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中国旅行記「乙女通信」第7章第1節

 


 

胸ときめく璃江下り

 6時起床。身体中に重く疲労が蓄積されていると思いきや、朝シャワーに入ると、元気ハツラツとなり、濃霧警報発令中だった寝起き頭は、次第に晴れるようにスッキリとなった。意味なくガッツポーズを繰り返したり、、昨日の五百羅漢の余韻からか、「アラカ~ン」とヨーデル歌いをしたくなる自分にハッとすることしばしばだった。
 朝からハイテンションなのはいつも通り。今日も万事OKである。

 昨日行った公園を散歩することになった。おばさんと連れ立ってホテルを出る。夜はアベックだらけであったが、朝はやはりアベックは姿を消し、太極拳に勤しむ人たちで賑わっていた。
 人々は楽しそうな表情で、スローモーションのように伸びやかに身体を動かしながら、ゆっくりと太極拳の型を一つ一つこなしてゆく。それらの人たちの集団の一番後ろに立ち、私も太極拳に挑戦してみたが、ロボコップ並みの硬いギクシャクした身体つきゆえか、思うように身体を動かせなかった。時折、転倒しそうになり、私のそばで上手に太極拳に励むオバチャンたちの微笑を何度か誘った。思わず、「これでも高校時代は運動部だったんだから!」と誰も聞いていない弁解を心の中で唱え続けていた。

 アベックがいないとなれば、朝の公園は、電飾も5色の交互使いという悪趣味な発光をしていない。電飾は、太陽の光を静かに受けて、数珠繋ぎになったタニシのように池の表面に所在無く張りついていた。

 ホテルを出発し、いざ、桂林メインイベントの「璃江下り」へと向かう。「これがなかったら、ここに来た意味が無いさぁ。今日のために昨日はお酒を控えたんだよ」と嬉しそうに豪快に笑う一行メンバーの熟女たちは、破天荒に明るい普段よりも、更に烈火のごとく陽気であった。彼らが毎日の食事の度にジョッキビールを湯水のように飲んでいる姿しか見たことのなかった私は、「お酒控えたんだ……。璃江下りはそこまで人を変えるのか」と感嘆しきりだった。

 ホテルを出発したバスは、自動車事故による渋滞に巻き込まれつつも、1時間かけて何とか出航時間までに船着場に到着した。
 駐車場は人と車でごった返していた。灼熱の太陽は、下界を徹底的に照射し、車を燃えた鉄の塊へと、地面を焼けた鉄板へと変えていた。あらゆる場所から立ち上る熱気は陽炎となり、灼熱の下に佇む人々を朦朧へと誘う。

 璃江下り。それは、桂林から陽朔までの80キロ余の川を遊覧船に乗り、4時間程度、景観を楽しみつつ川下りをする、というもの。
 「山水画の世界が間近で見れますよ」と、嬉々として話すガイドの曲さんやMさん。先生方もとても嬉しそうにはしゃいでいる。それらの様子を見て、山水画が何であるかが分からない私は、首を傾げるしかなかった。「さんすいがってナニ……?」と、何でも鑑定団で二束三文にもならない偽者の掛け軸の墨汁絵くらいしか、私の知るところではないが、とにかく、それを知らなくても、今から山水画そのものを見ることができるのである。そこで風景を目に焼き付けるのみ。意気込みと心意気を、充分にポケットに携え、いざ乗船場へ。

璃江下りの船着場にて、乗船前。
何事が行く手に待ち構えているのか分からず、不安と期待で胸一杯である。船の屋根が、金の縁取りをされていて、意味無く豪華なのが気になる。


乗船、展望、ドキドキ

 いよいよ乗船。
 乗船場は、物売りや客などで通勤電車のラッシュアワーのようだった。照りつける太陽を浴びて、私のTシャツは早くも汗だくになっていた。込み合う人込みの中、スリに遭わぬようリュックサックを厳重に胸元に抱えながら、空いた手でタオルを持ち、汗を拭う。出航時間まで20分、という旨が伝言ゲームのようにツアーメンバーの耳元に次々と伝えられ、私の耳に届いた。
 乗客は、目の前の気の遠くなるような人込みを前にして、間に合うだろうかと焦燥しながら、ただ人の波をかき分けつつ乗船口へと急いで向かう。時折、商品を売る物売りに商品を差し出されて行く手を阻まれたが、無視をしてひたすらを乗船のタラップを目指す。私は、どうやって人の間を上手くすり抜けるかを考えながら、絶えることなく、呪文のように、「アイ・ハブ・ノー・マネー!」を棒読み英語で叫びながら、道を急いだ。そうこうしているうちに、何とか無事に船のタラップを踏むことができた。
 私の山水画への期待は、カウンターパンチ並みに押し寄せるラッシュアワーの暴風によって、萎みつつあった。早くも全身疲労で脱力感一杯である。どうも元気ハツラツの未成年の体力ではない気がするが、これも一興である。何とか自分を言い聞かせながら出航を待つ。

 「乾杯!」
 船内の1階にあるレストラン。6人掛けの対面テーブルに人を押し込むようにして、8人掛けにして、腰を下ろす。寛ぐ間もなく、ツアーメンバーは、ビールを注文した。璃江下りの出航の合図を乾杯の合図に見たて、ジョッキグラスを次々と触れ合わせると、レストラン内に、軽やかなガラスの音が響き渡る。
 光の反射でキラキラと光る華やかな大きなジョッキの横には、未成年者の私のために運ばれてきた中国茶の入った小さな湯呑み茶碗がポツリと寂しげに置かれていた。

 食事を終えると、一行は2階デッキへと向かった。
 正午頃のため、太陽は真上からその光を降り注いでいる。私は太陽を遮るようにして手をかざし、前方の景色を見入る。眩しくて目を開けるのが辛い。日陰の場所はないかと左右を見回したが、そこを目にしたとき、希望的観測ナッシング! と合点のポーズを取り、私はガックリと肩を落とした。
 1階へと続く階段付近に、金の縁取りした申し訳程度の日除け屋根があったものの、その下には、スチール椅子にどっしりと腰掛けた、薄茶色の大きめのサングラスをかけた威厳あるオバサマたちが数人鎮座ましましていたからであった。
 もちろん、私には、彼らからその場所をお裾分けしてもらおうなどという勇気を持ち合わせていない。恐らく、話しかけて彼らに凝視されると、メドゥーサの瞳に見つめられたのごとく、硬直し固まってしまうに違いない。そして、その呪縛から解けた後は、彼らに怯えたまま、生まれたて山羊のように、ワナワナと四肢を震わせ、「だるまさんが転んだ!」と意味不明の断末魔の声を上げて、2階デッキから姿を消すであろう。
 したがって、何事も平穏を重んじる私は、素直にデッキの隅に佇んで景色を堪能することにした。
 どんな景色が私の眼前に広がるのだろう。私の胸は期待と興奮と高揚で、連打するティンパニのごとくドキドキと高鳴っていた。


時にはマーライオンのように

 しばらく船が河を下ると、奇峰と呼ばれるゴツゴツとした山々が次々と姿を現し、船を取り囲むように、その雄大な姿の片鱗を見せ始めた。

実に豊かな膨らみを見せる緑の帯のごとき雄大な山並み。素人のしがないカメラに、さりげなくその真髄の一部を垣間見せてくれる、その懐深さに言葉もない。パノラマカメラには決して収まることのできないビッグスクリーンがそこにある。 

 緑生い茂る山々。幻影かと見紛うばかりの、前後左右を壮大な大自然のキャンバスに囲まれるという幸せ。
 それらの圧倒されるスケールの大きい風景に、私は声もなく愕然と立ち尽くすばかりである。と言えば聞こえはいいが、私は、「アキサミヨ!」と沖縄方言の驚いたときに発する感嘆詞を脳裏に旋回させながら、ポカンと口を半開きにして呆然と見入っていた。その開いた口に羽虫が飛び込んだ場合、その虫を確実に確保できるほどの長時間、口を開けっ放しにしていた私は、マーライオンも真実の口もかくや、というくらいの延々と口を開けていた。ハッと我に返って慌てて口を閉じると、ヒリヒリと口中が乾いているのが分かった。口の中に虫が迷い込んでいないことを、桂林の山に感謝した。

 バシャシャシャ……と鳴り響くシャッターの音にビックリして振り向くと、大勢の人たちが手にしたカメラで景色を収めようと励んでいた。
 ある人は、次から次へと、カメラフィルムをカメラの中に収めては、すぐさま撮り終え、フィルム交換をしている。ある人は、見るからに重そうなカメラを数台首からぶら下げ、景色に応じて使い分けながらカメラ撮影をしている。またある人は、突如寝そべったり、船からカメラを落とすようにしてギリギリの水面を撮影したり、と機敏にカメラワークを駆使していた。
 カメラフィルム20本をこの璃江下りだけで使い切ると言っていた私のおばさんは、絶えず俊敏に動き回り、シャッターを落としていた。
 私は、と言うと、カメラを首にかけたものの、時折カメラを構えて、心に響いた景色を撮る以外は、目の前に広がる大自然を目に焼き付けることに興味を抱き、大自然のキャンバスにただひたすら見入っていた。
 カメラを手にしていない他の人たちは、デッキの片隅に身体を寄せ合い、太陽の光に眩しげに目を細め、「自然より世間話」と言うべく、景色に目をくれることなくお喋りに勤しんでいた。
 ゆったりと流れる時間を、思い思いの行動で過ごす。

 徐々に日差しが緩くなり、風はゆるりとデッキの上を滑り、乗客の身体を包み込んでいた。桂林の河を下りながら、視野一杯の景色を堪能する至福。まだ川下りは始まったばかりである。

眼前の光景を声もなく見入る人たち。景色の一瞬の移ろいを逃すまいと、人は景色をカメラに収めようと苦心する。
しかし、そんな人間の様子を嘲るように、景色はカメラのファインダーを悠に凌駕し、収まることを許さない。桂林の小宇宙をまた1つ、ここで見つけた。


晴れのちドラゴンボール

 天高い、すっきりと晴れた青い空。
 目の前を過ぎ行く、緑濃い山々。
 自然への畏敬の念を胸に、人はこの大パノラマに見入る。

快晴日和の璃江下り。
風景は霧に隠れることなく、緑豊かな山の様子が露になって鮮明に視界に飛び込んで来る。これはまさに、墨汁で書かれた山水画ではなく、ドラゴンボールの風景画である。

 桂林の快晴は、人の視野をほとんどクリアーにし、余すところなくその姿を見せている。山に茂る木々の葉擦れまで、圧倒するように人々の前に露にしていた。こんもりと連なった山々は、その山並みの大きな隆起と窪みが、男性の隆々とした筋肉を連想させるためか、雄々しさと力強さを感じさせる。
 それは、墨で書かれた山水画と見紛うようなものではなく、ドラゴンボールの実写版の世界のように見える。孫悟空が自由気ままに飛び乗っていそうな山々のようである。これらの山のどこかで孫悟空、あるいは同等の能力を持った者が山を飛び回り、修行に励んでいるのではないかと思い、目を凝らして山の隅々まで一生懸命、見つめたが、川の水量の多いためにスピードの速い船の進行では景色は早く過ぎ、じっくりと見ることのできない。孫悟空の発見は困難であった。

 快晴の"桂林チック"は、ドラゴンボール世界。
 曇天の"桂林チック"は、墨で書かれた山水画。

 景色が天候に完全に左右される璃江下り。
 雨の日は、濃霧により完全に視野を遮られ、景色を見ることはできない。快晴の日は、山々の姿が露になって見え、奥行きを見ることはできない。曇天の適度に霧深い日が、山水画のような景色を見るのには良いのであろう。
 したがって、霧に包まれて、山並みに奥行きと陰影のついた幻影のような山水画の世界は、快晴の今回、拝むことはできなかった。「こんなことなら、前日に靴を投げて天気占いをして、強引に曇天が出るようにすれば良かった!」と悔やんでも後の祭である。  "桂林チック"を拝めるか否かは運のみである。

 それにしても、山水画はどこに行ったのだ。眼前には山水画の名残すら見当たらない。常時ここに山水画の世界があると思っていた私は、目の前の雄々しい緑の帯の山に、「山水画どこ~」と哀しげに口走りそうになったが、はたと思い直した。
 残念がることはない。ドラゴンボール世界がここにあるのだ。山水画を見に来たのではない、夢のように波型に連なった山々を見に来たのだ、と思えば、これ以上の感動はどこにあろう。

 私は次のフレーズを思い出し、大きく頷いた。思わず笑顔になる。
 桂林の晴れ、のちドラゴンボール。

桂林の曇りのち、山水画。「これぞ"桂林ちっく"!」と見惚れ、感嘆の溜め息をもらす。山水画とは、こうあろうものかと心奪われる美しさである。Happy Familyさまより借用。


巨人の盆栽

 これら不思議な形状の山々を見ていると、それらがあたかも、ガリバー旅行記に出てくるような巨人が、気まぐれに土いじりをして、土を盛り、それに緑コケを貼りつけて作った盆栽のように思えてくる。そう、例えば―――。

 原始の時代、まだ世界が混沌としていた頃、その地に巨人が住んでいました。巨人は毎日、することがなくて、筋肉トレーニングをして暮らしていました。彼は、誰も見ていないのにもかかわらず、始終、自分の美しい身体をつくづくと眺め、足元にある豊かに湛えた川面に、筋肉を隆起させるポーズを取る自らの姿を映し、「なんて僕は美しいんだろう」と、自己満足の独り笑みを浮かべていました。
 ある日、彼は自らの鍛え上げられた筋肉を見て呟きました。
「僕の身体は最高に美しい。でも、それが永遠に続くとはどうしても思えないんだ」
 そう言うと、彼は哀しい目で天を見上げました。天高く昇った太陽を指し、叫びます。
「毎日僕を照らしてくれるあの光だって、最初は白い色なのに、時間が経つと赤く燃えて次第に消えていく。暗くなった闇の天に輝く大きな光も、時間が経てば、段々白くなる空と混じってその色を失う。闇色の天で小さく瞬く星屑たちも、時と共にその場所を変えて、移ろいを見せる。全てのものが永遠ではないことを、光たちは僕に教えてくれているんだ」
 彼は大きく頷きました。そして、やおら足元の土を一掴み拾い上げ、誰も聞いていないのにもかかわらず、嬉々としたはっきりとした声で力強く叫んだのです。
「僕の素晴らしい筋肉はいつ衰えてしまうか分からない。僕の筋肉のベストな形状を何かに記録しておこうと思うんだ。幸い、ここには膨大な大自然のキャンバスがある。この土を固めて造形し、僕の筋肉の模型を作ろうではないか! そうしよう! オー!」
 彼は嬉しそうに顔を綻ばせて、ガッツポーズをしました。独りで議題を提案し、自分でそれを決議するという侘しい独り芝居を繰り広げた後、彼は準備に取り掛かかりました。
 そして数日後。
「これが今日の筋肉記録」
 巨体をしゃがみ込ませて、彼は、川辺に小さな山を次々と盛り、押し固めていきました。大真面目な顔でブツブツと呟きながら、
「これらの模型が全部茶色だと味気ないから、緑コケを全体的に貼って、もっと隆起の彫り深さをアピールしよう。さぁコケを探そう! イェイ!」
 誰も周りに居ない以上、アピールの必要性は何ら見当たらないものの、そんな自分の状況を幸福にも省みることなく、彼は有頂天になって、ひたすら筋肉オブジェ製作に没頭しました。
 そして、出来上がったのが、川沿いに二列に蛇行したポッコリとした山々でした。
 彼はそれを何度も見るにつけ、自らの身体と見比べて、
「似てるけど、ちょっとオーバーに作っちゃったかなぁ。でもいいか」と少し照れた様子で、頬を赤らめました。夢見心地にうっとりと見つめて、「最高、完璧」と、何度となく呟きました。
 そうして、彼は「明日の筋肉記録用のコケ探してこよう」と立ち上がると、その場を離れました。

 こうして、彼の少しのためらいと羞恥心、そして大いなる見栄を含んだ筋肉隆起の模型の山々は、いつの頃からか、その不思議な形から、「奇峰」と呼ばれるようになったのでした―――。

 これらの山々が、ナルシストな巨人の作った盆栽的な筋肉模型、という創世神話をモチーフにした想像に帰着してしまい、私は苦笑い。現代人の貧困な想像力、ここに極まり、である。


人と自然と

 沿岸の緑豊かな農村地帯を眺めていると、次第に私は感慨深くなっていった。色々な想いが脳裏を駆け巡ってゆく。

緑生い茂った山麓で、自由気ままに草を食べる牛たち。一瞬のときが永遠に続く。たゆたう時間。時は流れる。でも牛たちはいつもと同じくそこにる。Happy Familyさまより借用。 

 緑の帯の山麓には、自然と一体になった人の営みがあった。
 川とともに生活する人々。川の水を汲み、洗濯をする女性たち。裸になって水浴びをする子どもたち。小さな木船などでを川面で走らせ、釣をする人たち。川は彼らの生活の一部であり欠くことのできない日常であることを、見る人に物語っている。

小さな木船で釣をする人。漁業で生活を営んでいるのだろう。川は生活の一部。その人の後姿に、ゆるりと流れる時を感じる。Happy Familyさまより借用。

 自然と一体になり、共に生きる人たち。
 自然に奢ることもなく、反目することもない。自然の恩恵を受け、共に生きることを自覚して、手を取り合って一緒に生きる。自然の掟に従い、なすがままに、その身を自然に委ねる。時には大自然の荒々しい洗礼を受けることもあるだろう。そこが彼らにとって何事においても欠かすことのできない場所であると再認識したとき、彼らはその地を離れることなく、また生活の礎を改めて築く第一歩を踏み出すのである。

牛か羊を自由に放牧させる人。自然と人との共存が、ゆったりとした時間の中で確実に育まれている。人の本来あるべき姿、とても遠いありしの日の記憶。Happy Familyさまより借用。 

 ふと上空を見上げると、列になって飛ぶ鳥の群れ。透き通るような水色の空に浮かぶ、あるかなきかの積雲。太陽が陰ると、活気溢れる生き物たちの動的な呼吸は、はたとその動きを止め、やがてそれは緩やかになり、再び静的に動き出す。

 凪。船のモーター音が次第に遠くなる。川面を這う僅かな風。静寂。空気は止まり、微動だにしない。自分の漏らす吐息さえ聞こえるような気がする。それらの自然の一瞬の鼓動でさえ、敏感に感じることのできる瞬間。

 どこかで出会った記憶。

 昔。幼い私。

 学校の帰り道。仲の良い友達と2人、「1歩、2歩……」と、帰宅するまでの歩数を、覚えたての数字の単位で、一生懸命数えながら帰宅した夕刻。赤いランドセル、小さな運動靴、朱色の夕日。
 家まで数字を数えながら完歩して友と笑い合った顔が、夕日に染まって真っ赤になっていたときのこと。

 どこまでも続くウージ(さとうきび)畑。刈り入れ時には親戚や近所の人が総動員で鎌を手にさとうきびを刈り入れた夏。充分成長したさとうきびを根元を残して刈り、刈ったものを横に次々と束ねて積み上げ、一定量になると紐で括る。
 刈り入れを終えたとき、誰ともなく、一本のさとうきびを、それぞれ縦笛程度の長さに切り、刈り入れをした人に配る。人々は、積み上げられたさとうきびの山にもたれ掛かり、互いの労をねぎらいながら、さとうきびを口にする。大人たちのそばで、親戚の子どもや友達と一緒にさとうきびに噛り付く幼い私。
 さとうきびの茎の外側の皮を剥き、頬張ると、さとうきびの繊維から滲み出るのは、きびの独特の風味と、薄く清涼な甘さ。ピラミッド状に丸太を積み重ねたような、刈り取られたさとうきびの山に顔を埋めると、甘いさとうきびの香りが濃厚に立ち込める。

 遠き日の記憶。

 どこまでも続く一本道。路肩に転がっていた牛の糞を片付けていた近所のオジサン。四方をキャベツ畑に囲まれたゲートボール場。ひんやりとした真っ暗の井戸。飛び回るアゲハチョウ。蝉の脱け殻。土を掘り返すと姿を見せたミミズ。赤瓦の屋根に登って見た夕陽と星空。風に吹かれて踊るさとうきび。

 ごく普通の光景は、繰り返される土地開発でいつのまにか消えていた。消えたのは光景だけではなく、年齢を経るに従って子ども心までも知らずに失ってしまっていた。目の前の事物を取捨選択することなく、ありのままをそのまま捉えていた子どもの心。
 気づかずに見過ごしていた、ありのままの事物を見ること。その大切さ。
 ここでまた、私は昔の自分に出会えたような気がした。

雲一つない空の青・露になった山肌の茶色・植林された小さな緑・山頂の小さな家。全てが最高のコントラストに感じ、思わずシャッターを切った。全てが豪快なキャンバス。

 ゆったりと流れる時間。一瞬は永遠に続く。


駄菓子ハムレット

 璃江下りを終えた後、観光旅行ではお決まりのショッピングに行くことになった。
 地元の民芸品店に入ることかと思いきや、熊本市を中心に展開しているという大型ショッピングセンターの"ニコニコ堂"という日本のお店の桂林支店に行った。店の名前を直訳したであろう店の看板の"微笑堂"の文字に、「日本の漢字は中国から来たんだよね」ということを実感させ、古来からの日中の繋がりを感じる。 

 店内に入ると、すっと足元に冷房の冷気を感じる。白いリノリウムの床、整頓された商品。日本のデパートと何ら変わるところが無かった。
 「では、自由時間は1時間です」
 ガイドのMさんの言葉がの鶴の一声となり、「買うぞ!!」と闘魂注入したかのごとく迫力満点の声を上げて、先生方はあっという間に四方に散っていった。大して物欲の無い私とおばさんは、見物気分で適当にデパート内を色々見て回る。

 フロアの隅に置かれた日本ではお馴染みのプリクラ機を発見し、「中国のプリクラだ! ワーイ!」と喜び勇んで近づいたが、故障中だった。悲しみをこらえて、後にする。

 テレビやオーディオ類のフロアでは、黒山の人だかりだった。「有名人が来てるのか?」と、中国人の有名人を一切知らないのに、ワクワクしながら黒山の中を縫うようにして、前に進むと、人々が集っている理由が分かり、有名人期待がみるみると縮んでいく。
 人々はみな、テレビのブラウン管に釘付けになっていた。
 その様子を見ていて、ある言い伝えを思い出した。昭和時代の日本、テレビは一家に1台という時代ではなく、テレビを持たぬ人々は近所のテレビのある家に集い、近所親戚一同で、熱心にテレビを観賞したという。正確には言い伝えではないような気がするが、その当時の光景をテレビで見ていない若造の私であるから、言い伝えというニュアンスのほうがピッタリのような気がした。

 食品売り場に行くと、陳列された食品の中国語パッケージの嵐に圧倒されてしまう。お菓子売り場を覗くと、いくつか日本で見慣れたお菓子の、中国語パッケージ版を発見した。その中で、一番大好きなコアラのマーチを手に取り、苦悩。
 商品陳列棚で、日本円にして300円という値段に数分も購入を躊躇している私は、どこからどう見ても、駄菓子屋でお菓子を買うのを悩む子どもそのものである。しかし、そんな自分の姿を知ることもなく、私は自分の中で一人格闘していた。
 欲しい。この燃えたぎる物欲をどうしてくれよう。買うべきか、買わざるべきか。この中国は雲南省、桂林のデパートで、コアラのマーチの購入の賛否に怒涛のごとく揺れる私は、あたかも悩めるハムレットだった。
 買おう! 一度決心すると、もう迷うことは無い。日本で売っている商品を、その中国パッケージが面白いから、という物凄くどうでもいいような単純な購入動機を、完璧に正当な動機であると思い、ウキウキ気分でレジに並び、そして購入。
 それにしても、中国4千年と言われるアノ中国の地を初めて訪れたときに物欲に燃えて買ったのは、なぜスナック菓子のコアラのマーチなのであろう。もう少しマシなものはあったのではないか。ふと客観的に見ればそう考えることも、レジにいそいそと並ぶ私には一切考えが及ばず、私は購入したことで達成感すら覚えていた。
 「中国のコアラのマーチだ! ワーイ!」と単純に喜んでいた私は、何らこの後に起きる悲劇を知る由もなかった。


運転手行方不明事件

 買い物を終えて時計を見ると、集合時間が迫っていた。バスに戻ると、ツアーメンバーが騒然となっていた。どうしたのだろうと訊ねると、先生は目を三角に尖らせて口々に絶叫していた。その表情は鬼気迫るものがあった。
「運転手がいないよ! どこに行ったかねぇ?」
 なんと、なんと。最終日を明日にして、トラブルの予感である。面白い、面白すぎる。嬉しさで浮き立つ心を静めようとしたが、どうも顔がにやけてしまう。なるべくトラブルに遭遇したような切ない顔にしようと顔を形成しようとしたが、嬉しさで顔が緩みっぱなしになってしまう。私は何度も自分の頬をパチパチと叩いて引き締めようとした。
 周囲を見回すと、先生たち数人がガイドのMさんに必死の形相で詰め寄っていた。
「どういうこと? ねぇ」
 Mさんは非常に申し訳なさそうに頭を下げて平謝りしながら言った。
「さっきからポケベルを鳴らしてるんですが、繋がらないんです。行方不明のようです。こちらとしてもどうしようもなくて。ごめんなさい。本当にごめんなさい。バスの鍵もありません。スペアキーもないんです」
 Mさんは苦しそうに顔を歪めて何度も頭を下げていた。私はその様子を見て、「あんたが悪いんじゃないよ、運転手が悪いんだよ」と、申し訳ない気持ちになった。
 運転手がいないのならば、バスは発車しない。鍵も無い以上、バスにも入れない。何もすることのない一行は、その場でしゃがんで途方に暮れていた。
 私は、探偵よろしくバスの周囲を見て回ることにした。運転手の行方不明が運転手の故意によるものなのか、他人の介在によるものなのか、気になるところである。鼻をヒクヒクと動かし、「もしや犯罪?!」と、ミステリーファンさを発揮して、そこに犯罪の香りがあるものだと思い込んでしまう。
 私と同様のことを思ったであろうか、数人の先生方は、私と一緒になってバスの周囲を見回り始めた。
 白昼、繁華街の路地で、数人の大人が腰をかがめたり背伸びをしたりしながら、ヒョコヒョコと身体を動かしながらバスの周囲をグルグル回る様は、人々の視線を引く。まるで、何かの宗教的儀式か、椅子のない椅子取りゲームか、新興ダンスのようである。1日中回り続けたら、バターにでもなりそうな気がしてくるが、周りを回っている面々を見つめると、バターよりは豚の角煮のほうが相応しそうである。
 しばらく丹念にバスの車体の隅々に目を凝らしていると、先生の一人が素っ頓狂な声を上げた。
「ここ、窓が開いてる!」
 その声を聞いて、ワイワイと一行が開いた窓の下に集まり出した。私も窓の下に行く。バスの窓が1つだけ、ひとコブシ分ほど開いていた。ホントに開いてるぞ、と思いながら、開いた窓をじっと見ていると、先生方の視線を感じて、私はハッと振り向いた。先生の一人が怒りにも似た凄い剣幕で私を凝視している。
「ねぇ、あなた、ちゃんと窓は閉めたの?」
「はい……」
 どうやら、私の座っていた席の窓が開いていたようである。面倒なことになった、と正直うんざりしながら思った。
 窓の開閉については確信はなかったが、そもそも窓を開けることのなかったバス旅だったため、私が窓を開けたままバスを降りた可能性は低い、と私は思った。
「閉めた、と思います」
 私が記憶を探りながら切れ切れに言うと、ほれ見たことか、と先生方は妖しく目を輝かせて口々に叫んだ。
「閉めた思うの? じゃあ、確実じゃないのね。そうでしょう、そうでしょう! 閉め忘れたのでしょう!」
 激しく糾弾する口調になっている。さすが教師だ。学校で生徒を問い詰めるのに慣れてらっしゃる、と私は感心しながら、髪を振り乱して「あの子が閉め忘れたんだって!」とツアーの面々に言い回っている先生方を眺めていた。
 それにしても、追い詰められたような私のこの危機的状況はどういうことであろう。そもそも、私の座席の窓の閉め忘れが、この運転手行方不明事件とどう関係があるのか。あの窓から運転手が何者かに引きずり出されたのであろうか。
 大体、窓を閉めることのはツアー客の義務なのであろうか。客が窓を閉めないことで何らかの損害が発生した場合、その客の責任になるのだろうか。そりゃあ、ガイドの責任だろう、遠足や修学旅行じゃあるまいし、と私は言いたくなったが、先生方がそのようなことは考えないようで、「窓が開いてるってさ。もう、どうしよう!」と今にもみのもんたに電話相談するような勢いで眉間に皺を寄せて嘆きの表情を浮かべていた。それを見ていると、なぜか運転手行方不明事件に生じた損害は、唯一開いていた窓を開けた可能性のある私が全責任を負わなければいけないような雰囲気になってきた。
 旅のトラブルは一転、私に舞い込んだトラブルに変わったようである。全所持金で解決しようと思ったが、財布を覗き込んでそこに現金が大して入っていないことを思い出し、思わず天を仰いだ。

 地球のみんな、オラに力を分けてくれ!

 悲壮な表情を浮かべた私は、胸の内に次々と沸き起こる過去の過ちを省みつつ、神頼みに勤しんだ。
 「顕微鏡の各部所の名前を"怪物レンズ"だと思っていてゴメンナサイ!」
 「猫を飼う度に全て名前を"ミー"してしまってゴメンナサイ!」
 「つい最近まで"大統領"を"大頭領"だと思っていてゴメンナサイ!」
 「もうしないから!」「許して!」と胸中で必死にどうでもいい懺悔を連呼した。
 そんな必死さ溢れる今にも泣きそうな私を見て、おばさんは、私の耳元で「無視、無視!」と囁くと、すっと顔を離して、私を見てニヤリと笑った。私は少しだけ安堵した。
 しばらく経つと、ガイドのMさんは運転手を探しに何処かに行き、一行は何か物を言うのに疲れたのか、押し黙ったまま、バスを取り囲むように座り込んだ。運転手がいつ戻って来るとも分からないので、買い物などに行くこともできず、その場から離れることなく佇むのみである。
 しかし、待てど暮れども、一向に運転手の帰ってくる様子はない。一行には、一体これからどうなるのであろう、という不安と疲れの色が徐々に濃くなってきた。
 果たして。

 1時間後。やきもきしながら待つ一行の元に、運転手が、頭を掻きつつ欠伸をしながら、いかにも"今まで寝てました"という間延びした顔で、ビルの隙間からのっそりと姿を現した。それを見て、温厚そうなガイドのMさんが怒号を上げて運転手に詰め寄る。現地ガイドの肝っ玉母ちゃん曲さんが二人の間の通訳をすると、話の端々が聞こえてきた。

 バスの鍵を持ったまま、ビルの隙間の路上で居眠り。
 ポケベル電源オフ。

 何だ。犯罪じゃなかったのね、という感じで安堵した一行は、犯罪に巻き込まなかっただけでも良かったね、と運転手を労いつつ、開いたバスに乗り込んだが、よく見ると彼らの目は殺気に満ちていた。
 ふと、「私の座席の窓が開いていたことは一体どうなったのか? 運転手が無事に戻った以上、糾弾されたことは濡れ衣じゃないのか」と思ったが、誰一人として私にそれを触れることなく、運転手の帰還による旅の再出発を喜んでいた。

 予定よりも一時間オーバーしたものの、無事に運転手が運転席に納まったことで、バスは何とか出発した。運転手の遅刻のお陰で、更なる悲劇が後に控えていることを、路上で待ち続けてようやくバスに乗り込めてゆったりとバスのシートに沈み込んで安堵感に浸っている乗客には、全く知る由もなかった。

【第7章 第2節へと続く】


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