指さした。
「あ、たぬきだ!」
 たぬきは、今にも吹き出しそうな面白そうな顔をして、僕を見つめていた。
「お前、どこから来たんだ?」
 僕は森の奥を指さした。
「僕は、向こうの町から来たんだ」
「ふーん、お前、名前は何て言うんだ?」
「僕は、ポンタ」
 たぬきが驚いた顔をした。
「おいらも、ポンタっていうんだ。このマジムンの森の中で、一番のドロンの名人ってのは、たぬきポンタ、おいらのことさ!」
 僕は驚いた。たぬきと名前が一緒だなんて。こんな不思議な偶然ってあるのかい? 
 僕は、一瞬、森の奥を振り返った。何も見えない。
 森の奥からは誰の声もしない。母さんも、サチコさんも、兄さんも姉さんも、リンも、いない。いないなら、帰らない。
 僕は決意した。
「僕……家族のみんなと一緒にいたくない。ポンタと一緒にいたい。いい?」
 ポンタは顔を少しだけ歪めて、僕の顔をしげしげと見つめながら、僕の周りを二、三周した。
「いいぜ。おいらがお前ーーポンタに森を案内してやろう」
 ポンタは、僕から数歩下がって、うやうやしく敬礼した。
「ようこそ、マジムンの森へ!」

 

 これが、僕と君、人間ポンタとたぬきポンタの出会いだった。
 
 君は僕を案内しながら、色々なパワー見せてくれた。
 君が手を叩くと、真っ暗だった森に明かりがついた。木の幹に張り付いた無数の小さな虫たちが一斉に光って、鈴のような音をならす。
「ティファニーおいでよ!」
 君が空に向かって叫ぶと、真っ白い大きな翼をつけた美しいマジムンが、音もなく地面に降り立って、僕に微笑んだ。
「そこの坊やは何?」
「……ちょっと秘密。それよりも、ティファニー、何か踊って見せてよ」
「ダメよ。今からマジムンの女王様のパーティで踊らなきゃいけないの。じゃあね」
 ティファニーは羽ばたいていった。
 僕は君にたずねた。
「今の、何?」
「白鳥の妖精ティファニーさ。マジムンの森で一番の美人。って言うと、嫉妬深いマジムンの女王様が怒ってしまうんだけどね」
「マジムンの女王様?」
「このマジムン森を取り仕切る偉い人さ。マジムンの王様もいるんだけど、女王様の尻に敷かれている。おいらたちはマジムンの女王様の言うことなら何でも聞くのさ」
「ポンタ……よく分からないよ」
「かかあ天下ってことだよ」
「意味が分からないよ、ポンタ。分かるように言ってよ」
 僕と君が話をしていると、赤や黄色の木の葉で着飾ったカラフルな椰子の木、いやマジムン三匹がどこからともなく踊りながら現れた。
「あら、たぬきポンタ、こんなところで何をしているの」
「マジムンの女王様がお呼びよ」
「早く行かないとたぬき汁になっちゃうわよ」
 三匹は顔を見合わせて大笑いした。
 君は僕を隠すようにして、
「今から行くよ」
 三人を振り切るようにして、言い捨てて君は僕の手を引いて、森の奥へと走っていった。
 走りながら僕は君にたずねた。
「今の、何? 椰子の木に見えたけど」
「タヒチアンの妖精だ。あいつら、人間を見つけたら手当たり次第椰子の木にしてしまう。気をつけないと」
 僕は走りながら身震いした。

 

 息が上がって、僕たちは少しだけ歩いた。
 僕は唐突に思いついて、君にたずねた。
「ねえポンタ、君、友達いるかい?」
 君はあっけらかんとしていた。
「友達なんか、いないよ。俺は生まれた時からずっと独りぼっちさ。俺の生まれたすぐ後、マジムンの森は人間たちに燃やされてしまったんだ。その時に、俺の母さんや父さん、友達もみんな死んじまった。友達も家族も、いないんだ」
「ふーん。だったら、僕が、ポンタの友達になってあげる。人間だけど、友達になってくれる?」
「いや、遠慮しておくよ。俺様にも選ぶ権利はあるっての」
 僕は思わず声を上げた。
「えー! ポンタ、ひどい!」
 君は笑って、
「冗談、冗談!」
 僕たちはずっと話をしながら歩いた。

 

 かなり歩いたところで、突然道が開けた。
 宮殿の大広間のよう場所に出た。たくさんのマジムンたちが円のように群がっていた。
 少し開けたところに、真ん中にクジャクの羽がついたような輝く玉座があって、マジムンの女王様が座っていた。女王様の左右には、しもべのようなマジムン二匹が、女王様に大きな扇で仰いでいた。
 僕と君が群衆の中に紛れ込んだ時、ちょうど広間の真ん中で、さっき出会った白鳥妖精ティファニーが舞を披露していた。音楽に合わせてくるくると天を舞い、しなやかに動いていた。
 舞が終わり、ティファニーは群衆に向かって礼をした。それを見てすかさずマジムンの女王が怒鳴る。
「あんた、礼をする場所が違うわよ。私に向かって礼をするんでしょ。私の、パーティなのよ」
「あらやだ、私のダンスショーじゃないんですの?」
「ーーちょっと失礼な子ね」
 ティファニーは女王に向かって美しく礼をした。
「ごきげんよう、女王様。森で一番美しい私のダンスを見て、命が延びたんじゃないこと? 」
「ちょっと、しもべたち、この妖精をつまみだしなさい」
 女王の左右にいたしもべ二匹が、扇を放り投げてティファニーの元に駆け寄る。その間をするりと抜けて、ティファニーは飛び上がり、ふわりと羽ばたいて
広間の天井付近に舞い上がりやがて消えてしまった。
 ティファニーが消えた後、群衆はしばらく騒然となっていた。君は僕の手をつかんだまま、群衆の中を進んでいった。
 気づけば群衆の中を通り抜け、群衆を背に中央の開けた場所に出ていた。群衆を振り返り、その顔のひとつひとつをじっくり見てみたが、ちっとも人間と似てはいなかった。皆、マジムンだった。
 僕と君を見つけて、さっきのしもべたちが走り寄って来た。
「嘘つきたぬきのポンタね!」
「たぬきのポンタ、女王様がお怒りだぞ!」
 君は僕をしもべたちに差し出した。
「今度は本当だよ。おいら、人間の子どもを連れてきたんだって!」
「そう言っておいて、この前連れてきたのも人間じゃなかったじゃないか。女王様が必要としているのは、本物の人間だ」
 僕はしもべたちの顔と、君の顔を交互に見た。僕は後ずさろうとしたが、腕を捕らえられて動けなかった。
「ポンタ、どういうこと……」
 女王様の後ろにいた、少し豪華な服を着た大きなマジムンが僕に歩み寄ってきた。少しなよなよとして女性っぽい仕草をする。王様だった。
「ねえ、人間。あんた名前なんていうの。王様に教えて頂戴。本当に人間なの?」
「僕は……人間だ。ポンタって言うんだ」
 王様は驚いた顔をした。
「こりゃびっくり! たぬきポンタが人間ポンタを連れてきた!」
 女王様も歩み寄ってきた。
「人間ポンタ。よく聞いて。あなた、マジムンパワー欲しくない?」
 僕は少し考えた。
「マジムンパワー? 何それ、美味しいの?」
 しもべの一匹が身振り手振りで説明した。
「そうそう、マジムンパワーをさっと炒めてチャンプルーにして、ご飯と味噌汁をつけて定食にしてって食べ物じゃないし!」
 それまで騒がしかった群衆が一瞬静かになった。
 もう一匹のしもべが咳払いをした。
「たぬきポンタ、説明しなさい」
 君が顔を紅潮させて、自信たっぷりに言った。
「マジムンパワーってのは、おいらマジムンたちが持っている特別なパワーのことさ!」
 君は手を合わせて空中を一回転した。すると、その姿は霞のように消えてしまった。
 さっきまで一緒にいた君が消えて、僕は本当にびっくりした。
「ポンタが消えた……」
 女王が僕の肩に手を置いた。
「人間ポンタ、あんたもマジムンパワー、欲しくないかい?」
 マジムンパワー……? 空を自由に飛ぶティファニー。目の前で消えた君。椰子の木の妖精。マジムンパワーを身につける僕。
 僕は迷わなかった。
「僕も、マジムンパワー、欲しい!」
 女王は僕に耳打ちした。
 僕は女王に言われたとおり、広間の真ん中にしゃがみこんだ。女王のかけ声で群衆が僕の周りを取り囲み、僕の周りを足を踏みならして回り始めた。
 明るかった広間が薄暗くなった。雷鳴が轟き、地面が揺れた。不思議な音楽が聞こえた。雷鳴が響く。
 僕はひるんで目をつぶり両手で耳を塞いだ。
「マジムンたぬき、マジムンポンタ、マジムンたぬき、マジムンポンタ……」
 呪文のような低い声が耳をしっかりと塞いでも聞こえてきた。
 僕も心の中で、「マジムンたぬき、マジムンポンタ」と唱え続けた。
 突然身体がビリビリと弾けた。雷に当たったみたいだった。周りが太陽を浴びたように明るくなった。
 僕は目を見開いた。僕は自分の身体を見た。五指の先に鋭く尖った爪が伸びている。腕を見ると、毛むくじゃらだった。肩を見たとき、僕の背中に生えた尻尾が目に入った。
「マジムンたぬき!」
 僕は立ち上がり、天に向かって大声で叫んだ。
「僕はマジムンたぬきだ! 人間じゃない!」

 

 その時だった。
 僕の耳に声が聞こえてきた。
「あの子どこに行ったのかしらね。ポンタ、怒らないから出てきなさい!」
 僕ははっとした。母さんの声だ。
 僕は思わず振り向き、「母さん!」と叫んだ。
 見回すとそこは見慣れた森の奥だった。薄暗く、夜の虫の声が響いていた。どこにもマジムンたちはいなかった。宮殿など、どこにも無かった。
「ポンタくん! 姉ちゃんや兄ちゃんも心配しているよ! 早く出てきて!」
 サチコさんの声だ。僕は声のするほうに走り寄った。明るい緑の光が目に眩しい。まだ昼間だ。
 草むらから様子を伺うと、大きな木の向こうに、僕の家族がいた。母さん、サチコさん、兄さんと姉さん、リンが僕を捜していた。
「すいません!」
 黒い人影が家族に近づいた。僕は身構えた。
 人影は敬礼をした。
「ポンタくんの家族ですか? 今から警察犬を投入して、ポンタくんの足跡を追いますので、向こうで待機してもらえますか」
 人影は去っていった。警察官だったようだ。
 母さんがしゃがみ、泣き出した。
「ポンタ、お願いだから帰ってきて……」
 母さんの涙を見て、僕も泣きたくなってきた。気づいたら僕は大粒の涙を流していた。涙を拳で拭って、僕は草むらをかき分けて、母さんの前に飛び出した。
「ごめんなさい! お母さん!」
 母さんの前に飛び出した僕は、思い切り母さんに抱きついた。
「本当にごめんなさい、ごめんなさい!」
 僕は嗚咽のように泣きながら震えていた。
「あら! たぬき!」
 サチコさんが素っ頓狂な声を出した。
 僕の身体を母さんから引きはがした。
「すっごく可愛い! 今草むらからたぬきが飛び出してきて、カズエさんに抱きついたよ! 人なつっこいたぬきがいるのね」
 サチコさんは僕の頭を撫でた。
「ペットにしようかしら」
 しゃがみこんでいた母さんは立ち上がり、サチコさんの手を払い、僕を地面に放り投げた。
「汚いわよ。止めときなさい」
 僕のことを、たぬきと言った。確かに、たぬきと。
「たぬき! たぬき!」
 兄さん、姉さん、リンまでがそう呼んだ。
「違うよ、母さん、みんな、僕はポンタだよ!」
 僕は大声で叫んだけれど、みんな僕を指さして、たぬきだと言った。
 その時、草むらが大きく動き、何かが飛び出した。
「ハーイ! 母さん、僕ポンタだよ!」
 君ーーたぬきポンターーが人間になっていた。いや、僕の姿になっている! 僕は、腰が抜けそうになっていた。どういうこと、なんだ?
 僕に化けたたぬきポンタに母さんは走りより、抱きしめた。
「どこに行ってたの!」
「迷子になったんだ、ごめんね」
「勝手にいなくなったりして。警察にまで迷惑をかけているんだよ。もうあんたって子は……」
 君は、僕に化けて、僕の家族と手をつないだ。
「じゃあ、帰ろうか……」
 僕の家族が、楽しそうに話をしながら、森の奥に消えようとしていた。
 僕は大声で叫んだ。
「お母さんの子どもは、たぬきじゃない! 僕だ、人間のポンタだ!」
 僕の声を聞いて母さんが振り向いた。僕の声が届いたのかと思って、僕の胸は喜びで飛び跳ねた。
「たぬきの遠吠えはうるさいね」
 僕がいくら叫んでも、母さんや家族は二度と振り向かなかった。そして、森の奥に消える最後の瞬間、君はちらりと僕のほうを振り向き、チラリと舌を出した。いたずらっぽい笑みを浮かべて。
 僕はいたずらっぽい顔を残像として思い浮かべながら、いつまでも呆然と立ち尽くしていた。

 

 それから僕はマジムンたぬきとして、森の中をさまよった。何回も夜が来て、朝が来た。寒くなれば草むらに丸くなって眠って、お腹が空いたら果物や木の実をマジムンたちに分けてもらって食べた。

 

 さまよう中で、僕は動物たちや小悪魔たちに出会った。
 野原の真ん中で、ライオン、虎、ワシ、小悪魔たちが、にらみ合い、互いに自らが強いことを主張して譲らなかった。
「俺様ライオンは百獣の王だ」
「そうだ! 小悪魔ごときが生意気だぞ!」
「失せろ!」
 動物たちは目を血走らせ牙を剥いて小悪魔を挑発した。
「あーら、力ばっかりで頭の悪い動物に言われたくないわ」
「小悪魔はね、頭を使って戦うの」
「魔法だってマジムンパワーだって使えるのよ」
 小悪魔の言葉を聞いて、動物たちが憤慨した。ライオンのかけ声で戦いが始まった。
「今日こそは負けないからな!」
 動物たちが小悪魔に噛みつこうと飛びかかり、小悪魔たちはひらりと宙を飛んで逃げる。かと思うと、小悪魔たちは持っていたステッキで動物たちを滅多打ちにする。それを動物たちが掴み上げ空に放り投げると小悪魔たちは悲鳴を上げて飛んでいく。何だかその繰り返しだった。
 僕はその様子を木陰で見ていたけれど、小悪魔に見つかってしまい、野原の真ん中に引きずり出されてしまった。
 ライオンが言う。
「小僧、お前は人間らしいじゃないか。どうだ、人間は動物。俺たちの仲間に入らないか」
 小悪魔が馬鹿にするように言う。
「下品で汚くて飛び跳ねてばっかりの動物なんかより、エレガントに魔法を使う小悪魔の仲間のほうが、いいんじゃないこと?」
 ベンガルトラが両手で僕の身体を揺さぶった。大きな爪が僕の肩に食い込む。そのそばでカンムリワシが目をギョロつかせて僕を食い入るように見ている。
「おい、お前。動物と小悪魔のどっちに入る? どっちと戦う?」
 トラが僕の顔をのぞき込み、威嚇するように大きな口を開けて怒号、いや咆哮した。その口は濡れ濡れとして真っ赤だった。僕は恐ろしくなって血の気が引き、腰を抜かし座り込んだ。
「僕は、戦いなんて、嫌だよ」
 僕は恐くて泣きべそをかいていた。
 トラがぬっと僕に顔を近づけてきた。
「戦わない腰抜けは出て行け! マジムンの森は毎日が戦いなんだからな!」
 僕は座り込んだまま、じりじりと後ずさった。
 動物たち、小悪魔たちは僕をじっと睨みつけている。
 僕が元にいた木陰にたどり着いたとき、動物たちと小悪魔たちの再び戦いが始まろうとしていた。
 それぞれの戦いの雄叫びやドスンバタン、という衝撃音が何度も聞こえ、僕は恐ろしくなって野原から再び森の中に入りさまよい始めた。

 

 

 それからしばらく経ってからだと思う。とても月の大きな夜で、月明かりが太陽のように赤々と森の木々を照らしていることがあった。
 マジムン女王の宮殿のそばで、僕は様子を伺っていた。
 玉座にマジムン女王が座り、背後にマジムンの王が立っていた。
 雷鳴がして、月が少し陰った。
 しもべ二匹がやってきた。女王に深々とお辞儀をする。
「女王様、神様たちが例の件について、最後に一言言いたいそうです」
「どうぞ」
 しもべたちに促され、三人の神様たちがやってきた。音もなく、風のように女王の前に並び、鎮座した。
「もう、我慢の限界である。我々が風を作りたくても、人間どもは、大きなビルを建ておって、風が全く作れない」
 別の神が発言した。
「その通りだ。人間どもは、命より大事な火を、ゴミを燃やすのに使いよる。おまけに、大切な山の緑を簡単に根こそぎ切りよる。挙句の果てに、演習だと言って、爆弾を容赦無く山に投げ落とす。お陰で山は草木も生えない哀れな有様だ」
 もう一人の神様も杖を振り回し怒っていた。
「人間どもは、大地を潤す水を汚し、汚いものを川や海に流しよる。人間どもは、雨を降らせば迷惑と言い、降らさないと文句を言う。もう、許し難い」
 その時、神様の足元にどんぐりのように小さな沢山のマジムンたちが押し寄せるようにして現れた。甲高い声で声を上げる。
「僕たちを捨てるな!」
「まだ使えるんだ!」
「ゴミと呼ぶな!」
「人間たちを許すな!」
 よく見ると、彼らは、色が汚くくすんでいたが、やかんやしゃもじ、スプーンといった食器類や、洋服やパソコンのような人間が使う物の形をしていた。人間たちが使わなくなった不用品のようだった。
 神様の一人が皆を振り仰いで大声で言った。
「人間たちは許し難い。人間たちから仕打ちを、返してやりましょう。我々の力で、人間たちをやっつけようじゃありませんか」
 他の神様もうなずく。女王様もうなずいていた。
 神様たちは口々に言う。
「我々、神の力、マジムンの森の怒りを、今こそ見せつけようじゃないか!」
「人間たちに思い知らせてやろう」
「やっつけよう!」
 突然雨が降り出し、豪雨になった。雷鳴が響き、地面が揺れる。周りが閃光で明るくなった。
 僕は雨をよけて大きな木の陰に隠れながら、様子をうかがった。人間、という言葉が出るたび、胸がドキドキした。人間をやっつけると言っていたけれど、それが本当に行うつもりなのか僕には分からなかった。
 しばらくして、雨はいつの間にか上がり、神様や小さいマジムンたちはどこかに消えていなくなってしまっていた。
 空が陰り、周りが少し暗くなる。
 女王様がしもべに声を掛ける。
「たぬきポンタからの情報は入らないの?」
 しもべが首を傾げる。
「まだ、でございますね」
「人間に化けて人間世界に偵察に行きたいって行ったのは、あの嘘つきたぬきよ。人間たちをやっつけるために、彼らのひどい有様を見に行きたいっていうから、マジムンの森から出す手助けをしてやったというのに」
 女王は腹を立てていた。
「仕方が無いから、たぬきポンタの様子を今すぐ、見せて。フクロウを監視でつけたわよね」
 しもべが敬礼し、一歩下がって呪文を唱え始めた。目の前に何かの塊を放り投げ、火をつけると炎が舞い上がり、炎の中にたぬきポンタが映し出されていた。
 王が言った。
「何が始まるのかしら」
「たぬきポンタの近くにいるフクロウが、今見ている風景をご覧になれます」
 しもべが答えた。
 女王と王、しもべ二匹が炎の中のたぬきポンタの様子をじっと見つめていた。

 

 映っていたのは、たぬきポンタ、君だ。
 夕飯だろうか、食事の並んだ食卓を囲んで、僕の家族全員の中に紛れ込んだ君は、両手を合わせて「いただきます」を言っていた。
 君は、食べながら始終ずっと嬉しそうにニコニコ笑っていた。
 君は母さんをじっと見つめて、呼びかける。
「お母さん、お母さん」
 母さんは変な顔をした。
「さっきから、ポンタは私の名前ばかり呼ぶんだよ。変な子」
「お母さん」
「ポンタ! さっさと食べなさい!」
 母さんが強く言うと、君は少しはにかみ、ご飯をかき込んだ。
 穏やかな空気が流れているのが、僕にも分かった。
 ーーそこに本当は僕だったのに。僕は悔しくて激しく泣いた。僕とそっくりな君の笑顔が至極憎たらしくて、途中から見ることができなかった。僕は自分の全身を覆うたぬきの毛を見て、後悔でさらに泣いた。何度も何度も涙が溢れ、拭った涙はふさふさの茶色の毛の中に吸い込まれていった。

 

 パチン、とテレビを消すような音がして、僕が顔を上げると炎が消えていた。
 女王の顔が険しい。
「どういうこと?たぬきポンタは、自分の家族や友達を人間たちに殺された《復讐》のために、人間界に行ったんじゃないの? 自分と入れ替わった人間たちを八つ裂きにした後、人間たちの情報を盗んで、戻ってくるはずじゃなかったの?」
 しもべたちに怒鳴り散らす。王の座っていた椅子をけ飛ばし、王が椅子と一緒に遠くまで転がっていった。
 しもべたちがなだめる。
「女王様、ですから、たぬきポンタを待つことなく、神様たちと一緒に、人間たちに仕返しに行きましょう」
 女王は大きくうなずく。
「そうだったわね。人間たちに仕返ししなければいけない。ーーマジムンたちは集結せよ、出陣の用意を!」
 女王は大きくマントを翻し、森の奥に消え、しもべたちはその後を追う。転がった王も慌てて這うように森の奥に消えていった。

 

 また何度も太陽が上って、何度も森が闇に包まれた。
 僕はすっかりマジムンの森の一員になっていた。
 ぎこちなかった身体の動きも素早くなり、木のてっぺんに登ることも出来た。草木の蔓につかまり、木から木へと飛び移ることも出来た。長くそして速く走ることも出来た。
 ある夜、木の上で昼寝をしていると、以前見かけた白鳥妖精ティファニーが、空を飛び、やがて地面に降り立ったのが目に入った。その優雅で美しい姿にみとれ、僕は木から降りて、ティファニーの後をつけた。
ティファニーはしばらく急ぎ足だったが、足を止め、蛍光灯のように光を放つ地面の小さなスズランの花の前で軽やかに舞い始めた。その姿が素晴らしく、僕は木の陰でティファニーの様子をじっと見ていた。しばらくすると、椰子の木の妖精三匹が姿を現し、ティファニーの舞いに合わせて踊り始めた。人間は椰子の木にされる、という君の言葉を思い出し、僕は身体を硬直させた。そこへ、赤茶けた髪の小さな子どもが二人、踊りながらやってきた。本で見たことがあるーーキジムナーだ! 
 様子をじっと見ていると、足下にあったスズランの花の白い花弁が赤くなり、鮮明に明るくなったかと思うと、やがて灰色になり、くすんで消えてしまった。
「あっ!」
 僕は思わず声を上げてしまった。
 隠れていた僕に気づき、僕と目があったキジムナー二人が僕の腕を引っ張り、皆の元へ引きずり出した。
「離して! 僕をお家に返して!」
 ティファニーが美しい顔を曇らせた。
「ダメなの。あなたが家に帰ってしまうと、マジムンたちのことが人間たちにバレてしまうの」
 椰子の妖精たちも賛同する。
「私たちはこれまで人間たちに気づかれないように生きてきたのよ」
「家に帰れないように、人間ポンタ、あなたを椰子の木にして差し上げますわ」
 椰子の木たちが笑い、僕を囲んで妖艶なダンスを始めた。
 僕は段々、目の前が回るような気がして、キジムナーたちに捉えられていた腕をずり落とし、気づかぬまま地面に倒れ込んでいた。僕は椰子の木になるんだ、凄いやーーと朦朧としながら感心し、やがてまぶたがくっつきそうになったとき、
「キャー!」
 ティファニーの悲鳴が聞こえ、僕は薄ぼんやりした目で、誰かに抱えられ、何かに乗せられたのが分かった。
「人間ポンタ、逃げるぞ!」
 僕は薄れゆく意識の中で、その声が、いつだったか出会ったライオンであることに、その金色のたてがみから分かった。

 

 ここは君から後から聞いた話。
 君は僕に化けて、人間界でしばらく楽しく暮らしていたようだが、そのうち、人間界の《ルール》とやらに飽きてきたようだった。
 君は僕の家族に散々ひどいことを言っていたんだ。
「夏休みの宿題なんかするか!」
「ずっと遊んでやる!」
「いちいち命令するな!」
「俺は謝らないよ! 絶対に謝るもんか!」
「好きなものばかり食べていいいだろ!」
「うるさいよ!」
「勝手にしろ!」
「バーカ!」
「人間大嫌い!」

 

「ーー人間になるんじゃなかった!」

 

 椰子の木にされようとしていた僕をライオンが救ってくれた話の続きをしよう。
 ライオンの背に乗せられた僕は、しばらくして、立ち止まったライオンの背中から振り落とされた。甘い匂いのする花が一面に敷き詰められた野原だった。花の花粉を吸い込み、僕は再びめまいがし、地面に転がったまましばらく動けなかった。
「さあ、立て!」
 僕は目の前が星が点滅したように回っていた。動かない僕にしびれを切らしたのか、ライオンは僕の身体を後ろ足で蹴り飛ばした。僕はくるくると回転しながら吹っ飛んだ。
「お前が立たないと、人間たちが大変なことになるぞ!」
 僕にはライオンの声が遠くに聞こえた。
「お前にはーー家族がいるだろう!」
 もうろうとした頭にガツンと声が響いた。
 ーー家族。
 僕はかっと目を開いた。僕にはーー家族がいる。
「ーー母さん、姉さん、兄さん、リン……」
 僕はふらつく身体を何とか支えながら、立ち上がった。両足が震えている。
「ーー僕には家族がいる! 家族がいる!」
 僕の目の前には、金色のたてがみを揺らしながら、ライオンが凛として立っていた。
「お前の身体はたぬきだが、心は人間だ。お前なら、家族を助けられる」
 ライオンがうなずいた。
 その時、ドラキュラの真っ赤な口や、椰子の木のダンス、女王の鬼のような形相や、無数にいたマジムンの群衆、神様などをとりとめなく思いだし、僕は首を振り、身震いした。
「ダメだ、恐いよ……。僕には出来ないよ……」
 僕はしゃがみ込み、頭を抱えた。
 ライオンは、僕に向かい、地鳴りがするほどの大きな声で吠えた。口から炎が飛び出し、その熱で僕は全身が焼かれるかと思うほど熱くなった。
「熱い……母さん、みんな……」
 ライオンが再び吠えた。ライオンの炎が僕を焼き尽くす。メラメラと炎が僕の全身を包み、僕は炎を感じ、芯から燃えたぎりながら、震える手で地面を押し、もう一度立ち上がった。
「ーー僕は人間だ……」
 ライオンが叫ぶ。
「そうだ、お前は人間、我々ライオンたちと同じ、動物だ。動物はマジムンたちの仕返しには反対なんだ」
「仕返し……母さん、みんなが危ない!」
 僕はハッと我に返った。こうしている場合じゃない。人間たちに仕返しの魔の手が伸びている。絶対に
止めなければ!
「僕は人間ポンタだ! 人間たちを守るのは僕だ!」
 ライオンが大きくうなずく。
「人間よ、行け。マジムンたちに言ってこい、自分は人間だと」
 僕はおおきくうなずいた。そして、僕の全身を包んでいた炎を見直したがーー何も無かった。
「あれ、さっきまで僕は炎に包まれていたんじゃ……」
 ライオンが照れたように、
「すまん。あれはマジムンパワーの真似事だ。動物はマジムンパワーを持っていない。お前が転がっていた場所に生えていたのは、幻を見せる花だ。花の花粉を吸い込んだら、一時だけ幻覚が見えるようになる」
 僕は思いだした。
「甘い花の匂い……花粉……あれは幻だったんだ」
「そうだ。しかし、マジムンたちの仕返しは、幻ではない。ーーさあ、行け。人間。マジムン女王に会ってこい!」
 僕は大きくうなずき、叫ぶ。
「うん、分かった。僕は、必ず、家族を、人間たちを救ってみせる!」
 僕は、ライオンに目配せをし、そして背を向けて、一目散に森の奥に駆け込んだ。

 

 森の中は、相変わらず迷路のようだった。
 上から下までどこまでも続く緑。土の匂い。行く手を阻むような同じような景色。
 しかし初めて森に飛び込んだときの僕の心細げな足取りとは違い、僕のマジムンたぬきとしての勘は冴え、足取りは軽かった。
 僕にはマジムンの女王たちの集まっている場所が何となく分かった。森の一角に憎しみに満ちた殺気だった群衆のパワーのようなものを感じたのだ。
 ーーどうやら勘は当たっていた。
 マジムンたちがひしめくようにたくさん集まっていた。どんぐりのような小さいものから、僕の背丈を遙に越えるものまで、大勢いた。それはまるで、時々ニュースで見かける決起集会の人の集まりのようだった。
 群衆の中でひときわ高い場所に、マジムンの女王は臨席していた。玉座がどこからも見えるように、宙を浮き、皆を見下ろしていた。
 女王は拳を振り上げ、怒号のような声で叫んだ。
「我々マジムン界は、人間たちに仕返しする! 満月の今夜、ついに決行する!」
 マジムンたちにどよめきのような歓声が上がった。
「準備はいい?」
 僕は決心した。マジムンの女王に、僕が人間であることを示すときだ。
 僕は走って群衆の前に回り込み、両手で塞ぐようにして立ち、大声を上げた。
「お願いです! 今夜の仕返しを延期してください!」
 群衆のマジムンたちが冷や水を浴びせたかのように静かになった。
 その時玉座が動き、音もなくマジムンの女王が僕の近くまで来た。背後に向かって合図をする。
「捕らえなさい」
 女王の背後に控えていたしもべたちが僕を睨みつけながら歩み寄る。大きな縄を振り回して。
「人間たちへの仕返しを延期してください、って、熱でもあるんじゃないか、たぬき」
「たぬきじゃない、僕は人間だ!」
「どこからどう見ても、お前、マジムンたぬきだ」
「だから、違うんだってば!」
「まーたまた、嘘つきたぬきの大嘘が始まった!」
 マジムンの群衆がどっと笑う。
 じりじりと近づくしもべたちの縄が僕の目の前まで来た。ここで捕まるわけいにはいかない。僕は舌を出し、軽く息を吐いた。しもべたちの視線が一瞬外れた瞬間を狙い、しもべたちの後ろに回り、突き飛ばした。
 しもべたちがひっくり返り、声にならない悲鳴が聞こえた。
 群衆の間を走り抜く。捕まえようと飛びかかるマジムンたちをすり抜けて僕は駆けた。
 僕は捕まるわけには行かなかった。
 僕の家族、人間たちを守るために。

 

 波のように押し寄せる群衆たちをかいくぐり、すこし離れた場所にたどり着いたとき、頭の中で、懐かしい声が響いた。
「ポンタ!」
「お兄ちゃん!」
 僕はハッとして左右を見回した。聞き覚えのある声、そしてーーとても会いたかった声だった。
 僕は期待と不安で顔をくしゃくしゃに歪めながら、震える声を張り上げる。
「兄さん、姉さん、リン! 僕はここにいるよ!」
 段々と声が近くなる。足音も聞こえてきた。
 僕は耳を研ぎ澄ましながら、声と音のする方向へ、にじり寄って行った。
茂みをかき分けて行くと、いた! 確かに、兄・姉・妹だった。
 彼らは、棒のような物を振り回し周りを警戒しながら、兄・姉・妹の順で一列に歩いていた。
 彼ら一行の前に飛び出そうと思った僕は、一瞬ためらった。
 兄たちは、きっと、僕をたぬきだとしか思わないはずだ。こんな僕が、家族に会っていいものか。ーーでも、僕の身体はたぬきだが、心は人間だ。マジムンたちの仕返しは目の前に迫っている以上、迷ってはいられない。たぬきのままでもいい。とにかく、危険が迫っていることを伝えないといけない!
 僕は意を決して、兄たちの前に飛び出した。
「兄さん、姉さん、リン! 僕はここにいるよ!」
 兄たちは、突然茂みから飛び出してきた僕ーーたぬきに驚いた様子だったが、驚いたような顔をして、顔を見合わせた。
「たぬきがしゃべった? いや、ポンタの声だった、よね?」
「うん、お兄ちゃんの声だった」
 僕はじっと兄たちを見つめていた。
 兄たちは、びっくりしたように目を大きく見開き、叫んだ。
「ポンタ!」
「たぬきにしか見えないけど、ポンタだ!」
 兄たちが泣きそうな顔で僕を取り囲む。僕は焦る気持ちを抑えながら、ゆっくりと説明した。
「僕の姿なんか、どうでもいいんだ。よく聞いて。マジムンたちが、今夜、人間たちに仕返しをするって言っているんだ。どうにかしてマジムンたちを止めたいんだ。力を貸して欲しい!」
 兄が思いついたように、
「そういや、今朝、お母さんとポンタが言い合いをして、そしたら突然、『人間なんてバカヤロウ! 今夜はマジムンたちの仕返しだ、ザマアミロ!』って叫んで、家から飛び出したんだ」
 姉がうなずいて、
「そう、で、お母さんが『ポンタ変だから様子を見てきて』って言ったから、私たち、ポンタの後を追ってこの森に入ってきたの。ポンタは道の途中でいなくなってしまって、どうしようかと思っていたんだけど、そしたら、たぬきーーじゃない、たぬきに見えるけど、本当は、私たちのポンタが、今目の前にいるの。何だか夢みたい!」
 姉がそこまで言ったとき、ドドンと地面が揺れて、周りが少し暗くなったかと思うと一瞬まばゆい光に包まれて、僕の目の前に、元のたぬきの姿に戻った君、たぬきポンタが現れた。
 少し周りが明るくなると、君は僕の身体をしげしげと眺めた。
「ヨッ、ポンタ! 久しぶり! すっかりたぬきらしくなったなぁ」
 僕は君を睨みつけた。
「僕の身体を返して! 人間の身体を!」
「それは出来ないこった。やーだね」
 君がそっぽを向いたとき、僕は君につかみかかった。
「僕は、僕は、人間なんだ! 人間だ!」
 君は僕を掴み上げ、勢いよく放り投げた。僕の身体は木の幹にぶつかり、木が折れ、僕は全身が砕けるかと思うほどの痛みに涙が出た。
 地面に転がった僕を兄が抱き抱え、君を睨みつけ叫ぶ。
「僕の弟に何をする!」
 兄の声は涙声だった。僕も泣きたいのこらえ、兄の胸元からすり抜け、しっかりと立った。僕は君をしっかりと正面から見据えて、
「僕の家族は関係ない。家に帰してやってくれ。君は人間の僕だけが必要なんだろ?」
 君はニヤリと笑って、
「家に返してやりたいところだが、マジムンの世界を見てしまった人間を帰すわけにはいかない」
 そう言うと君は後ろを振り向いて、軽く吠えた。すると茂みの中からキジムナーが二匹が現れた。君とキジムナー二匹は、僕と兄姉妹と対峙した。
 静けさが一瞬その場に宿った瞬間、君は手を振り上げた。
「人間どもを、やっちまおうぜ!」
 君たちは、弾丸のような素早さで僕たちに容赦なく襲いかかってきた。
 僕は、家族を突き飛ばして地面に伏せさせ、僕はその上に手を広げ精一杯覆い被さった。僕の心に君に対する怒りよりも、『家族を守る』という熱い思いがふつふつと込み上げてきた。
「僕の、家族だ! 絶対に守る!」
 僕がそう叫んだ瞬間、僕の身体は熱波とともに稲妻が走ったように閃光を放った。全身に稲妻が貫いたようだった。僕の身体の下で家族は震えながら耐えていた。
 
 にわかに空が暗くなり、雷鳴が轟いた。
「ポンタ、もうよしな!」
 女王の声だった。
 僕はハッと身体を起こした。僕の身体の下で、家族がもぞもぞと動き出した。
 見ると、マジムンの群衆を引き連れた女王と王、しもべたちが、目の前に立ち並んでいた。
 僕は一瞬怯み、後ずさりした。
「今夜の人間界への仕返しは延期することにしたわ」
 女王はニヤリと笑った。
 僕はホッとして、涙が出た。全身の力が抜け、座り込んだ。
 女王はしかめっ面をして、
「私たちは、憎しみと怒りで、一気呵成に街に降りていったのよ。そうしたら、ちょうど人間界は旧盆期間。行く先々で、手と手を繋いだ人間の祖先の霊たちのバリケードに行く手を阻まれてしまったわけ」
 王はうなずきながら、
「本当に嫌になっちゃうね!」
 相づちを求める王から目を逸らし、ざわついていたマジムンたちは一瞬水を打ったように静かになった。
 女王は顔を緩めた。
「安心しなさい。マジムンたちは、祖先の霊に守られているあなたたち人間たちを、仕返しするなんて到底出来ない。でもねーー今後、森や自然を大事にしないと、人間の祖先の霊も怒るわよ。きっとね」
 王がうなずき、
「祖先の霊と一緒に、人間たちに仕返ししてやるから!」
 しもべが話を遮って、手を打つ。
「さあ、つまならない話はこのくらいにして、ここからは、女王様のパーティの続きをしませんか?」
 しもべがそう言った瞬間、森が一瞬にして宮殿に早変わりした。
 群衆たちもパーティの装いに着飾っている。
 絢爛豪華なマジムンたちの宴が始まったようだ。
 目の前の光景に、僕と家族は唖然として見ていた。
 兄が、僕の身体を見て驚いた。
「ポンタ、身体が元に戻ってる!」
 僕は慌てて身体を見下ろした。思わず指で腕をつまむ。たぬきの皮じゃない、人間の肌だ。肩越しに背中を見ても尻尾は無かった。
 僕は大きな安堵のため息をついた。良かった。僕は人間になっている。
 宮殿を出たところで、姉が僕に手を差し出した。
「ポンタ、お家に帰ろう」
「うん」
 僕は、家族と両手をつないだ。手から伝わる温もり。僕は心から嬉しかった。
「ポンタ!」
 僕を呼ぶ声がして、振り向くと、君が立っていた。少し目が怒っているようだった。
「これ、やるよ」
 君の小さな手のひらには、どんぐりが5つ、載っていた。僕のズボンのポケットに強引に押し込む。
「家族、大事にしろよ」
 ぷいと後ろを向き、君は宮殿に戻り、やがて消えていった。

 

 宮殿から出て少し歩くと、森が暗くなった。僕は胸騒ぎがして、両手の家族の手を強く握ったーーと思った瞬間、その手には何も握られていないことに気がついた。僕はハッとして左右を見たーーその瞬間、僕の意識は遠くなった。

 

 僕が目覚めたとき、真っ先に見えたのは、森の遠くの空だった。重なり合う葉っぱが、風に揺れる。息を吸い込むと、草と土の匂いがした。僕は草むらに倒れ込んだようだ。
 どのくらいの時が経ったのだろう。僕の家族はどこに行ったのだろう。僕の家族はーー。
 その時、僕の耳に、母の声がした。
「あの子どこに行ったのかしらね。ポンタ、怒らないから出てきなさい!」
 僕ははっとした。母さんの声だ。
 僕は飛び起き、「母さん!」と叫んだ。
 見回すとそこは見慣れた森だった。
「ほら、ポンタくんの声がした。かくれんぼはいいから、出てきなさい!」
 サチコさんの声もした。
 僕は森の小道を歩き、声のするほうに歩いていく。
 茂みをかき分けていくと、目の前がパッと明るくなった。眩しいくらいだ。目を細めて近づくと、そこに僕の家族が、いた。 
 母さんとサチコさんが汗だくになりながら、キャンプのテントを張っていた。兄さんと姉さんはどこから拾ってきたのか、薪を並べていた。リンは、危なっかしい手つきで持ってきたお椀を並べていた。
 母さんが僕に気づき、不思議そうに、
「ポンタ、遅かったね。どこに行ってたの? もうテントは張っちゃったよ。手伝ってくれたら良かったのに」
 見慣れた風景。今までのことは、全て夢だったんだ。本当に、良かった……。
 僕は嬉しい気持ちを隠して首を横に振り、
「どこにも行ってないよ」
 とだけ言った。何気なく、ポケットを触ると、固い物が入っている。取り出すと、ドングリが5個入っていたーー。

 

 

 以上が、八年前の夏の出来事だ。書きながら、僕は当時のことを薄れゆく記憶を掘り起こし、だいぶ克明に思い出すことができた。

 

 思い起こせば、君は随分僕に乱暴なことをしていたんだね。君はずっと、人間たちに家族を奪われた復讐がしたかったんだね。僕と入れ替わって人間界に行った君は、僕の家族と一緒に過ごして、とても幸せそうだった。そんな君を見ていたら、僕はなぜか、君を憎んだり、恨んだりすることは出来なかった。人間に復讐したいという君に同情するところもあったし、何より君と同じ名前という親近感から不思議な友情というか、縁を君に感じていたんだ。

 

 そうそう、君からもらった思い出のドングリ。
 あの後、ドングリを家族で庭に植えたんだ。5つのうち、2つだけ芽が出て、今じゃ随分大きくなっているよ。そのうち僕の背丈を追い越しそうなくらい。

 

 ーー僕は今でも、君との出会いが、夢か現実か、分からないでいる。
 ドングリは何だったのか? 君にもらったのか、もしくは、無意識に森の小道で拾ったものかもしれない。
 マジムンたちの仕返しとは何だったのか? 僕は未だにマジムンたちの仕返しは行われていないと信じている。現実には天変地異の大変な災害が、時々起こるけれど、その度に僕たち人間は助け合って苦しみの中生き抜いてきた。その時に祖先の霊は見守ってくれていると思うし、そうだとしたら、マジムンたちは、祖先に守られている僕たちに手出しは出来ないと思うんだ。

 

 最後に。

 

 来年の今頃は、僕は君のこと、マジムンたちとのことを忘れているかもしれない。
 僕は、君との間に感じた不思議な友情のようなものを大切にしたい。
 ドングリの二本の木の根本には、どちらも『ポンタ』って名前の札を下げているんだ。それは、あの時、マジムン界に、君と僕、ふたりの『ポンタ』がいたってことを、僕が忘れないために。

 

 親愛なる君へ。
 ポンタ。
 君が僕のことをいつか忘れても、僕は君を忘れない。きっと。ーーきっとね。

 

 

 

 

◆執筆後記
 子ども劇「ポンタとマジムンの森」を書いた後に、小説版で書きたくなり、リライトした。相変わらず文章が冴えない。反省が尽きない。

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