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中国旅行記「乙女通信」第1章

 


 

◆エッセイ概要◆

 中国旅行記「乙女通信」は、当時19歳の著者の中国・雲南省(桂林・混明・麗江・大理)への旅を《小説風エッセイ》として書き綴った海外旅行記である。
 旅景色を愛で、自然宇宙に夢見、トラブルに喜び、時に空想に耽る。トラブル続出の旅は、笑いあり、涙あり。読んでともに中国を旅しよう。ビバ、カルチャーショック!


さよなら、日本

 うだるような暑さ。そして、戸外で騒音のように鳴り響く蝉の声。蝉の声の間を縫うように、携帯電話の目覚まし時計の無機的なアラーム音が、その存在をアピールするかのように、大音量で鳴り響いた。
 蝉の音と絡まり、ゆるりと大きく増幅したその音は、もやがかった私の頭を大きく揺さぶる。それを消そうと、私の手はその音源を求めて畳の上をあちこち這っているうちに、やがてその音は止まった。
 頬に冷たい畳の感触があった。その仄かに畳独特の草っぽい匂いが鼻をくすぐる。
 私はふっと目を覚ました。
 目の前には、東京で独り暮しをしているいつもの狭い部屋の白い壁はなかった。窓辺の障子の隙間から差し込んだ朝陽が、畳の上に落ち、畳を白く輝かせているのが目に入る。
 畳の匂い。その縁取り色の鮮やかさ。そして、視線を別方向に向けると、散乱するように置かれた自分の服。スポーツバッグ、そして、スーツケース。
 それらが指し示すのは、今私の居る場所が、東京の独り暮しの家ではなく、懐かしい実家であるという事実―――。

 沖縄に帰ってきたんだ……。

 私はやっと全てを思い出した。
 昨日、私は最終便で東京から故郷の沖縄に帰ってきた。空港から自宅までは遠いために、私が実家の自宅に着いたのは午前12時を過ぎていた。急かされるように慌ててスーツケースに荷物を詰めて就寝したときには、既に時計は午前3時を回っていた。

 部屋の隅に転がった携帯電話が目に入る。身体を起き上がらせるのを面倒と感じ、ほふく前進して携帯電話を手に取ると、そのディスプレイは、午前6時を告げていた。
 起きなければいけないようだ。
 3時間に満たない睡眠時間に、少々の体力的な不安を覚えながらも、私は起き上がった。携帯電話のアラームを消そうと手を伸ばしたしばらくの間、畳に寝そべっていたためか、身体全身が軽く痛んだ。眠い目をこすりつつ、私はふらりと洗面所へと向かった。

 重いスーツケースを引きずるようにようにして運び、車のトランクに無理矢理それを押し込むと、私は助手席に座った。運転席には、ハンドルを握った姉が座っている。
「出発するからシートベルトして」
 妹想いの優しい姉は、私のために早起きして、空港まで送ってくれるらしい。そんな姉に、私は感謝の気持ちで一杯だった。いそいそとシートベルトを締める。
「うん。―――ありがと」
 感謝の気持ちを少し照れながら伝える。感謝を伝えて、運転席の姉を見ると、姉は、私をチラリと見て、おかしそうに笑った。
「ねぇ、頬に畳の筋の跡がついてるよ。わざと?」
 ハッとして慌ててサイドミラーを覗き込んで自分の顔を確認すると、悲しくも色白の私の顔は、その半分に独特の赤く細い筋がくっきりとついていた。
 あのときちゃんと起き上がってアラームを消せば良かった……と、悔やんでも遅い。起床して洗顔したときは全く気付かなかった。私は焦りながら、
「目立つ?」 と、姉に尋ねる。
 これをわざわざつけるなどという物好きではない私は、サイドミラーを睨み付けながら、しばらく赤く筋のついた頬を「元に戻れ!」と念力をかけながら引っ張ったり、叩いたりした。
「誰も気にしないよ。ボディーペイントだと思えば」
 どこからどう見ても、これは「お前、畳の上で眠っただろう」と指摘されそうな、悪趣味というか、何とも大胆なボディペイントである。せめて500円玉でも頬に押し付けて、500円玉柄の模様にするんだった……と後悔したが、畳跡も500円玉跡も、どちらも客観的に見ると違和感のある模様である。模様をつけないことに越したことはない。
 どうしよう、この頬……と頬を引っ張ったりしながら、色々と考えているうちに、いつしか心地良く揺られる車内で、私はいつしか眠りに落ちていた。
 その姉の運転する車は、おばさんの家へ向かっていた。

 おばさん。私に今回の旅をプレゼントしてくれた我が叔母である。彼女は、中学校の教師をしていて、大ベテランの先生さまだった。
 普段は優しい表情を浮かべて接しているが、怒る時は厳しい顔で、私や姉を本気で怒って叱ってくれる彼女は、親のようにとても頼りになり、尊敬できる素敵な叔母さんである。
 そして、彼女は、海外旅行を趣味としていて、色んな国を渡り歩いている経験の持ち主である。今回、彼女と一緒に旅行するのだが、海外旅行経験の豊富な彼女と一緒というのがとても心強い。
 以下、おばさんと呼ばせていただこう。

 おばさんの家で彼女を拾い乗せると、車はそのまま那覇空港へと一路向かった。車から降りると、私とおばさんは、姉に感謝の満ちたお礼を言い、その足で航空会社の団体カウンターに向かう。

 旅。どんな旅なんだろう。私の胸は高鳴った。

 私はそもそも、今回の旅について、詳しい話を聞いていなかった。
「大学合格祝いに、中国旅行をプレゼントするよ。一緒に行こうね」
 とおばさんに言われたのは、数ヶ月前。
 一生懸命受験勉強をして、見事志望大学への合格を決めた私に、おばさんはこの旅行をプレゼントしてくれた。
 一緒に行こう、という言葉から、てっきりおばさんと私の2人旅だろうと思っていたのだが、団体カウンターで受付をせずにその場で何やら待たないといけない辺り、どうやらツアー旅行のようである。
 旅行と言えば、修学旅行や家族旅行、部活動のスポーツ遠征旅行くらいしか経験したことの無い私は、「ツアー旅行って何だろう……。色々な人が集まるのかなぁ。寄り合い旅行? まさかなぁ」と基本的なことを、さも重大事実であるかのように得意げに考える、小さな世間知らずだった。

 そうこうしている内に、空港の一角に、何やら人がぞろぞろと集まり始めた。それらの人たちは、おばさんと会話していることからすると顔見知りであり、彼らの持つスーツケースを見る限り、どうやら今回一緒に旅をする仲間のようである。
 旅仲間が全員集合したらしく、団長という人が簡単な自己紹介を行った。彼が全員に飛行機のチケットを手渡すと、一行はぞろぞろと団体らしく数珠繋ぎになって歩き、搭乗口へと向かった。中国へ向かうために、福岡で乗換えをするらしい。

 福岡空港に到着すると、全員は、特別待合室に案内された。そこは、空港の無機的な内装・外観には似つかわしくない、豪華なインテリアになっていた。
 絨毯の上を歩きながら、そのふかふかさに何度も転びそうになりつつ、私は用意された椅子に座った。絨毯の上に壁の両端に並べられたそれらの椅子は、重役室に置かれていそうな、高価そうなどっしりとした皮張りものだった。
 内装の豪華さに「おいおい、庶民がVIPルームに入るなんて、ありえるのかい? 一体、どのようなメンバーなんだ。我らは」と、呆然と口を開けて眺める。目新しいこと尽くめであろう旅のスタートを象徴するようなその部屋の豪華さに、私の旅への期待が高まる。
 しばらくすると、待合室の扉がさっと開き、我がツアー団体のコンダクター、Mさんが登場した。それまでその場で立って雑談に興じていたツアーのメンバーがMさんの姿を見て、慌てて椅子に座り始める姿は、まるで授業開始後に教室にやって来た先生を確認して、慌てて席につく生徒たちのようである。年齢の高い大人たちがそそくさと席につく姿は中々面白い。

 全員が席に着くと、ツアーの仲間の全員の自己紹介が行われた。
 このツアーは、どうやら、おばさんのお友達の先生方によって構成されているらしい。私は、Mさんの登場で慌てて椅子に座った彼らを、何となく先生と生徒の関係に似ている、と思ったが、この大勢の生徒たちは、全員が本物の先生たちであった。彼らが先生であることを知った途端、「怒られたらどうしよう。やばいじゃん」と反射的に思ってしまうあたり、私の先生に怒られた経験の多さを物語っていた。
 彼らを見回していると、私はあることに気がついた。未成年者の私を除いたツアーメンバーの平均年齢が40代~50代なのだ。私と彼らの年齢差は、25~30歳くらいであろうか。面白い取り合わせだ。
 熟男、熟女20数名の中に、少女1人。紅一点か、人間界のスイミーか。
 仲間同士のツアー旅行に、そもそも、なぜ私のような部外者的な若者がポツリと一人だけ混ざっているのだろう、と私は不思議に思ったが、私の参加はおばさんからのプレゼントということを思い返し、私は自分自身を納得させることにした。
 以下、旅の仲間の方々を、先生方と呼ばせていただこう。

 その後、Mさんは一旦回収していた全員のパスポートを、全員に手渡した。私のパスポートは、この旅のために、半年前に交付したものである。初めての海外旅行、初めて作ったパスポート。ドキドキしながらパスポート申請用紙に記入した日のことを、昨日のことのように思い出される。受け取ったそれを開き中を覗き込んだ途端、私は目を見張り、そ知らぬ顔でそれを素早く閉じた。
 記念すべき、最初に交付された世界に一枚しかしかない私のパスポート写真は、極めて恥ずかしいものとなっていた。私の目はシャッターチャンスを完全に外した明らかなトロンとした眠たげの半開きで、さらに白い服を着て撮影したため、白い服と白い顔でやけに写真の白さが際立ち、それは、あたかも顔だけ浮き出た白塗りお化けのように写し出されていた。
 恥ずかしさと後悔に絶えないパスポートを、期待溢れる旅に使用することに少々の後悔を覚えつつも、沖縄人独特の明朗さを発揮して、「ま、いっか!」と気にしないことにした。

 そして、いよいよ出国審査。
 未知なる世界の扉を前にして、私の胸は緊張で高まった。
 ドキドキと高鳴る胸の鼓動を感じながら、金属探知機のゲートの前に立つ。ついに、私は旅への第1歩を踏み出すのだ。満面の笑みでゲートの内側へと第1歩を踏み込むと、その意気盛んに浮き立つ思いとは裏腹に、高らかなブザー音がその場で鳴り響き、行く手を係員に制止されてしまった。
 次々と先生方が足取り軽く楽しげにゲートを抜けていくのを横目で見ながら、しっかり手荷物検査の金属探知機に引っ掛かり、私は係員の指示に従って、両手を上げてバンザイポーズを取る羽目になっていた。周囲の好奇の目の対象になった私は、少々恥ずかしい思いに抱きつつも、元来の目立ちたがりの精神を発揮して、「この状況、おいしすぎる!」と、笑いを得たお笑い芸人のように嬉しさで一杯になっていた。
「はい、もう一度」「またですか? では、もう一度」
 バンザイポーズを取った後は、ゲートを潜り抜けてはブザーが鳴り響く、ということを何回か繰り返し、私の所持品であるジャンパーやベルト、ネックレス、髪留め、鍵などが次々と係員へと押収されていった。
 このまま身ぐるみ剥がされて、この貧乳がばれたらどうしよう……と不安が走った途端、「はい、ジャンパーの金具が原因でした」と告げられ、押収された所持品が次々と手元に戻ってきた。
 金属探知機に掛かっていた理由が分かり安堵しつつ、ジャンパーを着直したり、ネックレスをつけ直したりと、所持品を元の場所に戻していると、「先生方はどこに行ったんだろう。もしや、私って迷子?」と、ふと不安になり、周囲を見回すと、すこし離れた場所で、先生方が集まり、心配そうに私の動向を見守っていた。
 出国前ですらこのようにスムーズに進まないのではあるから、この旅は幸先悪いと言えそうである。少しだけ、不安が胸の内を横切る。

 初めての海外旅行のためか、私にとっては、そこにあるものが全て新しいものであり、驚きの連続だった。
 福岡空港の国際線に移動して、その『国際線』という表示を見ただけで、「コクサイセンだって! すごーい!」と飛びあがりながら叫び、持ち物のスーツケースの検査にも、大きな金属探知機を通すのを見て、「ほんまもんの海外や! 海外や~!」と下手な関西弁で奇声を発し、全てのことに対して大げさに感動していた。
 出発前にありえないほどの大興奮をし、大はしゃぎしている暴走機関車のような私を、先生方は「若いって良いわねェ」と微笑ましいものとして静かに眺めるのみだった。

 飛行機の機内に入る。福岡→桂林のフライトは3時間だった。席につき、胸を躍らせ、「海外、海外、海外・・・」と呟く私の前に、満面の笑みを浮かべた添乗員が機内食を置いた。初めての海外旅行での初食事に嬉しさで胸一杯の私は、「海外のゴハンだ!」と喜び勇んで機内食を覗き込み、引っくり返りそうになった。
 機内食のメインディッシュはザルソバであった。

 ゴゴゴ……と鈍い振動とともに、重低音が、辺り一帯の空気を包み込んだ。足から腹から、突き上げるような重みを感じる。体全体で重力を感じ、しばらくするとそれは一瞬のうちに解き放たれた。飛行機は離陸した。

 おばさんの計らいで窓際の席に収まった私は、離陸した途端、揺れる機体をものともせず、顔をベッタリと窓にくっつけて外を見渡した。「ワーイ、ワーイ!」と手を打って喜ぶあたり、飛行機に乗った小学生のようである。
 窓の外の眼下に広がるは、一面の黒い海。思わず、青色ベースに七変化するエメラルドグリーンの沖縄の海の色との差を思い出し、
「はっはっはっ、この色では沖縄の海にはどうせかなうまい! この辺の海なんて所詮こんなものよ。宿敵だと思おうとしてた我輩が愚かであったわ。ハッハッハッ」
と、悪代官のようなダミ声を上げそうになり、慌てて口を閉じる。

 徐々に機体が持ち上がっていくのを全身で感じ、シートに身体を預ける。身体を押し付ける重力を感じた瞬間、遥か向こうに福岡の街並みが見えた。
 遠くなる日本。しばしの別れ。

 さよなら、日本。ただ今から私は中国へと旅立ちます。
 I go on a trip to China. Although this is my first trip overseas by air, I would like to have a good flight. See you later, Japan.

人々の期待と不安を搭載した飛行機は一路、中国は雲南省・桂林へ。なぜかVIPルームでの待合室から始まったこの旅は、その後、様々なトラブルに見舞われることになる。「足成」さまより画像借用。


桂林チック

 桂林へは3時間のフライト。微妙にガタガタと揺れる機体にしばらく身を委ねていると、私の睡眠不足の身体は瞬く間に睡魔の虜になってしまった。いつしか私は、泥のように深い睡眠の闇へと落ち込み、座席にずっしりと沈み込むように眠り込んでしまっていた。
 グラリと大きく機体が揺れた拍子に、私の膝元に置いていた文庫本がするりと床に滑り落ち、パサッと音を立てた。その本の落ちる音でふっと目を覚ました私は、大きな欠伸をして、落ちた本を拾い、何気なく本を開いた。本の文面のぼやけた文字が次第に形成され、自然と脳裏に染み渡るのを感じる。私は、やっとそこで、睡眠不足でもやがかった自分の頭が機内での仮眠で満たされ、晴れ渡っていることに気付いた。
 腕時計を見ると、フライトは1時間以上経過していた。1時間もぐっすりと眠れば、私にとって睡眠不足は完全解消である。体力的に不安を覚えていたのはいつのことやら、今や私は、目がギラギラと冴えて輝き、やたらと無意味にガッツポーズをしたくなるほど元気一杯になっていた。わけもなく背伸びをしたり、柔軟体操を行おうとしたが、ここが静かな機内であることを思い出し、私は大人しくすることにした。
 手にした文庫本と窓をしばし見比べていたが、飛行機が雲を切り、地上が見渡せる位置にあることに気付き、機窓からの眺めを堪能することにした。

 そこに広がるは、雄大な中国大陸。
 緑の大地の中に、大きな河から浸出した茶色い水が、田畑を飲み込み、アメーバ状に四方八方に広がっているのが見えた。それは、昔からそこにあったかのように、湖のように巨大な大きさで、豊かな水を誇っている。
 数日前に長江の氾濫のニュースを聞いていたが、実際に上空から見るとは夢にも思っていなかった。これから旅で感じるであろう中国の雄大さと、その片鱗を垣間見た気がした。

 山並みや街並みの細かい輪郭が迫るところまで飛行機が飛来すると、着陸は近い。機内放送が流れ、それがいかにも海外旅行ちっくに、中国語・英語・日本語であることに、「海外って感じだ!」という海外初心者らしい喜びに包まれる。機内放送に日本語も含まれることに、日本人乗客の多さを伺える。

 午後7時頃に桂林空港に到着。
 飛行機を降りると、長時間のフライトで、体中の血液が左右に微妙に揺れていた。泥酔した人のように身体全体を不安定にふらつかせながら、スーツケースを引っ張るというより半ば引っ張られながら、たらたらと入国審査の係員の元へと向かって歩く。
 桂林空港は閑散としていて、人の姿が全く無く、ほぼ私たち一行の貸し切り状態だった。リノリウムの床に一行の足音が響く。
 空港の壁に張った横長い垂れ幕が目に入った。歓迎の言葉が書かれているのだろうか。朱色の布に金色の文字という、中国文化の象徴のようなデザイン。その字が中国語であることに、ここが中国であることを実感する。垂れ幕の朱色が目に染み、胸が一杯になる。

 とうとう中国に来たんだ・・・・・・。

 係員に制止されることも、事情聴取も、麻薬捜査犬も、中国マフィアの銃撃戦も、映画祭の赤じゅうたんも登場することなく、呆気なく入国審査を終えると、その足で空港の外に止めてあるバスへと向かう。
 外へ足を一歩踏み出したとたん、外気に触れ、全身からドッと汗が吹き出した。桂林の気温は摂氏37度、暑い訳である。

 バスが空港を出発し、市街地の建物を間をすり抜けるように進むと、やがてのどかな桂林の街並みが目に飛び込んでくる。
 桂林は、石灰岩台地で出来た、世界的に有名なカルスト地形である。そのためか、街中に、建物と付随するかのように、ごく普通に巨大な奇岩や奇峰が林立するようにそびえ立っていた。
 道路ギリギリ時まで迫ったそそり立つ巨大な岩山と、その下に散在する小さな民家。そのあまりのアンバランスさに、おどろおどろしく目を見張りながら眺める。緑無く、ゴツゴツとした岩肌を露にした山々は、無理矢理に坊主頭にされた野球少年の頭を連想させ、痛々しく思えた。

夕闇と夕霧に包まれた山々は、これぞ桂林チックである。陰影のついた山々を見ていると、仙人になった気分になる。巨大すぎる山々の下に、余りにも小さい、玩具のブロックのように散らばった家々。そのコントラストが面白い。 あたかも、円谷プロのウルトラマン撮影セットのようである。

 ほんのりと霧がかり、遠くに霞んで見える雄大な山々。山と山の連なり、重なり。夕日の輝きを受けて見事な陰影がついたその様子は、まさに墨汁画の山、そのものである。私はこれらを「桂林チック」と命名することにした。繊細な表情を浮かべる薄墨色を浮かべた山々は、「桂林チック」そのものである。
 標高の高さゆえ雨が降ると雨雲に遮られて見ることの出来ない富士山とは違い、桂林の山々の標高はそれよりは充分低い。そのために霧に包まれることはあっても、雲に隠れてはおらず、訪れた観光客に、ごく日常のように壮大な景色を豊かに両手を広げて見せてくれているようだ。その懐の広さに、「よっ! 太っ腹! ヒューヒューだよ!」と時代錯誤のギャグを飛ばしたくなった。


ここは、中国?

 空港を発って数十分後、バスはホテルに到着した。ホテルのロビーに足を踏み入れ、目の前に飛び込んできた光景にしばし絶句。豪華というよりも品の無さを感じてしまうような、ありえないほどの金ピカのけばけばしいロビーの内装に、「このインテリア、まるで浅香光代みたい!」と思わず歓喜の声を上げてしまった。
 鼻歌なぞ歌いながら、ロビーを見回すと、やたらと無理した豪奢さが目に付いた。ロビー奥には、南国風に飾り付けのされたプールのつきの中庭、ロビー隅には「見なさいよ!」と美川憲一のような声で自己主張していそうな巨大なヒスイの原石、さらには、ロビー中央には見事に磨き上げられた黒光りするグランドピアノ。
 そのピアノの前では、とてもホテルの制服とは思えないが、ホテルの内装とはピッタリの宝塚歌劇団風のド派手な衣装を着た女性が、ショパンの「英雄ポロネーズ」の調べを優雅に奏でていた。

 クラシック音楽好きな私がとりわけ好きなのが英雄ポロネーズ、となれば、私は旅疲れも忘れ、ロビーに佇みながら、うっとりとピアノ曲に聞き入るのみである。中間部分が勇壮で好きさぁ・・・・・・と微笑みつつ曲に聞き入っていると、にわかに曲調が変わった。何だろう、この曲。聞いたことあるなぁ、と考え、その曲名を思い当たったとき、私は悲壮感で一杯になった。
 流れて来たのは、滝連太郎の「春」だった。日本人観光客のサービスのためか、わざわざ日本の曲を弾いているのである。同じ日本人として、誠に恐縮である。
 ふと気付けば、そのピアノ曲に合わせて日本語で歌い出す不謹慎な人たちが現れたではないか。
「中国でなぜ日本曲を合唱しているんだい、皆の衆」
 不審に思ってその声のする方向を見ると、我がツアーの先生方が、ピアノを囲み、「春の~うららの~隅田川~」と口を大きく開けて、大合唱していた。全員が三輪明弘のような実に見事なビブラートを効かせた熱唱ぶりを発揮し、これでNHKのど自慢に出たら鐘2つは間違いない―――と感心しそうになり、慌てて首を振る。
 私は同じ日本人として恥ずかしくなった。

 おいおい、ここは中国だよ、先生たち。郷に入りては郷に従え、というじゃありませんか。中国に入りては、中国音楽を楽しむ、それを自然の流れと言わずして、何と言おう。

 「同じツアーのメンバーとは思われたくないぞ、おい」と、羞恥心と嘆きで赤面し脱力している私をよそに、先生たちは、我一番の美声、と言わんばかりに、一層高らかな裏声をロビーに響き渡らせ、ピアノ演奏に合わせて「待ちぼうけ」「富士山」「荒城の月」「ふるさと」等々のジャパニーズミュージックを熱唱し続けたのであった。

 夕食。中国独特の八人掛けの円形テーブルに着席した私は、「ようやく中国らしくなった!」と満悦した。箸を取り、満面の笑顔で頷く。
 いざ、これから押し寄せる怒涛の中国文化を満喫しようではないか!
 異文化の切っ先に触れただけでささやかな喜びに浸るもつかの間、目の前に現れた哀しい現実に、私はまたもやどっと脱力感に襲われた。
 円卓のそばに設けられたステージで、可愛らしいチャイナ服を身につけた弦楽四重奏の奏者たちが、先程のジャパニーズミュージックを演奏していたからである。
 それらのジャパニーズミュージックが、中国での大ヒット曲であるならまだしも、小学校の音楽の教科書に載っていそうな唱歌であるから、どう考えても、日本のオジサン・オバサン好みの歌としか考えられない。日本人に大変気を使ってくれるのはありがたいが、これじゃまるで日本文化を押し付けているようではないか。

 私は中国の地で、中国の音楽が聴きたいんだ! 
 中国の地で、なぜ意図的な日本音楽を聞かねばならんのだ!

 中国で日本音楽を聞く矛盾に憂いた私の悲痛な心の声は誰にも察せられず、こともあろうに先生方は「ちょっと、喜納昌吉の“花”を弾きなさいよ」と演奏家たちに日本語でリクエストしていた。
 ―――私は自分が日本人であることに初めて後悔した。

 私は諦めの面持ちで、テーブルに意識を戻した。
 食事はもちろん中華料理。テーブルには、どこかで見慣れた料理ばかりが所狭しと並べられている。酢豚、チンジャオロース、チャーハン、卵スープ・・・・・・。中国料理が日本にいかに浸透しているかが分かる。異国文化の食事というよりは、街角の中華料理屋という馴染みある食事である。
 「美味しそう・・・・・・」
 私は空腹を訴える腹の虫をなだめつつ、箸を取り、チンジャオロースに手を伸ばした。チンジャオロースと言えば、牛豚などの肉とピーマンを炒めた物である。細切りされた緑色のその物体をすっかりピーマンと信じ込んで口に入れたのだが、それはしし唐辛子だった。
 しし唐辛子を口に放り込み、喜び勇んで勢い良く噛み砕くと、何とそれは"当たり"だった。口中に猛烈に痺れるような激痛が走る。
 宝くじはおろか、露店のクジですら滅多に当たりを引くことの無い、クジ運の悪い私が、旅行初日に"当たり"しし唐辛子に当たってしまった。
「そりゃないよ・・・・・・親にも殴られたこと無いのに!」
と、思わずガンダムの名台詞を叫びたくなった。この当たり運の良さを別の機会に使いたかった、と嘆きと悲壮感で顔面一杯を歪めつつ目に涙を浮かべながら、大急ぎでコップに入った水をあおる。しばらくして激痛は、ヒリヒリとする辛さになった。
 それにしても、チンジャオロースで、なぜしし唐辛子? とは思ったが、それは文化の差。ピーマンだって、西洋唐辛子である。ここで差別したら、しし唐辛子に悪い。
 「しし唐辛子よ、ごめん。あたしが悪かったよ」と反省しつつ食事を終えた。

円卓に並べられた色とりどりの食べ物群は、本場の中華料理そのもの。大人数で互いに顔を見つつ話しながら、同じ料理を譲り合って食べる、この独特の食文化は素敵だ。手前右にあるのが問題の、しし唐辛子チンジャオロース。

 食事を終えると、ツアーコンダクターのMさんから部屋の鍵を渡された。
 私とおばさんがスーツケースを重そうに引きずりながら2人で使うことになっている部屋へと向かうと、その後を追うようにしてドアボーイが小走りに私たちの元に辿りつき、何やら叫んでスーツケースを取り上げた。
 どうやら、スーツケースを部屋まで運んでくれるらしい。スーツケースを運び終えたドアボーイに、おばさんがさりげなくチップを渡しているのを見て、私は思わず「海外っぽい!」と感動を覚える。

 部屋の鍵を下ろし、ベッドに寝転がる。「中国に来たからには中国番組を見なきゃね」と思い、未だに先ほどのジャパニーズミュージックが脳裏に漂う中、期待を込めつつ、テレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れた。
「おお! モノホンのチャイ語だ!」
 テレビの中から現地の言葉が聞こえてくると、「やっと中国文化!」という嬉しさで心が浮き立った。耳を澄ませてそれに聞き入る。早口の中国語は、なぜか懐かしい気分にさせられる。
 しばらく目を閉じたまま音声に聞き入り、リモコンでチャンネルを適当に押すと、突如、明らかに上手な日本語が耳に飛び込んできた。私は思わず目を見開いた。呆然とその番組を食い入るように見つめる。
 中国で、なぜ日本語番組?
 眉間に皺を寄せつつ、不審に思いながら、その番組をよく見ると、見慣れたテロップが流れた。
 NHKだった・・・・・・。

 私は確か中国というパスポートの使用する外国に来ているはずである。なのに、中国文化を意図的に回避させられるという、この惨状は何なのだ。
 きっと、このホテルに訪れた日本人が、「あれ、NHKくらい放送してるとおもったのに。残念ね。フロントに言っておかなくちゃ。」とホテル側に注文したのだろうか。そう、さっきのジャパニーズ音楽のように。それ以外には思いつかない。もはや哀しすぎて涙すら出てこない。
 日本人よ、柔軟な思考を持つべし! 私はそれを切に感じた。
 ベッドにもぐり込み、夢の世界へ旅立ちながら、私は「ここは本当に中国なのだろうか」という一抹の不安を覚えつつ眠りについた。1日目の夜は更けて行く。

【第2章へと続く】


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