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中国旅行記「乙女通信」第3章第2節

 


 

夢のターザン生活

 停電を回復したリフトは、無事にリフト客を山頂近くに下ろすと、何事も無かったように、下界へと下りていった。
 リフトを降りた我々一行の目的地は、頂上ではなく、頂上よりも少し標高の低い展望台らしい。そこへ向かう一行は、森林に包まれた空間の中、やけに新しい丸太の敷き詰められた小道を延々と歩く。

 ぬかるみの残る丸太でできた地面は、非常に滑りやすく、慎重に足を進めなければいけなかった。しばらく歩いていると、私は自分が息切れをしていることに気付いた。酸素が少し希薄なのだろうか。ということは、高山病?
 私は飛びあがりたいほどに嬉しくなった。息切れする自分自身を噛み締めるように、ゆっくりと深呼吸をする。
 私は今、高山病を経験しているんだ! 
 高山病への憧れをついに実現させたという嬉しさで、私は感無量になった。
「ここ、酸素が薄いんだね。もう息が苦しくなってきたよ」
 一緒に歩いていたおばさんに話しかけると、おばさんは、ニッコリ笑って首を振った。
「森林の中なのに、酸素が薄いわけないでしょ。息が苦しいのは単なる運動不足」
「あ……そっか。そうだね」
 あっけなく、高山病への夢は萎んでしまった。しかし、まだまだゴールは遠い。高山病の病魔はすぐそこまできているのかもしれぬ。用心せねば。厳しく自分自身を律そうとしたが、どうしても高山病への期待が膨らんでしまい、自分の顔はみるみるうちにほころんでしまう。情けない登山者である。

 登山道の小道の両側には、緑深い森が広がっていた。
 私は緑の苔に満ちた森が大好きである。私の好きな森。見渡す限りの緑の苔、茶色の幹のコントラスト、陰影漂う緑の茂み。私は、森の中で、一本の大きな木の根元に座りこみ、佇む。首をぐっとそらし、真上を見上げると、砕けて飛び散った硝子のように、黄金の滴のような陽の光が溢れ、私の瞳に降り注ぐ。目を閉じて聞こえてくるのは、鳥の声、風のざわめき、そして、川のせせらぎ。煥発するような自然の生命の悦びに、ふっと耳を傾ける。
 また、私は森の匂いも好きだ。雨に湿った腐葉土の匂いは、ほんのちょっぴり懐かしいような香り漂う、ほろ苦いエスプレッソのよう。……エスプレッソ? コーヒーが苦手な自分を思い出し、腐葉土の匂いをカフェオレ程度にとどめておくことにした。

 それにしても―――森が、私を呼んでいる。木の葉を奏でる風のメロディーに乗って、確かにそう聞こえた。

 ……そうか。森は私を必要としているのだ。
 この深き森の中で、私は自給自足の生活を送ろう。頑丈なツタを森中に張り巡らせて、木から木へと飛び移ったりするのだ。このツタは”山の手線”だの、”踊る大捜査線”だの、”国道330号”などと名前をつけて活用するのだ。
 大きな木にも色々と名前をつけよう。あの黒々とした幹の木は、髪の毛の黒々さにかけて、”アデランス”と名付けよう。向こうの木は、根元のコケがストライプのようにも見えるから、阪神タイガースのマスコットにちなんで“トラッキー”がいいな。こっちの茂みは足の踏み場無く沢山の草が生えているから、“アフロヘア”にしよう!
 私の足が、小道の両側にある柵にかかった。

 見よ! 
 私は今、神秘の世界に踏み込もうとしておるのだ!
 いざ行かん、中国森での原始的生活を! 

 目覚めると、草花を頬張り、昼は小動物と戯れ、ツタで縄跳びし、独りで対戦相手のいない木登り大会を敢行し、夜は墓場で運動会、就寝はコケの布団で寝つき、一日の終わりをありがたく祈るのだ。

 ここに、私にとって豊かな生活が待っている。
 我行かん、原始の森へ。いざ、向かわん、未知の世界へ!

 今にも足全部が柵から出ようとしていると、我が一行の方に「そっちは進入禁止よ。ホラ、ホラ」と促され、夢の続きをあえなく断念。
 私の理想の森、バイバイ。私はターザンになれなかったよ。

大自然とともに息づく幸せ。木々の間を走り抜け、迷い込んだふりをして、このまま住んでしまいたい、そんな原生林。 夢のターザン(仙人的)生活は、ここにある。


実は私、納西族でした

 丸太の小道を息も絶え絶え進んでいくと、ようやく標高約4000メートル地点にある雲杉坪展望台に到着した。

 そこは緑一色の草原が広がっていた。芝生ではなく、健康的に伸びた緑濃い草花たちが一面に自由に生い茂っていた。
 遥か向こうまで広がったその草原は、あたかもグリーンの絨毯のよう、と思ったが、よく見ると、その草原は、カラフルな服を着た人たちと、観光客たちの憩いの場となっていて、グリーンの絨毯というよりも、ペルシア絨毯のようだった。

雲杉坪展望台。濃い緑の香りを、胸一杯に吸い込む。カメラに収まりきれない雄大な景色に、言葉はもはやいらない。米粒大の人間がちっぽけな存在のように思えてくる。中国ならではのスケールの大きさを再実感。

 ガイドのツアーコンダクターのMさんの話によると、このカラフルな服は、この地方の少数民族、納西族の民族衣装であるらしい。しかし、この衣装は貸衣装であり、観光客用のものであり、したがって、それを着てこの草原でうろついているのは、本物の納西族ではなく、納西族の衣装をレンタルして着こんだ観光客なのだそうだ。観光客相手の、なんとも画期的な客商売である。
 ということは、民族衣装のレンタル料金さえ払えば、私も外見上は納西族になることができるということだ。納西族になることは、ここ数日間私があまり味わえなかった、中国文化へのより近い一体感を味わうことが出来る、ということに他ならない。
 よし、善は急げだ。

 私は、売り子にレンタル料金を聞き、その金額の中国元、約200円を払った。すぐさま売り子は自ら背中に背負っていた大きな竹籠の中から、次々と衣装を取り出すと、私の頭に押し込むように被せ始め、無理矢理私に衣装を着せ終えると、「あの、衣装の返却とかどうすれば……」と、あたふたと手を差し出して尋ねる私を取り残し、どこかへ行ってしまった。
 どこへ行ったのか分からない売り子を探すこともできず、私はとぼとぼとツアーメンバーの元へ行くと、私の格好に気付いた一行は、狂気乱舞となった。
 彼らは口々に「こっちに向いて!」「もっとニッコリ!」「ハイ、ポーズ!」などと叫び、私の衣装姿をカメラフィルムに収めてくださった。

 納西族に生まれ変わった私。―――これが、私?

 バッグから取り出した手鏡で自分の顔を映し出す。そこには、麗々しい衣装に身を包まれた一人の少女がいた。
 原色のピンク、緑、茶色、青、白、赤……それらの色を巧みに取り入れた、色鮮やかな民族衣装。
 太陽の下、その色彩が空の青空とのコントラストで、実によく映える。
 その少女は、睡眠不足のため、目の下に隈があり、貧相な表情を浮かべている。それでも、その少女は、手鏡から目をそらしニッコリと笑う。
 そう、今だけ、自分は納西族。それ以外の何者でもない。私はこの地で生まれ育った中国娘。中国スピリッツを我がDNAに刻み込み、中国文化の潮流を身体の隅々に刻みこんだ生粋の納西族娘なのだ!

 手鏡をバッグしまい、大きく深呼吸。自分の眼前に広がる豊かな自然は、先程までと何かしら違った世界を映し出しているように感じる。立ち込める草の香りは、既知のものであり、大自然の景色は、日常的な風景のように思えてきた。
 全身で納西族を心行くまで味わう一人の少女。自らの衣装を見下ろし、思わず至福の溜め息をこぼす。

 繰り返し込み上げる陶酔感にどっぷりと身を沈めていた少女は、頭の先からつま先まで「自分は納西族」と信じ込んで疑わない。
 私は納西族、私は納西族。私はナッシー。

 少女は、自分の靴が登山中についた泥に見苦しくまみれたスニーカーであり、それがその衣装にとても不釣合いなことに、全く気がついてなかった……。

納西族の衣装を着た私。ナッシーと呼んで下さい。実に鮮やかな色彩の衣装を着込み、心はハッピー。ありえないポーズよりも、足元のスニーカーが気になります。プライバシー保護のために画像を被せました。


芋虫を食べよう

 展望台で自然を満喫した後は、もちろん下山となる。夢見ていた憧れの原始的生活に名残惜しげに別れを告げ、玉龍雪山に背を向ける。
 下山中は、当初小降りだった雨がいつしか本格的に降り始めていた。リフト客は、屋根無しリフトの不便さに少々愚痴りながらも、持参した傘やカッパ、レンタルしたカッパなどで一応の雨避けをしていた。
 数珠繋ぎの下りのリフト。リフト客たちの傘やカッパの色鮮やかさを乗せたリフトは、あたかもカラフルな色玉でできた数珠のように見えた。
 私は、といえば、メリーポピンズのような優雅さは一欠けらも無く、片手は折り畳み傘、もう一方の手はリフトの手すりにしがみつき、と必死さ満点の状況だった。
 傘の端からこぼれる大量の雨の水滴は、座った状態の傘の下からはみ出していたジーパンに包まれた大腿の部分を容赦無く濡らしていた。
 
 中国の雨。It's The Asian Rainy Day!

 恵の雨は、なんて素敵なのでしょう……と空想に浸ろうとしたが、大腿部分の降雨による冷ややかさに、それも断念せざるを得ない。私のリーバイスのジーパンの色は、天然のインディゴブルーという、実に味わい深いものに仕上がっていた。
 これはもしや、雨の滴るいい女? と思いついたのものの、「これは厳密に言うと“雨も滴るいい大腿”だ……」と気付き、その語呂の悪さに切なくなった。

 大層濡れて扱い難くなったジーパンではあったが、下山後いつの間にやら止んでしまった天候と、炎天下という天然の乾燥機の活躍で、気付けば何の痕跡も残らないくらいに乾いてしまっていた。
 何気ない日常的な些細な出来事ではあるが、この地方の気温の高さを身に染みて感じる。濡れた洗濯物を背中に干して歩く商売すらできそうなくらい、素晴らしい気温と天気だった。

 昼食は山のふもとにあるロッジ風レストランでとった。
 そのレストランには、色鮮やかな蝶がいくつも展示されていた。鑑賞用の額に掛かった綺麗な蝶から、販売用に本のしおりや絵葉書になってしまった哀れな蝶まで、豊富な蝶のオブジェの数々であった。蝶好きな人には「こりゃたまらん」と一日中でも離れたくないような、まさに蝶屋敷レストラン。

 それにしても、蝶に囲まれたまま優雅に食事できるとは、なかなか粋なレストランではないか。加えて、食事のテーブルの周りには、羽音の凄まじいハエが大勢飛びまわっており、まさに蝶だけでなく、ハエともお友達となれそうな場所であった。まさしく、ここは、蝶とハエと戯れることのできるテーマパークレストラン。
 「まさか雲南省でテーマパークに行けるとは思わなかった」と感心しきりだったのは、私だけであろうか。

 ホテルでチェックイン後、ホテル近郊の四方街という町中を散策した。明代の町並みを残す、水辺のある街である。1996年の地震で倒壊したが、復元されて今日に至るらしい。
 ぶらぶらと歩きながら、周囲をキョロキョロ見ていた私はふと思った。
 この町並みはどう考えても、日光江戸村だ。岡山の倉敷にも、東京の下町にも似ている。薄墨色の石段の橋。その下を流れる澄みきった川、ゆるやかに凪を受ける枝垂れ柳。そこには、遠き日の記憶を走馬灯のように思い出させるような懐かしさに満ちた情趣があった。

麗江、四方街。瓦屋根の赤い壁、古い石畳、枝垂れ柳……雑然と立ち並ぶお土産品店街に、胸の内に郷愁が立ち上る。日本はアジアであることをはっきりと再認識させるような、どこか懐かしい風景。「とんでもとらべる」さまより借用。

 次に訪れたのは、ろうけつ染めの工場だった。
 ろうけつ染めは、 中国の雲南省、貴州省にいる少数民族の苗族が作る、絵画と染色を用いた代表的な工芸品である。 ロウの撥水性(水を弾く性質)を利用した染め物で、白い布地に溶かしたロウで様々な模様を描き、それを乾かして染料の入った瓶の中に入れて浸し、その後、染めた布を熱湯に入れてロウを取り去って洗い、陰干しにする……という技法で行なわれる。深い青地の布に、白の繊細な模様が浮き上がる。
 小さな事務所に、細々と並べられた布や坪やデスク。観光客の見学など見向きもせず、一心不乱に細かい染色作業を行なう職人の方々。精密機械のような器用な手さばきに、目を丸くして見入ってしまった。

 ろうけつ染めの工程に見入っていた私は、あることを思い出した。
 中学生の時に美術の時間に作った、沖縄紅型のある技法と似ているのだ。それは、白地紅型と言い、白地の布に、ノウの代わりに防染糊を模様として塗り、それに様々な色を塗るように染め入れ、その後にそれを洗い、防染糊を落とすと、白い模様のついた色鮮やかな紅型ができるというものである。
 確か、当時私の作った紅型は、太陽や花やロゴなどポップなデザインにしたため、“紅型の伝統からかけ離れ過ぎ”と、先生に絶賛され、なぜか没収されてしまった。絶賛ではなく、見るに耐えないという酷評だったのかもしれないが、とにかく私の手元には、それはない。
 思い出を想起させつつ、ろうけつ染め工場を後にした。

 古城酒楼という場所で夕食をとった。
 騒々しくわめく腹の虫をなだめすかしながら席についた私の目に真っ先に飛び込んできたのは、異様な形をした、山盛りの茶色の物体だった。他にも、チャーハンやスープ、色々と料理は並んでいるのだが、私には、周囲の食べ物はぼやけた映像としか映らず、初めて見るその不思議な茶色の物体のみ大きくクローズアップされていた。
 それは、焦げ茶色をしていて、親指大の細長い棒のようであり、不規則に歪んでくねっていて、所々に節のようなものがついていた。
 私には、それが何たるかが分からなかった。「何だ何だ何だ~」と、科学忍者隊ガッチャマンのオープニングテーマ風にアレンジして心の中で歌いながら、首を傾げつつ、山盛りの中から一本を取った。それを恐る恐る口に放りこみ、二口、三口、眉間に皺を寄せながらゆっくり噛んで丹念に味わう。途端に、その物質から何やら苦いものが滲み出るように出てきた。今にも異臭を放ちそうな強烈な苦さに口中を襲われ、しばし声もなく悶絶した。
 半ば泣きそうになった私の脳裏に、唐突に、昔、小学校の校庭の裏にあったガジュマルの木々にぶら下がっていた小さな芋虫を思い出した。

 茶色の芋虫。この茶色の物体。
 芋虫の節のある独特の形状。この物体の節のある形状。
 芋虫の味、食べたら苦そうな味。この物体のとてつもない苦味。
 芋虫。いもむし。イモムシ。いもむ―――。

 「食うてはあかん! これは芋虫やー!」
 私は心の中で大絶叫し、苦痛に顔を歪めながら、震える手でテーブルに箸を置いた。目前の出来事をなかったことのように、首を精一杯振って恐ろしい現実を拒否をする。

 ゲテモノは絶対に一生口にしないと心に誓ったのに……。
 きっと私の口の中は、今や芋虫パラダイスだ。この口中に広がる表現し難い苦みが全てを物語っている。パラダイスは私の体と同化し、芋虫エキスが私の全身を駆け巡るのだ。
 レストランの中、給仕や客の目もあり、吐き出す訳にもいかず、お茶をがぶ飲みした私は、既に諦めの境地に達していた。日本に帰ったら芋虫と友達になろう、そう心に誓う私だった。

 それにしても、どう言って友達になろうか。あなたの種族を中国で食べたものですが……いかん。だめだ。それでは、ふつつかな人間でございますが……よし、これでいこう。

 私はこれだけのことを芋虫らしき物体を口に入れた後の数秒間で考えていた。悲愴な表情を浮かべながら、私は、隣に座るおばさんを見ると、なんと彼女はこの芋虫盛り合わせに次々と手を伸ばし、笑顔で食べていたのである。
 な、なんと! そんなミラクルが起きていいものなのか。
 私の目は思わず点になった。芋虫をいとも簡単に食べている人がいる!
「これ、“ツチニンジン(地参)”といって、植物の根だよ。スナック菓子みたいだね」
 おばさんは、そう言いながら、芋虫の形態をしたツチニンジンと呼ばれるものを一つ指でつまみ、ひらひらと私に振って見せた。

 ……芋虫じゃない?!

 にわかに真実が判明し、呆然自失に陥った私は、それをまじまじと見つめることなく、機械的に口に運んでいた。次第に、最初に感じた苦みを、苦痛ではなく、むしろ美味思えるようになった。そう、最初は苦いと思っていたコーヒーやタバコが、次第に嗜好物に変貌していくように……。
 その後、ツチニンジンとすっかり意気投合した私は、やけ食いともいえるくらいそれを食した。レストランを後にする時には、私の口中は、何ともいえない苦味と、後悔の味で充満していたのだった。

「大理土特産 蜜酥地参」と書かれているのがお分かりになられるだろうか。地参、ツチニンジンである。最初に食べた直後に感じる独特の苦味は、徐々に香ばしさへと変わる不思議。芋虫ではありません。「とんでもとらべる」さまより借用。


生ける屍たち

 夕食後、東巴古楽演奏といわれる古楽演奏を鑑賞した。それは、日本で「シルクロードの旅」と銘打って開かれる古典演奏会に近似していた。近似してはいたが、この演奏家の数名が80歳代の現役パワフル演奏家の方々であることには驚かされる。
 おじいちゃんたちの決死のパワフル演奏は、雄々しくも時に繊細で、豪快で優美だった。ジャラン、ジャランという弦楽器の音、目を閉じて低く唸るように口ずさむメロディー、ドラの威圧的な響き、打楽器の蠱惑的な鼓動。腹の底から突き上げるような雄大な音源に、私は硬直するかのように聞き入った。この、螺旋的に浮かび上がる幻影のような不思議な旋律に、観客は皆酔いしれる。

活気あるおじいちゃんたちの豪快な生演奏。「あれ、エージェント・スミス?」と思ってしまうほどの、渋い黒サングラス姿のおじいちゃんの姿を発見(左側)。部屋の上部隅に飾られた黒白写真に、壮大な歴史を感じます。

 私は、演奏中、彼らお年寄りたちから目を逸らすことが出来なかった。このお年寄りたちの演奏は、技巧的で、かつ独特の雰囲気を醸し出していて素晴らしいのだが、それよりも、演奏中も休憩中も、静物画のように固まった彼らの顔に何よりの興味をそそられた。それは、全く微動だにしない彼らが、一体呼吸をしているのかしていないのかが分からない、というハラハラ・ドキドキのサスペンス映画並みのスリルを観客に与えているからに他ならない。私は呼吸するのも忘れ、じっと目を凝らして彼らを見つめ続けた。
 彼らの、見事にこんがりと茶色に焼けた肌の色に、熟成した燻製ベーコンを思い出させ、額に深く刻み込まれた数本の皺に、ペットショップで見たブルドッグを彷彿とさせた。彼らの顔をいつまで見ていても飽きることはなかった。

 彼らは、無事にカーテンコールまで演奏し終えた。集中して鑑賞していた私は、演奏終了の瞬間、肩の力が抜け、どさっと力尽きてしまい、思わず背もたれの無い椅子にもたれ掛かろうとして、ひっくり返りそうになった。ドリフや吉本新喜劇のような派手なリアクションをしでかした私に、周囲の観客のアジア人は、私を見て、みな含み笑いしていた。私は何事も無かったかのように立ち上がりながら、「派手なコケっぷりが面白いのは万国共通なんだ」と、彼らの含み笑いを思い出し、小さな満足感を感じていた。

 高齢のお年寄りたちの豪快な演奏の余韻が胸の内に浸透している中、一行は演奏会場を後にした。
 ホテルへと向かうバスの中で、私は目を閉じて、おじいちゃんたちの迫力ある演奏を想った。
 今日は、寝付くまでずっと、いや夢の中でもずっと、あの古典ビートが胸を震わせるだろう。この胸のドキドキは、音楽の鼓動? それとも、あのおじいちゃんたちへの胸のトキメキ?
 ……今日は、いい夢を見るといいな。

 私の期待をよそに、その日の夢に出てきたのは、おじいちゃんを燻製して作ったカリカリベーコンの入ったシーザーサラダだった。

【第4章 第1節へと続く】


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コメント

こんばんは♪壁紙、変えたんですね!なかなか乙女チックです(笑)

>私の期待をよそに、その日の夢に出てきたのは、おじいちゃんを燻製にして作ったカリカリベーコンの入ったシーザーサラダだった。

……なるほど(^^;)。普段から、シュールな夢をご覧になるようですね。小説「うたかたの道」での悪夢も、現実に琉球の宮さまが観た夢がヒントになっていそうですね。

また、参ります。おやすみなさい♪

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