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中国旅行記「乙女通信」第5章第2節

 


 

半ズボン少年現る

 三つの塔は三塔寺という。中に入ることは出来なかったが、間近で見ることが出来た。首がよじれてしまうくらいに仰向いて見る。ただただ、とてつもなく大きかった。

一番右の塔が明らかに傾いているのがよく分かる。自然の猛威をひしと感じた。3つの塔がタイミング良くドミノ倒しできたら面白そう。ボーリングの3ピン残しにも似ている。「とんでもとらべる」さまより借用。

 地震のために少々傾いているのが不思議で面白い。どんなに頑丈そうな歴史的建造物でも、自然の猛威の前では何ら太刀打ちはできない。あっさりと脆くも崩れ去られてしまうという歴史的事実は、人類を震撼させ、深い畏敬と畏怖の念を抱かせるものだ。
 三つの塔は、単なる円柱ではなく、それぞれ四角柱、六角柱、八角柱であるらしい。ツン、と塔の先が面白いように尖っている。毒針だ。
 どうしても私には、これらの塔がスズメバチ星人にしか見えないようだ。一度植え付けられた先入観は思いの他しぶとく脳裏にこびりついている。

 私が塔の周りをグルッと回ったとき、観光で来ていたのであろう一人の男の子と目が合った。その少年は、塔の土台の石垣に身体を隠し、そこからちょっと顔を出していたが、私と目が合った途端、その顔を素早く引っ込めた。
 私は首を傾げた。どうしたのだ。あの少年は、私と目を合わせた瞬間、いかにもコワモテの人に会ったかのごとく、不自然なくらいに急いでその顔を隠した。一体何なんだ。私が怖いのだろうか。こんな無味無臭の私の顔のどこが怖いというのであろうか。少し腑に落ちなかったが、気にしないことにした。
 あの少年はきっと、自分の親に黙ってこっそり石垣の隅でソフトクリームでも食べていたのだろう。必死に頬張っているところに私の足音がしたので、親かと思い慌てて石垣から顔を覗かせたところ私と目が合った、そんなとこだ。
 全く何ら根拠もなく推測を出してみた。そう考えると、目が合ったあの少年の口元には、心なしかソフトクリームの欠片がついていたような気がしてくる。少年はやはりアイスクリームを食べていたのだ。少年がアイスクリームを食べていたとなると、この近隣にアイスを売っている屋台があるはずである。この猛暑の中、身体はアイスクリームを欲している。嗚呼、アイスを食べたい。早く先生方を誘ってアイスを買いに行こう。アイス、アイス、アイス……。私は、両手にスープンとフォークを持ち、首に前掛けを掛けて待機する幼児のように、今や小躍りしそうなくらい張り切っていた。
 私の想像がとんでもないところに暴走し始めた頃、やっと別の私が自制した。
 そもそもアイスクリームなど少年は食べていなかったかもしれない。アイスではないのなら……カキ氷? いや、それともソーダ水かもしれない。美味しそうなソーダ水……。
 いやいや、違う違う。私は慌てて首を振った。この猛暑ためか、どうしても冷たいものへの欲求へと思考が走ってしまう。
 大体、食べ物を食べていたのを見られたかと思ってあの少年は私から隠れたのではないかもしれない。全然別の理由で隠れたのかもしれない。なぜ隠れたのだろう。私を見て何かに驚いて隠れたのだろうか。私の何を見て驚いたのか。私の顔と少年の顔が生き写しだったから? いや、それは違う。私は、一瞬ではあったが、少年の顔を見て自分と似ているなどという衝撃を受けなかった。では、何に驚いたのか。もしかして、私の頭にヒマワリでも咲いているのだろうか。それとも、私の顔に。飛んできたカブトムシでもついているのだろうか。
 私は不安になり、慌てて手鏡で自分の顔と頭を見たが、何ら異常は見られなかった。ただ、そこには、暑さのため引きつり不憫な表情を浮かべている、何の変哲のない肌荒れ注意報の発令した貧相な面輪があった。
 少年のことは私の思い過ごしだ。きっと気のせい。

 私は大きく頷き、気を取り直して、一行について行く。しばらく歩いていると、にわかに私の背後で数人の子どもたちの賑やかな笑い声が上がったかと思うと、背中をトンッと叩かれた。
 子どもの笑い声、背中を叩く行為、これはもしや―――。
 私は「なぬっ!!」と叫び振り向いた。すると、目の端で2人の半ズボン少年が―――そのうち一人はさっきの石垣に隠れた少年である―――笑い合いながら石垣に向かって一目散で疾走しているのが見えた。
 私はどうやら完全に彼らの遊び相手に思われているようである。さきほどの少年の行動から察するに、少年は私と目が合った瞬間、さっと隠れている。その時点で私はなぜか既に遊びのターゲットにされていたようである。きっと彼らの中で私の存在は、あたかも鬼ごっこの鬼のような存在なのだ。私から逃げるが勝ち、逃げられなければ捕まるぞ、というような、私は遊び世界の一員になっているのだ。だから石垣から少年は自分の顔と身体を隠したし、私の背中を叩いて早々と逃げて行ってしまった。

 さぁ、僕たちと遊ぼうよ。ホラ、僕たちを捕まえてごらん。
 彼らの面白半分の期待のこもった挑発が聞こえてくるようだ。

 では、私はどうすればいいのであろうか。彼らはどう見ても元気ハツラツの十歳未満の少年で、対して私は、運動不足の19歳乙女である。比較するまでもなく、彼らの俊足と私の鈍足、鬼ごっこでは私に勝ち目はない。他人の家の玄関ベルをイタズラ目的で鳴らして逃げるという、ピンポンダッシュをすれば確実に補導されかねない私の鈍い身体能力では、戦いを前にして、早くも彼らに白旗を掲げかねないのである。
 しかし、戦う前から降参するのもダメだ。彼らに遊びの先制攻撃として背中を叩かれたのに、何ら彼らに返すことなくこの場をそのまま立ち去ってしまっては、彼らに申し訳ない。遊びの先制攻撃の価値は、その反撃を大いに期待するところにある。やはり、負けを覚悟して、彼らの勝負を受けて立つしかあるまい。
 ならば、どうしよう。背中を叩かれた借りのお返しはやはり、彼らの背中や頭をポーンと叩いてあげようか。あるいは、彼らの頭を脇に抱えるようにして押さえ込み、その頭上をリズミカルに手で「キュッキュッ」と擦って、レコードを手で動かしてノイズを出すDJのように、彼らの頭を手でスクラッチしようか。
 とにかく、借りたものは返すという、世間の慣わしを思い知らせてあげねばなるまい。

 半袖を着ていた私は、無い袖を腕まくりして、気合を入れた。「カモーン、ガーイズ」と鼻歌交じりでスキップを踏みつつ、彼らの隠れて身を潜めている石垣の歩み寄りながら、私は足を止めた。
 ここでもし、彼らの頭をキュキュッと擦るつもりが、手が滑り、それがギュッと圧迫して潰しかけてしまった場合、、私は暴行罪で御用となってしまう恐れがある。
 キュキュッであれば、
  「いやー、坊ちゃんたちの可愛いらしいアタマが、余りにも神々しいのでね、つい触ってしまったのですよ。触ることで万物の慈愛を授け取れるのではないかと思いまして」
 あるいは、わざとらしくオーバーリアクションで目を丸くして驚き、
  「コレ(と少年の頭を指し)、ミキシングの機械じゃないんですか? てっきり私、そうだと勘違いしてました。だから、良いリズムを刻もうと思って、一生懸命、キュキュッと頑張って引っ掻いていたんですけど」
 と余裕で(かなり苦しいが)弁解が出来よう。しかし、ギュッであると、
 「私はこの子たちの頭が愛おしくて、つい愛情表現のつもりで“ああ、僕の愛しの子猫ちゃん!”とヘッドロックの要領で、無我夢中に頭を抱え込み、勢い余ってギュッと圧迫、潰してしまっただけなんですよ。ただそれだけなんです。許して」
 と言って逃げられるであろうか(無理だ)。
 子どもといえども人権のある一人の人間だ。他人がその意思を顧みることなく、勝手にヘッドロックをかけたり、頭をミキシングの機会代わりにしては可哀想である。

 私は意気揚々に振り上げた拳を静かに下ろし、元来た道を戻ることにした。
 私は、キミらから借りたものを、つい倍返ししてしまいそうだ。それよりは何も返さないほうが、社会の安寧には相応しいと思う。私は諦めるよ。
 帰り道、私はふと振り向いた。先ほどの少年2人は、石垣から顔だけをチョコッと覗かせて、私を動向を見ていた。彼らと目が合った。
 彼らの目は、黒真珠のようにとてもキラキラと輝いていた。その口元は嬉しそうで、今にも吹き出しそうな笑みを浮かべている。好奇心を形にしたようなその豊かな表情に、私は思わず微笑を誘われる。
 私は彼らの目をじっと見つめた次の瞬間、勢い良く片目の下まぶたを指先で引っ張り、舌をチョロッと出し、「あかんべえ」ポーズを見せた。その古典的な瞬間芸を見た少年たちは、鈴の転がるような笑い声を上げて石垣の向こうに崩れ落ちて行った。

 我、勝てり、と一人悦に入って一行に追いつくべく走りながら、私はぼんやりと考えていた。
 国境を越えた言葉の通じない異国の地で、その現地の子どもたちに、何らの隔たりをも感じることなくコミュニケーションを取れるという、紛れも無い事実。人間は言葉じゃない、ハートなんだ、とはどこかで聞いたことのありそうなフレーズだが、それは本当のことだと思った。
 そして。彼らの多感な好奇心に、昔の自分を思い出し、重ね合わせた。
 私も幼い頃は、彼らのように、どんな些細なことにでも興味を持ち、一喜一憂していたものである。―――遠い昔の記憶。
 大きな洗濯機を前にして。ダンボール箱を使ってよじ登り、そのスイッチを適当に押す。すると、突如どこからともなく水が溢れてくるのを見て仰天した私は、慌てて逃げ出すようにその場を離れ、そのまま一目散に家を飛び出す。友だちの家に逃げるように向かいながら、「今ごろ家は大洪水だ。どうしようどうしよう」半ばベソをかきながら、自分の胸に垂れ込める大きな不安の暗雲は、夕方の帰宅時間になっても消えなかったあの日。帰宅して、洗濯機の濁流に押し流されることなく家が幻影のようにそのまま残っていたのを見て、思わずその場に立ちすくみ、安堵で泣いてしまった、あの懐かしき日々よ。

 私は、昔の自分をまた取り戻した。
 旅での見聞は、人の薄いモノクロ色でとどまるありし日の記憶を、色の復元へと向かわせ、徐々に塗り重ね、着色してゆく。記憶のキャンバスに描かれた色落ちした白黒の思い出は、このような何気ない一瞬により、セピア色へと変わり、カラーへと見事に色づくのである。

 「旅において出会うのは常に自己自身である」

 私は、哲学者・三木清の有名な言葉をふと思い出した。
 言葉も違う異国の地であっても、その土地のものを見て聞いて感じることで、人は自分自身の何かと出会う。目の前の対象を、自分の内にある記憶に照らし合わせたり、想起したり、比較したりする。
 旅における新たな発見と感動は、常に自分自身と向き合うことであり、自分自身に出会うことである。何度も自分自身と再会する、それが旅の意味なのではないか、私はそんなことを考えた。

 バスの昇降口でおばさんが手を振っているのが見えた。私は足を速めた。


再び、中国人になる

 バスに乗り込んだ一行が向かったのは、周城にある絞り染めの民家だった。
 周城は、大理にある多くの白族(ぺーぞく)が住む村である。そこでは、白族の民間伝統工芸品である藍の絞り染めの製品が有名である。
 土煙の舞う駐車場にバスを止めて降り立った私たち一行は、絞り染めを作る民家へと向かった。

中庭に無造作に干してある沢山の布。彼らの生活の糧なのであろうが、その素晴らしい芸術性とは対照的な、息遣いの聞こえるひっそりとした佇まいに心を動かされる。「とんでもとらべる」さまより借用。

 この民家では、染められる前段階の布に藍染めのデザイン模様をつける作業を行なっていた。小さな家の縁側で、一人の小さなおばあさんが一心不乱に真っ白な布に太い白糸を縫い付けていた。藍染めの見事なデザインはここから誕生するのだ。
 玄関先や部屋の中、縁側など、至るところで白い布が山のように積まれている。一面、真っ白の白い絨毯かと思うくらいに、家中に包む日常的な白の世界。白布に埋もれてしまいそうなくらい、弱々しげで華奢なおばあさんが、気が遠くなりそうなくらいの膨大な針仕事に立ち向かう、その姿は、得も言えぬ力強い感動を与えてくれる。
 針仕事と言っても、母さんが夜なべして編んでくれるようなありふれた手袋とは、その創作性に天と地の差の開きがある。一つとして同じ模様の無い、クリエイティブな模様の数々。優美で繊細で、時に可憐で儚げで、または雄々しい千差万別のデザインの数々を、こうして手作業で生み出しているのである。まさに後世に伝え守るべき伝統だ。

 次に向かったのは、藍染めの染色の段階の作業をする民家だった。家の外壁は清楚な白壁で、実にそれは中国の青空に映えていた。とても小さな白い家。大きな窓が開け放たれた家の窓際で、中年女性が布を染色していた。その庭には、無造作に製作した藍染め布が干されている。藍色と白の素晴らしいコントラストと想像性豊かなそのデザインセンスには、賞賛せずにはいられない。独特の世界観のある、実に味わい深いデザインばかりだ。

 そして、その家の2階には、そこで作られた絞り染めの布を販売していた。
 販売用の絞り染めの布や服や小物類が、壁や天井、陳列棚に所狭しと飾られている。あたかも藍色のジャングルに迷い込んだようである。地味な色であるが面白味に欠けると言う訳ではなく、実に心の落ち着く静かな色である。
 いっちょ小物でも買ってみるか! と小さなのれんを手に取ったものの、値段を見て目を白黒させてしまった。さきほどの石が10元だったのとは違い、300元以上、30倍以上もする。日本円にすると、6000円以上である。とても未成年者の小さな財布には手が出せない。
 私は、自分には手の届かない高級店、と早速判断して、ウィンドウショッピングに徹することにした。「あいやー、これ可愛い柄さぁ」、「これもキュートだねぇ」と、先生方と混じって沖縄方言で鑑賞しながら、陳列された絞り染め商品を丹念に眺める。
 途中まで見ていたところに、いきなりポンポンと肩を叩かた。振り向くと、若い女性店員が笑顔でチャイナ服のジャケットを私に見せるように掲げて立っていた。
 なに? 私に用? それとも押し売り? 訝しげに彼女を見る。彼女は中国語を話しながら身振り手振りで何やら私に訴えかけている。
 私はウンウンと頷いた。言葉は違えど心は一つ、彼女の必死のジェスチャーは「貴女、この服を着てチョウダイ」ということを示している、と私の向学心盛んな頭脳はしっかりと理解した。
 なるほど。これを着れば良いのね。着るだけで、良いのね。
 「オーケー、オーケー」と得意のジャパニーズスマイルを浮かべつつ、私は彼女からその服を受け取り、その場で着ることにした。さすが、絞り染めという伝統技術で作られた服だけあって、合成繊維たっぷりの大量生産の着心地の良い現代服とは違い、服の布が大変丈夫であり、着難いこと極まりなかった。何度か悲鳴を上げて肩関節を外しそうになりながら、苦労して着込む。私の身体が太いだけではないかと思ったが、考えないようにした。
 何とか試行錯誤を重ね、努力の末に着ると、目の前に立った店員はとても嬉しそうに手を打って喜んでいる。「カワイイ! カワイイ!」と彼女は目をキラキラと輝かせて喜々と叫んでいる。

 ホントに? ホントにカワイイの? ホントに? そうでしょう、そうでしょう! 実は私はコテコテの中国人なのだ。チャイナ服を着て似合わない訳、ないじゃん! 見よ! この洗練された着こなしを! スニーカーにジーパン、チャイナ服にリュックサックだなんて、嗚呼、最高のパーフェクトコーディネート!

 彼女のおだてに完全に図に乗り、顔が緩みっぱなしになってしまう私。自らの財布の残高を思い出し、慌てて自らにブレーキをかける。
 アブナイところだった。店員さん、なかなか良い腕をお持ちね。けれど、私はお金がないの。アナタのおだてに乗ってこの服を買うほど、私は財布の紐を緩くはありませんよ。
 そうは頭で考えてはいたのだが、着せ替え人形リカちゃんを愛する少女時代を送った女性特有の性質なのか、チャイナ服に自らの身を包んだことがどうしても嬉しくて、心が舞い上がってしまう。
 先生方が、にわか仕立ての中国人になった私をモデルにして、一緒に並んで記念撮影をし始めた。何だか自分が中国の有名人になった気分である。次から次へと、別の先生方に「今度はこっちのカメラに向いてね」「こっち、こっちも!」と言われ、言われるがままに慌しくカメラに向かって微笑む。紅潮した顔で、何度も私は目の眩むようなカメラのフラッシュを浴びた。嬉しさ反面、ちょっと歯痒いような恥ずかしさに包まれたひとときだった。
 ひとしきり撮影が終わると、私は着ている服に愛着を持ち始めていた。再度肩関節を外さないように気をつけながら脱ぎながら、私の心は服への想いに満たされようとしていた。
 ちょっと高いけど、奮発して買おうかな。
 そう思って、おばさんに相談すると、おばさんは考え込みながら言った。
「似合っているし可愛いから、とってもいいと思うけど……ただ、それウェディングドレスなんだよね。服の真ん中に、喜ぶっていう漢字が二つ並んだ"喜喜"っていう文字があるでしょ。これ、結婚の意味なの。ちょっと着るときは場所を選ぶかもしれない」
 私は躊躇した。この服を買った場合を想像してみた。
 友人や親戚の結婚式に招待された私。可愛いこの服に合う、スリットの入った白無地のマーメイドスカートを履く。そして、いざ結婚式や披露宴に参加する―――。
 そこまで考えて私は顔をしかめた。いくらこの服が結婚式に相応しいお洒落な服だからといって、他人の結婚式に客がウェディングドレスを着て颯爽と式に参加するなんて、おかしな話、聞いたことがない。キリスト教結婚式の誓いの言葉の最中に、新郎の恋敵が現れてウェディングドレスの新婦を奪いに来るドラマくらいありえない話だ。私の知り合いの結婚式で、キャンドルサービスで間違えて新婦が新郎の頭を燃やしてしまったことくらい、ありえない話である。
 では、この服を買った場合、どんな場所で着ればいいのであろうか。大体、ウェディングドレス姿で街中を歩くのも妙である。外では着られないのなら、自室の中で着る部屋用の服になるだろうが、そうなると、何度も着る場合、肩関節に気を配りながら着なければいけないこの服を日常服とする私の身体はボロボロになりそうである。したがって、そう頻繁に着ることのない用途であり、ウェディングドレスを着るに相応しい場所は―――自分の結婚式以外にはなさそうである。
 なぜここで私は自分の着るウェディングドレスを衝動買いしなければならないのだ。結婚相手もいないのに、ウェディングドレスだけが手元にあっても侘しい限りである。ウェディングドレスが結婚式以外で使えるというなどという裏技は、伊藤家だって紹介していないはずだ。
 着れる訳がない以上、買える訳がない。
 私は黙って脱いだ服を店員に渡した。「謝謝」と頭を下げて顔を上げると、とても哀しそうな目を湛えた彼女がそこにいた。

 買わなくてゴメンね。私以外にも、もっと他にその服を必要としている人がいるはずだから。私よりももっと、その服を欲しがっている人がいるはずだから。―――本当にゴメンなさい。

 心の中で何度も彼女に謝りながら、私は店を出た。
 道の途中で、店の2階を振り返って見ると、彼女が店前でぼんやりと佇んでいるのが見えた。彼女の着ていたエプロンの絞り染めの藍色が、私の目の隅でちょっとにじんだ。


爆音セレモニー

 昼食後、ジカイという湖を大運号という大型船で遊覧するということで、乗船場へと向かう。
 ジカイというのは、雲南省で有名な高原湖と称される湖である。汚染の少ない湖水は、澄んでいて、その透明度は高く、何とも美しい湖らしい。
 そして、その湖の面積248km2である。それは東京ドーム5個分の大きさで、あるいは鹿児島の徳之島と同じくらいの面積で……と高尚に言ったところで、距離感に疎い私は、さっぱりその大きさが分からない。具体的にさっぱりイメージが湧かないのだ。
 それよりも、想像に難くない具体的な数字で考えてみよう。では、この湖にうまい棒を敷き詰めたら何個だろう、大橋巨泉を並べたら何体になるのだろう……と指を折りつつ計算しているとバスが停車した。

 バスを降りると、全身に貫くような太陽エネルギーを感じる。照りつける日差しが、気温が、暑さが身体に厳しく応える。
 日焼け防止のために黒のハイネックを着た私の背中を陽光はじりじりと焦がす。突き刺さるような陽光を遮るように、目の上に手をかざして前方を見つめると、20メートルほど先に乗船場があり、そこには数隻の遊覧船が泊めてあるのが見えた。
 突然、それらの遊覧船の甲板からトランペットのファンファーレが鳴り響いた。船出を祝福するかのような、これぞファンファーレと言わんばかりの美しく済んだトランペットの伸びやかなソロパートに、暑さも忘れて聞き惚れていると、一呼吸のリズムを置いて、快音は轟音に変わった。

 ドンガラドンガラ、ジャララーン、バリンバリリン、ドドドドーン。

 これは絶対に、「管楽器と打楽器による演奏」ではなく、「打楽器のための交響曲」である。非常にパワフルな打楽器演奏。何の楽器を使えばそれほど騒々しい音が出せるのかと驚嘆してしまうくらい、凄まじい演奏である。地球上にある、叩けば音の出る全て物を一斉に叩いたような、爆音かと見紛うばかりの音に、私も含め先生方は、口をポカンと開けて、彼らの演奏を見つめる。救急車などのサイレンごときには眉一つ動かさない騒音慣れした現代人の私ですら、この歓迎セレモニーには度肝を抜かされたね。
 それにしても、50人程はいるであろうこの演奏者たちは、自らの音をうるさくは感じないのだろうか。平然と演奏する彼らの精神状態に畏敬の念を抱きつつ演奏を眺めていると、その中に、完璧な無表情でシンバルを破壊的に連打するシンバル奏者を発見し、猛暑なのに鳥肌が立った。まさに神業である。

 やかましい演奏の中、ツアーガイドのMさんが大声を張り上げて、メンバーの一人一人に特殊なネックレスを配り、それを胸に下げることを指示した。受け取った私は、喜び勇んでそれを早速胸に下げた。
 ハート型をした発泡スチロールの塊を、赤いフェルト生地で覆い、それに刺しゅうやビースで飾り付けたそのネックレスは、色鮮やかな少数民族の衣装を彷彿とさせるものである。赤いハートの形の周りは白レースで縁取られており、その赤と白のコントラストが何とも可愛いかった。
 それにしても、この可愛いネックレスと遊覧船にどんな関係があるのだろう。不思議に思ったが、Mさんの説明を聞いて納得した。この湖にはいくつかの島があるらしく、遊覧中にそれらの島に立ち寄るため、数隻ある船の乗客が、下船・乗船毎に別の船に乗り違えないように識別する手段として、このネックレスを使うらしい。 何とも実用的だ。
 ただ、一般的に雑貨や小物類の好きな女性であれば、胸元にファンシーグッズ的なハート型のネックレスをつけていても、何ら違和感はないが、ポロシャツにスラックスを着ているような中年男性がそれを胸元につけていると、かなりの異質感がある。照れた表情を浮かべてその似合わないネックレスを首元にを掛けている彼らが集団で並んでいる様子は、あたかも、小学生の娘さんが図工の時間に父の日プレゼントとして作成したネックレスを首から掛けている父親たちの授業参観風景である。

 出港まではまだ少し時間があるらしい。出港を待つ群衆で、乗船場は猛烈な人込みでごった返していた。こんなに多くの人がいては私は確実に迷子になる。迷子症候群を持病とする私は、おばさんの服の袖をしっかりと握り、一行からはぐれないように心掛けていた。
 こんな場所ではぐれてしまっては、映画などで、主演する男女が目前の障害によって繋いだ手を不本意に「あ~れ~」と未練タップリに引き離されてしまうお涙頂戴の場面の再現になってしまう。映画なら非現実世界で何ら実害はないが、私がここで一行とはぐれてしまった場合、私はきっと「もう二度と日本には帰れない」「これからどうすればいいのだろう」という絶望感と孤独感から泣きじゃくり、どこにあるかも分からない「迷子の案内」を、きっとあるはずだと信じながらを捜し求めて湖の周囲を亡霊のごとくさ迷うのだ。
 それだけは嫌! と私は涙目できつく唇を噛み締めて首を振った。死んでもこのおばさんの服の袖を離さない、と思いながら、「でも、死んだら離してしまうじゃん。あ、でも、死後硬直があるから、やはりこの服を離さないはず」と考え、「これぞホントの“死んでも離さない”だ!」と至ってどうでもいいことを、さも新発見のように独り地味に感動していた。
 
 乗船しようと船腹に設けられたタラップに進む。それに従って、人込みは益々酷くなる。まさに地獄の乗車率を誇る通勤時間帯のJR山の手線のような混雑状態。汗ばんだ他人の腕と触れることに不快感を抱く余裕すらない。ただただ、津波のように押し寄せる人波をすり抜けるようにして進む。
 はぐれないように、慎重に一歩ずつ踏み込むように進んでいる私の手を、唐突に誰かが引っ張った。「何事?!」と、驚いて振り向くと、またもや売り子の姉ちゃんである。
「安いよ」
 時と場合を考えろ! と怒鳴りたかったが堪える。彼女が何の商品を売っているのかくらいは知っておこうと思い、
「What do you have? (何の商品を売ってるんですか?)」
 ―――もちろん英語は通じない。
「奥さん、安い」
 誰がこのような非常な混雑時に冷静に商品を吟味して買うのであろう。大体、この売り子に構っていては、一行からはぐれてしまい、私の雲南省での迷子は確実のものとなる。私の未来は、雲南省の山の中で自給自足生活か、街中での物乞い生活か、ぼったくりバー勤務で水商売生活か。
 迷子の予感に震え慄きながら、私は売り子の姉ちゃんが胸に抱きしめている商品を覗き込んだ。ベッドカバーほどの大きさの藍色の絞り染め布が数点。ふと気付くと、人込みの流動が停滞している。身動きできない状態になってしまった。お姉ちゃんと肩を寄せ合っているのも気まずいので、彼女の持つ商品を少し手にとって見ることにした。
 いくつかの布を見ていて、その中の一枚の模様を見た途端、私の目がハートになった。藍染め独特の幾何学模様ではなく、チューリップやヒマワリなどの、いかにも「私はお花で~す」と主張したような、白抜きの花模様が全面に散りばめられたポップな模様の布なのだ。これを持てば、私の頭にもヒマワリが咲くような気がしてくる。これなら欲しい。私は決心した。
 「OK,OK」と私が頷きながら言うと、彼女は嬉しそうにニッと笑い、何事か中国語で話しだした。何を話しているかが分からない。どうすればいいのだろう。
 停滞していた人込みがやっと少しずつ動き始め、先に進み始めていたおばさんを私は慌てて呼び止め、布を買いたい旨を手早く話し、助けを求めた。
 中国語の堪能なおばさんは彼女にいくつか質問し、私に聞き返した。
「60元(1200円)だって。どうする? 買う?」と、おばさん。日本でベッドカバーを買ったとしてもそのくらいの値段はする。だが、ここが値下げ交渉のできる文化であるのに値下げ交渉しないのでは、もったいない。ただ、乗船の時間も迫っていて、人込みもかなり流動的になっている以上、ここで長い時間立ち止まって値段交渉はできまい。
「もう少し安くできないかな。少しだけ」「ちょっと待って」
 おばさんが値段交渉に入った。しばらく2人はもめていたが、やがて折衷案が出たらしく、お姉ちゃんが商品の布をおばさんに渡し、おばさんが自分の財布からお金を出して払ってくれた。
「いくらになったの?」
「40元(800円)。良かったね。はいどうぞ」
 おばさんは微笑んで私に布を渡してくれた。布を胸に抱き締めながら、おばさんに「ありがとう」と言った私の声は、歓迎のファンファーレの音に小さくかき消されてしまった。

私が買った藍染め布。「あれはリューリップでしょ、あっちは紫陽花、それから山百合とミトコンドリア……」と勝手にその模様を解釈して、購入の契機にした。数年経っても一切色落ちしないのは、やはり手作りの丈夫さを感じる。

【第5章 第3節へと続く】


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