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海外旅行、旅券無し。

 


 

 さてと、風の吹くままに私が赴いた地は、台北の地であった。

 台北は、アーモンドのように細長い台湾という島国の北に位置する大都市である。アジアでは最も貿易の盛んな、アツイ都市だ。

 パスポートも現金も一切要らず、思い立てば即出発という、我が身の破格の身軽さに驚嘆しながら、ほぼ寝巻き同然の着の身着のままで、ふわりふわりと空気中の微粒子と戯れるたんぽぽの綿毛の如くに、私はふらりと台北は台2甲線、陽金行路に着地した。

   

 南に高くそびえる山を背後に、曇り空からこぼれ落ちる陽光に照らされた、瑞々しく健康的に生い茂った草木の連なりを道の両端にして、黄色い中央線の鮮やかな舗装されたゆるく右曲がりの一車線の道路を真っ直ぐ進む。

 やがて、道の左右にどっしりとたくましく、天までそびやかした青葉の鮮やかなガジュマルの大樹を通り過ぎ、ヘルメットのような笠を取り付けた電球のぶら下がる、空に向かって緩く曲がった鉤型の外灯を目で追うと、その北側には緑のあぜ道で綺麗に区画された芽吹きのまだ無い田畑のこげ茶色の鮮烈な色合いの印象的な、のどかな農村地帯の広大な広がりを望むことができた。

 歩みを進める中で、立て据えられた大きなカーブミラーを幾つも散見したが、それは右側通行のためか道路の進行方向右側に設置されており、人の背丈の高さほどしかないために、なるほど、ここではオートバイなどの二輪車に対してカーブミラーの利用を求めているのだな、と合点した。

 左右にどこまでもうねる道の両端の遥か先には、霞の中からすうっと顔を出したかのような薄く真っ白に霧がかかった雄大な山々を望むことができた。

 しかし、いくら進んでも農村地帯から抜け切ることは無い。

   

 私は左右を振り返り、周りに人の居ないことを確認した。どこまでもうねる緑の波。

 大丈夫だ。

 私は意を決して、胸元に縫い付けられた大判のポケットの中から、ショッキングピンクの木材を取り出し、地面に軽く放り投げた。
 すると、それは音も無くみるみるうちに私の背丈以上の大きさになり、やがて、アンティーク調の彫りの美しいピンクのドアの建具となり、それはアスファルトの地面の上に、どっしりと仁王立ちするかのようにピンと直立した。
 私は、そのドアに取り付けられたドアノブを手にし、一気に開いた。

   

 次に私がやって来たのは台北市にある迪化街一段という土地だった。

 道の両側は古ぼけた3階建てのくすんだ赤や緑のレンガの張られた建物により隙間無く埋め尽くされていた。
 その道を橋渡すように掲げられた赤い横断幕には、繊細な龍の図柄が描かれ、それに重ね合わせるように赤い縁取りをした白い筆文字で「年貸大街・・・」と立派な漢字が書き綴られていた。

 左右のそびえ立つ建物と建物の隙間から見上げた空を細分するように建物間を横断した何十本もの電線には、金色の装飾の施された赤いちょうちんがいくつも吊り下げられていた。
 漆黒の闇夜を華やかに彩る赤いちょうちんの幾つものゆらめきは、ネオン輝く台北の夜の街で酒宴に明け暮れる人々の喧騒と見事に調和する、揺ぎ無い逸品だ。

 建物からせり出るように設けられ店の軒を連ねている幾枚にも重ねられた灰色の波打ったトタンは、所々赤茶けてその粗末さを際立たせていて、その上には、トタンを風で吹き飛ばさせないようにするためか、端と端とを結束したひょろ長い竹の棒が無造作に横置きされ、軒先を一直線に結んでいた。 

 店先に所狭しと山と詰まれ並べられた雑多な商品の数々に、商魂逞しく暮らす生き生きとした台北の人々の生活を少しだけ垣間見たような気がした。

 さてと、私は風呂でも入ろうかと、大きく伸びをし、名残惜しげに、Googleマップのストリートビューを一瞥し、やがてそのブラウザを閉じ、パソコンの電源を落とした。

   

 これは全てGoogleマップのストリートビューで画像を拝見しながら書き綴ったものです。

 執筆しながら一番感じたのは、いくら書いても「書きにくい」ということでした。

 このストリートビューは鮮明な現地の画像という人に視覚を与えるものですが、これは五感のうちの一感のみの感覚にすぎません。
 残りの感覚――嗅覚、聴覚、味覚、触覚――これらが欠落していると、いくら紀行文として書いたとしても、文章に動きが感じられず、静止画を見て書いた、という文章になってしまうのです。

 屋台から漂う甘辛タレの香ばしい匂いに誘われて、赤提灯の下をくぐる。
 板切れを繋いだような汚いテーブルの横で、小さな丸椅子の上の埃を払って腰掛けながら、網で焼かれる焼き鳥を覗き込むと、網を焼く備長炭の強い熱気が、むっと顔を包むように押し寄せてきて、思わず首を引っ込める。
 「ほら、砂肝ふたつ」
 威勢のいい声を掛けて、店主は再び網に肉を並べ始めた。
 私は焼き鳥をその熱さに目を白黒させながら、それを口いっぱいに頬張ると、噛むごとに口中に広がる甘辛タレと肉の旨みに、思わず目を緩ませる…

 どこかの焼き鳥の屋台に行った気持ちで書いてみました。

 いつか経験したことを下地にして書いているので、視覚のみでは構成されていません。匂い、音、空気、手触り、料理の味、これらをいくつかを組み合わせて感じる経験こそ、大事なのだと感じました。

 世界各国を詳細に画像で知ることが出来るという素晴らしい技術だとは思いますが、ただ、私のような素人からすると、映画「エネミーオブアメリカ」を彷彿とさせるくらいに鮮明なGoogleストリートビューには戦慄を覚えずにはいられません。
 そこにいつか、静止画ではなく、ライブ映像が流れることを危惧せずにはいられません。

 管理社会の到来。

 書き終えてふと、本棚にあったオーウェルの「1984年」を思わず手にとってしまったのでした。

 昔旅をしたのは中国は桂林。風光明媚という名の如く、水墨画の世界にどっぷり漬かれる情緒豊かな町でした。実際に現地で感じる空気感。何物にも替え難い。


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