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中国旅行記「乙女通信」第6章第2節

 


 

五百羅漢、大いに紛糾する

 次に華亭寺へと向かった。五百羅漢像を見るらしい。

 五百羅漢。ガイドの話によると、五百羅漢とは、釈迦の没後、その教義を正しく伝えるために集まった最高の修行者・阿羅漢たち500人のことらしい。その五百羅漢の像ということは、修行者・阿羅漢たちを像にしたということであろうか。

 一見、ごく普通のお寺と特に変わった感じはしないが、寺の外観の赤と金を豊富に使った色合いと、豪華で流麗な装飾は、いかにも中国映画に出てきそうな荘厳なお寺、という感じであった。その素敵な外観の風情に、ふらりとどこからかキョンシーが現れてもおかしくはない。
 寺の正面には、仁王像のような、対になった二体の茶黒い巨大な像が鎮座していた。首を真上に向けて目を凝らすと、遠く空に向かってそびえた像の頭がやっと目に入る。大仏のような能面ではなく、般若のように顔をユーモラスに歪めているのが見て取れる。木彫りなのか土像なのかは知らないが、実に大胆な造形物である。
 重々しい巨大な像を眺めていると、それが「阿羅漢」というよりは、ニュアンス的にサザエさんを目を丸くさせて、「あらかん!」とひらがな表記で叫ばせたくなる。思わず、「アラカ~ン」とヨーデル風に歌いたくなった。五百羅漢さんも、まさか自分を見て、そのリアクションがヨーデル歌いだとは思わなかったに違いない。

 寺の中に入ると、きつい線香の香りが鼻をくすぐる。煙たいと思えるほどの濃い煙の香りに、少々むせ返りそうになりながらも、足を進める。早速カメラで羅漢像を撮影しようとカメラを手にすると、早々とガイドに制止された。ここは撮影禁止らしい。渋々、カメラをリュックサックの中に納める。
 線香の香りを通り過ぎると、仁王像の縮小版のような五百羅漢が目に入った。雛壇に連ねるようにして、大合唱団の整列のごとく羅漢像が所狭しと並べられている。実に個性豊かな格好や表情をした、人間と同じ位の大きさの羅漢像が総勢500体も並べられている様は、実に中国文化のスケールの大きさを感じる。
 多くの羅漢像に囲まれ、しばしそこに佇む。威圧感すら感じる羅漢像の多さに、ただただ呆気に取られて眺めるばかりである。口から漏れる言葉は、壮観、その一言であった。

 900年に及ぶ壮大な歴史の重みが、スライム状になってゆったりと訪れた人の身体全体を包み込む。私のように、仏教を全然知らない者であっても、五百羅漢の凝縮された歴史の水滴が、見る者の全身の毛穴に充填し、染み渡る。
 これを見るために訪れる多くの人は、時代の一瞬、一瞬ごとに、その五百羅漢と混在する空間を共有する。数百年の時を経て、数世代の人たちを見てきた羅漢像たち。仮に、彼らの元を訪れた訪問者リストがあるならば、数百冊のぶ厚い電話帳のようなリストの中、旅程に訪れる観光客は、それらの本の1ページに、とても小さな字体でのごく1行に書かれているに過ぎない。羅漢像の歴史の物差しにおいて、私はほんの数ミクロンしか刻み得ない。埃を被ったただの古い建造物、と一言で片付けるには、五百羅漢の歴史の積雪は非常に重かった。

 羅漢像をじっくり眺めると、それらが全てが個性的で独特の表情をしているのが面白い。足の長い像や手の長い像、尋常ではないほど長い髭や眉を持つ像、なぜかウナギを手にしている像や、歴史の教科書でいつぞや目にした偉大なるガンジーさんそっくりさんの顔の像もあった。
 こんなに個性豊かな像たちが混在するこの場所は、維持管理はいかにも大変であろう。これらの像をじっと見つめていると、ふと脳裏に五百羅漢たちのざわめきが聞こえるようである。例えばこんな感じに―――。

 一人の女性が五百羅漢の前に立った。彼女はゆっくりと顔を上げて、周りを見渡すように首を回す。豊かな黒髪が揺れると、彼女の全身から漂うほのかな芳香が周りに拡散した。彼女は何かを探すかのように、丹念に一体一体を食い入るように見つめている。時折、額に手を当てて考え込む仕草を取り、思いついたように首を縦に振って像に見入る。五百羅漢の陳列スペースには、像の前を行き来する彼女のヒールの音だけがコツコツと響いた。
「おい、可愛い子が俺たちを見てるぜ」
 人間には聞こえない声が、陳列された最上段から響く。
「そうみたいだ。ああ、顔が見えない。俺ら、一番上に置かれているから、全然下の方向は見れないじゃん。どうよ。最悪だよな」
 その声が響くのは、同じく最上段。
「ホントだよな。いくらお客さんが来たって、俺たちの位置からじゃ、どんなお客さんなのか、全く見えないし。これじゃ面白くも何ともない」
「今度、ここの和尚の夢枕に立って、俺らの場所を全面リニューアルしてもらおうよ。下のほうに置かれた像ほど上に配置してもらって、上位置に置かれた像は下のほうに置くようにしてもらってさ。あと千年はリニューアルした配置でお願いしようぜ」
 そう声が言った途端、陳列場所の色々な場所から、涌き出るように一斉に次々と言葉が飛び出した。500体の口からそれぞれ違った言葉が飛び出したため、ざわめきは次第に大きくなる。
「大賛成! 私もそう思ってたの。万年上位置にいるから、全然お客さんの顔見ることできないから、嫌だったの。だって、どんな方が来たか、じっくり見たいじゃない。来てくれてありがとう、って言いたいし。今夜中に和尚の夢枕に立とうよ。賛成の方、挙手して」
「ちょっと待ってくれよ。勝手に決めないでくれないかな。大体、リニューアルにもお金がかかるんだよ。どれだけの人件費が必要か、知ってるのかい? 和尚に苦労をかけないためにも、ここは一つ我慢してくれたまえ」
「僕も反対。上位置にいる像が一方的に場所決めするのは不公平だよ。せっかくだからさ、くじ引きでどの場所にするか、決めようよ」
「くじ引きは俺、弱いんだ。他のものにしてくれよ。和尚の頭をタッチした者順とか。ビーフン早食い対決、とか」
「俺たち、動けないんだけど」
「あっそうか」
「こうしようよ。いっそのこと、雛壇みたいな配置は止めてもらって、僕たち全員を下に置いて、横一列に配置するとか。これなら公平だよね」
「五百羅漢を一列にしたら1キロくらい……って、バッチリ寺の敷地をオーバーしてるぞ。一列で陳列するなんて、どんだけ広いお寺だよ」
「じゃあさ、椅子取りゲームしようよ。一曲和尚に歌ってもらって、それが終わると同時に移動して、好きな場所に居座る、ていうのは?」
「何の曲? 《北酒場》とか?」
「渋いねぇ。日本の古い歌だろ、それ。和尚は知らないんじゃないか?」
「じゃあ、誰でも知ってる《We are the World》。僕、シンディーローパーの真似するから」
「中国・雲南省の昆明にある華亭寺……って言ったら、物凄く地域限定だよ。どう考えてもワールドじゃないし。ご当地でワールドソング歌うなんてハズカシイ」
「歌じゃなくて読経にしようよ。それなら和尚も納得するよ」
「えー」「やめてよー」「やだー」
 明らかに不満げな声が陳列スペースに響き渡る。
「何時間でも読経できるタフな和尚なんだよ。椅子取りゲームの開始を待つはずが、長々と続く読経のお陰でみんな安眠してしまって結局ゲームにならないんじゃないかな」
 延々と続く声のざわめき。人間には届かない小波のような声の中、その女性は、ある像の前に立ち、目を大きく見開き、輝かせた。
「これ、これよ!」
 彼女は携帯電話を取り出して、何やら電話を始めた。その顔には満面の微笑が浮かんでいる。それを見た像たちは噴出するかのように一斉に叫んだ。
「おいおい、何かを発見したらしいぜ」
「僕のところからだと後姿しか見えないんだ。こっち向いてくれないかな」
「彼女のバッグについてるキーホルダー、可愛い! 最近の流行かしら」
「彼女と目が合っちゃった! 俺の顔見て喜んでたよ。惚れたかな、彼女」
「ありえん! ウナギを手に持ちながら何を言う!」
「俺の彼女との夢枕でのデートは、ウナギの蒲焼きを食べることにしました」
「それなら僕も、彼女の夢枕に立って、インドでカレーでも食べて来よう」
「じゃあ私は、彼女と一緒に世界一周旅行をしようかしら」
 彼女は像を見つめ優しく笑い、電話口で高らかに言った。
「うん、そう。でね、私の結婚相手の理想は、華亭寺の五百羅漢で例えたら、寺の入り口から数えて左から178番目で最上段の像なの。見合い相手にそう伝えて」
 像たちが歓声を上げた。小波のような声は、一気に嵐のような高まりを見せる。
「やったな、お前!」
「いや、そんな。照れるなぁ。見えにくい最上段だから、誰からも見られて無いと思ってたけど。まさか"結婚したい五百羅漢"のナンバー1に選ばれるなんて、思ってもいなかった。ちょっと嬉しい」
「嬉しさはちょっとだけじゃないだろ?」
「うん……ちょっとだけよ」
「それ、どこかで聞いたことある台詞だな」
「それはともかく、場所のリニューアルはどうなるんだ?」
「お客さんあっての僕たちなんだから、僕たちから見えなくても、お客さんから見られるのなら、それでいいじゃないか。最上段でも、ちゃんと見られていることが分かったんだし」
 その声に次々と賛同の声が上がった。
「そうだね。かなり納得」
「現状維持、ってことで」
「今後ともよろしく」
「では、では」
 嵐のように大きく波打っていた声は、萎むように徐々に小さくなる―――。

 ふぅ。私は深呼吸をした。
 ここまで世俗的な羅漢像を想像してしまって良いものか。曲解も大いに含んでいるのが気になるものの、想像は誰においても自由である。私にとっての五百羅漢の大紛糾はこのような想像に落ち着いた。非常に視野の狭い五百羅漢に対する見解になったが、堅物で近寄りがたいイメージよりも、地元民に自然体で溶け込むような五百羅漢たちであって欲しい。

 きっと。彼らは自然体の生き方をしているはず。絶えることなく五百羅漢像を見に訪れる観光客を見て、きっと彼らは愛されている像たちなのだな、とふと思った。


サヨナラは言わない

 博物館を出た後は、昆明空港へ。これから、雲南省で最初に訪れた地、"桂林ちっく"の桂林に向かうのである。

 ここで、現地ガイドの範さんとはお別れ。桂林では別のガイドさんが案内してくれるらしい。彼女の愛らしい表情にも、素敵な笑顔にも、セクシーなタイトのミニスカートにも二度と会えないかと思うと、とても寂しかった。範さんと過ごした日々は4日間と、とても少なかったが、色々と互いのことを話したことが切なく思い出される。
 熟男熟女で構成されたツアーメンバーの中で、私は彼女と一番年が近く、話がよく合った。ガイドではなく、私には気さくに友達のように接しくれた彼女の心遣いが思い出される。灯った松明の火が消えるような気がした。
 空港の出発口に一行が並ぶ前に、別れを惜しむ彼女と私はひしと抱き合った。互いの身体を離すと、彼女は、「サヨナラは言わないよ」とだけ言った。彼女は目にうっすらと涙を溜めていた。私は唇を噛み締めて、ウン、と頷いた。
 別れの時間は迫っていた。
 一行は次々と出発口の中に吸い込まれるように消えていった。私が出発口の入り口で振り返ると、範さんが寂しそうな表情を浮かべて、出発口の周りに長々と張られたベルトの向こう側で手を振っているのが見えた。

 旅に別れは付き物。

 旅行ガイドは、毎回、旅行者と出会い行動をともにし、旅程を終えると旅行者と別れる。その別れが惜しいからといっても、彼らにはまた新たな旅行者との出会いがある。ふわふわ浮いた雲が、他の雲にくっついても、時が経てば自然と離れてしまうように、ガイドたちは、恒常的に、旅行者との出会いと別れを繰り返さなければならない。浮雲のように漂うガイドたちは、旅行者よりも旅を重ねるベテランのトラベラー、という気がした。

 範さんとの別れに思いを馳せつつ、飛行機は一路飛び立った。
 向かうは、桂林。今回の旅程の最終場所である。
 空港に到着すると、到着ロビーでガイドさんが一行を待っていた。旅行2日目に桂林地区をガイドをした、肝っ玉母ちゃん風の女性ガイドの曲さんである。ふっくらとした体つき、流暢な日本語、博学な知識。彼女の貫禄は、白の割烹着を着た場合に「泉ピンコ?」と間違えてしまいそうなくらい強烈なものだった。

 空港を出て、宿泊先のホテルに着き、夕食。その後、私とおばさん、おばさんのお友達の熟女先生2人は、ホテル近くの公園を散歩した。
 大きな池を囲むように作られた公園。夜9時とあれば、太陽はとっくに沈み、月が空の雲の切れ間から時折、顔を覗かせている。
 月明かりの下と夜の公園、ときたら、そこは愛を囁き合うアベックには、まさに憩いの場である。公園の至る所でお熱いムードのアベックがいた。熱帯夜の昆明の気温は、彼らのアツアツさで更なる気温上昇が約束されたようだった。

 私たちは、公園のちょうど中央に位置する、東屋のような屋根つきのベンチに辿り着き、そこに座った。言葉無く月を眺めようかと思ったが、そもそも、私以外にここにいるのは、麗しき熟女3人である。案の定、という感じで、熟女たちは座ると同時にお喋りが始まった。それを見て、「お喋りいきまーす! よーい、アクション! カチッ」と、どこからか鳴り響いたテレビのディレクターの声の合図とカチンコ音を聞いて始まったような、彼らの神業のごとき一斉の喋り出しに目を見張った。凄すぎる。

 夜の公園は、鮮やかにライトアップされていた。クリスマスシーズンのイルミネーションのごとく、と言うと聞こえはいいが、どうも首を傾げたくなるような色彩の電飾だった。それらの配色を見て、思わずアングリと口を開けてしまう。
 黄金色に輝く電球であれば、それが数珠繋ぎになって木に巻きついた場合、それは夜の闇に映え、星の瞬きのような美しさを見る者に与えてくれるであろう。しかし、この公園の電飾は、赤・青・黄色・緑・紫という、電飾で使える全ての色を強引に寄せ集めたような、統一感全く無しの色彩だった。色合い一切無視のイルミネーションは、5つの電球色を悪趣味に交互に配色して数珠繋ぎにし、幾つもの半円形を作り、それを連ならせて、池の内側の側面に張りつけて池を一周させていた。それは、小学校の誕生日会やクリスマス会などで、色鮮やかな折り紙を短冊状に切り、それを筒状にして数珠のように繋げていき、天井付近の壁に波型に飾る……という、数珠状の物を飾るための原始的な飾り付け方法であった。
 もう少し創意工夫が見られてもいいのではないか、と思ったが、これも文化である。これはこれでいいのだ、と私は自分自身に言い聞かせた。中国の人たちが、素直に、あるだけの配色の電球を寄せ集めて、ごくシンプルに公園を飾ろう、と意図したかが見て取れる。しかし、じっとそれら電飾を眺めていると、目が徐々に刺激され、チカチカと瞬きが多くなり、ふっと目眩が襲い、視野が薄くなってきた。
 「5色使いはシンプルなのであろうか?」「むしろ一色のほうが」「でもどっちにしろ」「派手」と次々に浮かんだ想いは言葉にはならず、それらの想いが静かに消えたとき、私は電飾を見ていなかった。電車の座席で眠るサラリーマンのように、舟をこぎながら、いつしか眠りに落ちていた。電飾が眠りを誘ったのか、おばさんには起こされるまで私は眠ってしまった。

 その日の夜の夢。電飾は様々な色で発光したクラゲになっていた。そのクラゲの触手を私は手で握り、コバルトブルーの海の中を一生懸命泳いでいた。ふと海面を見上げると、人魚になったガイドの範さんが優しい笑顔を浮かべてどこかへ泳いでいくのが見えたのだった。

【第7章 第1節へと続く】


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