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中国旅行記「乙女通信」第4章第2節

 


 

地獄の山道

 昼食後、今いる麗江から大理(だいり)へとバスで向かった。目的地までバスで4時間半かかるらしい。乗り物酔いをほとんどしない私は、おばさんの計らいで窓際に座り、窓外の移り行く景色を楽しんでいた。

 中国の雄大な景色。水色の絵の具で塗りつぶしたような、澄んだライトブルーの晴天。田畑や森の色合いの異なるグリーン色の世界。散在する小さな家々。道端で集団行進している家畜たち。ふと対向車線から、山積みになった多くの人々を荷台に乗せたトラックが過ぎていった。明らかにそのトラックは乗車率1000%以上を誇っている、と私は確信した。
 素晴らしい景色を延々と見られる大自然のビッグなスクーンショーに、私は見惚れ、とても大満足だった。私は、歌でも歌いたくなるくらいに陽気だった。
 しかし、その陽気な気分も1時間は続かなかった。楽しい気分が絶望へと一変するほど、このバス旅は、とても恐ろしい、想像を絶するような地獄の山道だったのである。

 まず、この山道はアスファルトで道路で舗装されていない、非常なでこぼこ道であった。座席に座った私の体は、走行中、何度も大きく上下に揺れ、ロデオに乗っているような強烈な落下感・上昇感を味わっていたのである。天井に頭をぶつけそうになったかと思えば、今度は激しく座席に叩き落される。これが延々と繰り返された。
 そして、この山道は270度以上の急カーブの連続であった。そのため、私の体は何度も強く左右に揺れ、前の座席の背もたれのついた手すりをしっかりと掴まないと、座席から振り飛ばされそうになっていた。何度も座席から飛ばされそうになりながら、必死に手すりにしがみつきながら、歯を食いしばってそれに耐えた。
 また、この山道は地上3000メートル以上の山の絶壁を走行していた。絶壁とは言っても、ガードレールなどで道端が整備されていればまだ山道を満喫するという救いようがあるが、しかし、この地獄の山道は、一方通行であり、なおかつ、このバスの車体は、道の端ぎりぎり、ほぼ20センチほどを走行しており、いつ道を踏み外して落ちてもおかしくない状態であった。車窓から恐る恐る覗き込むと、目の前が暗くなり気が遠くなるのが分かるほどである。私は涙で曇る目で、バスの車輪が道端のスペースを数センチ残して延々と走っているのを、心臓をバクバクさせながら眺めていたのである。全くもって恐ろしい。
 さらに、このバスの運転手は、スピード狂の気があった。平坦な道はおろか、こんな山道ですら、慎重な運転を一切しないこの運転手は、今にも「ヒャッホー」と叫びそうな勢いで、カーアクションさながら、急カーブを全て砂煙を巻き上げながら豪快なドリフトでこなすのである。私はその狂気の運転に震えおののいた。自らをハリウッドのカーアクションスタントマンかと間違えているのでは? と私が不安になるくらい、彼は己の置かれた状況を楽しむかのように、山道をハイスピードで飛ばしまくっていた。
 極めつけは、降雨直後のため、山道にはスリップ注意報が出ているらしい、とのことであった。にこやかな笑顔で、ガイトのMさんがその旨を一行に告げると、日頃は陽気な彼らも、不安げな表情になった。
 そうであろう、そうであろう! こんな状況、誰しも不安になるであろう!

 地上3000メートルの絶壁スレスレの、ガードレールのない、超急カーブの曲がり角だらけの道路舗装のされていない非常にでこぼことした一方通行という、降雨によるスリップ注意報発令中の危険極まりない山道を運転するのが、ドリフト走行頻発のスピード狂運転手だなんて、誰が想像しよう!

 もう悲しくて涙が出てしまう。きっとここまで悪条件のそろった山道は、日本には存在しないのではないか。未だに子供の無邪気さに溢れる私でも、この安全保証書なしの天然のジェットコースターを楽しむ余裕は、到底なかったね。ただただ、恐怖にうち震えながらこの山道を早く通り過ぎることを祈るばかり。
 大きな上下左右の揺れがくる度、私は縦横無尽に壁と天井に叩きつけられることに嫌気が差し、腰を低くかがめ、さながらサーファーのようにバスの振動のリズムを体に刻み込もうと必死になっていた。
 急カーブの度に、私の顔は恐怖と引力で引きつり、冷や汗がたらたらと背中を流れ、心臓は、布に包んだアナログ時計のように、重苦しい音を立て始める。顔面は蒼白、呼吸は浅くなり小刻みに口からは悲鳴がこぼれ、息をするのもやっとの状態。胸の内で嫌な予感のするものが込み上げることしばしば、何とか自分を押し留める。
 これは、地獄のバス旅行と銘打っても過言ではなかった。ジェットコースターではお決まりの、落下によるスーッと血の引くような感覚を延々と何度も味わい、窓から外を覗き込むと目に飛び込んでくるのは道端のほとんど見えない、気の遠くなりそうなギリギリ走行の“クリフハンガー”のごとき絶壁の風景。
 そもそも、お化け屋敷やジェットコースターなら、人為的に管理が施されているため、安心してそのスリルと恐怖を味わうことができるが、この天然の恐怖マシーンは、続きも展開もオチも、全く見えない恐怖であり、果たしてゴールに辿り着けるのかどうかも疑問である。ゴールできずに、“振り出しに戻れ”になる可能性すらある。ゲームは振り出しに戻れるが、人生はゲームではない。死んでしまうと、サイコロを振るどころかが永遠の闇がそこにある。
 私は、急カーブになるたびに、「死ぬ前に破産宣告でもしておけば良かった!」と小声で叫び、急激に車が落下すると、「今年の七夕の短冊にどうして“背が伸びますように”って書いたんだろう。やっぱ“長生きしますように”でしょ!」と強く思った。ありえないほどの絶景を車窓から目にし、気が遠くなるような感覚に襲われ、「早いとこ、メモ帳に遺言を書いて、それを切り取って小さく丸めて飲み込もう。文面は“全財産を飼い猫のミーちゃんのエサ代にしてください”にしよう」と、自分の死後の遺産相続に関して、1万円程度の自分の全財産をどのように分配しようかと、本気で考えた。

我が命を預けたバスが一路、険しく切り立った崖道を延々と走る。永遠かと思われるその恐怖はスリラー映画さながらである。「足成」さまより画像借用。

 こんなに恐ろしい山道であるから、私は、翌朝の日本の新聞の第一面見出し「中国雲南省で悲劇! 日本人観光バスの横転事故」を想像してしまう。


子豚の一生

 もしこの山道で、一匹の子豚が飛び出して来て、それを見た運転手がハンドルを切り損ねしまったらどうなるであろう。

 雲一つない青空の下、高くそびえ立つ山。その山頂に雲が朝霞のように漂うている。緑一色に包まれる山の一部で何かがきらっと輝いた。一台の観光バスである。
 バスはこの山道を2時間以上走っていた。風を切るように猛スピードでバスが通ると、小さな辻風が起こり、それは遠くでそよ風となった。その風で道端の山百合の顔がちょっと持ち上がった。道端で生い茂った緑草の、弓なりになった葉の先端から落ちた真珠のような水滴が、地面をわずかに湿らせる。

「僕らはみんな生きている、生きているから歌うんだ」

 少女の軽やかな歌声がそのバスの窓から響いてきた。少女は力強く歌っている。その表情は幸福そのもので……はなく、少女の顔は恐怖で顔がこわばっていた。度重なる急カーブの連続で、少女は身体をワナワナと震わせ、その小さな心臓は破裂しそうになるくらい激しく打っていた。
 少女は窓の外を恐る恐る眺めた。バスのすぐ傍は切り立った断崖であり、そのギリギリの所をバスは走行している。大きな急カーブが来る度に、少女は前の座席の手すりを固く両手で握り締め、座席の背もたれに体を強く押し付ける。それはあたかもジェットコースターの激しい動きに対応する受身の格好であった。
 少女は浅い呼吸を続け、唇を一文字に引き締めて、ことが終わるのを待っていた。その姿は、荒波の静まりを待つベテランの漁師のように、近寄りがたい威厳に包まれていた。
 バスの乗客は、この壮絶な急カーブを物ともせず、それぞれ思い思いの格好でバスの旅を満喫していた。おしゃべりに余念が無い者、シマリスのごとく延々と食べ物を口にほうり込む者、口を開けて眠り込む者、持参した携帯用梅干しを一粒づつ乗客にプレゼントする者、様々である。ガイドは、今の自分には任務はないと悟ったのか、すやすやと眠り込んでいた。運転手は、時折強く瞬きをしながら、スピーカーから流れる音楽に合わせて口笛を吹きながら、運転している。
 とてものどかな天気の日の午後。

 その子豚は人生について考えていた。
 僕はどうして生きているのだろう。僕には家族がいない。僕の母さんは、僕の生まれた後すぐ人間に連れて行かれた。父さんは知らない豚とどっかに行ってしまった。僕には友人がいない。僕の友達は、僕と仲良くなるとすぐに人間に連れて行かれる。
 どこに連れて行かれるのか、僕は知らないけど、母さんは連れて行かれる前に、僕にこう言った。
 「私たち豚は人間に食べられるために生きているんだよ」
僕らは“トサツジョウ”という所に連れて行かれた後、人間に“タベラレル”らしいのだ。だけど、僕は子どもだからそれが何のことかよく分からない。

 僕がぼんやり考えていると、遠くで誰かの叫び声が聞こえた。その断末魔の悲鳴は僕の体を芯まで凍らせた。誰の声だろう。反射的に「逃げなければ」と思った。僕は足音を立てないように用心して部屋を出た。ちょっとでも音を立てると、僕らを叩く怖い人間たちが来ると思ったから。
 部屋を出ると、そこは茶色の細い一本道だった。太陽が熱い。地面も焼けるように熱い。僕の足の裏は今にもヤケドしそうだった。
 道の半分を渡ったところで、僕は息が切れてしまった。少しだけ休もう。そう思って足を止めた瞬間、僕の目の前にキラキラと輝いた大きな塊がいた。それは、僕に突進するように向かっている。僕は身動きすることなくそれを見つめた。
 何だろう。それが轟音を響かせながら、ついに僕の目の前に迫って来た。僕はその場から動くことも、声を上げることも忘れ、呆然とそれを見上げていた。

 運転手はくっつきそうになる瞼を必死にこじ開けながら運転していた。眠気覚ましにラジオ音楽をかけて聞いていたが、どうしてもすぐに脳裏がもやに包まれて、瞼を閉じそうになってしまう。大きな欠伸を続けざまに3回。片手ハンドルにして、肩を交互に軽く肩を回す。それでも眠気はしつこいくらいにやって来る。
 4回目の欠伸をしたときだった。運転手の目に、ずっと向こうの道の真ん中に何かがいるのが映った。何だろう。目を凝らしてじっと見ていると、やっと至近距離になってそれが子豚であることが分かった。
 子豚はうつろな目で近づいているバスを見つめていた。ちょうどカーブ地点に入る前の道の真ん中にその子豚はいた。運転手はクラクションを鳴らそうかと、クラクションに目をやり、迷った。その一瞬の迷いが彼のハンドルを握る手を狂わせてしまった。
 バスは子豚を大きくそれて進んだ。しかし、それは空中だった。音もなくバスは真っ逆さまに崖から転落した。

 一瞬の空白。

 轟音が鳴り響いて、緑一色の山の一部が燃え上がった。

 僕は、見上げるまでに迫ったその大きな塊が、僕の目の前を横切り、道端からふっと消えるのを、ただポカンと見ていた。それから、一瞬の間を置いて、大きな音がした。あんな音、初めて聞いた。僕はそれが消えた辺りに一生懸命走り寄った。下を見下ろすと、赤々とした炎が僕を照らした。熱く、赤く、炎は長い間僕を照らし続けた。

悲しいほどに澄んだ青空は、全てを浄化してくれる。「足成」さまより画像借用。

 子豚に感情移入してしまった私は、じわっと滲み出た涙を、そしてじっとりと汗ばんだ額をフェイスタオルで拭った。

 僕らはみんな生きている。
 生きているから歌うことができるんだ……。


必殺自己紹介

 何度も深呼吸を繰り返し、ゆっくりと窓の外を眺める。徐々に胸の高鳴りが落ち着いてきたのが分かる。
 山道のカーブが、ようやく緩やかになってきた。
 トラックの荷台に山のように乗った人を再び見かけた。どうやら道は一方通行ではなくなったようだ。天然の土壁で出来たであろう、鮮やかな赤茶色の壁の家々。黒い大きな坪をずらっと並べた庭。放し飼いにされて自由奔放に草を食べる牛や馬や豚。
 落ち着いて窓の外の風景を見ていると、緊張で張り詰めていた体が安らいでいくのが分かる。喉元がカラカラに乾燥していたのにやっと気付き、携帯していた飴を舐めることにした。

 気付けば、バスの先頭部分で何やら騒がしくなっている。バス旅が2時間ほど経過した後、すやすやと寝入っているガイドに代わって、先生方がマイクを握ることにしたようだ。
 「今から、自己紹介を行いたいと思います」
 ヘイヘイ何でもやっとくれ。地獄の山道を通過し、やっと気分が落ち着いて来た私は、滞っていた思考回路がようやく正常に機能し始めていた。

 先生方は、自己紹介として、自分の名前を述べるだけでなく、なぜか一発芸として沖縄民謡や歌謡曲、演歌などを一曲ずつ歌をアカペラで披露していた。カラオケ機器の無いバス車内の沈黙の中を、マイク音声の歌声のみが響き渡る。
「ひょっとして、みなさんママさんコーラス(あるいは、合唱団)の経験者?」と思ってしまうほど、全員の歌声は驚くほど上手だった。女性全員の声は、ウグイスやヒバリを連想させる、地声を一切出さない、オバサマ風の細かいビブラートをかけた太い裏声ボイスで、男性全員の声は鳥羽一朗のような、フランク永井のような渋みのある歌声だった。

 何を披露しようかと、私は悩んだ。即興なのであるから、失敗することもありうる。私は先生方のような裏声の美声をもっていない。どうしようか。

 そうだ。爆風スランプやブルーハーツ、ユニコーンの曲を、頭をガンガンに振らして歌ってみようか。かなりインパクトがあるぞ。面白い。
 ただ、頭を強く振ることにより、乗り物酔いして気分が悪くなりそうな気がする。
 それよりも、奇妙キテレツな歌を全身体操で歌ったことで、危険人物としてマークされてしまい、「もっといいバス探してね」と、歌っている最中に腕をつかまれ、バスの走行中に、バスから放り出されてしまうかもしれない。それは困る。かなり痛そうだ。
 では、どうしよう。いいことを思いついた。ごく普通に最新ヒット曲でも歌おうか。ゆずの「夏色」を、ハモリ部分だけ歌うというのもいいな。パフィーの曲を振りつきで歌うというのもいい。しかし、ヒット曲を知らないであろう先生方であるから、歌った後に、パラパラと単発的な拍手しかいただけないかもしれない。そうなると、私は、孤独感に打ちひしがれながら、寂しい思いを背中に感じつつ、今後の旅を続けなければいけない。
 それとも、演歌にしようか。オーロラ輝子の「夫婦道」くらいなら、アカペラでも充分歌えそうである。ただ、私のカラオケ馴れした細い地声では、たとえコブシを効かせたとしても、先生方の美声には到底及ばないから、負けてしまうかもしれない。
 そうそう、先生たちはビートルズ世代のような気がする。ビートルズの曲なら、先生方も知っているはずであるから、最新ヒット曲よりは、盛り上がって歌えるかもしれない。歌詞が分からない時は、「ルルル~」 で適当にごまかして歌おう。
 よく考えると、本来、これは自己紹介だ。今の私は、無理だと知りつつも先生方に競り勝つ、あるいは惜敗を狙う、歌合戦だと勘違いしている。これは自己紹介なのだ。インパクトを与えるようなことをしなければいけないではないか。
 それなら、インパクトからすると、古典単語の助動詞接続の歌でも歌おうか。「未然形~ ル・ラル・ス・サス・シムときて~」今の私は受験生上がりの大学1年生。充分に諳んじて歌える。中々いいぞ、これは。ノリノリで歌えそうな気がするが、先生方全員が古典担当とは限らない。古典教師のみが理解して聞いていられても、その他の先生方にとっては、外国語の歌に聞こえてしまうかもしれない。全員がノリノリになれなくては困るのだ。
 もはや自己紹介という趣旨を履き違えている。

 色々と考えた挙句、高校時代に覚えた、歌舞伎の一八番の一つ「ういろう売り」を暗唱することになった。「ういろう売り」とは、ういろう売りの物真似や効能のせりふを雄弁に演ずる演技(岩波書店「広辞苑」)である。
 これなら、ノリノリにはなれないかもしれないが、インパクトの点では大きい。歌舞伎や狂言などの台詞を完全に知った上で鑑賞する人など稀なのであるから、「うりろう売り」をここで披露したとしても、知らない人が聞くと「なるほど」、知っている人が聞けば「あ、あれね」と思うであろう。古典芸能が好き、という私の一面を紹介することもできる。中々いいのではあるまいか。

 などと考えているうちに、私の手に、マイクが渡された。せっかくなので、歌舞伎風に唸るように唱える。
「拙者親方と申すは、お立ち会いにも先だってご存じの方もござりましょう。お江戸発って二十里上方~」
 全部を諳んじることは出来なかったが、半分以上は暗唱することができた。その後は拍手喝采の嵐であったことはいうまでもない。(結局は何でも良かったのである)

危うく下手なボイスパーカッションを披露するところだった。ハウリングの恐怖。「足成」さまより画像借用。

 大体、熟男・熟女しかいないツアーメンバーの中で、たった一人未成年者がいたら、それだけで自己紹介なしでも充分目立つものである。一番大事な点に、私は全く気付いていなかった。


ついにアクシデント!

 麗江から大理へと向かう、400キロに及ぶ道程において、大理まで約20キロというときに、その事故は起こった。

 山道を越えた後は、なだらかな平地が続いていた。
 地獄の山道で死ぬ思いの緊張感を経験し、その後に自己紹介で「ういろう売り」をバスの乗客に向かってハイテンションで熱弁暗唱した私は、膨らんだ風船に穴を開けて萎んでしまうように、緊迫感を消失させて脱力し、気の抜けたまま眠気に襲われていた。
 バスの揺れに身を委ねて、うつらうつらと、睡魔の手を取る。私は、遥か彼方の夢の国へ向かって、ふわりふわりと舞い上がった。
 夢うつつの私の耳に、時折、ガガガガ、ガガガガ、とバスのブレーキをかける音が聞こえてきた。ほとんど意識の無い私の脳に届いたその音は、ガガガガという耳障りのものではなく、ボンボンボンボン、という重厚感のあるものだった。不規則に刻まれる車体の振動は、胎児が感じる母体の心臓の鼓動によく似ているような気がした。
 暖かな日光の注ぎ込む車窓。揺りかごのように揺れる車体。私はとてもリラックスした気持ちで、安らかな眠りに柔らかく包まれた。

 不意に軽い爆発音がした。その瞬間、大きく車体が揺れる。

 半ばぼんやりとした意識の中で、私はその音が夢の中の音なのか、現実なのか全く分からなかった。何の音だろう……。
 その音の正体についてぼんやりと考えながら、私は再び深い眠りに落ちていった。

 今度は、はっきりとした大きな爆発音。
 キキキーッとタイヤの強烈な摩擦音がして、バスは激しく蛇行して揺れながら、道端に突然急停車した。ガタッと揺れる車体の強い衝撃に、私は前のめりになって倒れ、ハッと目を覚ました。どんな強力な目覚し時計にもこの衝撃には敵うまい、というほどの人の目を覚ませるには充分に足りる強い揺れだった。
 バスの昇降口がバッと開くと、運転手が弾かれるようにしてバスから飛び出していった。その余りの素早い行動に不穏な空気を察知したのか、乗客の一行に「何があったのか」「どうしたの?」というざわめきが波立つ。
 不審な表情になった乗客全員は、一方の座席に群がるように集まり、バスの窓に張り付くようにして、駆け出した運転手の行く先を眺める。バスの前方30メートル先に、田畑の真ん中にポツンと建てられた小さな民家があった。運転手はそれに向かって一目散に駆けているようだった。助けを呼ぶのだろうか。
 乗客の先生方は、口々に「どうしたのよ!」とバスに残ったガイドに問い詰めると、ワイルドセクシーなガイドの範さんは、綺麗に描かれた茶色の美しい眉を苦痛そうに少しだけ歪めて、マイクを握り締め、乗客に落ち着くように言った。

 彼女は、事情を簡単に説明した。
 バスは前輪の1つがオーバーヒートしてしまった。タイヤを直せばバスはじきに回復するから、落ち着いて待つように。
 そう告げると、今度は、運転手の後を追うように、ガイドまでもバス外に出てしまった。どうやら、民家へ行っていた運転手が戻って来たようである。
 その運転手の両手には、大きめのバケツがぶら下がっていた。どうするのだろう……を思って眺めていると、運転手は、そのバケツを手に、道端の用水路に屈み込み、その水を汲み上げ、その水をバスの前輪に豪快にかけた。すると、「ジュワワワワー」とそこから水分の蒸発する音がして、バスのフロンガラスや運転席の窓が曇った。モクモクと黒煙が立ちのぼる。
 おやまあ。一筋の黒煙が天に向かってゆるりと立ち上ったのを、車窓から見上げた私は呆然となった。ここで顔を真っ黒にして頭をアフロヘアにした志村けんがでてきたら、これは確実に故障したバスのコントだ。面白い。面白すぎる。

 親鳥のエサを待つ雛鳥が絶えることなくピーピーと鳴くように、バスの中の一行は、自らの不安を必死に打ち消すかのように、口を閉じることなく様々な憶測を言い合っていた。そうしながら、一行は運転手とガイドの範さんの動向をしばらく待っていたが、運転手もガイドの範さんも、乗客へ現状について知らせるなどのアクセスを取ろうとはしなかった。

 何をしておるのだ。これは単なるオーバーヒートではないのか。身動きしないバスに、乗客は不安になっておる。少しだけでもいいから、我々にただ今の状況説明をして欲しい。頼む。教えてくれ。何が起きたのか、教えて欲しいのだ。

 私は、何ら状況説明を行なわない彼らに、首を傾げた。プロなら、何が起きたのか説明するべきではないのか。どうしたのであろうか。もしかして、説明できないことが起きたのか! これはもしかして、もしかして。なぜかワクワクしてしまうこの心。
 顔をニヤつかせて私がバスの前方に目をやると、肝心の彼らは、何やらバスのフロントガラスの前で激しく口論していた。どうやら乗客へ状況説明どころではなさそうだ。この状況で説明を求めるのは、彼らに過大な負担を強いることになりそう。諦めて状況が動くまで待つしかないようだ。
 ぼんやりと窓の外を眺めていると、いきなり焦げ付いたような臭いが車内に充満した。乗客の一人が窓を開けたようである。臭いを吸い込み、乗客は一斉にむせ返った。こんな空気の悪い車内にはこれ以上いられない、ということで、全員は咳き込みながら、鼻と口を押さえて、バスを降りた。最後に降りる勇気のある者が、バスの窓を全部開放してからバスを降りた。
 オーバーヒートしたタイヤに水をかけたときに生じた黒煙が完全に立ち消える前に車窓を開けたため、その黒煙が車内に流れ込んだようである。
 バスの中に入った黒煙を、開放した窓から出て行くのを、バスの横に何をするでもなく佇んで待つ人々。数分バス外で“煙待ち”をして、一行は次々とバスの中に戻った。
 バスの中ですることと言えば、景色を眺めることくらいである。運転手が尋ねていった民家以外、見渡す限り、他に家らしいものは見当たらない。道の両側は、全て一面の緑の畑のみである。
 窓辺で景色を見たり、雲を眺めたりして時が経つのを待っていたが、10分、20分と経過しても、ガイトと運転手は状況説明をしないばかりか、バスは一行に動く様子はない。私はさすがに不安になった。我々一行はこのままここに置き去り、ということなのだろうか。
 これって、ありですか? まじでー? ワーイ! 私の胸の内に不安が濃霧のように重く広がったのはほんの一瞬で、嘘のように不安の霧は消え、私の脳裏のお花畑は、瞬く間に花が満開になった。どうしても口元が嬉しさで緩みっ放しになってしまう。心はリズミカルにスキップを踏み出した。

 旅にアクシデントは付きものっていうけど、ホントだ! 面白すぎだ。
 これを満喫しなきゃ、もったいない!

 頭にチューリップの咲いたように呑気な私は、立ち往生したまま動けないバスに対し困り果てている、運転手やガイドの範さんや、ツアーガイドのMさんの苦悩を察することは出来なかった。

 窓外を眺めていると、あることに気付いた。運転手が訪れた民家の前には、タイヤが山積みにされておるのだ。山積みにされた多量のタイヤということは……この家はタイヤ屋さん?
 そのことに気付いた先生方が運転手にそのことを告げると、慌てたように運転手は、水汲みに使ったバケツを返却するのか、それを両手に下げて、交渉するためにその民家に向かった。思わず、早く気付けよ! とツッコミしたくなったが、私はあることに思い当たった。
 これは、もしかして。ミラクルの起きる予感ではないのか。ガソリンスタンドはおろか民家すら見当たらない、田畑の緑が一面に広がるこの場所で、タイヤの故障によって立ち往生している我々が緊急停車した場所が、タイヤ屋さんの前だなんて! まるでご都合主義の映画だ。ミラクルだ。ネタのある超魔術だ。
 私はとても感心した。
 民家の中に姿を消した運転手が、しばらく経って再び民家から出てきた。すると突然、その場で運転手が両手を挙げ、天を仰ぐのが見えた。気のせいか、その顔は悲壮感に満ちていた。
 何なのだあのポーズは。もしや、中国人のお喜びのポーズなのか。いい勉強になった。ありがとう! 未知への探求心にトキメキを感じ、眼をキラキラと輝かせて、私は運転手がバスに戻って来るのをワクワクして待った。戻ってきた運転手はガイドに何やら耳打ちした。それを聞いたガイドは、しっかりと頷いて微笑んだ。そして、マイクを手に取り、乗客を見回すように満面の笑顔で言った。

 「私たちは運よくタイヤ店の前に止まったのですが、あの店では修理は出来ないそうです。ということで、このバスは回復不能となりました。
 みなさん、手荷物をもってバスを降りましょう。スーツケーツの運搬については、後ほど考えます。さぁ、これからどうにかして大理へ向かいましょう」

 車内から不満の声が上がった。そりゃそうだ。タイヤ屋さんの前にタイヤ故障で停車したのに、その肝心要のタイヤ屋さんは修理ができないとは。不満爆発、あのタイヤ屋のオヤジ(オクサン)を恨みたくなる気持ちにもなりますな。しかし、できないものはできない。ここで文句を言ったとしても、バスが動くことはない。
 私は車外に出て、直に風景を見ることにした。手荷物であるリュックサックを肩に掛けて、私はバスを降りた。

バスが横転しなかっただけマシである。コールタールのようなきな臭いに満ちたバス経験は初めてだった。「足成」さまより画像借用。

 それにしても、我々の今後はどうなるのであろうか。ここで考えられる、大理のホテルまで向かう解決策は2つ。
 1つは、ここに向かって来る車をヒッチハイクして、何台かに便乗して大理に向かうこと。大理に向かわないといけないのは、20名余のメンバーであるから、普通乗用車にヒッチハイクしたとしても、メンバーを乗せる車は5台は確保しなければならい。全員がホテルに到着するのは、数時間後になりそうである。
 そもそも、道端に止まったこのバス以外の車を、この道路で一台も見かけていないのも気になる。急停車してから30分は経っているが、このバスをすれ違う車は1台も無かったのだ。ヒッチハイクを淡い心で期待して、車1台通らない道で、車を通る可能性を果てしなく待つなんて。不確実性もいいところである。
 車数の全く無い道でヒッチハイクの可能性に賭けるよりも、もっと確実な方法がある。それが、もう1つの解決策、20キロの道程を歩いて行くこと。車の来ない道で果てしなく朽ちるまで待つよりも、ホテルに辿り着ける確実性がある。
 この場合、ぜいぜいはぁはぁと、息も絶え絶え、足を棒にして20キロも歩いてホテルに辿り着くと、もの凄く鮮烈な思い出が、楽しい観光旅行の1ページをより美しく彩ってくれることであろう。しかし、基礎体力があるかなきかに等しい私のことであるから、20キロを歩き通せる自信はない。まして、この炎天下の灼熱地獄の下、きっと道路に貧血を起こして倒れてしまうこと請け合いである。さらに、辿り着いたとしても、翌日からは怒涛の筋肉痛地獄に苛まれ、観光旅行どころではない可能性が高い。
 どっちにの方策に転んでも、辛いことには変わりない。旅程4日を残してこのような事態になるとは思わなんだ。まさに正真正銘のアクシデントである。

 さて、運命の女神は微笑んでくれるのだろうか。

【第4章 第3節へと続く】


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