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中国旅行記「乙女通信」第4章第1節

 


 

凪を感じたとき

 目覚めると、寝ぼけ眼と頭のまま、朝食を取るため、ホテルのラウンジに隣接されたレストランに向かう。
 朝食はバイキングだった。
 山積みにされた5種類以上のコーンフレークを、次々とお粥を入れるはずであろう真っ白の大きな丼容器に盛り、その上にたっぷりとヨーグルトをかける。そして、マスカットやオレンジなどの果物を山のように別皿に取ると、“我流特製ブレックファースト”の完成である。カロリーや栄養バランスを一切無視して、一日のスタートの朝食から甘い物オンリーにしようとするその意気込みは、いかにも“甘い物は別腹”的女の子丸出しである。
 満面に笑みを浮かべ、喜び勇んで朝食を頬張っていた私であったが、突然、お腹を激痛が襲い、不本意ながら朝食の席を途中退出することになった。
 きっと、オレンジジュースやアイスミルク、果物やヨーグルトなど、腹を冷やすものばかりを食べ過ぎたためであろう。決して、昨日食べたツチニンジンのせいだとは思いたくない。
 独り朝食を中座して部屋に戻った私は、ベッドの上に伏して腹痛を感じながら、「ツチニンジン、ツチニンジン……」と呪文のように唱えていた。

 バスに乗り込み、いざ出発。最初に訪れたのは、黒龍潭という大きな泉を中心とする、玉泉公園であった。ここは、公園内の池の水が湧き水であり、それが玉のように澄んでいて青いから、そう呼ばれるらしい。また別名を黒龍潭公園とも言い、それは黒龍の伝説が残る黒龍の銅像によるらしい。

玉泉公園にある黒龍潭。微動だにしない湖面は、周りの景色を鮮明に映し出している。湖面は世界を移す広大な鏡。その湖面の景色に、凪を視覚で感じる。

 波立たない無風状態の湖面は、あたかも無地のキャンバスであった。周囲の景色を全て飲み込み、それを湖面に投影して映し出している。
 黒龍潭は、湖に架かった橋や湖の傍らに建つ五鳳楼、木々などをあたかも鏡のように、湖面という大スケールなキャンバスに精巧に描いていた。
 もしこの湖のそばに生えている椿の木から、音もなく一枚の深紅の花びらが、湖面にぽとりと落ちたのなら、湖の上に繊細で優美な波紋ができたであろう。それは見事に完成されたオブジェである。

 ふと、ギリシャ神話の中で、美少年ナルキッソス(ナルキサス)が、泉に映った自分の姿に恋焦がれて命を失った伝説を思い出した。
 自分の顔がそのまま映し出されるには、水面が凪状態でなければならない。この湖も、鏡のように精緻に描かれた無風の湖面である以上、ここにナルキッソスが誕生してもおかしくはない。
 私は周りを見回して、誰か湖面に映った自分の姿に恋をした次世代ナルキッソスはいないかどうか探してみたが、そのような奇異行動を取っている人は誰もいなかった。それを少し残念に思いながら、私はその場を後にしたが、そもそも奇異行動をしているのは中国版ナルキッソスを探している自分自身であることに、私は全く気づいていなかった。


日中トイレ事情

 展示場を後にした私は、「お手洗いに行く人いる?」と同志を募集していた2人の先生方と一緒に、公園のお手洗いに向かった。

 中国・雲南省のお手洗い。

 日中トイレ事情は、今回の旅で私の感じた一番のカルチャーショックである。中国でお手洗いに入ると、日本のお手洗いの完璧なサービスをひしひしと感じることができるのだ。
 日本のお手洗いは、今、電子機器を取り入れたものが多くなっている。一般家庭にはまだ取り入れていないものの、デパートや公共機関、お店などでは、電子機器の設置されたお手洗いが多い。
 触れるだけで、蛇口から水が出る自動水栓の手洗い、用を足すと自動的に洗浄してくれる自動洗浄の便器、用を足す音を他人に聞こえないようにするエチケットとしての流水音(せせらぎの音)の設置、果ては、便座に近づくだけで便座の蓋が自動で開いたり閉じたりする自動開閉蓋の便座まである。便座シートをサービスとして設置している場所も多い。
 そして、日本のお手洗いは、洋式に統一されつつあるが、まだまだ和式が多いスタイルである。また、ベビーシートを設置したものや、アコーディオンカーテンや手すりなどを設置した、車椅子の方でも使いやすい、身体の不自由な方専用のものもある。
 バリアフリーを合言葉に、ますます多様化する日本のお手洗い。

 一方、中国・雲南省のお手洗いは、和式オンリーではあるが、別の意味で種類多様でとてもユニークなものばかりである。

 まず、前提としてトイレットペーパーはない。トイレットペーパーがないのにもかかわらず、ペーパー類を持参していない場合、対処としては少々辛いものがある。ただ、東京の駅トイレも、それが充実しつつあるとはいえ、決して充分とは言えない場所も多いため、例えトイレットペーパーがないとしても、さほど驚くにはあたらない。

 では、第一段階。
 水洗トイレではあるが、お手洗いの各ボックスの扉に鍵がかからない。
 鍵がさびついて全く動かない、という場合もあるが、そもそも鍵そのものが設置されていない、存在しない、という場合も多々ある。
 常時、扉は半開き状態であるため、利用者は、間違っても開扉しないように、四苦八苦して扉を押さえようと努力しつつ、用を足すことになる。利用者が冷静さを装い、必死に扉を押さえている様は、何かしら物悲しい。

 次に第二段階。鍵なし扉であり、かつ非水洗トイレである。
 便器を洗浄する器具が設置されておらず、ブツは便器に貯まり放題である。
 ただ、汲み取り式のものであれば、ブツは設置された床下のスペースに落ち、視界から消えていくため、視野としてはまだ心的ゆとりがある。
 しかし、形状は水洗型のように浅いスペースになのに、水が流れない場合は、常にお手洗いは書くに忍びないものが散乱しているのである。それゆえ、後者は汲み取り式ように、歴史的に染み込んだ臭いではなく、ある意味新鮮さのある、しかし、ありえないような異臭を漂わせている。微生物の繁殖には快適な環境であろう。

 第三段階は、非水洗トイレである上、扉がない。
 個室に入室した人を後方から遮るはずの扉が全く無いというこの段階は、前方と両サイドの三面の壁はあるものの、扉がないため、常に背後に人の気配を感じながら用を足すことになる。

第3段階。
3人の方がこの中で並んで用を足しているのを見た場合、その芸術性の溢れるお尻たちの連なりに思わず敬礼したくなる。「とんでもとらべる」さまより借用。

 そもそも、日本にいる者にとっては、誰からも見られることの無い、四方を壁で囲まれたお手洗いは、独りになれる唯一の空間として、ある種の開放感や安堵感を与えてくれるものである。
 しかし、その空間を他人の目にさらされる可能性のある場合は、そのスタイルが和式であるがゆえに、自分自身がとてつもなく恥ずかしい格好になっている状態を他人に見られるかもしれない、という不安感、焦燥感、危惧、挙動不審にすらなるものである。
「オチオチ用を足すことなんてできないぞ……」と焦りながら、背後に気を配りながら、自分の中で一瞬の隙を突き、用を足す。

 しかし、デメリットばかりではない。
 このタイプのお手洗いは、お手洗いの個室に入りながらにして外の空気を満喫できるという利点がある。屋外のお手洗いだと、異臭に集まった飛び回る昆虫とお友達になれそうである。なんて自然派!

 しかし、それは、お手洗いの個室の前に順番待ちをしている人がいない場合に限られる。お手洗いの個室の前に順番待ちの列がある場合、その列に並んでいる場合は、自分の並んだ場所から個室の中が良く見えるとしても、それを“見てはイケナイもの”として、極力あらぬ方向に目を向け、個室には目を向けないようにする。
 そして、列に並んでいた自分に順番が回ってきた場合、自分の前に並ぶ人の誰もいない状態に畏怖しつつ、「やめときゃよかった……」と、後悔に打ちひしがれながら、今にも泣き出しそうな歪んだ表情で個室に入ることになる。
 さながら、予防注射を待つ子どもが、順番到来のため看護士に誘われて、恐怖に慄きながら注射を行なう椅子に座らされる心的状況によく似ている。
 後ろに並んでいる人に不審に思われないように、ごくごく自然の生理現象として用を足そうと思うものの、どうしても緊張してしまい、身体全体を硬直させて引きつりながら用を足す。開放感や至福感などを何一つ生じさせないまま、用を足す前からの緊迫感を持続させながら、スッキリしない面持ちで、お手洗いを後にすることになる。その足取りはさらなる後悔に満ちている。
 さらに、個室を出ようとしたときに、順番待ちをしている人の列の中にの自分の友人を見つけた場合、それは地獄である。友人と目を合わせ、半笑いと愛想笑いの入り交じった表情で(若干涙を浮かべて)その友人とご対面(又はご挨拶)することになるであろう。そのとき、自分の頭の中で、ジャジャジャジャーン! とベートーベンの「運命」の重々しい旋律が鳴り響いているのは、言うまでも無い。

 最後の第四段階、非水洗トイレである上に、個室を遮る仕切りがない。と三面の壁がない、すなわち、四方には何もないのである。
 お手洗いという与えられた平面上に、ポツンポツンと数個の便器が並んでいるのみである。きっとこれを使用する人は、四方を壁に囲まれたお手洗いでは味わえない、より一層素晴らしい得も言えない心の解放感を味わえることであろう。

感動の第4段階。
“水なし・ドアなし・壁もなし” のお手洗いという、自然と一体化しながら用を足せるナチュラル派の人にお勧めのお手洗い。雲南省の人々の度胸の太さと懐の広さに感動である。「とんでもとらべる」さまより借用。
 

 そうは言っても、そのお手洗いを利用する場合、まずは呆然自失または無言状態となるであろう。そして、生まれたての子鹿のように足がガクガクと震わせ、号泣しながら用を足す。とめどなく流れる涙を拭うのも忘れ、「もうどうにでもなれ!」と、捨て鉢になり、下半身に漂う清涼感に目を見張り、「これ、なかなか、いいじゃん」と思ったりもする。突如ハイテンションになって、喜々と「私はナチュラリスト~」と意味不明な言葉や奇声を発してしまうかもしれない。
 その後、お手洗いを出ると、周囲の視線が冷ややかなものに変わっているのにも気付かないまま、その人はスキップしながらその場を後にするであろう。

 しかし、好奇心旺盛で、かつ「何事も経験」を座右の銘にする私ですら、この第四段階まで踏み込む勇気を持ち合わせてなかったね。
 嗚呼、恥じらいが私を遮る、19歳の乙女心よ。

 よって、私にとって可能なのは、第三段階までである。私は、便器の周囲を飛び舞うハエや、足元を大行列するアリなどと、固い友情の絆を結ぶことにした。
 ちなみに、私が利用したこの公園のお手洗いは、緑生い茂る屋外にあり、左右両側の壁が、50センチほどしかなく、第三段階と第四段階の中間、という感じだった。 
 旅の最初は、とても恥ずかしくて、大変抵抗があり、どうしても第三段階のお手洗いに入ることすらできなかった。しかし、来日4日にして、私は変わった。諦念は私に新たな境地を開かせてくれた。
 「今入る機会を逃せば、次に出会うお手洗いは第四段階かもしれない。それにはどうしても入ることはできない。それよりは、この第三段階を我慢して入らなければ、今度はいつ入ることができよう。膀胱炎か、第四段階か。答えは歴然だ!」
 自分をがむしゃらに奮い立たせて、自分自身のそのお手洗いに対する抵抗が薄くなったときを見計らって、私は何とかお手洗いに入ることがきた。
 何度か入ることによって、次第にその第三段階のお手洗いにも慣れることができた。とても嫌がっていたのに、最終的には、お手洗いの両側の壁を歩くアリや飛び回る羽虫などを見つけては、「あ、ムシだ! 面白い形してる。何のムシだろう」と、用を足しながらそれらを興味深く眺めるまでに成長した。

 カルチャーショックを受け入れて、それと自分の価値観とを融合させ、自分を変えることのできた、大事な瞬間だった。


中国の子どもたち

 公園を後にした一行は、麗江地区にある、とある小学校に向かい、そこで、4年生の授業を見学した。
 木造建築の古い教室に、20名余の子どもたちが、並べられた小さな机に向かって、算数の授業をしていた。

 ボロボロになった教科書を使って勉強する子どもたち。
 真剣な眼差しで食い入るように教師を見つめている子供たち。

 子供たちを見ていると、自分の中で忘れていた何かを、ふっと思い出させてくれそうな気がした。
 あるかなきかの、遠い記憶。

 小学一年生のとき。
 算数の授業。時計の見方、時間を動きを覚えるために使った教材の擬似時計。長針や短針を小さな手で一生懸命動かし、得意げに時刻を発表したあの日。国語の授業。50音をノートに一つ一つ丁寧に書いて、全部書き終えたときに感じた、手の平いっぱいの達成感。初めての給食当番。洗いたての割烹着の糊付けされた匂い。上級生がとっても大きな人に見えた瞬間。100人はできなかったけど、沢山出来た友だち。初めての遠足の前日、スーパーに行って、母親と一緒に選んだお菓子。

 記憶を探ると、懐かしい光景が脳裏に広がる。セピア色に染まった思い出と、目の前の授業風景とが交錯する。今の自分は、19歳。あの頃の自分、今の自分。私は自分がとても大きくなったことを実感した。

 彼らが行なっているのは、分数の授業であった。
 先生が質問し、それを一瞬でノートに書きとめ、即時に手を挙げて、「当てられたとしても、即答できるぞ」的な雰囲気を漂わせている彼らは、明かに私よりも遥に頭が良いと見たね。彼らは、分母の異なる分数を加減(プラス・マイナス)するとき通分をせずに計算するのだ。
 そこにふと、中国の自由な勉強法を感じた。


雨の魅惑

 授業参観を終えた後、一行は校舎の外に出た。
 曇天模様の空の下、雨が降っていた。雨は、強く強く、地面を叩きつけるように降っていた。

 中国の雨。It's The Asian Rainy Day!

 私は、雨が好きだ。
 地面に向かって落ち行く雨。
 もし、落ちて行く雨を遮るものがなかったら。万有引力によって、どこまでも落ち行く雨は、音の無い、永遠に漆黒の闇へ消えて行く。
 しかし、実際は、地面によって行く手を遮断された雨は、切なく地面をさ迷うしかない。その雨は、筋となって仲間を作って収束し、地面の上を網目状の小川を次々と作り出していく。
 雨粒の悲しき運命。

 私は、雨の匂いが好きだ。
 本来、無味無臭の雨が、太陽熱によって焼けて乾ききったアスファルトに染み込むよう広がってゆく。この、濡れたアスファルトの匂いを、人は雨の匂いと呼ぶ。草木のむせ返るくらいに辺りに濃く立ち上る緑の匂いは、雨によって、瑞々しさを得、清涼感を含んだ匂いへと変わる。
 雨とのコラボレーションによって、そのものの匂いが変化する不思議。

 私は雨の音が好きだ。
 トタン屋根やビニールシートに打ち付ける雨の音は、とても軽やか。鉄柱などの金属性の物に雨が当たると、チャイムのような美しい音色が広がる。
 打ち付ける対象の質感によって、雨音は七変化を遂げる。

 私は映画の美しい雨のシーンが好きだ。
 どしゃ降りの雨の中、雨に濡れるまま、天を仰ぐように向かって両手を上げて開き、棒立ちになる。スティーブン・キングの名作映画「ショーシャンクの空に」の名場面のポーズを、雨が降るたびに再現したくなる欲求。
 また、雨の中、広げた黒いコウモリ傘を手に下げ、降り続く雨に身を委ね、ステップを踏み、ダンスを踊り、“雨に歌えば”を熱唱したくなる想い。

いつまでも打ち続く大粒の雨はときに身体を凍えさせ足を濡らす。「足成」さまより画像借用。

 降りしきる雨を見て、私は大きく頷く。
 この胸の内からふつふつと込み上げる雨への賛歌を、今まさに体現するときが来た。さぁ、今から私もこの雨と一体化しようじゃないか。いざ雨の中にぞ飛び込もう!

 「雨が降っているから、今から講堂に行くよ。本当は中庭の予定だったんだけどね」
 今にも雨の中に駆け出そうとした私は、我がおばさんの声で我に返った。
 残念、残念。雨との戯れは次の機会としよう。
 少しだけ落胆しつつ、私は一行とともに講堂へ向かった。


なぜか、沖縄の踊り披露

 講堂へと移動しながら、私は何かしら気になることがあった。先ほどまで真面目そのものだったツアーメンバーの先生方の顔が、やけに妖しい不敵な笑みを浮かべていたからだ。

 一体何をしようというのだ。
 不穏な空気を察知し、私は少し怖気づいた。

 講堂に到着した途端、先生方は互いに目配せした。
 その瞬間、彼らはそれぞれの持ち物であるハンドバックやリュックサックの中から、見覚えのある模様の描かれたカラフルな布を、次々と取り出した。その模様とは、沖縄独特の紅型模様。赤や黄色の原色使いの美しい、そして非常に馴染み深い、その色柄を見て、私は嫌な予感に襲われた。

 まさか、そんな。中国の地にまで来て、なぜ。

 このような嫌な予感は、経験則により、大抵当たることになっている。まさかそんな、ありえない、と思いつつも、嫌な予感は現実のものとなる。
 案の定と言うべきなのだろうか、先生方は、「この服を着てね」とニッコリ笑い、持っていた布を私に手渡した。
 広げてみると、それは、応援ハッピのような形と大きさをしていて、腰部分につけられた帯とを合わせて見る限り、それは簡易に着付けの出来る着物であり、疑いようも無く、紅型衣装であった。

 しかし、これを着て、私は一体何をどうすればいいというのだ。
 まさか、そんな。中国の地にまで来て、なぜ。

 先生方は私に着付けをして下さりながら、「私たちが踊るのを適当に真似してね」と笑顔で言った。訳が分からず、私は「はあ……」と呆然と返事するのみである。
 そうするうちに、旅メンバー全員の着付けが終わり、全員は講堂にある舞台に上がるとさっと輪になって広がった。私は先生方に促されるまま、その輪の一部分となった。
 ふと講堂の客席を見ると、この小学校の先生方が眉をひそめた表情で立っていた。

「さあ、踊りますよ。音楽スタート!」
 先生が叫ぶ。突如、割れんばかりの音楽が、講堂中に鳴り響いた。独特の音階やリズム、三線や太鼓の音、島唄……。それは非常に聞き覚えのある音楽、沖縄民謡だった。
 ふと周りを見回すと、全員が満面に笑顔を湛えて、音楽に合わせて、陽気に元気良く伸び伸びと踊っていた。旅疲れなど何のその、沖縄ミュージックは別腹、と言わんばかりの彼らのその陽気な踊りっぷりに、私は呆然となった。
 舞台の上、沖縄の踊りを完璧にマスターした人たちの円陣の中で、たった独り、知らない曲と知らない踊りに包まれた私は、、身じろぎも出来ず、例えようもない孤独感に打ちひしがれていた。

 曲を知らない。踊りが分からない。
 曲がさっぱり聞こえない。踊れない。

 棒立ちになる私。徐々に舞台のざわめきが遠くなり、私の周りを孤独な夕闇が包容し、か細いスポットライトが私の頭上に当たっているのを感じた。なんて私は孤独なのだろう。寂寥感に襲われ、思いがけず涙が込み上げてくる。
 ―――孤独だ。寂しい。
 しかし、そうしているのも数秒間で、次第に私はいつもの陽気な気分になってきた。込み上げてきた涙を吹き飛ばすように、私は大きく頭を振り、笑顔になった。

 私は沖縄人だ。生まれも育ちも沖縄だ。
 曲も踊りも知らなくても、私の体のこの燃えたぎる血潮には、沖縄民謡と踊りが先天的にも後天的にも、深々と刻み込まれている。
 ほら、私のDNAが叫んでいるではないか。心のオキナワンビートに乗せて踊れ、と。

 不思議な安堵感に満たされた私は、ノリノリで先生方と一緒に沖縄の踊りを披露することに、我が生命エネルギーを思い存分つぎ込んでいた。

 そう、私は沖縄人! 全身に色濃く流れる沖縄の血。
 踊らなければいけないから踊るのではない。血で踊るのだ!
 私は踊る、踊るのだ! 見よ! この華麗な舞を!

 琉球舞踊の基礎を学んだであろう先生方の流れるような優雅でな踊りとは違って、自己流の奇妙な振り付けで踊る私は、自らの踊りがどう見ても阿波踊りの変形ダンスであることに全く気づいてなかった。
 日本から遥遠い中国は雲南省の地で、私は自らの醜態を中国人の眼前にさらしてしまったのであった。

【第4章 第2節へと続く】


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