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中国旅行記「乙女通信」第5章第3節

 


 

変な外国人

 船に乗り込み、いよいよ出港。
 中国の地よ、しばしの別れだ。そして、また会おう。再見!
 ゴゴゴ、と重低音が響き、自分の身体が前後左右に不安定に動くのが分かる。後部デッキから乗船場を見ると、そこには船を眩しそうに見つめる売り子たちが大勢群がっていた。
 彼らにお別れを言わなければならない。私は彼らに手を振ろうと考え、木綿のハンカチーフでも振ろうかとリュックサックを探したが、出てきたのは、ティッシュペーパーのみであった。仕方がないので、それを一枚手にとり、ゆっくりと離れて遠くなる乗船場に向かってそれを手に掲げ一生懸命振ったが、誰もその出港を出港を見送ってはいないのに気付き、恥ずかしくなった私は、慌ててティッシュペーパーをポケットの中にねじ込んだ。
 そもそも、国内にある湖を船で遊覧するのに、何ら別れは必要ないはずである。せいぜいその別れのレベルは、小学生が、休み時間に同じ教室内の友だちの席に遊びに行き、授業始まりのチャイムとともに惜しみつつ自分の席に戻る、というような日常的な別れである。
 しかし、目の前の広大なジカイを目の前にして、私は、この船が中国を南下し、ミャンマーやラオス、タイへと向かっているであろう、と思い込んでいた。ジカイは広大無辺だった。

遊覧船から見た景色。海か湖かの判別が難しいほどの広すぎる湖。遠くに見える街並みはあるかなきかの極小さ。ジカイだけに、未確認生物ジッシーの出没を期待してしまう。中国の空は青い。

 ―――ふう。船が順調に動き出し、私は船の横デッキに設置されたベンチにどさっと腰掛けた。目の上を仰ぐと、厳しい日差しが私を照らし出す。白熱の日差しを目を細めて眺める。微妙に揺れる大地の鼓動を感じ、私は自分が船酔いしないか不安になった。

 4時間の乗船、船酔いした場合、それはもうハッピーな遊覧ではなく、地獄の七転八倒の船旅となる。緊急事態用のエチケットビニール袋を枕元に置き、床に寝そべりながら、クラクラとふらつく頭を抱えながら、乗船中、延々と頭痛とめまい、吐き気などと闘うのである。船酔いになった場合、船旅を楽しむ余裕など一切あるはずもない。
 沖縄出身の私は、海に囲まれた土地柄で育ったためか、乗船経験が多い。私自身釣り好きであるという点も乗船経験を増やすことになっていて、幼い頃から釣りの好きな父に連れられて、色々な船に乗ることがあった。修学旅行で乗ったフェリー、家族旅行で離島へ向かう時に乗った大型船、釣りの時に乗ったサバニと呼ばれる細長い木船、モーターボート、いかだ、漁船……。
 幼い頃は、どんな船に乗っても、その乗船中始終船酔いで苦しんでいたが、船馴れした今ではおおよそ船酔いはしない。しかし、最後に船に乗ったときのがいかだ漁船で、乗船後3分以内に極度の船酔いに陥り、3時間以上の船旅中、絶えることなく床に伏し、この世の者とは思えない呻き声を上げ続け、他の乗船者に迷惑をかけながら、船酔いに苦しんだという快挙を達成してしまった。釣り針に一度も餌をつけずに下船のタラップを踏んだ私を見る父の目が、とても哀しげだったのを思い出してしまう。

 少々の船酔いの不安を抱きつつ、ベンチに座った私は、強く照りつける太陽の日差しから何とか逃れるべく悪戦苦闘していた。日傘を差したものの、時折、湖面から吹き上げる風に傘をさらわれそうになり、慌てて傘を閉じる。長袖の上着を頭の上に掛けようとしたが、今度は腕が日焼けしてしまう。試行錯誤の末、先ほど購入した藍染め布を頭巾のように頭に被ることにした。
 風が強い。布は絶えず風によってパタパタと揺れていた。風で布を飛ばされないように気をつけながら、チャドル(ベール)の衣装で顔を隠すイスラム圏の女性のように、慎重に布を頭に巻きつける。苦痛に感じ始めていた強い日差しも、藍色の布で濾過することによって、幾分柔らかくなっていった。灼熱地獄はいつしかポカポカ陽気に変わり、そよ風さえ私の頬に触れる感じがして、気持ちいい陽光の包まれて、私はいつしか眠りについた。

 異変は、雰囲気で分かった。
 うたた寝の並木道を越え、熟睡の雑木林に突入していた私の頭は大きな舟をこぎ、大きく揺れた拍子に、その場に寄りかかるものが何もないために引っ繰り返りそうになり、私はやっとのことで目を覚ました。
 何事も無かった様子で布を被ったまま舟こぎで乱れてしまった布をバサバサとはためかせながら整える。そうしていると、再び脳の活動が睡眠の濃霧に遮られ、眠りのパラダイスロードに踏み出そうとしたとき、私は妙な雰囲気に気がついた。
 耳を澄ますと、周囲がざわついているのが分かった。遊覧客が周りには大勢いるのだから当然だとは思ったが、どうやらそうではないらしい。普通のざわめきではない、何かしらの違和感を覚えた。どうしたのだろう。頭を布で覆っていたため、目の前の視界が遮られていたが、そのわずかな透き間から周囲を観察することにした。
 足元に目を配る。そこには、小さな足が幾つも並んでいる。30本以上の小さな足がずらっと横一列に並んでいる様は、あたかも植林したばかりの若林のようである。その足たちはみな船外の湖の方向を向いていた。―――何だ。湖を楽しんでいる遊覧客の子どもたちではないか。私の感じた違和感は気のせいだ。気のせい、気のせい。

 日差しが緩くなった。どうやら日が傾きかけてきているようだ。さほど日光が気にならなくなったので、私は、頭を覆っていた布をするっと外した。
 開眼するかのように、藍色の数センチの世界から、一気に開ける視界。
 何気なく目の前にあった可愛らしい子どもたちの足を辿るようにその顔を見上げると、湖を眺めているはずの子どもたちが、一斉に私の方を向いていた。好奇心に満ち溢れ、燦々と輝いた目が私を見つめている。二十四の瞳ならぬ六十以上の瞳に、何の前ぶれもなく穴が開くかのように見つめられ、私は仰天した。
 何だ何だ何だ! 驚き焦った私は、慌てて再び布を被り直そうかと思ったが、多くの視線に浴びる中では、一度外した布で再び頭を覆うのも気が引け、素知らぬふりを続けることにした。
 しかし。子どもたちは一向に目をそらさない。真剣な眼差しでじっと私を見ている。中にはあからさまに私を見てひそひそ話をする子までいる。
 私は、それらの突き刺さるような視線を遮るために、ウェストポーチから赤いサングラスを出して掛け、徹底抗戦の構えを取ることにした。

 何やねん、この子どもたち。私に用でもあるんかいな。気になってしゃあないねん。ぬーがよぉ、くぬわらばーたー。わんに用があるばー? でーじ気になるばーてー。

 自分に注がれる彼らの視線が気になり、私は心の中で下手な関西弁とネイティブ沖縄方言の入り乱れた状態で怒鳴り散らしていた。しかし、サングラスの隅から見える彼らの表情を観察していると、それが好意的であるこそすれ、悪意や敵対心はみじんも感じさせないものであることに気付いた。
 顔は恥ずかしそうに少しだけ下向き加減。しかし、たまに軽く見上げるような目線をとりつつ。時々、頬を赤らめてはにかむような笑顔を見せながら、ベンチで赤サングラスを掛けている人がさも気になってしょうがない、という風に私の方をじっと見る彼らの姿を見ていると、私の怒り消え、彼らのことが次第にいじらしく思えてきた。

 その時、私は唐突に思い当たった。この風景をよく見たことがある。
 もしかして、これは、日本人が、日本人に近似している日系外国人を見たときに、最初に同郷の者だと思っても、一種の本能でその人を外国人と判断し、自らと一線を画することと同じではないだろうか。
 つまり、中国人と日本人は、共にモンゴロイドの人種として良く似た身体的特徴を持っているから、両者を判別するのは時に困難な場合があり、それゆえ同郷の者だと推察することになってしまう。しかし、人間には、同国籍を持つ人種同士を他と区別する特殊の本能的嗅覚があって(一種の仲間探し、仲間外れの本能)、それで同じモンゴロイド人の微妙な違いを区別してしまうのではなかろうか。
 中国人や韓国人の友だちを、一応自分の日本人の友だちの中の大勢のうちの一人、と位置付けていても、頭のどこか一部で、その人の国籍を考えて、「中国人の友だち」やら、「韓国人の友だち」として区別している心理状態と似ているように思える。
 それを考えると思い当たる節もある。沖縄出身の私は、東京の大学に通うようになって、新しく友だちが出来るたびに、インパクトのある覚えやすい自己紹介をするために「沖縄人です」と名乗るが、その相手には、あまた大勢の「友だち」としてではなく、「沖縄の友だち」としてインプットされてしまうことが多い。
 私はそれが嫌だとは思わない。むしろ「おいしい」とさえ思う。薄い印象のために、登場しては湯煙のように跡形もなく消えていく若手アイドルたちのような、あるいは集団写真の片隅にぼんやりと写る人のような、「単なる友だちの一人」と位置付けされるよりは、「沖縄の友だち」として別のカテゴリーにあてはめられることは随分マシな取り扱いではないか、と思う。
 「沖縄の友だち」「外国人の友だち」……一般的なカテゴリーではなく、特殊なカテゴリーに部類することは、単なる個性による分類であり、差別でも何でもないと思う。このような部類分けは、混沌とした物の中から物を言葉によって区別し選別する人間独特の行動である、と考えると当たり前の思考過程のように思われる。
 私の中には、友だちのカテゴリーが数え切れないほど色々とある。「沖縄の友だち」「大学の友だち」「予備校の友だち」「ネット上の友だち」などの大きなカテゴリーに始まり、その各カテゴリにーには、それぞれ「映画が好きな友だち」「本が好きな友だち」「哲学的な友だち」「身体の不自由な友だち」「ブランド品の好きな友だち」「外国人の友だち」「子を持つ母の友だち」など、その人の個性に無意識的なタイトル付けをしたカテゴリーにその人を分類し、さらにそのカテゴリーの中を、また様々な個性でもって次なるカテゴリーへと分岐していくのである。そうすることによって、その人に対する認識が深まり、より一層相手を理解しようと思うのである。それは無意識的な心の動きであって、普段は意識されることの無いものである。
 ただ、十人十色の人類なのであるから、人によっては、人の個性を自分なりのカテゴリーにそれぞれ分類して認識した後、そのカテゴリーに属する人を忌み嫌い、排斥したり、差別したりする人もいる。この点、私にとっての個性のカテゴリーは、その人についての認識を深めるための分かりやすい単なる分類に過ぎない。カテゴリーはカテゴリー、その人はその人。あくまでもその人個人を、その個性とともに尊重するのみである。人間は等しく平等、これのみである。人を個性で排斥する理由は、何ら見当たらない無い。

 私は確信した。子どもたちが好奇の目で私を見つめたことは、目の前にいる人が、普段自分たちが目にすることの無い、自分たちとは異なったカテゴリーに存在する人・外国人であり、そのカテゴリーに属した人がどんなひとであるかという、さらにはそのカテゴリーはどこに分岐するのだろうかという、その人に対する未知への関心に他ならない。きっと、そうだ。
 自分なりの納得の行く結論を固め、少し安心。一旦そう考えてからは、子どもたちの凝視にも笑顔で応えられることができた。
 子ども達の視線によって、私はまた自分自身と出会うことができた。旅の見聞によって自分と何度も出会えること、これぞ旅の醍醐味である。旅とは何と素晴らしく不思議なものなのか。私は大きく頷いた。

 そもそも、子どもたちの視線を集めることになったのは、その人が遊覧船に乗っているのにもかかわらず景色を眺望することもなくベンチで居眠りをしているという妙な観光客であり、更には、灼熱の太陽の下、なぜか藍染め布を頭から必死にまとっているという奇妙キテレツな格好をした人であり、どう考えても「お前目立つだろ!」と言わんばかりの状況であることに他ならなかった。
 根本的な大事な一点に全く気付かずに、「私は日本人よ。よろしくね」と思いながら、私はただヘラヘラと意味なく子どもたちに笑いかけていた。


スイカ人間の恐怖

「ほら、食べてみて。ヒマワリの種だよ。殻を歯で割って、中身を食べるの。生のヒマワリの種は初めて食べるのかな」
 先生の一人が、長椅子で佇んでいる私に、わざわざヒマワリの種を持って来て下さった。先生は、お皿のように広げた私の両手の上にパラパラと数個の種を落としてくれた。その先生の手には、半分近く種の残ったバレーボール大のヒマワリがあった。日本の花束用のヒマワリの15個分くらいの大きさだ。持ってみると、どっしりとした重さがある。
「ありがとうございます」
 私がお礼を言うと、先生はニコッと笑ってヒマワリを手に、船室に戻って行った。
 私は種をポケットに押し込み、そのうちの一つを口にほうり込む。舌と葉を使って、巧く種を固定する。では、口の中で器用に種を割ってご覧に入れよう。口中種割りを挑戦したものの、種は思いの他固く、全く割れなかった。諦めた私は、顔をしかめて種を吐き出そうと……飲み込んでしまった。

 生のヒマワリの種を飲んでしまったという衝撃は、スイカを食べていてその種を飲んでしまったときのものと、極めて酷似している。

 先入観ではあるが、私の中では、スイカの種を飲み込むとスイカ人間になってしまう、というのが定説である。
 恐らくそれは、昔、「八時だよ全員集合」の後番組の「カトちゃん・ケンちゃん・ごきげんテレビ」という番組で、志村けんらが扮した、全身スイカ柄のスイカ男というコントを見たことを強烈に記憶してたためであろう。スイカ人間が右往左往するそのコントは、幼心には爆笑コントではなく、恐怖映画として映っていた。それゆえ、同世代の友だちは、一様に、スイカの種を食べるとスイカ人間になるという、いわば都市伝説を信じている。一種のトラウマ的記憶というべきか。

 私はそのことを考え、真っ青になった。
 スイカの種を飲み込んでしまった場合、その種は私の腸で数日後発芽し、更に数日後双葉になり、そして数カ月後には前頭部や耳からスイカのツルが生えて来て、その頃には全身が緑と黒のストライプに変色しているのだ。
 なんて、ああ……考えただけでもぞっとして来る。私は愕然となった。生のヒマワリの食べた私は、きっとヒマワリ人間になってしまううのだ。次第に自分の身体が冷えていくのが分かる。猛暑の中国が自分の中から遠い存在となり、宇宙は自分とヒマワリだけしか存在しなくなった。
 目前に迫ったスイカ人間への恐怖に打ち震えていた私は、ハッと我に返った。
 スイカ人間は、緑と黒のストライプである。これはとても見た目にも気持ち悪く、断じて嫌だ。だが、私はヒマワリの種を食べた。ヒマワリ人間はどうだろう。
 ヒマワリ人間なら。

 頭にはヒマワリの花びらの髪。手を振ると、ゆさゆさと大判な葉っぱが揺れる。太陽を浴び、全身で光合成をする。いつも赤フレームの黒サングラスをかけ、音楽を聞くと条件反射でお尻を振り振り踊ってしまう。私は皆の愛すべきヒマワリ娘となるのだ。
 そう考えると、スイカ娘より、ヒマワリ娘は結構いけるかもしれぬ。

 ヒマワリ。向日葵。
 かんかん照りの太陽。コバルトブルーの晴天。一筋の飛行機雲。ほんの少しだけ湿っぽい空気と柔らかい暖かさ。そんな中、大地を踏み締めるようにどっしりと立つ、数本のヒマワリ。
 風が強く吹いて体を大きく歪めたとしても、また元の体勢に懸命に戻ろうと、太陽を目指して真っすぐ真っすぐ伸びて行く、ヒマワリ。にわか雨の後の、ヒマワリの花びらや葉から滴り落ちる透明な雨滴と、かんかん照りの太陽。
 そんなときのヒマワリの姿は、大声を上げて楽しげに笑っているようだ。心底嬉しそうにそよ風にあたる彼らの姿はたまらなく愛しい。高浜虚子は、虚子句集で、ヒマワリが好きで狂って死んでしまった画家がいると申しておる。
 それに比べて、スイカはどうだ。太陽の光を浴びて健康的に育っているところを拝見する機会がないことはおろか、夏場のスーパーの店頭でしか見かけない。スイカの種に畏怖している間に、気付けば種なしスイカが発明され、市場に出回っているという事態。挙句の果てに、浜辺に持ち込まれると、普通に食べてもらえる可能性はゼロに等しく、確実にビーチパーティーとやらで叩き潰される運命を背負った可哀想な野菜である。ゴッホもそのユニークな緑と黒のコントラストを見たとしても、創作性をかきたてられてそれをキャンバスに収めたであろうか。

 私は、今後、スイカの種を飲んだ場合、スイカ娘の誕生を回避するために、あらゆる手段を講じて、種を体外に排出しようと全力を尽くすだろう。一方、ヒマワリの種を飲んだ場合、飲み込んだ種を受け入れ、迫り来るヒマワリ娘への期待を胸に抱くだろう。
 私は今回の人生の分岐点に立って、ヒマワリ娘になることを選択した。このような機会に何度遭遇しても、私はヒマワリを選ぶだろう。私はヒマワリが好きだ。隠しようの無い想いに、私は自分を顧みた。

 私のお腹に吸い込まれるように消えたヒマワリ。私は、自分のお腹の中で発芽するであろうヒマワリを愛しく想った。

花弁は既に散り、黒々とした種が山ほど詰まった大ぶりのヒマワリたち。豪快に積まれた手押し車の背中から、ヒマワリたちの「僕たち、今から食べてもらえるんだよ!」という快活な声が今にも聞こえてきそうな気がする。
単なる観賞用として、花束や花瓶に挿さされた繊細な日本のヒマワリたちとは、生まれも育ちも違うことを実感する。とんでもとらべるさまより借用。


マナーたるもの

 気合を入れ直し、今度は用心深く、飲み込まないように手で種をつまみ、慎重に歯を使って、種を割る。中からは白い種が出てきた。やはり生の種のようだ。実を口の中に放り込む。味は、ない。「植物の種です!」と断固主張するわけでもなく、ほのかな苦味と甘味の混在した、ほんのり植物臭さの残るヒマワリの種の味である。生で食べるより、油で炒って調理したほうがやはり美味しいと思われる。

 ずっと昔のこと。祖母の家に遊びに行った時、祖母が、むいたヒマワリの種を、使い古した中華鍋で、ジャラジャラと音を立てながら豪快に炒めていたのを思い出す。換気扇に立ち上る薄い煙。穀類独特の風味のある香ばしい香り。祖母のエプロンにしがみついて、私は爪先立ちしながらその大きな背中から覗き込むようにして、いい匂いのするお鍋を見つめていた。祖母は炒め終えると、大きなざるにタオルペーパーを敷き、お鍋の種をその上に流しいれる。「熱いから触らないでね。今油を吸い取っている所だから」そのざるを小躍りしながら見つめ、待ちきれなくて、その湯気の立った種をつまもうとしてその熱さに悲鳴を上げる。懐かしい記憶。

 ヒマワリに昔の幼い私への想いを馳せていると、目の前の子どもたち集団もヒマワリの種を頬張っていることに気付いた。プレーリードッグもかくや、という感じで一心に種を頬張る彼らを微笑ましい、と思ってニヤつきながらその行いを見ていると、衝撃的な光景が目に入り、私は目を疑った。
 彼らは種を口の中で割っては、そのまま殻をプイッと口から吐き出すようにして、湖の中に落としていた。子どもたち全員は一心不乱に種を食べ、さらに食べ終えて口に残った種の殻を必死に湖の中に吹き飛ばしていたのだ。

 ヘイヘイ、ベイビーたち。マナーが悪すぎやしないかい? 
 私は大声で子どもたちを諭したくなった。
 この湖が透明度の高い美しい湖であるのは、汚染が少ないからなんだ。こうやって無秩序に食べ物を湖に投じ続けていると、プランクトンの増殖を促進して、湖の生態系を崩し、湖は濁り、透明度は失われ、汚い湖になってしまうのだよ。この湖の水を生活用水として用いている現地民だって多いはずだ。そうなった場合、どうするんだい?
 それに、食べ物を食べたら片付けるのはもとより、来た時よりも美しく、というのが施設利用者のマナーたるものではないのかい。
 キミたちときたら、何なのだ、そのマナーの悪さ。湖を汚すことも、食べ終えた食べ物の残りを散らすことも、何ら良心の呵責を覚えずに行なっているではないか。そのピカピカの笑顔がそれを物語っている。
 ではでは、変な外国人のお姉さんが、君たちに食事のマナーたるものを、骨の髄からたたき込んでやろうかい。そのピカピカの笑顔をベソベソの泣き顔に変えてあげようではないか。キミたちの可愛らしい顔にある眉にマジックペンで筆入れして、一文字眉にしてあげてもいいな。ただ、一般人の私が勝手に介入してキミたちにマナーを叩き込むと、確実に私の今日の就寝場所はホテルの一室ではなく、中国警察の留置場になりかねない。
 したがって、私は自ら手を下すことなく、キミたちの先生たちにお願いして、キミたちのマナーを正してもらうことにする。
 さぁ、教えてくれたまえ。この遊覧船にキミたちを引率してきた先生はどこにいるんだい? 私はその先生にキミたちの悪行をぶちまけるのだ。そして、キミたちは謹んで雷鳴のごとき先生からのお叱りを待ちなさい。さぁ、先生、どこにおる?

 見るに耐えない子どもたちの悪すぎる食事態度に怒り心頭の私は、自らの怒り震える握りこぶしを子どもたちの引率の先生に移譲すべく立ち上がった。そして、子どもたちの周辺にざっと眺め、先生らしき人を探した。
 先生はどこだ。子どもたちの先生はどこだ。
 あの男の人かな? いや、あの人は違う。確かに彼は、れっきとした大人で、子どもたちにしきりに目を配っているし、子どもたちと仲良さそうに話しているが、先生ではないはずだ。
 彼は、子どもたちの行儀の悪さをそ知らぬ顔で黙認しているばかりか、自身も口に含んだヒマワリの種の殻を吐き出すように湖に向かって楽しげに飛ばしている。むしろ、種を飛ばすのを子どもたちと競争しているようにも思える。だから、彼は先生ではない。先生であるなら、「湖を汚さないように」と子どもたちに言い聞かせて、子どもたちの模範となるべき行動をとるはず―――。
 私はその人をしばらく観察して、ようやく事実に気づくと、力無く座り込んだ。全身脱力したために、呆然とあんぐりと開けた口を閉じることができない。

 その男性の周囲には、彼を慕うかのように、子どもたちが群がっている。周りを見回しても、他に子どもたちに接近している大人はいない。ただ、男性のそばに、深緑色の軍服ような制服を身につけたガードマンらしき人はいるが、その人は子どもたちに干渉することなく見守っているだけである。
 それにしても、その男性が本当に引率の先生なのだろうか。私はどうも信じられなかった。それは、彼が、子どもたちがヒマワリの種を頬張る中、数本の串焼き魚を平らげ、バナナをムシャムシャと食べ、食べ終えると、それらの食べ物から出たゴミを迷うことなく全て湖に投下していたからである。
 挙句の果てに、彼は手元にあったビニール袋の中身を覗き込み、ためらうことなくその中身をも逆さにして湖に投げ入れたのであった・・・・・・。
 目の前で繰り広げられる目を覆いたくなる惨状が、子どもたちの鑑となるべき大人の行為によるものという事実に、私の怒りはやがて諦めの境地に達した。
 きっといつか。この湖の水質の透明度に危険信号が出たときに、彼が自分の投げ込んだバナナの皮も水質悪化の一因かもしれないと悔悟の念に駆られることを、私は信じるのみである。それくらいしか、私にはできない。
 でも。でも。この歯痒い気持ちをどこへ向ければいいのだ。私は彼の行為を咎めることなく黙認してしまっている。彼に忠告する勇気は、私にはない。
 湖面の澄んだ蒼さが、切なく私の胸を打つ。

人の顔よりも大きいヒマワリ。私の肩幅ほどの大きさ。所々削られて種を食べられた痕跡が少し痛々しい。


ストッキング族

 怒る気力を失い、呆然自失に陥りながら、子どもたちと彼らを引率する大人2名の振る舞いを眺めていた私は、唐突に、あることに気づいた。

 目の前にいる子どもたちのほとんどには、体重に関する共通項があるのだ。それは、8割以上の子どもたちがいわゆる「ぽっちゃり」体型であるという点である。ピンク色に染まった頬、ぽってりとした丸顔、程好い肉付きのふくよかな身体つき。彼らの全身から幸せ光線が放射されているような気がしてしまうのはなぜだろうか。その愛らしい顔つきと身体つきは、周囲の者を和やかな気分にさせてくれる。
 それにしてもこのふくよかな子どもたち。彼らの身体を形成したのは、恐らく毎日の栄養価の高いたっぷりの食生活であろうと推測してしまうほどの、健康優良児ぶりである。彼らは、毎朝の行う太極拳のため、朝ご飯からしっかり食べているだろうと私は確信した。さらに、中国の緑豊かな大地で遊び戯れ駆け回ることのできる子どもたちは、まさに大自然の申し子である。

 一方、遊び場といえば、学校の校庭か整備された人工の公園しか身近に存在しないイマドキの日本の子どもたち。
 それはもはや昭和の遺物なのか。
 ドラえもんに出てくるような「裏山」と呼ばれるような野原は、宅地開発で減少したために現在ではほとんど存在しない。のび太がその上で漫画を読むような、秘密基地を彷彿とさせる横たえられた大きな土管のある空き地は、今や母親達の社交場でもあり、保護者の監視の行き届いた危険性のほとんどない遊戯具ばかりに満ち溢れた公園と変貌している。箱ブランコに至っては、その構造的な危険性から、訴訟問題にもなり、公園から次々と姿を消しつつある。
 大人たちの恣意によって子ども達の自然的な遊び場は確実に減らされ、代わりに与えられるように増えた人工的な遊びの選択肢。テレビゲームや漫画雑誌などに圧倒的支持が集まり、屋内で遊ぶ子どもが増えている現状。
 
 彼らのふくよかな身体を眺めていて、私は自分の小学生の頃を思い出していた。
 学校帰りに見つけた、畑の真ん中にポツンと建つ小さな廃工場。大人たちにばれないように周りに気を配って、友だちと一緒に色々と色々と改造して自分たちの秘密基地として創り上げたあの日。
 学校帰りに毎日、日の暮れるまで遊んだ場所。屋根の欄干に括り付けて作った縄の階段。小さな子どもだけが入ることの出来る小さな戸口。拾った綺麗な形の石を形良く積み上げてできたミニチュアの石城。捕まえてきた蝉を放して秘密基地に割れんばかりに響いた蝉の大合唱。夢と幻想を詰め込んだ、子どもだけの不可侵の場所、秘密基地。
 そんな子どもにとっての秘密基地は、今何処にあるのだろう。のび太の裏山、土管は消え行く一方だ。ちびまるこちゃんの世界も、もはや空前の灯火である。

 便利になる一方、失われたものは大きい。食生活についても同じことがいえる。
 自宅に帰らないと食べられなかった夕ご飯。運動会や遠足などのお弁当に入っていたときの、宝物のように見えたミートボール。先生に許可を貰い公然と友だちとお菓子の交換をして食べ合えた、学期末を締め括るお楽しみ会。
 それが今では、綺麗にディスプレイされ溢れるばかりのコンビニ弁当。添加物の豊潤なスナック菓子。自宅で作るよりも手軽に食べられるファーストフードの氾濫……。
 子どもたちを、それを取り巻く全ての煩わしさから回避させるために、かつ、自らを全ての煩わしさから回避するために、自然に手を加えて過ごし易くなった生活。煩わしさに敏感に反応し、それを極力排除しようと努めたオトナたち。
 煩雑さ・困難のないラクな生活。飽食文化。
 その結果に失われたものは。生じたものは。

 遠き過去の記憶に思いを馳せ、現状との相違を認識し、私は一人哀しさに包まれて彼らを見ていると、またもやあることに気がついた。
 子どもたちの足の色がやけに健康的なのだ。半ズボンの子が多い中、その半ズボンから伸びる足の全てが綺麗な小麦色の肌をしているのである。
 驚きで目を見張りながら、私は子どもたちの足をつくづくと観察した。なぜ完璧な小麦色なのだろう……と、子どもたちの大腿部やふくらはぎに見入る私の様子を傍から見ると、明らかにアブナイ人である。警察に捕まる可能性100%という、大胆行動をしながら、私は子どもたちの足に見入っていた。
 じっくりと見ていて、やっとその理由に思い当たった。目を凝らしてみていると、足の表面に布の繊維が見えた。足は厚手の肌色ストッキングに包まれていたのである。ストッキングではなくタイツと言うべきだろうか。それはいいとして。
 これにはさすがの私も驚いたね。
 北海道の小学校でさえ、冬に半ズボン登校していたと聞くが、ましてや今、時は夏。湖面を遊覧するとはいえ、肌寒いのも観賞の一つである。せめて、半ズボンと厚手の靴下、ジャケットやブルゾン、トレーナーで防寒対策をしてほしいものである。それでも寒いならマフラーでも良いではないか。それが、男女揃ってのストッキング着用とは恐れ入る。
 それにしても、一体どういうことなのだろう。
 日本におりてはあり得ない状況なために、私の思考も疾走する。
 異なった文化をそれとして受入れるのは当然ではあるが、この不思議で面白い衣文化に私の興味はそそられる。
 タイツやストッキングを履くのは、男女比率として、圧倒的に女性が多いと思われる。防寒用としてなら男性もそれを使うことは多いとは思われるが、日本ではタイツやストッキングを履く男性を見ることが余りない。
 ピアノ発表会などで、白シャツに黒の半ズボンという麗々しい格好をした男の子が母親に白タイツを着させられている姿であれば、何度か見たことはある。バレエなどで見かける男性バレリーナの白タイツや、全身カラフルタイツ姿のお笑い芸人などであれば多く見掛けるのに、男性の履く肌色タイツは見掛けない。
 しかし、目の前にいる子どもたちの男女問わずその足には、肌色のストッキングもしくはタイツが覆われている。なぜだろう。

 私はふと思いついた。これはもしや、一人っ子政策による弊害なのだろうか。
 彼らの親が、一人しかいない我が子を大切に育てようとしたがために、肌色ストッキングを着せたのではないか。
 想像は加速する。

 例えば、彼らのうちのとある一家。
 彼らの母親は、寒がりな我が子のために長ズボンをはかせたかったが、学校の規則では半ズボンあるいはスカートしか認めていない。規則に反してまで長ズボンをはかせると、中学の推薦入試を控えている我が子にとって、教師の心証を悪くしてしまい不利である。かといって、半ズボンのままだと風邪を引いてしまうに違いない。
 そうならないためには厚着をさせるべきだが、上着を厚くすると、荷物が重ばってしまう。それを持って道中移動するひ弱な我が子は、荷物の多さに体力を消耗して旅の続行も危ぶまれる。そうならないためにも、上着は邪魔にならないくらい、とにかく軽くまとめなければならない。
 長ズボンも厚手の上着も駄目となれば、愛しの我が子はどのようにして寒暖差の激しい雲南省の地での旅行を無事に乗り越えることができるのであろうか。
 母親が思案にくれると、父親がすかさず妙案を出す。
 薄着で、かつ半ズボンやスカートをはいていても防寒できる格好があることを。もちろん、ストッキングである。肌色ストッキングなら、アジア圏の素肌の色と近いため、も半ズボンの中から履いたとしても違和感がないし、防寒対策として最適である。これなら校則に反することなく旅を楽しむことが出来るはず、と父親は言う。納得した母親は父親とともに早速ストッキング購入に奔走するのだ。

 なるほど。
 愛しの我が子に、困難の象徴であるイバラの道を歩ませることよりも、イバラの棘を刈り払うことで、困難無き道を歩ませようとしたのではないだろうか。
 我が子に対しての困難を回避させようとする傾向は、中国に限ったことではなく、もちろん日本においても多々見られることであって、別段不思議なことではない。ストッキングを履いた少年も、過保護の親を鑑みれば納得はいく。

 日本における子どもたちの秘密基地の消失。
 中国におけるストッキング少年少女。

 ひょっとして、彼らを引率している中年男性も、そのスラックスの下に肌色ストッキングを身に着けているのであろうか。
 さりげなさを装いながら、チラリチラリと男性の足元を見たが、真偽の確認には至らなかった。残念なこと限りなし。
 肌色ストッキングの着用理由の真偽は今だ不明である。

【第5章 第4節へと続く】


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