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余命1ヶ月、男は四国へ行った


 「奇跡」という言葉を訝しく思うばかりで全く信じない私であるが、今回、耳にした話は、恐らく、「奇跡」と言っても、さして誇大表現では無いと思われる。

 以下は、知人女性から聞いた話である。

 聞いたままを書いた、というよりも、内容を分かりやすく伝えるために、幾らか文章表現上のニュアンスの変更を行っているものの、病状・経過など全て事実、実話である。

 「事実」というからには、空想のお話、すなわちSF小説、ファンタジー小説でもない。
 ましてや、イカガワシイ商品を売りつけるマルチ商法や霊感商法などの悪辣な宣伝話でも一切無い。
 至って真面目な、それでいて考えさせられる話である。

 さて、この話の主人公は、日本中どこにでもいる至って普通の中年男性である。

 しかしながら、彼は、健康的な生活を送っているとは言い難く、好きなものは「肉・酒・タバコ」、嫌いなものは「運動」と、見るからに中年太り気味の体型を容易に想起しうる生活習慣である。

 暴飲暴食の生活習慣であれば、さほど驚くに足りないが、彼は戦慄を禁じえないほどに、他者と異なる点を有していた。それは、彼の家系に秘密があった。

 彼の家系は、ガン家系であった。

 ――ガン。癌。
 
 癌は「日本では1981年から死因のトップとなり、2006年度は死因の3割を占めている」とされ、「WHOによると、禁煙・健康的な食生活・適度な運動により、悪性腫瘍による死亡のうち、40%は予防可能であるとされる。」(引用元:wikipedia)

 人間の体内に入り込み身体中を巣食い、ことごとく蝕み、確実に死に至らしめるガンという内なる巨悪に対し、高度な医療技術を持ってしても、為すすべなく無防備なままで立ち向かわざるを得ない人間とは、なんともちっぽけなものであろう。

 これはまさに、巨大風車に闘いを挑む勇者ドンキホーテのようでは無いか。

 がん細胞と対等に闘うためには、SF映画「ミクロの決死圏」のように、人間の身体をがん細胞と同サイズに縮小せねばならないと言うのに!(そんな訳ありません)

 医療の発達を願いながら、我が身に癌が巣食わないことを必死に祈りながら、夜通し煩悶する我が臥所の寝苦しいことよ。
 嗚呼、癌とは何たる恐ろしきもの!

 男性の話に戻そう。

 ガン家系にあるこの男性の親族は、ドミノ倒しのように、次々にガンで他界している。
 実父、叔父、叔母、従兄弟、従姉妹、、、既に10人近い親族がガンで亡くなり、残りの生存する者のうち既にガンに罹患している者が数名いるという。20人ほどの親族の中で健康体なのは2人だけというのだから、この家系のガン罹患率の高さは絶望的でもある。

 ちなみに、この親族は全員、「肉・酒・タバコ好きの運動嫌い」というワイルドな生活習慣らしい。「夜食にヤギ汁」という驚愕の食生活から推察しても、既にガンリスクを抱えているように思えてならないが……

 まあ、それはいいとして。

 沖縄で生まれ育った男性は、遠く沖縄を離れ大阪で就職し、そこで知り合った妻と結婚し、かけがえのない3人の子をもうけた。
 男性は、40代の半ばを過ぎて、まさに脂の乗った人生を送ろうとしていた。

 家庭は至って円満だった。
 生まれたばかりの3番目の子を始め、可愛い3人の子どもたちの育児に奔走する妻をよそに、男性は家庭を妻に任せ切りで出張で家を空けることが多かったが、ようやく念願だった新築の家を建てることができた。
 新築の緑鮮やかな庭で元気一杯遊びまわる子どもらの成長を、夫婦揃って眼を細めて見守る喜びは、何物にも替え難かった。
 男性は、妻と子どもたちをつくづくと眺め、これからは家庭を顧みて育児にも取り組もう、そう考えていた矢先のことだった。

 ガンが発見されたのは、新築の家を建て、3番目の子が生まれてすぐのことだった。

 男性は何度と無く繰り返す胃の不調を気にしてはいたが、その度に市販の胃薬や痛み止めを飲むなどして痛みを堪えてきた。
 男性の元には胃の再検査を促す通知が届いていたが、どうせ大したことはないだろうとさして気にはとめず、精密検査を受けること無く放置していた。

 数ヶ月後。

 ある日、突如立っていられないほどの腹部の激痛に襲われた男性は、救急車で病院に運び込まれた。精密検査の後、駆けつけた妻に対し、医師は深刻な面持ちで口を開いた。

 ――ガン告知だった。

 「検査ではどうもよく分からない。開腹してみないと何とも言えない」
 主治医は首を振り、重々しく言った。

 その後、男性の病状やガンの進行具合を確認する開腹手術が行われた。
 どれくらいの時間を要したのだろうか。
 手術の結果、男性の身体を蝕んでいたガンがついに明らかになった。

 男の身体に巣食っていたのは、胃がんだった。胃がんの他に、生存率の低いすい臓がん、肺がん、とガンは全身に転移していた。末期がんだった。
 開腹したものの医師の手の施しようも無く、ガンは切除されること無く残されたまま、間もなく腹は閉じられた。

 男の余命は、たったの「3ヶ月」と宣告された。

 絶望と悲嘆にくれる夫婦の慟哭は、想像するに余りある。
 生まれたばかりの子ども、新築の家、家族を養う……と様々な夢と希望が、今まさに粉々に打ち砕かれた瞬間だった。

 男性は開腹手術から3ヶ月間、投薬治療を続けながら、ひたひたと迫り来る死を独り待っていた。
 余命1ヶ月を切った時、男の元に思いがけない訃報が届いた。

 それは妻の父の逝去、つまり義父が亡くなった知らせであった。

 片時も目を離すことの出来ない乳飲み子を抱き、妻は煩悶した。
 幼い子を3人も抱えた自分には、末期がん治療中の夫もいる。父の葬儀のために今住む大阪から遠く実家のある四国へは行けない、と。既に母は亡き後、自分には兄弟姉妹もいない。四国には親族はいるものの、葬儀を執り行ってくれそうにもない。自分以外、誰一人、父を弔うことも、安らかに眠れる墓へ入れてやることもできない――

 悶々と思案に暮れる妻の疲労に覆われた後姿を見た男は、決心する。

 自分がやるしかない、と。
 妻の父を弔う――葬儀を執り行い、墓を作り、そこに納骨する。
 余命1ヶ月を切った自分に可能なのかは分からないが、迷っている暇はない。

 何かに急かされるように、開腹した傷もろくに癒えぬまま、身支度をし車に乗り込んだ男は、単身、妻の実家のある四国へと向かった。

 四国へ着いてからも男の前に困難が立ちはだかった。初めて来た土地、見慣れぬ街ゆえの不慣れ。
 葬儀会社を調べ、葬儀を執り行い、墓石を買い、納骨する――。

 男性は、体力の低下著しい連日の猛暑の7月の最中、葬儀に関わる一連の大変な作業を、余命1ヶ月を切った末期がんの闘病中の身体に鞭打ち、たった一人で何もかも全てを執り行った。

 その期間、どのような過酷な労苦があったのかは知る由も無いが、恐らくはオーバーヒートしそうな精神状態の中、とにかく耐えて、耐え抜いたのだろう。

 健康な状態であればいざ知らず、命の灯火がいつ吹き消されてもおかしくない末期がんという極限状況の中、自ら引き受けた責任を全うしようとする責任感と勇気、恐るるばかりである。

 全てを取り行ない、義父の亡骸を火葬し納骨した男性は、再び単身車に乗り込み、帰路についた。四国を離れ、大阪の妻の元へと戻り、再びがん闘病の生活に戻った。

 その後、夏を過ぎ、秋、冬まで生きながらえた男性は、唐突にある決心をした。

「今まで実家の沖縄に一度も戻ったことが無い。正月に沖縄へ里帰りしよう!」

 翌年の正月。

 男性は妻と子を連れて沖縄へ里帰りした。男性の病状を、余命3ヶ月の末期がんであることを知っていた親戚は、男性の里帰りにとても驚いたという。

 もっとも、大阪から沖縄への飛行機による数時間のフライト移動は、かなりの体力消耗を要する。飛行機という閉鎖的な空間は、あたかも栓をしたビンのようである。空気中を飛び交う病原菌への懸念が拭い去れない中、免疫力の低下した末期がん患者にとって、数時間も耐えねばならないフライト時間は、地獄のような時間ではあるまいか。

 
 とにかく、男性は、正月を沖縄で過ごし、さらに春を生き抜き、その夏の盆を沖縄で過ごした。里帰りの時は必ず、門中墓(※)へお参りをした。

 男性は毎年、正月と盆(旧盆)、そして清明祭(シーミー※)と、年3回の沖縄名物行事に参加するために、沖縄に訪れるようになっていた。
 体調の良いときは年3回、悪いときでも年一回は沖縄に里帰りし、門中の墓に線香をくべて、親戚と尽きせぬ話をしたという。
 大阪に戻っても、自宅の台所に置かれている火の神様(ヒヌカン※)に、毎月1日・15日のお祈りを自ら行ったという。今まで妻に任せ切りであることを悔やみながら。

(※門中とは、親戚一族のこと。門中墓は、一族の親戚が全て入る大きな墓である。祖先との繋がりの深い沖縄では一般的な墓である。)
(※シーミーとは、4月~5月に行われる沖縄独特の風習である。墓掃除をし、親戚一同で墓の前でご馳走を食べる習慣がある)
(※ヒヌカンとは、火の神のことで、沖縄などでは家の守護神として信仰される存在。台所に香炉を置き、線香や米、酒などをお供えする)

 お遍路と巡礼の地とされる四国で、男性にどんな転機が訪れたのか、私は詳しくは知らない。

 余命1ヶ月という極限状態の中、四国での大役を乗り越えた男性は、その後、抗がん剤治療を続け、毎年沖縄で墓参りすることを楽しみにしていたという。

 余命3ヶ月の末期がん宣告から10年。
 男性の身体から、跡形も無くガンが全て消えていた、というこの事実。

 これを「奇跡」と呼ばずしてなんと言おう?

 絶望的なガン家系に生まれ、日常的な暴飲暴食の果てに、全身転移の末期がんと診断され、開腹しても手遅れと診断された身体から、ガンが消滅していたという、この事実に、「奇跡」の二文字を当てはめても誇張ではあるまい。

 ――私はこの男性の事例を、こう考える。 
 
 ガン家系に生まれたことを絶望する人、余命数ヶ月の末期がんを宣告されて絶望する人に、勇気を与える事例ではなかろうか、と。

 この男性のガン家系の親族が、揃いも揃って「肉・酒・タバコ好きの運動嫌い」という生活習慣だったことも、反面教師として教訓となりうる。これはまさに、禁煙・健康的な食生活・適度な運動が一番のガン予防となりうるというWHOの発表を裏付けるものである。

 さらに重要なのは、余命幾ばくも無い男性が、四国へ義父の葬儀を取り仕切るために病床を離れた、という点である。

 世の中には多くの末期がん患者さんがいて、おのおのその闘病生活の余生を、自らの生活を楽しむために充てている。歌や楽器演奏などの音楽活動、マラソンやサーフィンや登山などのスポーツ活動、絵画や彫刻などの芸術活動など、その人自身が楽しいと思えることに果敢にチャレンジしている。がん闘病中の間寛平がアースマラソンにチャレンジ中であることは周知の通りだと思う。

 しかし、この男性は自らの楽しみではなく、やらなければならないことを義務として、四国へ渡り葬儀を執り行った。そして、里帰りして親類に挨拶や墓参りをしなければならないことを義務として、沖縄へ年に数回帰郷している。
 葬儀の手配やヒヌカンの世話、沖縄へ帰ることを楽しむ娯楽としてではなく、義務と行っていた節がある。自らの心に反し嫌々ながら、というよりも、「私以外にやるものがいない」「しなければならない」という、内なる希求によって生まれたある種の義務感ではあるまいか。
 例えるなら、スパイダーマンに生まれ変わった青年ピーター・パーカーが、大いなる力を得たことにより、自らの力を人々のために用いることを誓ったときのように。

 私が思うに、「私がやらねばならない」という自ら希求する義務感は、ガンによっておかされた人間を無理にでも奮い立たせ、病気に打ち勝つ力を与えるものではないのだろうかと。
 過度の責任感やストレスは避けなければならないものだが、ガン闘病中は違う。ストレスを排除するよりも以前にガンを撲滅せねばならない。

 こう考えたとき、以前、テレビのドキュメンタリー番組(※)で「正常な細胞がガン細胞の増殖を手助けする」「人間が多細胞の生物であり、再生能力がある限りガンになる宿命を持っている」という内容を思い出した。
(※ドキュメンタリー番組は、2009年11月23日放送NHKスペシャル「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」)

 正常な細胞が過度のストレスにより傷つけられるのであれば、ガン細胞が幅をきかせているガン闘病中において、この「自分にしかできない」義務感を自らに植え付けることで、この義務感のストレスで正常な細胞だけでなく肝心のがん細胞を傷つけやできないだろうか。

 ガン闘病中はできるだけストレスを感じないようにするために精神的に満ち足りた生活を送る人が多い。
 しかしここは逆転の発想をして、逆にストレスやプレッシャーを与えることで、病状の進行を食い止めることはできないだろうか。与えられたストレスにより、正常な細胞ががん細胞を押しのけてでも生き抜くために治癒能力を高めるのではなかろうか。ストレスの無い満ち足りた生活によって、ガン細胞がより増殖してはいまいか。

 今回書いた男性のケースは、ガン家系にあってガンになるリスクを人よりも多く有していた者が、余命3ヶ月の末期がんという状態におかれた中、義父の死を契機に強い義務感の中で生き、完全復活を遂げた話である。
 この男性が、義父の葬儀の手配を始めとした膨大な作業をこなさなければならないという切羽詰った義務感の中で、死に物狂いで生き抜いたストレスこそ、ガンを消滅させる原因だったのではないかと、私は考える。

 重ねて言うが、医学に関して門外漢な私による精神論なので、医学的な見地によるデータや信憑性、合理性、無責任さなどは問わないで欲しい。あくまで素人の一見解にすぎないことをご容赦して欲しい。

 さて、ストレスを与えるとしても、どのような義務感・責任感によるものかは問題である。

 この点、私は、余命を、「余った命=余命」と捉えるのではなく、「与えられた命=与命」と捉え、与えられた命を自らのために使うのではなく、「他者のために使う」ことで自己ではコントロールしえないものとなり、良い義務感が生まれるのではないかと考える。
 キリストのように人々のために尽くす道があるとすれば、やはり慈善活動――見返りを求めない慈愛の行動――なのかもしれない。
 子育て、家事、介護――これらも見返りを求めずに行う慈善活動として考えれば、これらを「私がやらねばならない」という責任感を持ってを行うことで、がん闘病に打ち勝つ力となるのかもしれない。他にも慈善活動はあると思うが、身近な活動は家族に囲まれながらできるものが一番良いのだと思うからだ。

 さて、私が余命を宣告されたら――

 ここまで書いてきた考察を一切無視すれば、やはり残り少ない「余命」を自分のためだけに使いたいと考えると思う。命の灯火がふっとかき消される最後の一瞬、あるか無きかの小さな炎を灯す紙燭の芯がじりじりと尽きる瞬間まで、私はきっと自分のために時間を使う。それが有意義な時間の使い方だと思っていたから。
 自分のために――娯楽三昧の日々を過ごす。酒池肉林か。全国を自転車一周か。世界の珍味を食べつくすのか。山奥でひっそりと暮らすのか。本を読み音楽を聴き映画を観て…

 しかし。今回、この話を書いてみて考えたのは、これまで考えたのとまた違った「与命」を生きてみたいというものだった。

 まだ健康体であるうちに、自分ならどう「与命」を過ごすのか、自分にしかできないものは何か、じっくりと考えてみたいものである。


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