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中国旅行記「乙女通信」第3章第1節

 


 

空港でも太極拳

 午前四時。
 枕元に置かれたホテルの室内電話がルルル……と鳴った。ちょっと、何時だと思っとるんかい! 半ば怒り気味になりつつ、身体を起こす。眩しいものを見るかのように目を細めて、枕元の備え付けのデジタル時計の表示を睨みつける。
「まだ4時じゃん。こんな早朝に誰やの!」
 私は苦しそうに唸りながら、受話器を持ち上げた。
「Good morning,Have a nice day!」
 デジタル音声ではない、女性オペレーターの快活な生の声が、一日のスタートを告げた。
 そこでやっと私は思い出した。
 ……そうだ。今朝は、午前6時にホテルを出発するのだ。その早朝出発に余裕を持って準備するために、私は、6時よりも大分早い時間にモーニングコールサービスをお願いしたのだ。
 早起きすることは、ノーメイクの私にとって、顔にベタベタと石油化学成分を塗りたくるお化粧のメイクアップタイムではなく、ただ気分的に早めに起きて準備をする、という【早起きは3文の得】という古風な習慣によるものであった。

 起きねばならぬ。中国は雲南省の盛夏の朝が、両手を広げて我を受け入れようとしているではないか。
 さぁ、窓のカーテンを開いて、眺望せよ! この素晴らしきアジアの夜明けを!

 などと意気盛んに頭では理解していたが、身体がどうもついていかない。電話のモーニングコールを切った状態の手を伸ばした格好で、しばらくすると、私の意識は既に夢の国に飛翔していった。
 片手をベッド端から伸ばした状態で伏したままの私の様子を客観的に見ると、明らかにレスキューに助けてもらおうと電話をかける途中で、突発的な病魔に襲われて身動きできない病人のようである。見間違われて病院に担ぎ込まれなくて幸いである。

 午前五時。今度はコンダクターのMさんからのモーニングコール。
「起きてました?」
 Mさんの中国の朝日のような明朗な声に、私は、いかにも今起きました、という感じの喉の閉まったハスキーボイスで声で、
「とっくに起きてまひた……」
 と明白な嘘をつき、寝ぼけ頭をかきむしりながら、電話を切った。
 くっつきそうになる瞼を必死に持ち上げながら必死に起き上がった私は、足元おぼつかない足取りでシャワールームにフラッと姿を消した。

 我が団体の昆明空港到着は午前6時過ぎだった。
 駐車場にバスが停車し、私たちはバスを降りた。日が昇っていないからだろうか、昼間の猛暑とは違い、昆明の朝は、少し雰囲気が異なっていた。
 昆明の街はまだ見えない。昆明は、寒く、薄暗かった。

 早朝の空港は閑散しているだろう、と思いながら空港に足を踏み入れると、そこは予想を覆す大盛況だった。
 空港内は大勢の人でごった返していて、熱気に溢れている。
 早寝早起きは三文の得なり! と無意味に悦に入りながら、空港内を軽く見渡す。
 さすが中国、朝は早い。早朝の太極拳や運動などで鍛えた中国人の身体は、健康的な朝型になっているようだ。もしや、早朝であろうとかかわらず、中国人はどこでも太極拳をしているのではないか。美しきや健康体! ビバ、太極拳!
 「中国人=太極拳=国民的スポーツ=どこでも太極拳」
 という方程式が論理必然に導き出される以上、この空港のどこかで太極拳をしている人がいるはずである、と考えた私は急いで周囲を見回した。
 空港の従業員は店頭や控え室で、飛行機の添乗員は飛行機の上で、機長はコックピットで、みんな揃って太極拳をしているはず! そうだ、そうだ! と勝手に納得して、「太極拳をする人……どこにおんねん」と、私は、空港での待ち時間中、目を皿のようにして行き交う人たちに必死に目を走らせた。

 しかし、なぜ空港まで来て体操をしなければならないのか。パジャマや運動着で行なうであろう太極拳を、空港という添乗員のべっぴんさんが行き交う場所で行なわねばならんのだ。
 その前に、大体ビジネスマンで溢れる人込みで、ミョーな動きをする人や、体操するような人を発見するのは困難である。よく考えればそのような結論が出るはずであるが、私は自ら愚かな日本人であることを自覚せずに観察を続けたのであった。

 次に向かうは、納西(なし)族の里、麗江(れいこう)。昆明から麗江への30分余のフライト中、イヤホンが配られない飛行機の中では、Boyz2Menの“One Sweet Days”がBGMとして流れていた。
 私にとって、耳に異物を混入するような感覚にとらわれる飛行機のイヤホンは、余り好きではない。よって、耳を塞がずに生耳に届く心地よいBGMに、私の脳は安直にも、ハッピーになっていた。
 あたかもクラブハウスのパラパラ生物のように、私は、狭い座席の中、身体を音楽のビートに合わせて動かし刻み、ノリノリに踊ってしまった。大満足ひとしおに、飛行機を降りる。そのとき、ふと、座席から振り返ったときに、一瞬、自分を見つめる添乗員の冷ややかな視線を思い出した。
 「飛行機は周りのお客さんに迷惑にならないように、ズバリ静かに乗るべきでしょう!」と、ちびまるこちゃんに出てくる”ズバリそうでしょう少年まるおくん”のご指摘を受けそうなくらい、私は迷惑千万な搭乗客であった。


ひらやーちのルーツ

 フライト後は、バスで40分ほどかけてホテルへ移動。チェックインの前に、ホテルの近くの小さな家庭料理店(四方街・紅楼餐館)に入り、朝食を取ることになった。
 その店では、メイディッシュとして、沖縄料理“ひらやーち”とそっくりの食べ物が出た。大きな平皿に山のように積まれたクレープ状のモノ。見たことあるぞ、これ。席についた一行は、互いの顔を見合わせて、「ひらやーちだ!」と叫んだ。


沖縄人の主たる間食と言えば、「ひらやーちー!」と二番手には挙げられる名物つまみ。派手さは無いが、庶民の味として定評。大阪風お好み焼きや、韓国チヂミと比較すると、具の少ない食べ物。そのままでも美味しいが、お好みで酢醤油やソースをつけていただく。「ゆる過ぎるレシピ付き日記」さまより画像借用

 “ひらやーち”とは、小麦粉に卵や具を混ぜてクレープ状に平たく焼く、いわば沖縄風お好み焼きである。混ぜる具が少ないために、大阪風のお好み焼きより薄っぺらのクレープに近く、塩コショウで味をつけるために、甘いクレープよりは、お好み焼きに近い。クレープとお好み焼きの親戚、といったところか。
 沖縄食文化のルーツの一つ、ここにあり! と言いたくなるくらい、この料理は“ひらやーち”に似ていた。

 沖縄料理に似ている! とあれば、純血沖縄人によって構成されたこのツアー客たちが黙っているわけはない。彼らは、その食べ物をまじまじと見つめて絶えず”ひらやーち”との近似さに驚き、そして口に運ぶたびに、その味の“ひらやーち”の類似さに更なる驚嘆の声を上げ、さらに多くを口に頬張り、その美味しさに感嘆の溜め息をこぼすのである。
 彼らの様子を冷静な目で見ていた私であったが、その食べ物のおいしさと”ひらやーち”との近似さに純粋に感動していた。料理番組のレポーター並みの食感報告なぞ出来るはずも無いが、香ばしいごま油の香りと、モチモチとした生地の食感、塩味の効いたしっかりとしたコクのある美味しさに、ただただ呆然とするばかり。
 呆然と「おいしい、おいしい」と絶賛しながらも、しっかりと食欲旺盛な若者らしさを発揮し、4枚ほどペロリと、こっそり腹の中に溜めこんだのであった。

 しばらく、その食べ物を食べていると、私はふと、懐かしい気分に襲われた。
 昔、母の作ってくれた“ひらやーち”を思い出したのだ。食卓上の小さな皿に山積みに置かれたひらやーち。それを不器用に箸で掴み1枚だけ自分の手持ちの皿に移し、小さな口を一生懸命開け広げて“ひらやーち”を押し込んで、無我夢中で食べる、幼い頃の私。腹八分目という言葉を知らない頃に、とにかくその美味しさに導かれるように必死に食べ続け、ふと我に返った瞬間に、自分の膨れた腹を恐る恐る見下ろし、「しまった!食べすぎた! お腹が痛いよ……」とキリキリと痛むお腹をさすりながら泣きべそをかくのである。

 突如、眼前に広がった、懐かしき思い出。料理をする母や姉の背中を見ながら、“ひらやーち”を頬張ったあの頃が、手に取るように思い出される。
 遥か昔の出来事ゆえに不鮮明で薄らぐ記憶。もはや思い出すこともないだろうとその存在すら記憶に残っていなかった想い出が、こうして鮮明さを取り戻し、まざまざと目の前に立ち上り甦ってくるのは、得も言われぬ感動がある。
 旅先で昔の自分に出会えるなんて、不思議なことだ。

 ”ひらやーち”と似た食べ物を介して出会った昔の自分。その思いがけない懐かしさと感慨に、その食べ物の塩味が、ふと口中に染みた。―――染みた?

「もしや、口内炎?」

 懐かしムードはどこへやら、口内炎への恐怖に真剣に戦慄してしまった私は、「口内炎でありませんように!」とテーブルの片隅で必死に祈り続けたのであった。


宗教論争

 ホテルを出て、バスに乗り込むと、ガイドさんが新しく増えていた。先程までは、昆明地域を担当していた、肝っ玉母ちゃん風の女性ガイドの曲さんであったが、彼女とは昆明の空港で別れていた。そして、今度は新たなガイドさんによる観光案内だった。新しいガイドさんは2人いて、どちらも若い女性であった。

 1人目は、私より少し年上の範さんである。とても小さな顔、猫を思わせるような妖艶な切れ長の目、愛らしい口元、聡明なそうな眼差し、綺麗な茶髪のストレートロングヘア、見事に焼けた小麦色の肌、小柄なスレンダー体型、細長い素足の覗く、大胆セクシーなスリットの超ミニスカート。まさに、男性ツアー客の歓声を浴びそうなアイドル系ガイドである。
 今すぐにでも、日本のクラブハウスで踊っていても、シブヤのセンター街を歩いていても違和感がないような、セクシーかつワイルドな女性だった。
 運転席横に立ち、遠くの山々を遠い目で見つめるその姿、長い髪をふんわりとかき上げるその姿、まさに絵になる素敵な女性だった。
 そんな彼女のように、私もなろう! と思い、私は、彼女になりきったつもりで髪の毛をかきあげようとしたが、きつく結んだポニーテールが自分の指にザクザクと引っかかるだけで、そこには何もセクシーさは生み出されなかった。

 2人目は、とにかく若い、朱さんという女性である。色彩豊かな納西族(なしぞく)の民族衣装に身を包んだその女性は、白雪のように白い肌と、桃色に染まった美しい頬、可愛らしい笑顔が印象的な女性だった。
 北海道の農場で元気に働く少女のような、健康的なりんご頬をしていて、傍で見ているだけで幸せを感じる福顔である。笑顔がなんとも人なつっこくて素敵だった。

 女性ガイドに見惚れていた私は、ようやくガイドから目を離し、車窓の景色を楽しむことにした。
 バスの外の景色は、どこまでも続く雄大な緑の大地が広がっていた。そして、緑の中に、金色に一際輝く一帯が目に飛び込んできた。ヒマワリ畑のようだ。
 そのどこまでも続く匂うような黄金の絨毯を見ていると、ヒマワリを、観賞用とする日本人と、人間と家畜の大事な食料源とする中国人との違いを表しているようだった。
 ヒマワリを見ているだけではもったいない。私は決意を固めた。
 よし、日本に帰ったらヒマワリを食べよう! お花屋さんでヒマワリを買って、それを食べるのだ! 
 ふと、生花店でヒマワリを大量購入している自分を想像してしまった。店員さんに、「贈り物ですか?」とにこやかな笑顔で尋ねられて、「いえ、今日の晩御飯です」とニッコリ笑って答え、「種は柿ピーと混ぜて食べるでしょ、花は酢醤油でおひたし、茎は煮つけ、葉は軽く茹でててから細切りにしてツナ和え……」と指を折り数える自分の姿が見えてしまった。何ともワイルドな食生活である。

 我が一行は、ぬかるみの残る地面を踏み踏み、“No Picture”と描かれた白い看板を掲げた、木製の古びた小さな門を通過した。

大宝積宮の壁画。外観は非常にゴージャスであるが、中は古ぼけた壁画のみ、という拍子抜けしてしまう落差がある。壁画に宗教の教祖たちを宗派を超えて併存するように描いたという、先人たちの何らかのメッセージを感じずにはいられない。「とんでもとらべる」さまより借用。

 ここは白沙村、“大宝積宮の壁画”というものを見学するという。
 ゴージャスな外観をよそに、屋敷の中は歴史を感じさせる、と言えば聞こえはいいが、非常に古ぼけていた。
 その中には、入り口を除いた正面とそれを挟んだ両側面、すなわち壁3面に巨大な絵が描かれており、それらの絵は半ば消えかけてうっすらと残る程度だった。
 そこには、様々な宗教の神様が描かれているそうで、とてつもなく壮大な歴史の重みを感じさせる。ガイドの説明によると、そこには仏教・ラマ教・道教の神さんたちが同居してらっしゃるそうだ。

 私は思う。宗教はいいものだ、と。人間にとって究極的な心の拠り所になることができるからだ。拠り所のない人にとって、時に宗教は人生の大きな指針となる。ただ、公序良俗に反するようなある種の宗教を人生の指針とすると時に危険であり、また、その宗教に自分を見失うくらいにのめり込みすぎると、弊害を生み出すこともある。ただ、拠り所を必要としているのに拠り所のない人にとって、宗教はいいものとなる、と思う。
 仏壇に手を合わせ「ウートートー(沖縄の祈りの言葉)、宝くじが当たりますように」と、祖先に必死に祈願する、祖先と神仏の違いさえ分からない私には、宗教に深く帰依する文化にあまり身近さを感じることはない。ただ、歴史とともに歩んできたような古い宗教には、学術的な香りがして、鼻をくすぐられる。

 それにしても、このように微妙に宗派の違う神さんたちが、ひとつ屋根の下で暮らしていて、よく宗教戦争(もしくは論争)が起きないものである。いや、実は3人の神さんたちは夜中に壁絵から抜け出して争っているかもしれぬ。
 例えばこんな感じに。

 ウォーンと狼の遠吠えが闇夜に響き渡る。
 時は如月十日余りの頃、丑の刻。雲の切れ間から顔を出した望月は、大宝積宮の屋敷の土壁がほのかに浮かび上がるように照らし出した。さざ波のような心地よい子守歌を奏でる虫の声の合間を縫って聞こえてくるのは、人間とは思えぬ荘厳な声。
「……だから、今現在、私のラマ教を描いたスペースが一番狭いんですよ。何かと脚光を浴びる仏陀さんには分からないとは思いますが。 ねえ、老子さん、そう思いませんか?」
 口をとがらせてそう言ったのは、ラマ教の宗祖。注※(ラマ教、つまりチベット教は主に4つの宗派に分かれ、また宗祖もそれぞれ異なるため、ここでは《ラマ教の宗祖》と総括する。)
 
 それに対して、首を振って答えたのは道教の教祖、黄帝の老子である。
「そうは言いましても、道教もラマ教も、仏教の教理を取り入れて発展したわけですから、文句を言っちゃいけません。それにこの中で一番年上の仏陀さんが偉いんです」
「そうそう。年寄りをいたわりましょう」
 ウンウンと頷いたのは、ご存じ、仏教の教祖、仏陀(釈迦牟尼)。
「ふーん」と顔をツンとそらすラマ教の宗祖に向かって、老子、
「これにて一件落着」とにっこり。
 三人、うんうんと頷き合った。しかし、しばしの沈黙を破って、思いついたように口を開いたのはラマ教の宗祖だった。
「ということは、3人の中で一番年下の私が最下位なのですか? ねえ、老子さん」
 慌てたように言葉を濁す老子。
「今日のところ、本案は保留という形で前向きに検討するとして……」
「保留のどこが前向きなんですか」
「その基本的概念の、複雑に絡み合う所に本案の論点が凝縮されているわけでして……」
「そうやって訳分からないこと言って逃げるんですか」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・」
「じゃ、僕は翌朝にでも僕の信者の夢枕にでも立って、ラマ教のスペースを広げてもらうように頼みます」
「いや、そういうわけには・・・・・・」
と口をそろえて言う老子と仏陀。
 ここまでくると、もはや高度で理論的な議論というよりも、俺の方が麻雀に強いとか、俺の方が女にもてるといった、低度で論理飛躍の激しい議論に近い―――。

 これらの壁画を見ていて、ふと思いつくことがあった。
 戦争の頻発する現代において、このような、ラマ教、道教、仏教の神々が同居した壁画の、非常に大きな価値を考えてしまうのだ。
 無心論者はもちろん、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教などなど、その他色々と宗教が混在する中、それらが互いに尊重しあい、決して対立することのない平和な世界を望まずにはいられない。それらが相反することの無く、共に生きる、共存する世界になって欲しい。
 宗教戦争はいらない、壁画のメッセージは、私にそう伝えていた。

旅行中の毎夜、眠る前に書いたメモ書き程度の日記(貴重!)。ひどく乱れた字だが、旅疲れの中、怒涛の睡魔に襲われながら書き綴ったことを考えると、乱筆でもOKなのである。これとほとんど同じ文面が下書きとなり、この旅行記は構成されている。 

 このようなことを私がぼーと考えている間に、既に一行は壁画を見終えて、屋敷から出てしまっていた。私は慌てて彼らを追いかけるように屋敷を飛び出した。

 近くの民家で、ちょうど通りがかった地元住民がいた。母親らしい女性と子どもが並んで歩いていたのを軽く横目で見て、ある違和感に気づき、彼らをじっくり見つめると、次第に私の目は大きく見開かれた。
 なんと、その女性は、その子どもの身体を吊って歩いているのだ。紐で子どもの股や腰を絡めて吊り上げ、それを地面すれすれに持ち上げて歩いているのだ。もはや子どもはマリオネット状態。母親が子どもを「連れて」歩いている、というのではなく、「吊って」歩いている、という、見た目にも、字面的にも面白い光景。
 それにしても、吊り上げるのは、子どもの股関節を鍛えることで、その排泄機能を高めよう、とでもいうのであろうか。理由はよく分からないが、吊り上げられた我が身の状況を知らないような、ニコニコと笑みを浮かべた愛らしい子どもの表情に、思わず私の顔に微笑がこぼれた。
 本当に不思議な文化を持った国だ、中国は。

マリオネット親子。面白い光景にただただ、見とれるばかり。子どもの眉間には赤い朱印が押されていた。文化を感じさせる。まるで誂えたようなナイスショットに思わず笑みをこぼす。

 民家を後にして、バスに乗りこみ、次なる目的地、玉龍雪山へと向かう。
 途中、とても小さな子豚の大群が歩いているのが車窓から見えた。独りでに歩いているのか、飼育されているのかは分からないが、とても小さな豚が小さな足を踏み鳴らし、いそいそと走っている様子には、思わず顔が緩んでくる。
 何て小さくて可愛いのだろう……。近い将来、猫名の「ミー」と名付けた子豚を室内で飼う私の姿がありありと思い浮かんだね。


ヘルプ、ミー!

 玉龍雪山のふもとに到着。バスを降り、景色を見渡す。四方はそびえ立つ山ばかりで、何もない。高い山、ということであるが、背伸びして見上げたところで、いまいち山は高すぎて見えない(当たり前か)。
 小雨のぱらつく薄曇の天気であったため、「降雨に備え、各自、雨具用意!」との指令がツアーコンダクターのMさんから出された。私がリュックサックから小さな折り畳み傘を取りを取り出し出発に備えていると、先生方は、バスの近くにあった屋台で、レンタルカッパを手に入れていた。
 幾人の手に渡った透明ビニールのマントのようなカッパは、曇天の明かりの下、キラキラと夢幻に輝いていた。それはまるで、小学生時代に没頭して読み耽った宮沢賢治の「風の又三郎」において、又三郎が着ていたガラスのマントのように思えた。私は心が浮き立つのを感じた。
 又三郎マントとこんなところで出会えるなんて、嬉しさこの上ない。又三郎マントが現実にあるなんて、夢のようだ。

 是非とも又三郎マントを着よう!

 どこからどう見ても、それはごく普通の透明のビニールカッパであったが、旅行中という、非日常的な状況に自分の身を置いていることで、日常では見過ごされてきた些細な物でさえも、ダイヤの原石のような、一瞬のきらめきと揺らぎを持っているように感じてしまう。
 透明ビニールカッパのビニール独特のテラテラとした光沢は、あたかも澄んだガラスの美しい光沢のように思える。そのカッパ―――ガラスのマントを着たら、私も又三郎のように、大空を飛翔できるのではないか。

 したがって、 私にはそれはもはやビニールカッパではなく、又三郎が着ていたガラスのマントに他ならなかった。目にはそのガラスのマントしか映らず、無意識に「どっどど、どどうど、どどうど、どどう」と又三郎のメインテーマソングを口ずさみながら、カッパ売りの屋台に走り出したろうとしたが、時既に遅し、一行は出発の第一歩を踏み出していたために、私はガラスのマントを諦めて、折り畳み傘を手に、一行の元に戻ることにした。その胸の内では、「ガラスのマントもいいけど、傘ならメリーポピンズだ。私もメリーポピンズのように、折り畳み傘で大空を羽ばたこう」と確信していた。
 パメラ・L・トラヴァースの「メリー・ポピンズ」で、メリーポピンズの必須アイテムの傘は、強度のある金属の傘骨で作られた洋傘であって、強風に煽られたら一瞬でY字に変形してしまう貧弱な折り畳み傘ではない。どう考えても、洋傘と折り畳み傘では、パラシュートとパラシュート花火ほどの致命的な大きな差があるのは歴然なのだが、夢見心地の私は、折り畳み傘を片手に、メリーポピンズ風にステップを踏みつつ、一行の後を追いかけたのであった。

 この玉龍雪山は、標高5596メートル。名前が「雪山」というだけあって、1年中、頂上は雪に埋もれているらしい。この山に登るらしい。
 それにしても、この標高の高さは驚きである。
 もちろん、私は、日本の最高峰の富士山を写真やテレビくらいでしか拝んだことがない。3376メートルの富士山をクリアしない前に、こんなに高い山に登ることになるとは、夢にも思ってなかった。高い山というからには、いかにも酸素が薄そうである。高山病にかかるかもしれない、どうしよう! と騒ぐ我がツアーの他の方々を尻目に、「何事も経験なり」をモットーにする私は、そういった不安を微塵も生じさせること無く、意味なく不敵な笑みを浮かべつつ、ストレッチ体操などの準備運動に余念がなかった。

 もし高山病になったら―――もちろん、それを満喫してあげましょう!!
 私の希望に膨らむ胸は、生身の胸のしぼみ具合をよそに、膨らむ一方であった……。

 頂上へは地道に徒歩で登るというわけではなく、リフトで移動するらしい。
 リフト。ケーブルカーでもなければ、ロープウェイでもない、あのリフトである。ゲレンデで大活躍する乗り物、リフト。不安定な乗り心地ながら、人を確実に輸送する乗り物、リフト。
 沖縄人の私は、雪いらずのトロピカル南国島国育ちのために、スキー場との接点は一切無かった。したがって、これまで1度もスキー場というものに行ったことがないために、リフトたるものは初体験である。

 リフト。それにしても、雪海原のリフトであれば、その眺めは最高に素晴らしいだろう。きっと、リフトからの地上の眺めは―――地上は一面の雪、白銀の世界。寒空の中、真っ白な光で照りつける太陽。針葉樹に降り積もった雪の塊は、雪のモンスターを想起させ、雄々しい。

 そう、ゲレンデのリフトからの眺めは、一面の雪景色であり、それはさほど地上との高低差を実感させないように思えるのだが、リフトからの地上の眺めが緑の大地、というのはどうもいただけない。なぜなら、リフトからの眺めは確かに絶景だが、その地表の木々たちの色々な緑の重なり合いが、くっきりかつはっきり見えてしまうからだ。それらが遠近感を感じさせ、地上との高低差をはっきりとリフト搭乗者に認識させてしまう。
 安全補助装置などは一切設置されていないリフトでは、少しでも体勢を崩すと、3000メートル下の地表に落下することは確実である。高所恐怖症になると、高い所に登ると、眩暈や足のすくむ感じ、墜落の恐怖などが起こるらしいが、高所恐怖症ではない私には、少なくとも、リフトからの眺めはある程度は怖くないであろうと思えた。しかし、安全装置のないリフトを考えると、やはり怖い。この緑地高山の絶景を眺めていると、少なくとも墜落の恐怖は生じざるを得ない。
 しかし、頭ではそのように理解しているが、いまいち体がついていかない。今にもスキップを始めそうなくらい、メリーポピンズ実写版への夢を抱く私の体は陽気であった。

天空で大空に包まれる至福。前後左右、新緑の大自然に包まれる幸せ。さぁ、目を閉じて耳をすまそう。聞こえてくるのは野性味溢るる獰猛な風の音。目を閉じたからといって、安易にバランスを崩せば、墜落間違いなし。危険と隣り合わせのリフト移動。「とんでもとらべる」さまより画像借用。

 リフトに乗車するために列に並ぶ。長々と続いていた列であったが、ようやく先頭が見えてきた。やっと自分とおばさんの乗る番になり、勇み足でリフトに乗りこむ。私たちの乗ったリフトが軋み音を立てながら少しずつ動き出し、リフト乗り場が徐々に遠ざかっていった。

  リフトの上はとても涼しかった。爽やかな中国の風と空気が、私を柔らかく包容してくれているようだった。ふと、私は思わず大声で謳いたくなった。

 さあ、中国の風よ、大地よ。
 見たまえ。
 我、大空を舞はむ。

 そんな叙情詩を頭の中で読み上げようとしたとたん、ガチャンと鋭い音を立ててリフトが止まった。ヒュウヒュウと風が鳴ると、私たちの乗ったリフトが大きく揺れる。
 頂上は、見えない。
 山へと向かう前方に、点々と数珠状に上空にそびえるリフトと、遥か向こうまでゆるやかに続くワイヤー。遠い地上は、風でうごめく樹木たちの新緑の生物楽園。下を見ると、一面のむせ返るような濃い緑、緑、緑……。

 どうしたのだろう、と遠く離れたリフト乗り場を振りかえって見ると、リフト関係者が数人集まって何やら騒いでおる。リフト乗り場では、身振り手振りのオーバーリアクションで係員がリフト上の客に呼びかけている。
 どうやら停電したらしい。
「いつ回復するだろうか」という不安は、いつしか「本当に回復するのだろうか」に代わり、胸にずしりずしりと迫ってくる。
 足は空を蹴り、冷や汗が背中を伝う。恐怖が募り、全身が硬直する。両手が知らず知らずのうちに、座席にしがみついていた。
 ジェットコースターのように身体を固定する器具などが一切備え付けられていない、この高山のリフト。身体の横には、ブランコの紐のような、リフトを支える棒がある。しかし、前方には何もない。何も、ないのである。
 リフトを吊るワイヤーが切れ、いきなりリフトごと真っ逆さまに落ちたらどうしよう。そうなったら、それこそまさに「我、大空を舞はむ」である。

 せめて、シートベルトが欲しかった! ヘルプミー! 

 悲しみに打ちひしがれながら、全身全霊で助けの言葉を叫ぼうとして、はたと思い直す。
 そもそも、「ヘルプミー!」と叫んだ場合、自分だけが助かろうとしている気マンマンだアイツ、ということになってしまう。何十人がリフトで空中孤立しているこの状況で、他を差し置いて自分一人だけ助かろうという、この懐狭い根性は情けない。
 そうだ、一人はみんなのために、みんなは一人のためになのだ。
 私は、リフトで助けを求める乗客全ての声を代表して、遥か遠くのリフト乗車口に向かって助けを呼ぼうではないか。私たちを助けてくれたまえ。

 「ヘルプアス!(Help us!)」

 私の大声は、無力にも、新緑中に吸い込まれて、溶けていった。声は届かなかった。孤独感と悲しさで涙腺が緩くなっていた私を見て、隣に座っていた我がおばさんが「地球規模のお願いだなんて、スケールがでかいね」と感心するように言った。

 ヘルプアス! Help earth! 地球を助けて!

 危機的状況にも自分の意思の伝わらないという、自分の英語発音の絶望的な悪さに、私の目にもついに涙が浮かんだ。先ほどまで、メリーポピンズ実写版を実践しよう、などと陽気になっていた自分が恨めしい。メリーポピンズのように空を舞う勇気は私にはない。墜落の恐怖に怯え目を涙で潤ませていた私は、それを痛切に感じ取っていた。

 などと考えている間に、数分後、リフトは作動し始めた。やっと停電が回復したようだ。数十分間の長い時間、停電していたような気もしたが、腕時計を見ると、たった3分しか停電していなかった。不幸中の幸いとでも言うべきか。
 再び頂上に向かいながら、「良かった……」という安堵感と、「なかなかスリリングな体験だったのう。ありがとよ」という負け惜しみにも似た、妙な満足感とが交錯していた。

玉龍雪山。雄大な山麓、たれこめた濃霧。雲海。標高の高さを感じさせる。これは、リフトの停電で、リフトが一時停止した時に撮った貴重な一枚。もしやあの停電はシャッターチャンスのためのサービスだったのだろうか(まさか)。たったの数分を数時間にも感じた、稀有の経験だった。

【第3章 第2節へと続く】


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