« 中国旅行記「乙女通信」第3章第1節 | トップページ | 中国旅行記「乙女通信」第1章 »

中国旅行記「乙女通信」第2章

 


 

桂林チックな朝

 前日セットしたモーニングコールによって、私は午前6時に起床した。カーテンの隙間から差し込む朝陽に吸い寄せられるように、ベッドを下りて窓際に歩み寄る。

 カーテンを開けると、ガラス窓一面に、桂林の街が視野一杯に見渡せた。すぐ下へ視線を走らせると、そこには活気のある市街があった。
 早朝だと言うのに、せわしなく自動車が結構走っていて、生き生きとした生活の動脈を感じる。通行人はジョギングしたり、急いで走行したりしていた。
 そして、それらの風景から徐々に視線を上げていくと、大きな湖の向こうの地平線が目に入る。

 そこには、ゆるい朝霧に包まれた美しい桂林があった。うっすらと霧がかった広大な連峰。視界一杯には、地球をキャンバスにした水墨画が広がっているようだ。
 息を呑むほどの美しさ、とはこのことだろうか。呆然と景色を見つめ、憑かれたようにカメラを手にして、シャッターを何度も切った。






一瞬ごとにその様相を変え、得も言われぬ美しさに変貌する神秘の自然風景に、時の経つのを忘れて見入る。恒常的にこの風景を見ることのできる桂林の人たちが羨ましい。桂林チックは、今まさに眼前にある。

 時の経つのを忘れて窓辺でじっと外を眺めていると、徐々に温かな陽光が窓に差し込んでくる。そのまま私は目を閉じて朝日の洗礼を浴びた。
 それら雄大な景色を見ていると、自分の身が決して日本の地にはないことを思い知らされる。「ここは中国ではないのでは?」という疑念を抱いてしまった昨日の出来事が嘘のことのように思い出された。

 窓の外の水墨画の世界、「桂林チック」を目一杯に叩き込んだ後は、手早く着替えし、ウエストバックに貴重品を携え、いざ出発。
 遠方から見た桂林の朝を、肌に触れるように身近な距離で堪能するのだ。


太極拳に挑戦

 ホテルの外に出ると、早朝ながら、日は高く昇っており、少々蒸し暑かった。
 立ち込める熱気と蒸し暑さの中、車道・歩道・駐車場などの空いているスペースを存分に使って、思い思いの格好で体操する大勢の人たちがいた。
 彼らの自由で伸びやかな生活習慣。それを垣間見ていると、いつしか顔を綻ばせて眺めてしまう。素敵な光景だ。


駐車場の小さなスペースを使い、太極拳に勤しむ方々。これが日常の光景なんて、何とも素敵である。継続は力なりを実感。

 歩道の真中に、可愛らしいレースのついたショッキングピンクのネグリジェを着た白髪のお婆さんを見つけた。彼女は片足を頭上近くまで持ち上げて、新体操のようにY字型に柔軟体操していた。街路樹にもたれるようにして行なうその優雅な動きは、とてもご老体には思えない柔軟さだ。中学時代に、立位体前屈のテストで学校ワースト記録を出し、先生を驚かせたほどの私の驚異的な身体の硬さとは対照的である。ただただ、呆然とお婆さんの柔軟性豊かな体操に見惚れるばかり。

 しばらく歩いていると、大きな公園に着いた。そこの入り口で、20人くらいが輪になって、カセットテープの音に合わせながらリズミカルに体を動かしていた。ラジオ体操のようなものであろう。

 周りを見回しながら公園の中に入っていくと、若い女性二人が、上海雑技団を想起させるような長い剣で互いに格闘しているのが見えた。ゆらりと剣が伸び、空を切るように剣が交わされる。互いに剣が触れ合うと、ジャン、という重い金属が辺りに響いた。見事な殺陣に私は感嘆の想いで目を見張った。早朝からこんな豪華なものを見るとは思わなかった。「ええもん見せてもらいましたわ! ネェちゃん、おおきに!」と、関西オヤジ的発言を口にしそうになり、慌てて口をつぐむ。

 次に見かけたのは、アップテンポの音楽と、「アッハッハッ!」とリアクションの激しい笑い声が入った音楽テープを流し、それに合わせて腹を抱えて一緒に笑い転げる人たち。笑いは健康の秘訣、などとどこかで聞いたことがあるが、これは笑う練習なのだろうか。当人たちがえらく真剣な顔で笑っている様子が、とてもユーモラスである。そばで見ていて面白すぎて思わず吹き出してしまった。

 公園を大きく見回すと、いくつかのグループに分かれて太極拳をしている人たちが多かった。彼らの後ろに立ち、見よう見真似で太極拳に初挑戦してみる。ゆっくり息を吐きながら、少しずつ体を動かしていく。いくつかの同じ動作を繰り返すのだが、覚えられなくてなかなか上手くいかない。しんどい。

 それにしても、出勤前であろう、朝のわずかな時間を利用して体操に勤しむ中国の人々。日本人には真似できない素敵なことだ。夏休みのラジオ体操ですら、脱落する小学生が結構多いというのに。
 きっと、幼い頃から毎朝公園へ来て体操するのが日課なのだろう。だから、いつでも中国の人達は健康的なんだな、と思った。


鏡のごとくなりぬる  

 ホテルに戻ると、手早く荷物をまとめた。バスに乗り込むと、一行は、東洋一の鍾乳洞・芦苗岩へ向かった。

 芦笛岩は、市内から7キロ離れた光明山という山の山腹にある鍾乳洞で、洞窟の奥行きは240メートルもあり、全遊覧コースは500メートルの洞窟なのだそうだ。

 「外は暑いけど、鍾乳洞の中は天然のクーラーですよ」という 日本語の上手な現地ガイドの曲さんの言葉通り、鍾乳洞の中はひんやりとしていて、時折上から雫が落ち、それが私の頬に当たると、とても冷たかった。
 その、涼しさよりも冷たさの優先された天然の空調設備に、思わず、以前行った足尾銅山を思い出した。東洋一の鍾乳洞を見るのはいいが、そもそも私は沖縄の有名な鍾乳洞・玉泉洞すら見たことがないのだ。もしここで東洋一の鍾乳洞に感動して帰った場合、地元にある鍾乳洞の玉泉洞と、どうしても比較してしまうだろう。
 中国と沖縄じゃスケールが違い過ぎる、と頭では分かっているのだが、比較対象文化を持った人類の悲しい性なのね。しょうがない。

 ごつごつとした岩肌が、頭上を覆い、前方へ行く手を阻むかのように広がっている。狭い道を屈むようにして登ったり下ったりしながら、鍾乳洞の中を見て回る。
 カクテル光線でライトアップされた鍾乳洞は、とても美しかった。岩肌の微妙な凹凸に七色の光が当たると虹色に輝く岩肌。幻想的とはこのことか。
 しかしライトを無くせば「単なる洞窟やん」といいたくなるが、その鍾乳洞の歴史なぞをガイドさんの滑らかな口調から聞くと、それらがにわかに神秘的に思えてならない。現金なものである。


桂林にある、鍾乳洞・芦苗岩。ライトアップされた岩壁が、鏡のように水面に映っている。水面を揺らすのは、わずかな振動のみ。吸い込まれそうな世界。 

  鍾乳洞の一際広がった空間に出た。前方に中程度の大きさの池がある。池に映った鍾乳洞の姿はメインスポットのようで、たくさんのカメラフラッシュが瞬き、池に反射し、吸い込まれていった。

 鍾乳洞の漆黒の闇に、七色に染まった岩々が優美に浮かんでいる。その様子が目の前の佇む池に反射して、絵画のように見えた。それをじっと見ていると、一瞬、それが桂林の山水画の光景と交錯した。山水画の縮小版、言うなれば桂林の全てがこの池を通して見えた、と思った。
 一点の曇りなく映った池の表面は、吸い込まれそうな一種の魅惑的な息を、私に吹きかけているようである。ふと、土佐日記の「海は鏡のごとくなりぬれば」という一節を思い出した。静まり返った池の表面。その池の表面に映る揺ぎ無い七色の岩肌。池面に一筋の乱れも見えない。まさに鏡である。神秘的だ。

 高揚するような不思議な感覚の嵐が私を襲い、ぼんやりと立ち尽くしていると、先生方に「もう行きますよ」と肩を叩かれた。
 ふっと夢から醒めたような感覚になった。目の前からポロポロと七色のウロコが剥がれ落ちていくような、自分の周りに垂れ込めていた濃霧が晴れたような、そんな気がした。
 
 中国はすごい。こんなところにも魔術を使うのか。魔術を売り物にするのは上海雑技団だけだと思っていた。と、ありもしないことを、あたかもそうであるかのように勘違いしたまま、感動のうちにその場を後にした。


奥様方のセンエン

 次に向かったのは、国営のお土産品店。その売り場には、制服を着た50代くらいの女性店員が30人ほどいて、お土産品店に寄った私たちの一行に対し、マンツーマン、一人対一人という完全網羅の攻略で、商品を押し売っていた。その「何が何でも押し売ってやる」という気迫には、入店直後から始終圧倒されっぱなしだった。

「ウーロン茶安いよ」
「はあ……」

 矢継ぎ早に飛び出す彼らの売り文句は、明らかに同じ日本語練習帳で学んだと思われるくらい、同じフレーズばかりであった。日本語会話の成り立たないほどの、哀しいくらいの僅かな日本語ボキャブラリーに、陳列棚を周る私のやる気は萎んでいった。
 それにしても、何ともビミョーな日本語ではないか。そのカタコトの日本語を聞いていると、「お前はゼンジー北京か!」と思わず言いたくなるというものである。しかし、自分の年齢を顧みて、それがありえない発言だと思い出し、さらに私のやる気は萎えてゆく。

「いい服あるよ。奥さん」
「千円だよ。奥さん、ここだけだよ」
 最新式のマシンガンのごとく、延々と同じ販売言葉を浴びせられ続けていると、私の怒りは、煮えたぎるシチューの気泡のごとく、ふつふつと浮かび上がり、やがてそれはK点を迎えつつあった。

 大体、私は未婚の十九歳のうら若き乙女じゃ! それに、私の苗字は"奥"の「奥さん」でもないし、そもそも、私はミュージシャンの0930(オクサマ)でもない。私が明らかに「奥さん」でない以上、その旨をしっかりと自己主張しようではないか。今、我輩は、日本語を使う日本人として、その威厳を示し、堂々と自らの潔白を主張しようぞ!

 そう思って気合に満ちた私の口から出て来た言葉は、
「ワタシ、カネ、ナイ! イチエンも、ナイ!」
 ついカタコト日本語で答えてしまった。ニッコリ笑いながら、カタコト日本語でやんわりと拒絶する私の心の中で、木枯らしの秋風が吹いた。せめて英語で言えば良かった、恥ずかしい……と後悔しても遅い。なんて日本人なのだろう、私は……。

 結局、何も買うことなくバスに戻り、席に座る。窓越しに、さきほどの販売員たちが何やらギャーギャーと叫びながら、両手に商品を抱えて次々とお土産品店から飛び出してくるのが見えた。
 彼らは我が一行の乗り込んだバスをぐるっと取り囲むように立つと、商品を自らの身体の前にひらひらと掲げて、売り込みをしている。せっかく訪れた客を逃がすものか、と鬼気迫る商品プレゼンの嵐である。
 中国語で怒鳴る者、日本語で「オクサーン」と絶叫する者。中には、バスの窓を叩く者もあり、「そこまでするのか?」と言いたくなるような、切羽詰った販売方法を展開していた。
「店員のオバチャンたちよ、ふぁいとよ」
 販売の様子を他人事のように見守っていると、突如、バスの乗客にどよめきが走った。先生方の一人が根負けして何やら購入したらしい。
 「何を買ったんだろう……」と思って周りをキョロキョロ見回すと、いきなり、前の座席から、購入品がバケツリレーのように手渡された。後ろの座席にそれを手渡せばいいらしい。
 何を買ったのか、興味があった私は、こっそり中を覗き込んだ。そのビニール袋の中に入っていたのは、「何でも鑑定団」で鑑定させたら、古美術専門の先生に"鑑定価格ナシ"と一笑されそうな、明らかに作者不明のイカガワシイ掛け軸が入っていた。これ、どうするんだろう……と疑問を感じつつ、急いで後ろの座席に座った先生に手元のビニール袋を手渡した。

 オクサンでもなければセンエンでもない、そんな商品を売っている彼らが、決死のプレゼン攻撃により客に何とか商品を売りつけたことに、少し労いの言葉をかけたくなった。


15歳疑惑

 昼食は、土産品店の2階にある、少し大きめの賑やかな中華料理店だった。一行が席に着くと、愛くるしい笑顔の若いウェイトレスが注文を取りに来た。彼女は、愛嬌たっぷりで、サービス満点、そしてちょっぴりおしゃべりだった。
 中国の方であるのに、日本語がなかなか上手で、「中国で有名な日本の電気製品は……トウシバ、ヒタチ、ミツビシ、サンヨー……」と知っている日本語を巧みに使い、次々とそらんじるように挙げて、我々のツアーの先生方から拍手喝采をもらっていた。

 食事が終えて、一行が次々と店を出て行く中、私は彼女に呼びとめられた。
「とても若く見えるけど、あなた、中学生? 高校生? 中学三年生でしょ」
 化粧をしていないためか少しは童顔に見られているだろうな、という認識は私の心の片隅にはあったものの、まさか見ず知らずの人に五歳も若く見られる旨を指摘されるとは思っていなかった。
「中学生じゃないよ。大学生だよ」
 私が首を振って答えると、彼女は大げさに目を丸くした。
「ワオ! 大学? Universityのこと?」
「そう」
 私はニッコリ笑って答えた。その後、彼女としばし雑談など立ち話をしながら、私の胸中は複雑だった。
「あと数カ月で成人を迎えるはずなのに、15歳に見られるとは思わなかった。成人式に着物を着た私を見て、人から“あら、お嬢ちゃん。十三祝い?”と訊かれないようにしよう」
 と真剣に思いつつ、店を後にした。

 バスに乗ると、バスは桂林空港へ向かった。フライトは、桂林→昆明。昆明空港に降り立つと、冷気を足元に感じる。桂林の気温が37℃だったのに対し、昆明の気温は23℃で涼しかった。

 1時間ほどかけてホテルに到着。「やっと到着したか」という疲労感の漂う足取りで、重いスーツケースを引きずるように部屋に向うと、途中で気を利かせたボーイがスーツケースを受け取り、部屋まで運んでくれた。
 ボーイへの感謝の気持ちを込めて、ギザ10(円)でもプレゼントしようかしらん、と思い、疲れでひきつる笑顔を無理に押し止めて必死に満面の笑みを浮かべ、財布からそれを差し出したが、ボーイに「ノン、ノン」と軽く一蹴された。諦めて中国元でチップを渡すと、ボーイは、白い歯をニッと出して笑い、部屋を出て行った。値段交渉は難しさを実感し、更にガックリと疲労が圧し掛かる。

 スーツケースを部屋に押し込み、ベッドに座る。夕食までは時間がある、と思い、背負っていたリュックサックの中身を出したりしていると、一気に疲れが全身を細波のように押し寄せてきて、ベッドに倒れ込みたい衝動に駆られた。
 確かに、寒暖差の激しい上、移動時間も長く、移動場所も多いと来たら、疲れないはずがない。だが、7泊8日の旅のうち、若干2日目で疲れてしまうなんて、何ともひ弱である。ふと、「だって、女の子だもん……」と「アタックNo1」のキメ台詞で自らの疲労を弁解したくなった。

 夕食はホテルから15分ほど離れた中国料理店だった。店内ではBGMとして、“I will always love you”や“Whole new world” “Pretty woman”など、洋楽のベストヒット曲が流れていた。中国だからといって、やたらとBGMで中国音楽が流されているわけではないようだ。
 それにしても、中国に来て2日目、まだ本場の中国音楽を聴いていない。

 食事の席では、グラスウォーターの代わりに、200ml入りのペットボトルのミネラルウォーターが出てきた。衛生上のことであろう。旅前に、おばさんに「生水は飲まないように」と念押しされたことを思い出す。毎食の食事では、大体湯呑みに入ったお茶が出てきたが、お茶が沸騰したお湯に茶葉を蒸らして作るとするならば、お茶は生水ではないことになる。食事の席のグラスウォーターは頂けなくても、湯呑みのお茶は飲んでも良い、ということなのだろうか。文化というのは面白い。

 食事は、あんまんの形状をした白い柔らかなパンが出た。ふんわりと乳製品の優しい香りが鼻をくすぐる。「肉まん? それとも、あんまん? ミニストップの豚角煮まんだったらどうしよう!」ありえない想像が脳裏を駆け抜ける。
 「いっただっきま~す!」と、それを豪快にパクつくと、その中身が入っていないのに驚きの声を上げてしまった。思わず「騙されたっ!」と言いたくなる辺り、いかにも日本人らしい固定観念の賜物である。食べてみると、中身のないあんまん、そのままだった。淡白な味だが、ふわふわでおいしい。
 パンを鼻先に押し付けて、ほのかに甘い香りにしばし鼻腔を委ねていると、なぜか懐かしい思いが込み上げてきた。それは、旅程二日目にして疲れきっていた私の心を解きほぐすような、人を包む優しい香りだった。


観劇マナーに感激?

 食事の後には、昆明劇院という劇場へと向かった。中国の歌と踊りの舞台、少数民族の歌舞ショーを見るらしい。
 ゲームセンターが一階に位置するその建物の三階に、その劇場はあった。「劇場だなんて嬉しい! わーい!」と喜び勇んで建物に踏み込んだ私は、その内装を見て思わずひっくり返りそうになった。
 階段の壁の全てに施されたのは、悪趣味極まりない色の組み合わせの、数珠繋ぎの電灯グラデーション。私はこの装飾をした人の色彩感覚を疑いたくなった。美術才能ゼロを自負する私ですら、緑とピンクの交互の電飾はいかんと思ったね。
「でも、これが”ツウ”の色使いなのだろうか。ひょっとして、この電飾を見て、ピカソが、蛭子さんが、感涙したらどうしよう……」
 私の胸に不安が広がった。

 そのショーは、一つの大きなストーリーの中に、7つの小さなストーリーを組み合わせた、オムニバス形式だった。観客の笑いどころが多いところを見ると、歌劇(オペラ)ではなく、喜歌劇(オペレッタ)のようである。
 劇中は、中国語の台詞で進められ、その都度、間に英語ナレーションが挟まれた。二カ国語放送のこの劇では、英語のヒアリング能力が最重要となるが、"not at all"を"野田徹"としか聞こえない私の悲惨なヒアリング能力では、この劇の粗筋を何となく程度でしか理解できなかった。
 
 宝塚歌劇団を思わせるような、いかにも舞台衣装的な、豪華絢爛の派手な衣装に目を奪われる。優雅で華麗でしなやかな踊りは、まるで天女の舞である。登場人物の素晴らしい歌唱力にうっとりと聞きほれる。
 
 途中、サクラかどうか知らないが、3人のお客を舞台の上に上げて、客とともに中国式の結婚式を作る場面があった。赤い色をふんだんに使っているのが、国境を越えて、いかにも「めでたい!」という気分にさせてくれる。色彩の効果をつと感じる。舞台に上げられたお客たちが、照れたような笑顔を浮かべて舞台上の結婚式に参加していたのが印象的だった。

 それにしても、中国人は上演中も良く喋る、笑う、騒ぐ。全員が舞台を見て笑っているのなら、一体化した劇場内という感じでとっても好ましいのだが、ここ観客席から響くのは、話し声が混ざりつつの、明らかに笑うツボを外した同時多発的な笑い声である。笑いの絶えない舞台であれば、笑いの多い舞台と言えそうだが、明らかに観客同士の会話に対するリアクションの結果としての笑い声なのである。
 結果として、観客の言動の騒がしい舞台、というのが素直な感想だった。真面目傾向のある日本人の価値観からすると、非常に違和感のある鑑賞方法であった。私としては、席を立ち上がって観客を見回し、「はーい、みなさん、舞台は静かに見ましょうねー!」と、劇場鑑賞に来た小学生の引率の先生の真似をしたくなった。

 鑑賞方法のカルチャーショックの極め付けは、一番最後の歌になった途端、帰り出す観客たちである。舞台では大団円らしく、盛大に盛り上がり、出演者の踊りも激しさを増し、歌声のビブラートにも力が入り、照明も音楽も、全てが最高潮を迎えていたが、一方、観客席はというと、「今日の舞台、良かったね~」と言わんばかりに、次々と楽しげに席を立ち、劇場出口に向かう人たちで一杯だった。帰る客の誰一人、華やかにエンディングを迎えている舞台を見てはいなかった。それどころか、名残惜しげに舞台を振り返りつつ帰る客は一人もいなかったのだ。鮮やかなライトの下、出演者の汗だくの喜々とした笑顔と、繰り広げられる素晴らしいダンスを背に、観客は徐々に姿を消していった。そして。

 最後の曲を終え、幕が静かに下りると、私はその見事なショーに、「ブラボー!」と、一生懸命、賛辞の拍手を惜しむ無くこと送っていたが……ふと劇場の中を見回すと、私たちのツアーメンバー以外の観客は誰一人としていなかった。よく見ると、劇場入り口のドアマンが、壁にもたれて退屈そうに欠伸しているのが見えた。

 でも、もしかしたら、幕の下りた袖口で、出演者たちが今か今かとアンコールの拍手を待っているかもしれない。「今日こそはアンコールをお願いします……」と舞台監督がドキドキしながら両手を合わせて祈っているかもしれない。彼らの熱演に応えて、大喝采でアンコールを求めよう! それが観客の使命なのだから!

 そう考えた私は、勢いよく拍手をした。閑散とした劇場内に響く、孤独な拍手。大海に浮かぶ小さな浮き輪のような孤独さがそこにはあった。ゾロゾロと出口に向かう先生方を見て、私は、はたと拍手をやめた。
 これが中国風のマナーなのか。呆然としながら劇場を後にした。

 バスの中に乗り込み、ぼんやりと窓の外を眺めてその発車を待っていると、バスの周りを取り囲む人たちが現れた。それは、片足、片腕、両腕のない人達で、手を差し出し、手を振り、私たちの乗るバスに向かってお金を乞うていた。
 事故や病気、それとも故意、あるいは戦争だろうか。彼らが身障者になった理由は知らないが、とにかく私は胸が痛くなり、居たたまれないような気持ちになった。なぜか、直視できなかった。
 中国政府は一体何をしておるのだ。
 そこには「彼らに社会的救済を与えよ!」と、彼らから目を背けながら叫んでいる自分がいた。
 哀れな日本人の姿がそこにあった。

【第3章へと続く】


 ご意見・ご感想などございましたら、下記のコメント欄へご遠慮なくご記入、ご送信下さい。貴方のコメントを、心よりお待ちしています。

 


 

« 中国旅行記「乙女通信」第3章第1節 | トップページ | 中国旅行記「乙女通信」第1章 »

中国旅行記「乙女通信」」カテゴリの記事

コメント

こんばんは♪

文章拝見して、椎名誠さんの「あやしい探検隊」シリーズを思い出しました。

特に、「奥様方のセンエン」では、「インドでわしも考えた」という紀行文中、椎名さんたちが、やはり同じようにインドの土産物売り場で販売員と展開した「攻防」のことを思いました(生活がかかってますもんね……(^^;))。

では、過去分のブックマークして帰りまっす♪

お休みなさい♪

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中国旅行記「乙女通信」第2章:

« 中国旅行記「乙女通信」第3章第1節 | トップページ | 中国旅行記「乙女通信」第1章 »

お品書き

大好評★架空請求の体験談

おすすめエッセイ

おすすめ小説

無料ブログはココログ