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書籍映画レビュー2

 


 

書籍  狭き門
 (著者)ジッド (翻訳)山内 義雄

 「源氏物語」の大君を髣髴とさせる、気高く凛としたアリサの生き様。 女性はこうあるべしと定型化を強く求められた時代に、 かくも美しく強い人が描かれたのか、著者の先見の明に開眼させられる。

 純愛もの作品が頻発する現代において、やはり本作が純愛の豊潤なピュアオイルに満ちているように思う。
 愛は永遠ではないために、その純愛性が神秘化、神格化されるが、病で死ぬという偶然に引きずられて引き裂かれるものではなく、 自らの意思でもって退く自制の愛が、すなわち純愛だと思う。ロミオとジュリエットに然り。失楽園はどうかは知らないが・・・。
 私がエッセイ「純愛論」を書くきっかけになった作品。何度読んでも胸を打つ。ジェロームの名を叫ぶアリサの姿はフランスを越え、万国共通に涙を誘う。

 ジェロームとアリサは従兄妹同士で死に別れたが、 著者ジッドはそのモデルとした姪と結ばれた。その結婚も長くは続かなかったが。 著者の人生と作品の人生を重ねる時、物語にリアリティと説得力を生む。 「青春の愛」の凄みを感じさせた作品だった。

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映画

 スーパーサイズ・ミー
 
モーガン・スパーロック,他

 これは単なる人体実験のオバカ映画ではない。

 モーガン・スパーロック監督が生活の拠点に選んだ地域は、全米で最も失業率が高く、犯罪率、肥満率、ファーストフードの多い地域であった。
 これらから導き出されるものは何か。そう考えて作品を見ると、この作品は格差という現代への警鐘が色濃く描かれていて、非常に意義深いことが分かる。

 本作を見るまでは、単に肥満は、高価で美味しい物を沢山食べる豪奢な富裕層の原罪的な問題かと思っていたが、それは全く逆であった。貧民層が、安価で高脂肪食・低栄養のファーストフードを食べるしか生き延びる道は無く、それを食べ続けた結果肥満になるのだ。まさに、格差社会の縮図。

 富裕層は金を出してジムに行き、また外科手術によって脂肪や胃を小さくできるが、貧民層は肥満のまま、不健康まっしぐらで死に至る。
 肥満が死亡率NO1のアメリカでは、痩身の金持ちと、肥満の貧民との間で、選民、すなわち「ノアの箱舟化現象」が起きているように思われてならない。
 貧民達は、悲しい哉、金が無いから安いファーストフードを食べたり安い酒を飲むしか、生活の苦しみを癒すストレス発散法が無いのだ。お腹一杯スーパーサーズミーを食べた一瞬一瞬の満腹感しか、貧困という現実の苦しみから解放してくれる方策が無い。貧困と肥満の無間地獄である。
 早く気付いて欲しい。金のかからない健康法で生き延びることができることを。

 メタボリックで騒ぐ日本も対岸の火事ではない。

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映画  モーガン・スパーロックの30デイズ vol.1
 モーガン・スパーロック,他

 一見すると、テレビ朝日系列「黄金伝説」の1ヶ月1万円生活のような30日限定の無謀なチャレンジ企画だが、社会的問題点を深くえぐる芯のある描き方は、普通のテレビドキュメンタリーと一線を画している。

●最低賃金生活で30日間
 ラブラブな婚約者との意気揚々としたチャレンジ生活スタートが、徐々に最低賃金ゆえの不和へと繋がっていく。
 最低賃金は、人間として生きるための文化的な最低ラインすら、存在しない。社会保障が受けられないためにちゃんとした治療も受けられず、ドラッグ密売のアブナイ居住地にしか住めず、極貧の食べ物は髙カロリー低栄養で、不健康のトリプルパンチ。そりゃ婚約者に声を荒げたくもなる。脳に栄養が行き渡っていないのだから。
 夜中銃のドンパチに脅えながら、虫の群がる寒い床で震えながら眠ること、これが果たして人間的な生活と言えるのか。自らの生を全うすることもままならない、奴隷生活だ。
 モーガン・スパーロックの提起は深くて重い。犯罪率と失業率の関係や、夫婦の不仲(DV)と女性の経済的自立の問題とが、深く関わっていると強く実感した。

●アンチエイジングで30日間
 人間がいつまでも若くいたいという欲望は果てしない。しかし年を取ることに逆らうことは、神への反逆になる。だからこそ、被験者は実験前後で精子量が激減してしまったのであろう。恐ろしき事態。

 細く若く美しく、という企業のあおった価値観にいざなわれ、未認可薬剤に手を出す者は数知れない。その者たちが身体に何らかの副作用で障害を負った場合、薬を販売した企業には責任があっても、若さ・細さ・美しさという価値観をメディアを通して刷り込みした企業には、何らお咎めが無い。
 消費者の購買欲を高めるだけ高めて、消費者が傷ついても、知らぬ存ぜぬ、あとは消費者をポイ捨て。神に歯向かうアンチエイジングの不気味さの陰に、消費者の価値観を思いのままにコントロールし冷ややかに笑う企業を感じ、背筋が寒くなった。

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映画  モーガン・スパーロックの30デイズ vol.2
 モーガン・スパーロック,他

●イスラム教生活を30日間
 キリスト教とイラスラム教の派生の根っこで、「神様が同じ」というのには、とても意義深いものを感じた。

 人間は同じ、何も変わらない。取り扱いは等しくあるべき。思想は違って当然、人間は異なるものだから。相互の文化を尊重する。過度に干渉しない――。

 マイノリティーを尊重するのは、エセ民主国家であればこそ、難しい問題だ。多数決原理には、少数派の意見を尊重しながら、討議を重ね、折衷案を見出していく。それが、多数派ごり押しで何もかも決めてしまう米国や日本では、それが深い禍根となって、国の歴史に影を落としていく。戦争、平和、福祉、教育、国の根幹に関わることだからこそ、少数派の意見を取り入れる重要性に気付いてほしい。
 戦時下になると、自国の戦意を高めるために、嫌悪する価値観を刷り込み、少数派を排斥していく行政・立法政策が採られてきたのが常だ。排斥して選民意識を高めていく、ナチスドイツや戦前日本の例をとってもそうだ。
 911以来の右傾化し歪んでいったアメリカ。石油資源の前にして人命がかすんでしまう国。言われ無き偏見で苦しんだアラブ系の人たち。肌の色だけで人間らしい生活ができないなんて。
 国に漂う作られた雰囲気によって、人を理解するという単純で当たり前のことができない恐ろしさ。イスラム教生活を観ていて恐怖を感じるとともに、イスラム教に心を通わせる敬虔なクリスチャンの白人男性に、人間性への信頼と、僅かな希望を感じた。

●ゲイと一緒の生活
 元々、ゲイについて何らの知識の持たなかった私だったが、この作品を観て、性的少数者のマイノリティの方々を理解をする第一歩を踏み出すことができた。
 ゲイを心から嫌悪する敬虔なカトリック教徒の男性の被験者が、ゲイの男性とともに過ごす30日間。当初想定していた恐慌状態とは打って変わって、ゲイの人たちのためのプロテスタントの牧師と触れ合うことから、被験者は徐々に心を開いていく様は感動的だ。
 エッセイ「はるな愛という希望」を書いたきっかけとなった作品。  

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映画  モーガン・スパーロックの30デイズ vol.3
 モーガン・スパーロック,他

●酒浸りで30日間
 どんなに理性で自らを制する人でも、酒の破壊力には遠く及ばないことが、本作を観て分かった。
 酒が百薬の長と言われるのは、適度な量であり、決して酒浸りからは百害しか生まれない。
 ベジタリアンでハツラツとした母親のチャレンジ酒浸り生活、という表面的なテーマも凄いが、それよりも、若者層に深く広く浸透した誤った酒への知識で蔓延したアルコール依存症の恐ろしい実態である。
 企業は酒の利点ばかりを挙げ連ねて酒を売り、若者たちは美味しい酒に連日連夜溺れ、アルコール依存症に邁進していく。何も知らないまま酒を一気飲みし、急性アルコール中毒で尊い命を散らした者も大勢いる。
 若者のたまり場では、安易に酒を飲む女子学生が酒に混入された薬で昏睡レイプされ、アルコールで意識混濁した若者は、善悪の分別無く薬物を取引する。酒を飲まない大人たちの闇社会が、何も知らない若者達に酒を飲ませ、闇の世界に引きずり込もうと手ぐすねを引いている。
 飲酒の良い面ばかり取りざたされる中で知らなければいけない側面である。適度の酒、という重い響きが胸にずっしりと残る。

●自給自足で30日間
 合理主義、自由主義、人間が人間らしさを失い、機械に依存し、生活全てが機械化していく昨今の中で、この自給自足への取り組みは、合理化に慣れすぎた人間が、人間として営みや心、すなわち人間らしさを取り戻すという、モーガン・スパーロック30デイズ第1シーズンまとめ(締め)の作品である。

 物が生まれる過程には、より便利・合理的・低コストなどの試行錯誤が存在するが、過度の便利・合理化・低コストは、生活をオートメーション化し、人間らしさを失わせる。
 物を書くのにパソコンに依存し、漢字は忘れていく。沢山本を読んだ気はするものの、目を通すのはインターネット上の信憑性の分からない膨大なWEB情報のみ。大型ショッピングセンターで買物をし、外国産の食べ物を買い、合成洗剤をわんさか購入し、家中に撒き散らす。夏場冬場ともに冷暖房完備の場所に居座り、匂いが気になればエアゾールスプレーを振りかける。

 地球への負荷という点で、ひとつひとつが1本の線で繋がっていることを、人々は余り意識を働かさない。面倒だから。合理化万歳の刹那主義。

 嗚呼 悲しいかな、地球は泣いている。負荷を減らす小さなことの積み重ねは、それ自体が大切なのではない。なぜそれが大切なのかを考えることに意義があると私は思う。なぜマイバックなのか、なぜ省エネなのか。クールビズは、ポイ捨ては、地球に優しいとはどういうことか。考える時期が来ている。

 人間へ戻ろう。

 自給自足の生活はそう我々に告げている。自分たちが食べる分の野菜を作り、食する。余剰は生まれないが、豊かさはある。遠距離にはバイオ燃料の車を利用する。公共交通機関や乗り合い自動車を使う。太陽電池で電気を賄う。地球に負荷をかける化学洗剤類は使用しない。「宵越しの金は持たない」と言った江戸の粋人たちの身の丈をわきまえた生き方を思い起こさせる。
 面倒だから何? 物の便利さは身体が不自由な人が快適に過ごせるためには必要でも、そうではない人は少しくらい不便で、ともにお釣りが来る。面倒は決して悪ではない。  手に物を取り考える余裕のある生活――その余裕を生むには、経済的な余裕も必要だという刷り込みが自らを苦しめる。
 便利なものは要らない。人に見せびらかす物も要らない。健康であればこそ。人間らしさとはそういうことなのだと思う。

 全作を観て、モーガン・スパーロックの問題提起の奥深さに脱帽した。門下生として弟子入りしたいくらいである。

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