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中国旅行記「乙女通信」第5章第1節

 


 

有閑マダム再来

 午前6時。引きずるように重い身体を起こす。
 「ついさっき眠ったばかりなのに、もう朝だ……」
 全身が重石を乗せられたように重い。そのただならぬ疲労感に辟易しながらも、「昨日は人生初のヒッチハイクをしたのだから、緊張して疲れてしまうのは当然だ」と、自分を奮い立たせ、寝ぼけ頭をかきむしるように着替えをする。
 ヤマンバのごとく爆発した私の天然パーマのロングヘアに何度か櫛を通し、髪を束ねて結ぶと、ポニーテールの出来上がり。強力な私の頭の天然パーマには、この至ってシンプルな無造作ヘアしか作れない。旅先で、それも海外で、ドライヤーなどのブローを要らずに簡単に髪型をセットできるというのは、本当に楽で便利な髪型である。

 着替えを終えると、私はおばさんと共にダイニングルームへ向かった。
 早朝であるから、さほど客はいないだろう……と思っていたが、健康的な早起きの中国人のみなさん、ダイニングルームには大勢の客で賑わっていた。ウェイトレスも、ウェイターも、忙しそうに動き回っている。バイキング用の大皿に次々と食べ物を追加して並べたり、客からの注文を丁寧に承ったり、使用済みの食器を片付けたり、一寸も立ち止まる暇もないかのように駆け回る彼らの姿を見て、呑気に「がんばって~」と、お子様ランチの山盛りご飯の上に刺された旗でもって彼らに応援の手旗を送りたくなった。
 そんな中、忙しそうな彼らを引き止めて遮るように、彼らにイチャモンをつけている人がいた。「朝っぱらから迷惑な人がいるのね。おやまあ」と少し同情しながらその様子を見守っていると、その人は、昨夜の有閑マダムだった。彼女は、ウェイトレスやウェイターを次々とその袖口を捕まえては、説教している。
 彼女は、手にクッキーを数枚握り、それを絶えることなく口にほうり込み、シマリスのように細かく口を動かしながらそれを食べつつ、ウェイトレスやウェイターに指導している。ビジネスってシビアなのね、と感心しながらそれを眺めた。

 通常、朝食のバイキングには、サラダやスクランブルエッグなど、栄養の多いものを並べるものだが、なぜか、このホテルのバイキングには、それだけでなく、クッキーやケーキなどのお菓子類が多かった。
 クッキーに手を伸ばそうとした自分に対して、 「一日の初めなのだから、栄養のあるものを食べなければいけません」と言い聞かせる別の自分がいたが、その自分も早々とクッキーの甘い香りに嬉しそうに鼻をヒクヒクと動かしていたため、私はそそくさと誘惑のおもてなしを受けることにして、手持ち皿にクッキーとケーキを所狭しと並べた。
 既製品的な綺麗なクッキーではないことを真に証明したかのような、手作り感満点のクッキーだった。少しムラのある濃い焼け色、チョコチップやジャム、クルミなどのトッピング材、食べると麦とバターの香り立ち上る甘さタップリの深い味わい。ふと、とあるCMの「アメリカではクッキーを一人で焼けると一人前の女性となる」というのを思い出し、このホテルの人たちは皆さん一人前なのね。凄いわ……と感慨深くなった。

 それにしても、このホテルの料理皿などのセッティングは豪快である。昨日の食事用の円卓においても、食べ物が残っている皿の上に、別の食べ物の皿を載せていたのが記憶に新しいが、このバイキングでも、ゴージャスさが余すところ露になっていた。
 大皿に山積みになったクッキーが数種類、女性なら目がトロンと夢見がちになりそうなくらいに並べられた美味しそうなケーキの大群。玉乗りできそうなくらい大きな半月形のプラスチックボールには、オレンジジュース、アイスコーヒー、冷水がそれぞれ入れられていて、それを巨大なお玉ですくうという大胆ゴージャスな形式。飲み物といえばピッチャーに入っているものとばかり考えていたステレオタイプな私にとって、半月形容器の中の飲み物をお玉ですくう形式には、カルチャーショックを感じざるを得なかった。
 有閑マダムよ、ますます気に入ったよ。


大理の街並み

 ホテルをチェックアウトをすると、有閑マダムとも、亜星大酒店ともサヨウナラ。
 バスの到着を待つ間、私とおばさんは、ホテル周辺を散策することにした。「大理の朝を満喫しよう!」と、意気盛んにホテルの玄関を飛び出したものの、歩けど歩けど、いつまで経ってもホテルの敷地内から出られなかった。
 よく見ると、ホテルは、石畳で出来た城壁で囲まれていた。その余りにも膨大な敷地ゆえ、私たちは、ホテル建物の玄関を出たものの、ホテルの敷地出口からさっぱり抜け出せずにいた。バスの到着の時間が迫っていたため、徒歩はいつしか駆け足になっていた。
 ホテルのガイドブックを片手に、一向に見当たらない出口を目指して駆ける自分を顧みて、「大理の朝を満喫するはずが、なぜ、私はこんなにも全速力で駆けているのだろう」とかすかな疑問を生じたものの、「ここがラビリンスで無い限り、出口があるはず!」と、ホテル周辺の散策という当初の目的から外れて、私はホテルの出口探しに没頭した。そして。
 結局、ホテルの出口には辿り着けなかった。それにしても、どのような行動様式をとったらホテルから出られないという偉業を達し得るのであろう。普通、ホテルに泊まったとしても、ホテルを出入りすることは自由にできるものである。それが、出口に辿り着けないというのは、その敷地の巨大さを表している。その大きさは、さすが5つ星ホテルそのもの。ただ、自分の方向音痴ゆえのせいだとは思いたくない。
 5つ星ホテルの価値を全く知らない私にとって、その価値を満喫するホテル生活よりも、大理の朝をマラソンで満喫してしまったことに一抹の哀しみを覚えていた。バスの元へと戻りながら、背中にかいた一抹の汗を冷やす大理の風の涼しさが、つと身に染みた。

 バスはホテルを出発し、大理古城へと向かった。銀行で両替するためらしい。城内に入り、街角のロータリーのようなところの細長い専用駐車場にバスを横付けする。バスの目の前の建物の中に、両替コーナーがあった。日本の銀行ATMのような、1畳ほどの小さなスペース。ガラス越しに窓口の担当者が退屈そうに座っていた。
 まだ何ら購入していないためにお金を使っておらず、両替の必要はない私は、一行が両替のために数珠繋ぎで並んでいるのをチラリと横目で見て、辺りを散策することにした。

 ―――大理。
 大理は、雲南省西北部に位置する高原古都である。8世紀に南詔国が誕生し、10~13世紀には大理王国の都として栄えたそうである。古い仏塔や城壁、街並みに古都の面影が残っている。
 大理城内には、多くの露店が所狭しと並んでいた。軒並み全てのお店が大理石の製品を陳列、販売している。白・黒・青・緑……と様々な色をした大理石。それらは、壷や皿、茶碗、置物、文鎮、アクセサリーなどに姿を変えて陳列販売されている。豪奢に飾り付けることなく、大理石そのものの美しさを際立たせるさりげない細工に心が奪われる。
 大理石製品の他にも、ろうけつ染めや、わら細工などのお土産も売られていた。

大理の街。幾種類にも加工された美しき大理石。所狭しと並べられた大理石の商品が、いかにも原産地っぽい。準備万端のお店の人たちを見て、いかに訪れる観光客が多いかを知らされる。


欲望のモヤ

 数ある大理石製品の中で、私が一番心動かされたものがあった。それは、城内の色々な店で売られていたものであるが、うずら卵形をしたカラフルなマーブル横縞模様の石である。それを見た瞬間、女の子であれば飛び上がって「超可愛い!」と喜々するであろう、確実に乙女の購買欲をくすぐるとても可愛い石であった。
 その石は、大体のお店で、1個1元(約20円)、10個セットで売っていた。200円でこんなキュートな石を手に入れられるのなら、何だか心が浮き浮きとなり、意味なく常時ハッピーになれそうである。

 それにしても、何だろう。このもやもやと立ち上る胸のトキメキは。
 なぜ人は、利用価値のない、どうにもならないモノを欲するのであろう。自分なりの価値観のある基準に達したモノを、自分にはそれに価値を見出し、手に入れたいという欲求。それは、前ぶれ無く突如現れ、人を幸福色に染まった欲求のモヤの中でさ迷わせる。
 紅葉の時期に集めた綺麗な色をした落ち葉。河原で見つけたツルツルした丸い形の石。工事現場で発見したキラキラと輝くガラスの破片。山登りしたときに拾ったドングリ。公園のブランコ横に転がっていた何かの化石。海に行ったときに浜辺にあった可愛い形と色をした貝殻。道端に落ちていたキラリと輝くどこの国のものか分からないコイン。部屋の隅に埃を被っていた手触りが面白いネジ。
 他にもある。宝石のように輝いていたビー玉やおはじき。色々な種類のキンケシ。ビックリマンシール、メンコ、フィギュア、ビーズ玉、キーホルダー、その他沢山、千差万別に色々とある。
 それらを、お菓子の空箱を再利用した自分だけの宝物箱にしまい込み、時折、取り出しては眺めては、口元をほころばせ、満たされた幸せな気分になる。
 しかしそれは、その欲求のモヤが晴れきると、「なぜこれが大事だったのだろう。欲しかったのだろう」と首を傾げてしまうような不思議なモノばかり。これらは、買うとなれば無駄にお金を使うという散財の典型であろうし、拾ったとしても、ある種インテリア以外には何らの価値もないものばかりである。しかし、それを自分の中でのみ価値のあるものと信じさせてしまう欲求がそこにはある。
 「だって欲しいんだもん!」と、理由無く人の胸を突き上げるような思いにとらわせる、幸福色の欲求のモヤ。そのモヤの色濃い子ども時代には、モヤに突き動かされるかのように集めたモノが、ただただ自分の心を至福に満たすキラキラと輝く宝石のような存在であっても、大人の階段を上るにつれて欲求のモヤはその色を薄くし、宝石はただの石ころに変わることもある。いつまで経っても、色の濃淡には連鎖することなく、宝石は宝石のままであることもあるであろう。あるいは、完全な二度とそのモヤが出ないこともあるかもしれない。または、趣味のコレクター、大人買いと名を変えて、色変わりをしてモヤは再び色濃く立ち上ることもある。
 この欲求のモヤは、人間の生理的な本能ではないのに、あたかも生理的な本能であるかのような、ある種、ヒトの本質的な欲求である。これは、一部には無理矢理失わせたい、あるいは失わせた人もいるだろう。
 しかし、私は思う。これは、気付くと失っていたことはあっても、失いたくない、失って欲しくない、大切にしたい心の動きである、と。

 露店の前で、猛烈な欲求のモヤに包まれ、私はマーブル模様の石を手にして、それをしげしげと眺めた。
 欲しい、欲しい。10個は多すぎるからいらないけれど、欲しい。多いなら、お土産にしてみんなに配ろう。我が姉3人、両親、おばさん、祖母。友だちにもプレゼントするなら、20個は必要だ。そう考えながら、私は、この石をお土産として購入して、色々な人に配りたい衝動に駆られていた。買うと決まれば、自分の感性の閃きに従って、どの石を買うか決めることにした。
 どれにしよう……と石を一つずつ手の平に置いて眺めていると、訝しげな気持ちになってきた。
 どうも、それら石の模様は、摩訶不思議な模様ばかりで、真に己の欲するものではないのだ。そもそも模様の組み合わせが妙なのである。赤と灰色、青色と肌色、緑とピンクなどと言った、ピーコがファッションチェックをしたら激怒しそうなくらい、おかしな組み合わせばかりなのだ。この石が本物の卵で、模様がスコッチエッグの衣だったとしたら、明らかにドクロマークのついた口に入れてはイケナイ代物である。
 このような色では、どうも私の宝物箱には納めることはできない。日本人と中国人の色彩感覚の違いだろうか、あるいは芸術家と素人の色彩感覚の違いだろうか、一見すると、とても可愛いと思うものの、よく見ると、その石を持つ手が悲しみと後悔に震えてしまうような奇妙な色彩のものばかりだった。
 私が手に取ったことを後悔するくらいなのであるから、私からこの石をプレゼントされた人たちはこの石をどうするのであろう。
 私から石を受け取り、私がいなくなった後で、「これって、屋根に向かって投げればいいんだっけ?」と明らかに意図的に天然ボケを装い、即、受け取った石を窓からポンと外に放り投げるかもしれない。あるいは、近所の公園の池に行き、「何回跳ねるかな」と、水面に向かって水平にその石を投げ、1回だけの水切り遊びの道具にしてしまうかもしれない。ひょっとすると、露骨に私の目の前で「いらねー」と地面に無造作に投げてしまうかもしれないではないか。そうなったら、彼らにそんなことまでさせてしまったことに、悔やんでも悔やみきれない。
  それではいけない。私は自分の欲する石、というだけでなく、他人の眠っていた欲求のモヤを呼び覚ますくらいに、とっても綺麗な石を探さなければならないのだ。その石を見ただけで、カウンターパンチ並みの衝撃を受けるような、超クールでカッコイイ石を見つけるのだ。
 さぁ、ドラゴンボールよりも美しい、スーパーストーンを手に入よう! 
 俄然、私は石探しに燃えた。贋作を掴まされないように鑑定眼を光らせて意気込む、にわか鑑定家の気分である。

 水に浸された石の入った洗面器を慎重にかき回し、一つずつじっくり見て選別していく。
 黄色と黒なら阪神カラー、赤と青と白なら星条旗カラー、黄色・緑・茶ならカリブ海カラー、12色なら十二単カラー、などとテーマのある分かりやすい配色の石や、同系色の色にまとめるなど、自分の美的感覚に許される妥当範囲の石であれば購入しようと自分なりに基準を設定した。ピンクの象とか、小学生役のえなりかずき、といったありえない組み合わせの配色した石を次々と候補から外していく。
 そうするうち、赤・白・黄色・オレンジの暖色系のポップ調の模様の石を見つけた。思わず嬉しさで笑みをこぼしながらじっくり見ると、暗紫色と鉛灰色の小さな斑点が混ざっているのに気付いた。
 これではダメだ。私は首を振った。パーフェクトな色を私は求めているのだ。ナイン全員がホームランバッターのような巨人の大型補強並みの完璧さを求める私にとって、長嶋一茂のような妥協は許されない。
 意味不明なことを考えつつ、真剣な顔で、今度こそ……と祈りを込めて、洗面器の中をグルグルとかき回し、手を離した。旋回して揺らぐ水面が落ち着くと、水中に一つの輝きに満ちた石を発見した。今まで出会った石の中で一番滑らかな肌触りをした、赤・白・黄色・ピンクの可愛らしい配色の石。
 私は一気に破顔した。やっと出会えた。これを待っていたのだ。私の欲求のモヤは最高潮に達した。この石に出会ったのは、きっと運命。出会うべくして出会った宿世なのかも知れぬ。ありがとう、大理の地よ。私はこの地を忘れない。
 店員に購入の意思を示そうとして石を持ち上げたとき、石の裏面の模様が目に入り、私は顔を曇らせて静かに石を洗面器の中に落とし入れた。石には黒斑点が入っていた。

 そういうこともあるさ。空に太陽がある限り、またいつか運命の出会いが訪れるはず。それまで待てばいいのさ、ハニー。

 言い知れぬ諦念感を全身に漂わせながら、私はその店の前を後にした。


五元札と友情

 三塔倒影公園へ向かった。読んで字のごとく、3つの塔は、ピサの斜塔ほどではないが、傾いているように見える。それら3つの塔の見える公園にて、塔をバックに記念撮影するという。
 公園には大きな池があり、そのそばには、歴史の重みのある破風作りの建物が風情さを醸し出しながら建っていた。その横にゆるりと垂れ下がった枝垂れ柳があろうものなら、きっと、観光客の日本人中年男性は、焼酎の一升瓶を片手に、頭にネクタイを巻き付けて、上野公園の桜並木と勘違いして踊りだすに違いない、と思ってしまった。お花見文化の日本人なら、きっとこの情趣を肴に酒をチビチビ遣るであろう、特に宴会好きの中年男性なら尚更だ、と明らかに偏見に満ちた思考をしてしまい、つと反省に陥る。

 天に向かってそびえるように建つ3つの塔が、公園の大きな池にゆらゆらと反射しているのが見えた。それらの建物が、水面にその姿を映し出すほどにビッグな建築物であり、またそこが、風の無い静かな場所であることを物語っていた。

 塔は、大きいものが一つ、それより幾分小さい塔が二つ築造されている。見れば見るほど、ユニークな形をした建造物である。いかにガイドが声高に「これは大理古文化の象徴で、大理名勝です。凄いでしょ」と誇らしげに述べたとしても、私には、そのような立派な補足説明は必要ない。そのものを、見えるまま感じるまま捉えるのみである。
 したがって、私からすると、これらの塔は、大理名勝というよりも、あたかも宇宙空間を遊泳していた3匹の親子のスズメバチに似た巨大エイリアンが、誤って地球すなわち中国雲南省大理の地に頭から墜落し埋没してしまった化石のようにしか思えてならない。3匹仲良くエイリアンのお尻だけが天に向かって突き出している。塔の上の小さな突起が、蜂の毒針のようである。まさにユニークな建造物である。
 自分の創造力の貧困さに思わず笑みがこぼれてくる。

三塔倒影公園から見た三塔寺。どう見ても“スズメバチ似のエイリアン、地球埋没の図”にしか見えない。水面に景色が反転して鏡のごとく映る様が、何とも素晴らしい。「とんでもとらべる」さまより借用。

 「はーい、こっち向いて! はい、チーズ!」
 連呼されるのは、笑顔誘導の合図。そう、観光地での記念撮影は、人の数だけ撮影回数があるのだ。
 記念撮影のためだけにやって来た場所となれば、そこはそこはさながら戦場と化する。自らのカメラには満面の笑みを浮かべた自らの姿を収めようと、撮影者と被写体とがそれぞれ入れ替わり立ち代り、互いのカメラを交換し合い交互に撮影を繰り返すのだ。時が果てるまでシャッターチャンスを狙うファインダーを作り笑いを浮かべながら見つめ続ける。
 それにしても、全員が全員、古典的に「はいチーズ!」と合図を送るのは、面白味も個性もない。せめて私くらいは、外国人風に「ヘイ! ウイスキー! ヒャッホー!」と陽気に叫んでみようと思ったが、よく考えると、そう叫んだ場合、「何だ? あの未成年者は酒を欲しているのか? 酒の禁断症状でも出てきたのだろうか」と先生方に誤解されかねない。しかも、「いいさぁ。飲んでもばれないさぁ」と沖縄人独特のご陽気さで本当にウイスキーでも勧められたらコトである。
 結局私は「1たす1は~?」と、妥当な合図を送ることにした。

 記念撮影の後、僅かな休憩時間を利用して公園を散策していると、ここでもマーブル模様の卵型の石を売っている人たちを発見した。地面にゴザを引いて商品を雑然と陳列している。
 先程、理想とするような石を買うことができなかった我が身を顧みると、どうしてもそれがバーゲンセールに行き損ねたオバサマと重なって見えたため、ここで会ったが100年目とばかりに、「何が何でも買うたるわ!」と、意気盛んに陳列台の前に仁王立ちした。
 奇妙キテレツな模様がこの石のウリとするならば、もはや理想の石は手に入れられない。そう仮定すると、今度は模様よりも石の値段が気になってきた。十個で十元、約200円である。使い道の無さそうなちっぽけな石ゆえ、ちと高いように思える。100円ショップでもこうは高くはあるまい。こうなったら、半額かせめて六元、ここまで値下げ交渉してみせよう。日本では、よくフリーマーケットで商品を買う際には必ず値下げ交渉を行ない、毎回ほぼ値下げに成功する私だが、外国での値下げ交渉は初めてである。そもそも私が値下げに成功するのは、持ち前の話術のお陰である。持ち前の美貌はないから、それは交渉術の武器にはならない。一体、どのようにして攻めればいいのであろうか。

 私は作戦に悩みつつも、とりあえず、店員のおばあちゃんに、得意のジャパニーズ・スマイルで攻める。
「It's price is too high for me. Can you sell me it at a little low price.」
 私は、メモ帳に書きとめた値段交渉の英文をたどたどしく棒読みしながら、無上の微笑みを湛えて英語で話しかける。案の定、おばあちゃんから返ってきたのは中国語の大洪水。
 私は呆然あんぐりと口を開けた。話す言語が異なれば、それだけ値下げ交渉は困難を極める。相手の言語が分からない以上、どうやって値下げ要求の意思を相手に伝えればいいのか。
 私はジェスチャーをすることにした。商品の石をツンツンと指した後、その指をそのまま天に向け、再びそこでツンツンと指し、それを地に下ろし、さらに財布を指す。これで値下げ要求の意図は通じたのではないか。
 意外にも、あっさりと値段交渉の意図は通じたが、値下げをする気はおばあちゃんには無いらしい。くしゃくしゃの皺だらけの顔に一層皺を増やしながらしかめっ面をして、「ノー!」と言うのみである。挙句の果てに「センエン、オーケー」と言い出す始末。もし千円で買った場合、二百円の小石を五倍の値段で買うことになってしまう。オークションじゃあるまいし、「どれだけ買い物下手だワレ」と自責の念に駆られてしまうではないか。
 ただひたすらおばあちゃんとにらめっこ。私は「ノー、ノー」と眉間に皺を寄せて首を振りつつ、五元札を見せて「これじゃなきゃ嫌なの!」と日本語で叫ぶ。何回も何回も同じ動作を繰り返したものの、おばあちゃんは、「ノー、センエン、オーケー」としか言わず、首を横に振るのみである。
 異言語間での値下げ交渉とは、こんなにもしんどいものなのか。再認識で開眼の思いである。

 集合時間が刻々と迫りつつあった。私は腕時計と石とおばあちゃんとを交互に見て、悩んだ。私の脳に「ハンマープライス!」のゴングが鳴り響いた。

 買うべきか、買わざるべきか。ああ、ハムレット。キミならこの状況、どうするんだい? 私に決断の勇気を与えたまえ! イエスかノーか。教えてくれ! さぁ、時が来たのだ!

 私はおばあちゃんの目をまばたきせずにじっと見つめた。
 おばあちゃんの潤んだ目やにの多い小さな目、目じりの皺の多さ。財布の紐の硬そうな、キュッと結ばれた血色の悪い薄い唇。
 私は目を見開き、一瞬の間を置いて、力なく肩を落とした。
 無理だ。私の負けだ。この強固な意志に満ちたおばあちゃんから商品を値下げしてもらおうなんて、所詮、叶わぬ夢だったのだ。
 私は値下げ交渉を断念した。おばあちゃんへと食い入るように迫っていた自分の身体をすっと引き、私は石を陳列場所に戻した。
 じゃあね、おばあちゃん、夢をありがとう。私は自分の善戦を忘れない。
 その場をそそくさと立ち去ろうとした私の袖を、一瞬の隙をついておばあちゃんが引っ張った。「何事?!」と目をむくと、おばあちゃんは身体を震わせるようにして「オーケー、オーケー」と叫び、必死の形相で私の手にある五元札を掴んでいたのだ。私の顔は喜びに満ちた。

 ついに、ついにやりました。念願の値下げ交渉が成功しました。これで私も値下げ交渉の達人、関西人の仲間入りなのであります。

 私はおばあちゃんに向かって、力強くウンウン、と了承のサインとして頷いて見せた。それを見たおばあちゃんは、小さな目を一杯に細め、皺だらけの顔を一層皺だらけにして満面の笑みを浮かべた。その口元は少女のように愛らしい。一方、私の口元に浮かんでいたのは勝利者の笑みだった。嬉しさに悠々と握った手の平を離し、おばあちゃんにお金を渡そうとしたが、はたと躊躇して考え込んだ。
 ―――そもそも、10元の品を半額の5元に値下げすることができたのである。こんなに値が下がるということは、原価はもっと安いのではあるまいか。せめてあと一元、いや二元は安く出来そうな気もする。値下げしてもらおう。あと少しだけ。あと、ほんの少しだけ。
 今、私とおばあちゃんは、五元札の端と端とを互いに握ることでつながっていた。私のお札を握る手は、更なる値下げ要求の決意で熱くなり、その熱は、その五元札の薄い紙一枚を通して、おばあちゃんのか細い手へ伝えようとしていた。

 さぁ、おばあちゃん、あなたの一方の手は、私からの値下げ交渉注入エネルギーにより、おばあちゃんを値下げの意思に誘っておるのだよ。残りの逆の手で、お釣りの一元を私に下さいな。さぁ、さぁ! それで商談は成立するのだから。さぁ、さぁ!

 私の鬼気迫る目に気付いたのか、おばあちゃんの目が一瞬怯んだ。二人はお札を握り合いながら、互いを凝視し見つめ合っていた。息詰まるような視線の飛ばしあい、心理戦。私は視線をおばあちゃんに注ぎ続けた。おばあちゃんの一方の手が、そろりそろりと服の中に消える。ピストルを出すわけでないのなら、もしかして、その服から出てくるのは、出てくるのは―――。
 
 ポンポン、と肩を叩かれた。ハッと振り向くと、そこには我がおばさんが立っていた。「さぁ、みんな集合してるから、急いで行こう」と促された。
 私はおばあちゃんの目を見た。おばあちゃんは哀しそうな目をして、私の手にあった五元札からゆっくりと手を離した。繋がれた紐が解けるように、離れる2つの手と手。
 名残惜しげにゆるりと解き放たれた2つの手の先には一枚のお札。何だかハリウッドの恋愛映画のワンシーンような妙な按配である。

 商談決裂。残念極まりないが、これもしょうがない。団体行動である以上、自己都合で同行する他のメンバーを待たせるわけにはいかない。今回は縁が無かったと思うしかない。私は五元札をジーパンのポケットにねじ込んだ。少しだけ、行き詰まる攻防を象徴してか、お札は汗で少しだけ湿っていた。
 私はバスへと向かいながら、何度もおばあちゃんを振り返って見た。おばあちゃんは、名残惜しげに去っていく凄腕の値下げ交渉人の姿を寂しそうに見送っていた。まさか、値下げばかり迫る単なるケチな客が去ってくれたことに安堵している……わけはないだろう。
 私はしっかりと頷いた。
 おばあちゃん、値下げ交渉の攻防をしてくれてありがとう。あなたはとても偉大なバイヤーだった。言葉の通じない外国人に、200円の品をさりげなく1000円で売りつけようとしたスーパーテクニック、私は忘れない。そして、商品の石を買えなくてごめんなさい。でも、貴重な経験をありがとう。私の中で、既に、おばあちゃんへの一方的な奇妙な友情が生まれていた。
 値下げの戦友おばあちゃん、ありがとう。そして、サヨウナラ。

中国の5元札。チベット族・回族の男性の肖像が凛々しく描かれている。偽造防止にイラストを被せた。

 値下げの鉄人たる関西人は、値下げして物を買う場合、自分が欲しいと思う値段を自分で設定して、それよりも高い値段から交渉を始め、徐々に値段を下げ、最終的には自分の思いどおりの値段で買うことに成功するらしい。余りにも低すぎる値段を最初にから吹っ掛けてしまうと、「持ってけ、泥棒!」あるいは「二度と来るんじゃねーぞ!」と店員から罵られてしまうが、お互いに私怨を残さずに上手に交渉を進めるためには、適度な値段による交渉が、勝利へのゴールへと導いてくれるものであると感じた。
 うまく値下げさせて「ほな、買うたるわ。おおきに」と、巧いタイミングで切り上げると、客は笑みを浮かべる一方、店員は苦笑するのみ。両者ともに余裕をもたせつつ商談を成立させる関西人は、実にスゴイ。私なんぞ、おばあちゃんと札を握り合いながら見詰め合うのみで、何ら交渉は進展し得なかった。
 私には、まだまだ値下げ交渉の技術は身についていないようだ。修行あるのみである。

【第5章 第2節へと続く】


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