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運命のエスカレーター 1

 


 

◆ストーリー概要◆

 友人の誘いで無理に参加した人数合わせの合コンで、内気で気弱な美香は、ひときわ目立つ隆治に心を動かされたが、進んで話しかけることもできず、独り後悔していた。

 失意の数ヵ月後、偶然にもすれ違うエスカレーターの反対側で隆治と再会した美香は、思い切って隆治に接触する。運命の歯車はついに動き出した。

 しかし、幸せの絶頂にいた美香を待ち受けていたのは、美香に対する隆治の常軌を逸した執拗な束縛だった――。

 絶望と闘いの果てに美香のたどり着いた先とは。恋愛サスペンスミステリー。


◆ 第1章 ◆

 あの運命的な出会いは、エスカレーターの右側で始まった。

 上昇するエスカレーターの左側で、モーターの鈍い振動を感じる手すりに身体を預けるようにして立っていた美香は、目の前に置いたスーツケースから起こした視線を、反対側の下降するエスカレーターへと向けた。
 片側に佇み、エスカレーターの到着点を待つ静止画のように動かない人々とは対照的に、次々と足早にエスカレーターを駆け下りる人々の流動的な流れを、美香はぼんやりと眺めながら、あの日のことを思い起こしていた。

   

 あれは確か、昨年の冬の始まる寒い日だった。

 寒い木枯らしの吹き込む東京の駅の入口で、先日デパートで買ったばかりの白いコートに身を包み、首をすぼめるようにして、急ぎ足でエスカレーターに乗り込もうとした美香は、後ろの人込みに押されるようにして、普段なら左側に乗る習慣だったはずが、偶然にも、その右側に乗り込んでしまった。

 ヒール靴を履いている足の疲れもあり、立ち止まる人々と同じ左側に立ってエスカレーターの動きに身を委ねて休みたかったものの、数珠のように隙間無く連なった人々の間に分け入る勇気を持ち合わせていなかった美香は、仕方なく右側の流動的な流れに任せる他は無かった。

 普段はエスカレーターの左側に立つと、壁に張られた黒いフィルムを鏡代わりにして、自分の姿を映して髪形を直すなどしていたのだが、今日は右側に立っているために、左右に壁は無く、美香は所在無くしばらく左右に視線を泳がせていた。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 長いエスカレーターが半分以上進行した頃だろうか、ふと何気なく、上昇するエスカレーターの右側に併設された下降するエスカレーターに目をやると、その下降する人の波の中で、少し遠くに見覚えのある顔を見つけた。

 すらりとした長身の色白の細面に、美香は思い当たった。徐々に近づいてくるその姿に、次第に鮮明になる美香の記憶は、確信を得た。
 名前はきっと――隆治、そう、隆治くんだ。間違いない。

 少しずつ近づく彼の姿に、美香の胸は高鳴った。
 彼が私のことを気付いたらどうしよう。手を振ろうか。いや、私のことを、彼はそもそも覚えていないかもしれない。

 迷っているうちに、彼の姿がはっきりと見えてきた。
 美香は思わず目を見開いた。
 「あ!」と思わず口に出した美香の驚きの表情を、下降するエスカレーターに乗った隆治が気付いた。上昇するエスカレーター側に乗った美香を見て、隆治は表情を緩ませ、軽く手を上げた。

 彼が私のことに気付いた!

 一気に鼓動の激しくなった胸を沈めるために何度も深呼吸をしながら、美香は緊張でこわばった顔に無理に笑顔を作り、小さく手を挙げて振った。手を大きく左右に振って彼にもっと気付いて欲しかったが、緊張してわななく身体では、ほんの少し手を上げてわずかに手を動かすことで精一杯だった。

 上昇するエスカレーター、下降するエスカレーター。
 見つめ合う二人。

 二人の距離が縮まると、美香は近づく隆治の姿を直視することが恥ずかしくなった。顔を伏せたくなるうつむきがちな顔をしっかりと上げて、勇気を出して微笑むと、意外なことに、隆治も美香のほうへ目を向けて、目を細めた優しい表情で笑みを浮かべた。その笑顔の眩しさは、美香の心に残像として強く残った。

 彼とすれ違った後、どうしても気になり下降するエスカレーターを振り返ると、偶然にも隆治も振り返って美香の方向を見ていた。手を上げて再度合図しようか迷っているうちに、隆治の軽く上げた手がわずかに見えたところで、美香の乗ったエスカレーターは上り切った。

 乗り込んだ電車の窓際に立ち、過ぎ行く街の景色を眺めながら、服の上からでも動悸が分かるほどに、美香はまだ胸を激しく弾ませていた。肩を上下させて呼吸を何度も繰り返した。ちゃんと踏ん張って立てないくらい、緊張で足がガタガタと震えていた。

   

 ――隆治くん。

 確か、2年前の合コンだったと思う。
 居酒屋で行われた男女5人ずつの飲み会に、友人の瑠奈の男友達が連れて来た人が、隆治だった。
 内気で引っ込み思案の美香は、自己アピール合戦のような騒々しい合コンに参加するのが苦痛で、いくら誘われても断るのが常だったのだが、「欠員を出したら本当に困るの! お願い!」という瑠奈の懇願に根負けし、仕方なく、足りない人数を補うために参加したのだった。

 対面式テーブルの斜め前に座る隆治の、ポンポンと弾むような明るく元気な話し方と爽やかな笑顔を見た美香は、自分が一瞬で彼に惹かれたのを知った。
 180センチを余るすらりとした細い長身はやや華奢な印象を与えたが、長年バスケットボールをやっていたと話す彼のTシャツの袖の隙間から覗く筋肉質の二の腕は、彼の剛健さを物語っていた。
 切れ長で涼しげな聡明な輝きを持った隆治の視線が自分に向けられる度に、美香は恥ずかしくて顔を横に向けて目線を逸らしてばかりいた。

 なんて素敵な人なんだろう。彼を見ていたい。でも見られない。私なんか、どうせ・・・。私なんか――。

 和気あいあいとした楽しげに盛り上がる話の輪に入ることが出来なくて、美香は飲み会の席で少し孤独だった。

 帰り際に隆治から連絡先を聞かれたが、美香は左右に首を振るばかりで恥かしくて答えることが出来なかった。連絡先を教えない自分に業を煮やしたのか、連絡先を書いた小さな紙片を自分の手の中に押し付けた隆治の、名残惜しげに見つめる悲しげで真剣な瞳を思い出し、美香は飲み会の帰りの電車で泣いてしまった。

 飲み会の後もずっと、美香は繰り返し何度も思い出す隆治の面影ばかりに心を奪われて、茫然自失の状態で何も手につかない日々を送っていた。隆治の細かな字で連絡先の書かれた紙さえも、ただ見つめるばかりで、電話をかける勇気も無いままに、いたずらに時は過ぎ行きてしまった。いつしかその連絡先の書かれた紙も紛失してしまい、美香はとても後悔していた。

   

 マナーモードにした携帯電話が鞄の中で振動しているのに気付き、美香は携帯電話を取り出して確認した。メールの受信を知らせる表示が携帯電話の画面に踊っていた。
 送信元は友人の瑠奈だった。
「さっき、隆治くんから美香の連絡先が知りたいっていうメールが来たんだけど、どうする? 別に教えなくていいよね?」
 美香はとても驚いた。

 あの隆治くんが、自分に連絡をしたがっている! さっきすれ違ったときに自分のことが分かったんだ。美香の少し波が収まっていた胸がまた激しく鼓動を打ち始めた。急いで瑠奈にメールを返信する。

 教えなくていい、なんて、それは困る。過去に一度、彼から連絡先をもらいながらも連絡をしなかった後悔の念が、自分の心に焼き付けられた暗い影として未だに強く残っている。
 さっき起こった、エスカレーターでの運命のような出逢いを、今度こそ、確かなものにしたい。今度こそ、自分は勇気ある一歩を踏み出せる。

「わたしは隆治くんの連絡先を知りたい。私に隆治くんの連絡先を教えて」
 浮き立つ心を懸命に抑えながら、震える手で何度も打ち間違いをしながら苦心してメールを打ち、送信する。しばらくして瑠奈からの返信があり「隆治くんの連絡先」と書かれたメールの題名の下のメール本文に、電話番号とメールアドレスが記されていた。メールの末尾に書かれていた「隆治くんと関わるのはやめておいたほうがいいよ」との文面の意味はよく分からなかったが、美香は気にせず教えられたメールアドレスにメールを出すことにした。

「隆治くん。美香です。さっき、私とエスカレーターですれ違いましたか?」

 祈るような気持ちでメールを送信する。車窓から見える曇天模様の空と乱立するビルが、動揺する美香の心を反映したかのように、少し灰色にくすんで見えた。
 携帯電話が振動しメールの着信を知らせた。一度目を閉じて深呼吸をしてから、恐る恐る震える手でメールを見る。

「瑠奈から連絡あったんだね。ありがとう。そう、さっきすれ違ったのは俺だよ。久しぶりだね。2年・・・・・・ぶり?だよね。白いコートが良く似合っていたよ。もし良ければ、今度、一緒に食事でもしない?」

 美香は自分の全身に電流を貫かれたかのような痺れるような感覚に襲われた。
 暗いトンネルを抜けて突然新緑の畑に飛び込んだかのように、灰色でくすんだ景色が突如として鮮やかな色彩でもって美香の目の中に飛び込んできた。
 「やった!」
 思わず上げた歓喜の声に、周りの乗客から迷惑そうに睨まれてしまった。

   

 毎日やり取りする隆治とのメールは、美香を幸福感に浸らせた。
 「今、何してる?」「今、どこにいる?」から始まる些細なメールでも億劫がらずに返信する。自分のことに興味を持ってくれている隆治という掛け替えの無い素晴らしい存在が、美香には心底嬉しかった。
 朝から晩まで、二人は頻繁にメールを送り合った。

   

 週末に食事の約束を取り決めてからは、その日の訪れを指折り数えて待った。
 同僚からは「いいことあった?」と度々聞かれ、また上司からは「ミスが多い。舞い上がっている!」と何度も叱責された。
 仕事を終えて帰宅する途中に、デパートの服飾店に寄り、週末の食事の時に着る服やアクセサリーを選ぶなど、自分と会う彼の反応を想像しながら、美香は毎日心を弾ませて過ごした。

   

 待ちに待った週末がやって来た。
 何度も見直して検討を重ねた気合の入ったファッションに身を包むと、2年前の飲み会で気後れして「私なんか」と呟いていた弱気な自分が、少しだけ影をひそめてくれた気がした。
 しかしいざ待ち合わせ場所に立つと不安が少しずつ込み上げてきた。本当に彼は来てくれるのか。あの出会いは夢だったのではないか。携帯電話を開いて、何度も互いに送り合ったメールを見直し、彼は来る、きっと来る、ここに来る、と自分に言い聞かせた。
 待ち合わせは夕刻の6時だったが、腕時計の6時を指した短針の一方で、長針は既に15分を過ぎようとしていた。寒さでかじかんできた両手を顔の前でこすり合わせる。
 お願い、隆治くん、来て。

「ごめん、遅くなった! 本当にごめん!」
 美香の目の前を長身の身体が伸び上がるように立ち塞がった。見上げると、2年前とそしてついこの間エスカレーターですれ違い際に見た、あの爽やかな笑顔の隆治が、少しだけ申し訳無さそうに表情を曇らせて立っていた。美香と同じように顔の前に手を合わせて、しきりに「ごめん、ごめん」と頭を下げて謝る姿が、とても必死そうで、思わず美香は笑ってしまった。寒さで冷えた頬に血が巡り温かくなったのが分かった。

 食事は室内楽の流れる静かなイタリアンレストランだった。夜景の見える窓際の席で、二人はシャンパングラスで乾杯を交わした。2年前に出会ったとはいえ、あの飲み会の席では一度も会話を交わすことの無かった二人だったが、おずおずとした美香の消え入りそうな話し方に合わせるように、隆治は優しく相槌を打ち、美香の話に耳を傾けていた。
 隆治は自分の待ち合わせの時間に遅れたことの理由に、「さっき事件があって」と簡単に説明して、スーツのポケットから顔写真の入った警察手帳を取り出して見せた。「あんまり外で見せると怒られるんだよね」と言って恥ずかしそうに手帳をすぐにポケットにしまった。
 「警察官・・・だったんだ」と目を丸くして驚く美香に、「いざとなったら美香を守ってあげるからね」と隆治は上手にウインクをして見せた。

 夢のような食事の時間はあっという間に過ぎ、二人は食事を終えて店の外に出た。
「駅に向かおうか」
 隆治に促され、二人は歩きながら話した。もっと駅が遠ければいいのに、と二人の会話の終わりを思い、美香の心は締め付けられるように痛んだ。

 駅の改札の前で、美香は隆治に食事のお礼を告げた。
「また、連絡してもいい?」
 もう二度と隆治に会うことができないのではないかという恐れで少し顔をこわばらせて聞く美香に対し、隆治は大きく頷いて答えた。
「もちろん。また二人でどこかに行こうね」
 隆治はおもむろにスーツの内側から透明の包装紙でラッピングされた一輪挿しの赤いバラを取り出した。その思いがけないロマンチックな計らいに言葉を失う美香に「やっと出会えた記念に」と隆治は照れたように渡すと、足早に改札から離れて遠くの駅の入口に立った。
 美香は名残惜しげに何度も振り返りながら改札を抜けて、雑踏の向こうを見ると、頭を一つ飛びぬけて手を振る隆治の笑顔が見えた。こわばっていた顔をようやく笑顔にして、美香はバラを手に、遠くの隆治へと振って見せた。

 帰りの電車に乗り携帯電話を見ると、既に隆治からのメールを受信していた。
 「今日はありがとう」というメールの題名に始まり、美香に会えた喜び、食事の席の楽しかったことなど、長々と連なった文章は、美香の胸を一杯にした。頬を触ると火照ったように熱く、電車の明るい車内灯の下、車窓に映った赤らんだ自分の顔を見て、恥かしく消え入りたくなった。紅潮し緊張した顔で美香は隆治のメールに細々と返信した。

   

 週末の度に食事やショッピングなど、一緒に過ごす生活が2ヶ月ほど続いた。
 クリスマスには、美香と隆治は長い夜を外出先の宿で初めて一緒に過ごしたのだった。
 「ずっと、二人で一緒にいよう」
 隆治の囁くような甘い言葉に、美香は頬を染めて頷くだけだった。
 二人の会話にもはや言葉は要らなかった。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 幸せな時間は長く続くと思われたが、異変は意外にも早く訪れた。

 それは、年明けの数日後、隆治と美香が初詣に出かけた時だった。

 人込みを避けるために参拝客の少ない神社に出かけ、参拝した二人は、その帰り道、降り積もった枯れ葉で茶色くくすんだ境内を歩きながら、取り留めない会話を交わしていた。

「ねぇ、今度、私、映画を見たいな。正月映画で見たいものがあるんだ」
 互いに絡み合わせた手を揺らしながら、美香は隆治の顔を見上げるように言った。
「そうだよね、『○○』って映画、美香に好きな俳優が出ているよね」
 隆治の言葉が美香の脳に届くのに、数秒を要した。
 思わず足を止める。
「隆治くん・・・・・・私の好きな俳優を知ってたの?」
 美香が不思議そうに尋ねる。
「もちろんだよ。どうして?」
 隆治はさも当然であるかのような口調で答えた。
「どうしてって・・・・・・それをどうして知っているのかなって思って」
 美香は言葉を区切るように、ゆっくりと尋ねた。
「美香の好きなことなら、俺は何でも知ってるよ」
 隆治は嬉しそうに言った。

 美香は、二人で映画の話をした際に、自分の好きな割と知られていない俳優の名前を口に出した記憶は全く無かった。正月映画に自分の好きな俳優が脇役で出演するのを知ってから、彼にこの話をして正月映画に誘うつもりだったからだ。彼はこのことをどうして知っているのだろうか。

「そう・・・」
 美香が突然表情を暗くしたのを見て、隆治が眉をひそめた。
「どうしたの? 俺、何か気に障るようなこと言った?」
「ううん、何でもない」
 美香は首を振って、隆治に笑顔を作って見せた。そして彼の手をぎゅっと握り締めた。

 気のせいだ、何でもない、と何度も自分に言い聞かせる美香だったが、「美香の好きなことなら、俺は何でも知ってるよ」と言った隆治の言葉が気になった。
 投げ入れられた疑惑という小さな小石の波紋は、長く美香の中に留まり続けた。

 これが、美香が隆治に対して、初めて疑惑を抱いた瞬間だった。

   

◆ 第2章へ続く ◆


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