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並んではいけない行列

 


 

◆ストーリー概要◆

 「その行列に並ぶな!」

 とある地方都市に出張で訪れた佐久田は、街のあちこちで真っ赤な血で塗られたように書かれた不可思議な文言を目にして、疑問に感じた。

 「並んではいけない行列」とは一体何なのだろうか。

 不可思議な文言を頼りに道を探し歩くうちに、佐久田はやがて人通りの無い寂れた街並みの中の一軒の家へとたどり着く。  行列の秘密を探りたい一心の佐久田の目の前にやがて衝撃的な事実が明らかになる――。

 都市伝説のような不可思議な体験をどうぞ。


「その行列に並ぶな!」

 その文字は塗りたくられた真っ赤な血のような色で、毒々しく、乱暴に書かれていた。
 この街に訪れてから佐久田は、この文字を、電柱や壁などの至るところで目にしていた。

 佐久田は最初気にせず素通りしていたが、何回か目にするうちに気になり始め、近寄って文字の表面を指で触り少しこすってみたところ、指にべっとりと粘着する赤い色がついたのに驚いた。
 それで慌てて近くにあった喫茶店で手を洗う羽目になった。

 手を洗うために入った喫茶店で、お手洗いを借りたいと申し出ると、オーナーは快く応じてくれた。お手洗いで手を洗うと、石けんをつけるまでも無く水で流すだけで手の平の赤い色はすぐに落ちた。落書き用のペンであればもう少し色が残りそうであるのに、不思議だと佐久田は思った。

 カウンターの内側でコーヒーを淹れるオーナーに、文字のことを尋ねてみることにした。オーナーは表情を曇らせて答えた。

「街のあちこちであの文字を見るようになって、結構経つんですが、書かれているのが一向に減らないし、また増えないんですよ。流行りだったらもっと爆発的に増えてもいいとは思いますが、そんなに多すぎるという訳でも無いですし。
 そう、あなたみたいに文字に直接触れてみると分かるんですが、拭いたら色が取れてしまうんです。雨の日になると全部流れて消えてしまう落書きだと、どうも悪質だと目くじら立てることは面倒でして。拭けば消せると分かっている以上、誰も本気で消したりしないので、一向に無くならないんです。
 雨の日が来たら消える。そして晴れると文字が増える、この繰り返しです」

 佐久田はふと気になって尋ねた。
「あの文字に書かれている《行列》っていうのは、どこの何の行列のことなんですか?」
 コーヒーを注いだカップを佐久田に差し出した後、コップを布で磨きながら、オーナーは考え込むように首をひねった。
「それが、よく分からないんですよ。この街自体、そんなに景気の良いところではありませんから、そもそも、行列自体をあまり見かけないんです。まあ、他の街の、行列の出来ない店の店主が、行列のできる店への腹いせに恨み節を書いているんだ、というのがもっぱらの噂ですけど」
 そう言ってオーナーは、佐久田以外の客の誰もいない店内を見回して、
「だからって、あれは私が書いた訳ではありませんよ」
 そう言ってオーナーは豪快に笑った。
佐久田もつられて一緒になって笑った。

 佐久田はこの地方都市に5日間の滞在予定だった。
 難航気味で数日かけて行う予定だった取引先との契約を、たったの2日で終えてしまったために、佐久田は訪れたこの街で、顧客になりそうな関連会社を探そうとあちこちを散策していた。

「その行列に並ぶな!」

 この文言を見るのは何度目だろうか。やたら多くは無いとオーナーは言っていたが、さすがに気になり始めると、やたらに目に入る。
 ブロック塀や電柱、街路樹の幹、お洒落なレストランの勝手口や、パチンコ屋の門柱、自転車のサドルなど、大きい面から小さい面までに至るまで、描くキャンバスの凹凸にも関わらず、器用に文字を連ねている。
 ペンキのような鮮やかな真っ赤な色使いのものもあれば、どす黒くなりかけた赤い色もあり、時に血塗られたように文字の色が滴り落ちるものもあった。同じような筆跡のようでもあるが、微妙に異なっているような感じもする。

 そもそも、どこの、何の行列なのだろうか。

 佐久田は行列にほとんど縁の無い男だった。
 元々、行列に並ぶこと自体は苦ではなかった。独身時代は、休日のパチンコ屋やゲーム機の発売日などに、寒風吹きすさぶ冬の朝、カイロを手に震えながら何時間も店頭で待ったこともあった。家族ができてからは、新作映画の公開日など、妻と一緒に長い時間並んだものである。

 それがパタリと止んでしまったのには理由がある。

 いつだったか、美味しい寿司屋があると聞き、昼食を食べようと、佐久田は妻と子と三人で長い行列に並んだ際に、並んで2時間ほど経った後、自分の前に立っていた妻と子の二人だけが店の中に通されて、一方、自分の目の前には「本日は終了しました」という無機質に書かれた立て看板を仏頂面の店員が謝罪も何も言わず置いて去っていったのを目にした時、佐久田は自分自身を否定されてしまったような耐えがたい屈辱感を味わった。
 それ以来、佐久田の行列に対する熱意は霧のように消え失せ、行列に並んでまで何かを得よう、という気にはならないでいた。

 丸一日かけて街を散策し、佐久田は街並みがある程度つかめてきた。街に到着したその日に購入した真新しい地図は、幾つも書かれた丸印で少し汚れ、何度も折り畳まれて折り目が擦り切れ始めていた。

 初夏の日差しは厳しかったものの、昼頃からの小雨混じりの曇天模様が幸いし、暑さはさほど気にはならなかった。歩き疲れて少しくたびれた頃、近くにあったファーストフード店に入り、休息をとることにした。

 アイスコーヒーを注文し、トレイに載せて、窓際の席に座る。冷えたコーヒーを一気に飲み干し、目の覚めるような思いがした。店員を呼び止め再度コーヒーを注文し、窓の外を眺めた。

 幾つも堆積した地平線付近の雲の色は濃い灰色だった。雲の向こう側の日は傾き始めている、と佐久田は思った。腕時計を見ると5時30分を回っていた。

 店の前は一車線の道路ではあるが、時間帯がそうさせるのか、行きかう車はさほど無く、猛スピードで飛ばして走り抜ける車を数台見かけるだけだった。閑散した印象を与えるのは道路だけでなく店内も同じで、広い店内には佐久田以外には新聞を読みふけるお年寄りが一人だけで、カウンターレジに立つ学生らしい店員数人は、おしゃべりに余念が無かった。景気のいい街ではないことは確かなようだ。

 ぼんやりと通りを眺めていた時、ふと、店の前にそびえる陸橋の階段裏に、例の行列について書かれた文字の、違った文言が佐久田の目に入った。

「行列はこちら→」

 何度か目をこすって見直したが、やはりそう書かれている。佐久田は面食らった。「並ぶな」と否定的に書かれている文言に溢れている中、これは「こちら」と肯定的に書かれている。おまけに文言の末尾に行列のある場所を示しているのか、ご丁寧に矢印まで書かれていた。

 コーヒーを飲み干して、ファーストフード店を後にする。どうもこの文字が気になった。陸橋の階段裏という、あまり人目につきにくい場所に書かれているのも不思議だ。
 佐久田はこの文字に強く惹かれている自分自身を感じた。何か未知のものに出会えるかもしれないという心を浮き立たせる興奮と好奇心は、行列に並ぶという消えかけの情熱を、その胸の奥底から引きずり出した。それらは三つ巴となって佐久田の胸の内を徐々に満たし始めた。

 そもそも、一体この文字は何なのか。この文字に見慣れていない自分は、「並ぶな」と幾つも漫然と並んだ文言を見た中で、この「こちら」と矢印を示す文言に一種奇異な感じを受けたが、街の人は気付いていないのであろうか。
 誰かに尋ねてみたかったが、周囲を見回したものの、さきほど入ったファーストフード店以外には店らしい店も無く、軒並みシャッターを下ろされた閑古鳥の無く、いわゆるシャッター街だった。歩道を歩く人の気配さえ全く無い。

 にわかに空が薄暗くなった。腕時計を見ると、6時を少し回っていた。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 矢印の方向に従って歩いてみることにした。
 陸橋のそばにあった細い路地を抜けると、建物の裏手に突き当たった。例の矢印は無いのか、と周囲を見回すと、道端に路上駐車された車の後輪タイヤに赤い文字がついており、わずかながら「行列は」の文字が見て取れた。間違いない。この近くのようだ。

 佐久田はワクワクするような興奮を全身で感じ始めていた。
 突き当たりから左右に道が分かれていたが、赤い文字の毒々しい色合いに何か後ろ暗さを感じ取った佐久田は、新興住宅地のような垢抜けた住宅街の立ち並ぶ右側の道ではなく、木々の生い茂った古い山村を思わせる左側の細い道を進むことにした。

 道はアスファルトで舗装されてはいたが、手入れがされていないのか、路面のあちこちが陥没し、そこから雑草が生い茂っていた。カサカサと音を立てる落ち葉の敷き詰められた道をひたすら歩いた。

 カランと音がして、見ると蹴飛ばされた空き缶が、路肩の古い自動販売機の下に転がっていた。近づいて見ると、自動販売機のショーケースを満たす白い光に照らされたその缶には、はっきりと「行列はこちら→」と書かれていた。やはりこの道で合っていたようだ。

 どれくらい歩いたのだろうか。日はすっかり暮れ、闇夜が街を包んでいた。
 木々を挟むように立ち並ぶ民家のほとんどは、灯りを持たずひっそりと息を潜めているようだった。ひょっとしたら、これらの家々は全て空き家ではないかと、佐久田は思った。

 心もとなく所々に設置された街灯の明かりを頼りに歩かざるを得なくなっていた。やがてカチカチと点いたり消えたりを繰り返す貧相な街灯ばかりになってきた。こんな所に一体行列があるのか、佐久田は不安になってきた。

 真っ直ぐ歩くことさえ覚束無いこの暗さでは、もはやあの赤い矢印の文字を見つけることは出来ないだろう。地図を持っているとは言え、今や自分がどこをどう歩いているのか検討がつかなかった。
 これ以上分からない道を歩くのは止そう、もう少し歩いたら帰ろう、と思っているうちに、薄暗い灯りの下、何個かまた矢印のついた赤い文字を見つけてしまい、せっかくここまで来たのだから、行列が何であるか突き止めたら帰ろう、と思い直した。

 長い間、行列に縁の無かった自分が、もしかしたら滅多にお目にかかれない行列に加わることができるかもしれない。見知らぬ土地の心細い道に居るという帰りたい気弱な気持ちを、行列に対する好奇心が力ずくでねじ伏せてしまった。

 何気なく通り過ぎようとした古い民家の軒先に、光る小さな外灯が目に入った。この暗闇のような通り道で、道をほのかに照らす外灯はあっても、家の中の灯りや軒先の外灯は一度も目にしなかったのを、佐久田は確信していた。

 この家には何かがある、佐久田の直感として感じていた。心の奥底では「今なら帰れる」と佐久田を引きとめようとする気持ちがあったものの、せっかくここまで来たのだから、とその気持ちを振り切った。

 門構えは苔むしたブロックを重ねたもので古臭い感じがしたが、ドアではなく埃っぽいシャッターが下ろされていた玄関の天井には、新しい蛍光灯が白々と輝いていた。砂利が敷き詰められた家の周囲をぐるりと回ってみると、この家が思ったよりも大きな建物であることに気付いた。

 外灯のついた家の裏手に、地下へと入る階段があり、階段を照らす赤いライトが気味悪く点いたり消えたりを繰り返していた。その階段入口の壁には、例の赤い矢印の書かれた紙が張られていて、目的地がここであることを、佐久田に告げていた。

 どうしたものか、佐久田は十数分間、階段入口でためらい佇んでいた。

 行列に加わりたいという当初の強い思いは、この薄気味悪い建物を前にしてはすっかり消え失せていた。その代わり、行列に加わらずとも、その正体さえ突き止めることができればいい、それさえ分かれば帰ろう、という妥協した気持ちが佐久田を後押しし、佐久田は建物の中に入ることを決意し、地下へと続く階段に足を一歩踏み入れた。

 赤いライトに照らされて黒ずみが浮いて見える汚れた壁を伝い、転ばないように慎重に足元を見ながら階段を下りた。階段のタイルが所々剥がれ埃とともに隅に集められて転がっていた。螺旋状になった階段を十数段下ると、やがて重々しい木製のドアに突き当たった。ドアの真ん中には一枚の見覚えのある文言を記した紙が張られていた。

「行列はこちら」

 相変わらず同じように書かれていたが、この紙には矢印はついてなかった。

 ドアの前でノックしようとこぶしを振り上げた佐久田はためらった。

 行列の正体さえ分かればいいのだから、中の様子だけ覗いて帰ればいい。それなら、こっそり隙間から覗き見るくらいでいいだろう、そう結論付けて、思い切ってドアノブに手を掛けた。

 目を凝らして見てみたが、ドアの壁との細いわずかな隙間からは、薄暗い中の様子が全く分からない。中を覗き見ながら、じりじりと少しずつドアを押し開いていくと、ドアの上部についた鐘がチリンと小さく鳴り、カツカツと軽やかな靴音がして、ドアが部屋の内側に大きく開かれた。

「いらっしゃいませ」

 白い襟の光るベルボーイのような清潔そうな制服を着た若い男性が、にこやかに微笑み立っていた。ドアの入口で屈み込んで様子を伺っていた佐久田は慌てて腰を上げ、どきまぎしながら、「ああ……」とだけ言って、若い男性に向かい頭を下げた。

 案内する男性の後に佐久田はついて行った。

 部屋は細長い廊下のようだった。低い天井からは点々と細長い廊下に沿うように一直線に丸い裸電球がぶら下がっていた。白いクロスで貼られた壁は薄汚れていて建物の古さを物語っていた。

 廊下の先に突き当たると、ドアがあった。男性は佐久田をドアの前に立たせると、ドアを開いて中を示した。そこはこの建物の地下階段とは似つかわしくない、真紅のじゅうたんの敷かれた広い洋間だった。天井からは星屑のようにきらめく古めかしいシャンデリアが妖艶な輝きを放ち、部屋に明かりを落としていた。

 部屋の上品な趣きに気圧されて呆然と立ち尽くす佐久田に、男性は、
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」と微笑を絶やさずに聞いた。
「佐久田です」と呆然としたまま答えると、
「では佐久田様、お代金は前払いで2千円でございますが、どうなさいますか?」
 と聞かれ、佐久田は我に返り、
「払います」と答えながら財布の中から2千円を取り出して、男性に渡した。
「ではご案内申し上げます」

 佐久田は男性の後についていった。部屋の中央にはバイキング形式で様々な料理が並べられていた。部屋の隅には椅子やテーブルが雑然と並んでおり、十数人の人たちが食事や談笑に興じていた。

「こちらで自由にお食事なさって下さい。お酒などは、奥にバーカウンターがございますので、申しつけ下さい。お時間が来ましたら、お名前をお呼びいたしますので、それまでは、こちらでお寛ぎください」
 男性は佐久田の元を離れ、バーカウンターのある奥にその姿を消した。

 佐久田は、ほっと息をついた。思わず腕時計を見ると、8時を回っているのに気付き、ようやく自分のお腹が空腹であることに思い当たった。何か食べよう。皿にいくつか料理をのせて空いたテーブルで食べていると、手に皿をのせた中年男性が佐久田のいるテーブルに来て話しかけてきた。

「こちらの相席、よろしいですか?」

 満面の笑みを浮かべた男性に、
「ええ」と応じると、男性は弾むような足取りで佐久田の目の前に座った。
 座るなり、「いよいよですね」と嬉しそうに言う男性の言葉の『いよいよ』が何を指すのかが分からなかった佐久田はとりあえず「そうですね」と曖昧に答えた。

「私は今日という日を、ずっと待っていたんです。昨日は緊張して寝付けませんでしたよ。女房にも散々笑われました」

 そう嬉しそうに話す男性に、これが何の行列なのか聞くことは男性の喜びに水を差すような気がして、気が引けた。
 興奮して息を弾ませて一方的に話す男性の話を佐久田は一生懸命注意深く聞いていたが、話の内容からは行列の内容を知るヒントを得ることはできなかった。

 周囲を見回すと、テーブルで談笑するのは中年男性がやや多いものの、何人か若い男性や女性も混じっており、行列の中身を伺い知ることは出来なかった。

 一体、この行列に集まった人たちは、何を待っているんだ?

 男性の話に耳を傾けながら、疑問がぐるぐると頭の中を旋回していると、バーカウンターの奥の方から「佐久田さん」と自分の名前を呼ぶ女性の声がした。
 「私です」と大きな声で言い立ち上がった佐久田に、男性は目を輝かせて「楽しんで来てくださいね」と大きく頷いて言った。

 朗らかな笑みを浮かべた年配の女性が、バーカウンターの奥にあるドアの外に佐久田を案内した。そこはウサギの寝床のような薄暗く狭い廊下が続いており、そこにいくつかのあるドアの中の一つを開いて、その中に佐久田は通された。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 どうやらそこは宿泊ホテルの一室のようだった。壁際に置かれたベッド、そしてその横に置かれたソフア、ベッドの横にサイドテーブルがあった。天井の赤いライトのせいか、部屋全体が不気味に赤っぽく見えた。

 女性は、サイドテーブルに置かれたグラスとワインボトルを取り上げ、佐久田にグラスを渡し、ワインボトルの中身をそのグラスに半分ほど注いだ。グラスの中は赤い濃厚な色で満たされた。
「これをお飲みになりながら、今しばらくお待ちください」

 鼻を近づけて匂いを嗅いでみると、爽やかな酸味のある華やかな香りがほのかに感じられた。佐久田はそれを一気に飲み干した。ねっとりとして甘くて濃厚な味わいはワインのようでワインではなかった。過去に飲んだ記憶の無い、不思議な味だった。
 女性が部屋から出ていった後、佐久田はソフアに座って何かが起こるのを待った。

 一体これから何が始まるのだろう。

 佐久田の胸は緊張で激しく高鳴っていた。鳥肌の立つような甘美な興奮に全身を包まれ、今まさにその興奮が頂点に差し掛かろうとした頃、急に全身の力が抜け、自分の身体を自分自身で支えられなくなっていた。どさりと音を立ててソファに倒れ込んだとき、既に佐久田は意識を失っていた。

 意識を取り戻した佐久田は、自分がベッドの上に寝かされていることを知った。意識ははっきりとしていたが、両手の自由が利かなかった。どうしてなのかと自分の手足を覗き見るように顔を持ち上げると、ベッドの端と端に自分の両手足が拘束されているのが目に入った。

 これは一体、どういうことなんだ?

「お目覚めでございますか?」
 女性が佐久田の顔を覗き込んで言った。
「目覚めたも何も、これは一体どういうことなんだ!」
 怒鳴りつけようとした佐久田の喉からは、囁くような声しか出てこなかった。

「申し訳ございません。せっかくご決心された方が、いざ目の前になさると、怖じ気付かれて暴れたりなさるんです。それでやむ無くこのような形をとらせていただいているのです。失礼千万であること、承知しておりますが、すぐに済みますので、ご了承ください」

 そう言って女性はベッドの横に衝立のようなものを立てた。その横に置かれたワゴンには、液体の入った袋と細長い管のようなものとがあり、それらを手際よく設置し始めた。
「それは……何ですか」
 女性は佐久田の腕をアルコール脱脂綿で消毒し、針を突き立てた。身体全体が麻痺しているせいか、突き立てられた針の痛みを全く感じない。
「今、薬液の入った点滴をセットいたしました。30分ほどで終わりますから、その間はお目を閉じてお休みください」

 女性はてきぱきと片付けると、ワゴン押して部屋から出ていった。ベッドの横に置かれた点滴から一滴、また一滴と液体が滴り落ちている。それをじっと見ているうちに佐久田の意識は再び遠退いた。

 佐久田が目覚めたときには既に手足の拘束は解かれていた。ベッドの横にはあった点滴の器具は片付けられており既に無かった。佐久田がベッドから起き上がると、それを見計らったかのように、ワゴンにコーヒーセットを載せたベルボーイ風の若い男性が部屋に入ってきた。

「ご気分はどうでございましょうか」
 光沢の美しい上品なコーヒーカップに湯気の立ったコーヒーを丁寧に注ぎながら、男性はにこやかに佐久田に話しかけた。
「ええ、少し頭がボーっとしますが、大丈夫そうです」
 佐久田は手足を何度か曲げ伸ばしをして、首を回して深呼吸した。眠りから覚めたばかりで頭が少し曇った感じがするが、痛みなどはない。手足には拘束の跡は無かったが、腕の点滴の針を刺した部分には絆創膏が貼られていた。
「コーヒーを淹れましたので、お飲み下さい」

 男性はサイドテーブルからワインボトルとグラスを下げ、ワゴンを押して部屋を出て行った。サイドテーブルに置かれたコーヒーカップを取ると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。苦味も酸味もちょうどいい。コーヒーの胸に染み渡るような美味しさを少しずつ味わいながら飲んでいると、ドアが開き、先ほどの女性が部屋に入ってきた。

 女性は一枚の紙と茶色い紙袋を手にしていた。
「それをお飲み終わってからで結構ですので、お渡しするものがございます」
 佐久田は慌ててコーヒーを飲み干した。
「もう飲みました」
 女性は笑って、佐久田に手にした紙を渡した。

「これがあなたの今後のスケジュールとなっております。今からちょうど、3日後にあなたはお亡くなりになる予定ですので、それまでになすべきことをリストアップしておきました」

 女性の言っている言葉の意味が、佐久田には理解できなかった。

「はぁ? 今、何て」

 佐久田は渡された紙を見ても、内容が頭に全然入ってこなかった。
「ですから、この紙にはあなたが今日から3日間のうちになすべきことを全て書いてありますので、できるだけこれに従って行動なさって下さい、というご提案でございます」
「つまり、3日後に私は死ぬんですか?」
「ええ」

 突拍子の無い女性の言葉が、佐久田の脳に行き渡るのに時間がかかった。一体、何の話をしているんだ? 怪訝そうな表情をする佐久田に女性は噛んで含めるようにゆっくりと言った。

「ご安心なさってください。当店の安楽死サービスは、ご本人様が決して苦しまない形で息を引き取られるように、薬効成分を調整してあります」

 佐久田は息を飲み、驚愕した。全身がガタガタと震えだした。
「あ、あ、安楽死サービス? そんな馬鹿な! 俺は聞いていないぞ!」

 頭を抱えて絶叫した。どうしてこうなったんだ、俺は夢を見ているんじゃないのか?
「誰が死にたいって言った! 俺は言ってない!」
 渡された紙をびりびりと破いて放り投げた。床に打ち伏せながら、床をどんどんと激しく叩いた。無性に涙が溢れてくる。言葉がもはや声にならない。

 女性が佐久田に優しい声で語りかけた。
「でも行列の案内の赤い文字を頼りに、わざわざ遠いところからこちらにお越しになったでしょう。佐久田さまが言ってないとおっしゃられる意味が、私には分かりかねます」

 女性の膝元で頭を床にこすりつけるようにして平伏しながら佐久田は涙声で叫んだ。
「じゃあ、サービスを取り消す。薬剤を身体から抜いてくれ! お願いだ、俺は死にたくない! 死にたくないんだ!」

 女性は困ったように肩をすくめた。
「それは無理なお話ですね。当店の薬は一度注入すると二度と体外に排出することはできないのです。そもそも、店に来られた方がこの店のことを口外なさると非常に困るので、店に足を踏み入れた方には必ず当店の薬液を注入して帰すのが、当店のルールとなっているのです。ご希望通りの安楽死と、口外させないための安楽死、この二つしかありません」

 佐久田は涙に濡れた顔を上げ、喉の奥から声を絞り出すようにして叫ぶように言った。
「じゃあ、あの文字は何だ?」

「赤い文字ですか? もちろん、こちらにお越しになる方へご案内する道しるべですよ。2千円という破格の安値でサービスを提供しているとは言え、闇の商売ですからね。時々場所を移転せざるを得ないので、固定した看板は置けないんです」

「そうじゃない、『その行列に並ぶな!』っていう文字だよ! あんな思わせ振りな文言をなぜあちこちに書いてある?」

 女性はオホホホと高らかに笑って言った。
「あれは貴殿みたいに『間違えた』と言いがかりをつける人たちが書いているんですよ。私たちとしましても、あの文字には迷惑しているんです。
 あの文字は、当店のお持ち帰りのお菓子を使って落書きをしているんです。せっかく作った手作りの食べ物を粗末にするなんて、許せませんこと」

 女性は手にした小さな茶色い紙袋を、床に座り込む佐久田に差し出した。中を取り出して見ると、ビニール包装紙に包まれた細長いクッキーがいくつか入っていた。少し赤っぽい色をしている。
 なるほど、これを使ってあの文字は書かれたのか。
 佐久田は力なくぼんやりと菓子を眺めた。

「このお菓子は、ある地域でのみで採集された精神を安定させる薬草を練り込んだ当店オリジナルのハーブクッキーでございます。せっかく3日後に安楽死できますのに、それを待てずに自ら命を落とされる方が後を立ちませんもので、このような配慮を必要とするのです。これをお食べになられて、健やかな3日間をお過ごしください」

 佐久田はうつろな目を上げて、女性に尋ねた。
「なぜ、『行列』なんですか」
「この店に名前が無いからでしょうか。こういう秘密の店でございますし、おおっぴらに店名を掲げられませんから。恐らく、『死を待つ方たちの行列』という意味の『行列』だと思いますよ」
「はぁ……」

 茫然自失の佐久田には既に話す気力は無かった。女性が合図をすると、ベルボーイ風の若い男性が部屋に入ってきた。足腰の立たない佐久田を支えて、店の外に出してくれた。
「あなたにとって素晴らしい3日間でありますように」
 門前に立つ彼らは、佐久田に向かって深々と頭を下げた。
 空が白々として明るい。腕時計を見ると、5時を回っていた。夜は既に明けていた。

 足元がふらつく。真っ直ぐ歩いているようで、歩けてはいない。今まで夢の中にいたような気分だ。店の中での出来事は、霧がかったようにあまり思い出せなかった。

 しかし佐久田の手には、彼らから渡された紙袋があった。取り出してみると、明け始めた朝陽の下で、そのクッキーは不気味に真っ赤な色をしていた。
 ビニールを破って一つをつまんで取り出す。手にベトベトと血のような赤い色がついた。恐る恐る少しだけ先をかじってみると、やけに甘くて、舌を痺れさせるような強い苦味のある、お世辞にも美味しいといえる代物ではなかった。

 佐久田はその紙袋を投げ捨てようかと思っていると、後ろから肩を叩かれた。
 振り向くと、先ほどの店でテーブルを相席にした中年男性だった。
「お帰りですか」と男性は聞いた。
 佐久田は「ええ、まあ」と答えた。話す気力は無かった。
 男性は朗らかに言った。
「私はこれから家族にお土産を買って帰る予定なんですよ。昨日この街に着いて、今日、日帰りで帰るんです。もしよろしければ駅までご一緒しますか?」
「ええ」

 二人は歩き出した。佐久田はここがどこなのかさえ分からなかったから、駅までの道のりを教えてくれるこの男性の存在は、正直ありがたかった。

 薄暗かった小道は、夜が明けてはっきりと見える。立ち並ぶ家々は、人の気配は無く、塀の高さまで雑草の生い茂る廃墟のような家がいくつもあった。

 唐突に「これは要ります?」と男性は鞄の中から一冊の薄いパンフレットを取り出した。
「これは今からでも入れる特殊な生命保険です。これで残されるご家族の生活の足しにしませんか。私が死んで生命保険がおりたら借金の返済にあてる予定なんですけどね」
 佐久田はひきつった笑顔を浮かべて首を振った。
「そうですか」

 二人は無言のまま歩き出したが、突然男性が足を止めた。
「どうかしましたか」
 佐久田の問いには答えず、男性はおもむろに手にした紙袋から例の赤い菓子を一つ取り出した。何をするのか佐久田がそばで眺めていると、男性はそばにあった自販機の透明ショーケースの上に、手にした菓子で文字を書き始めた。

「行列はこちら→」

 矢印の先の道を辿れば、確かにあの店がある。
「私は3日間の命をちゃんと全うしますから、この菓子を食べる必要はないんです」
 男性は嬉しそうに言った。佐久田は今まさに書かれたその毒々しい色で塗られた文字を呆然と立ち尽くして見ていた。

 これが、やはりあの行列の理由だったのだ。

「あなたも書きます?」
 佐久田は慌て首を振った。
「いいえ」
「そうですか。私は何だか全身に力がみなぎっているようですよ。嬉しくてあの店のことを誰かに知らせたいんです。そう思うとあの矢印の文字を書かずにはいられません」

 駅に向かう間中、何度か男性は立ち止まると、転がった空き缶や路上駐車された車、立て看板やポストなどに文字を書き続けた。落書きする罪悪感はその嬉々として描く後ろ姿からは微塵も感じられなかった。

 やがて駅に到着した。
 男性は「私は始発電車を待ちます。じゃあこれで」と軽く頭を下げて券売機の方へ立ち去った。

 佐久田はぼんやりと閑散とした駅の構内をうろついていたが、やがてふらりと駅を出た。
一体、俺はこれからどうしたらいいのか。これからあと3日の命だなんて、下らない。馬鹿げている。あんなこと、あるはずがない。
 佐久田は手にした紙袋を力一杯握りつぶした。

 夏の暑さを感じなかった。冷えたように寒い全身の震えが、一向に止まらなかった。唇が小刻みにわなないている。大声で叫びたかった。

 駅のガード下に座込み、佐久田は声を上げずに泣き出した。ひとしきり泣いた後、ふと自分の手にした紙袋を思い出した。中から潰れた菓子を取りだし、形を整える。手に赤いものがべとつくのも気にならなかった。

 あの行列に行かなければ良かった。まさか、こんなことになろうとは、思いもよらなかった。これ以上、俺のような犠牲者を増やしてはならない。あの店に人を行かせてはならない。
 佐久田の体は怒りで熱くなっていた。立ち上がり、目の前にある壁に向かい、手に握った菓子を思い切り振り下ろした。
 やがて、力いっぱい壁に書き殴った後、佐久田は当ても無く歩き出した。

 佐久田が立ち去った後のその壁には真新しい文字でこう書かれていた。

「その行列に並ぶな!」

 

◆ 終わり ◆

 

・・・あとがき・・・

 最後までお読み下さり、ありがとうございます。
 心より感謝を申し上げます。

 今回、ココログのブログネタマガジン「コネタマ」に参加いたしました。
 「お店の行列、並ぶ派?並ばない派?」というブログネタを着想とした作品を書いたつもりです。
 「並んではいけない行列」という恐怖の都市伝説のような仕上がりを目指しました。
 いかがでしたでしょうか。楽しんでお読みくだされば幸いです。

 なお、文章に稚拙な部分が多く見受けられるとは思いますが、筆者の文章力の未熟さゆえでございますので、ご容赦下さいまし。

 ご感想などございましたら、コメント欄にお寄せください。
 心よりお待ち申し上げております。

 この度はお読みくださり、誠にありがとうございました。

琉球の宮


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短編小説集:色々」カテゴリの記事

コメント

すいません、何度も投稿して…汗

これは非常に面白かったです!
主人公と一緒に行列を探している気分になりました。
息もつかないまま読み進め裏切りのラスト…

いい意味での裏切りとても歓迎します。

また他の作品読んだらコメントします。

作品を読む度にコメントをしてすみません。

途中までは、注文の多い料理店、かな、と思いながら読み進め、
全体は星新一さんのショートショート風の都市伝説で、おもしろく読めました。次回作も楽しみにしています。
あ、ビフォーアフターも読みましたよ。私が感じていたあの番組の違和感の正体がわかりすっきりしました♪

えりすさん。

コメントありがとうございます。

作品ごとに感想をいただけるなんて、とても、とてもありがたいです。感謝します。

架空請求の体験談には賛否ともにコメントがとても多いので、返信もできないのですが、作品に関してはできるだけ感謝の意を伝えたいと思っております。

「並んではいけない行列」はストーリーと情景をシンプルにすることにこだわったような記憶があります。星新一には遠く及ばないのですが、テイストを似せています。

このテイストに似たものは、短編小説「戦慄のエアポケット」ですね。もしご興味がございましたら、お読みくださるとうれしいです。

「ビフォーアフター」のエッセイは、今でも同様の感慨を抱いております。合理主義一辺倒の危うさを感じますね。

コメントありがとうございました。

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