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オバアの指輪

 


 

 オバアは決まってこう言う。
「なんで早く死なないのかねえ・・・」
 息も絶え絶えし、言葉を押し出すように、繰り返し何度も。

 オバアの口元へスープをよそうスプーンを握った私の手がぴたと止まる。思わず横顔のオバアを黙って見つめると、オバアの目尻から涙がじわっとにじみ、伝い落ちていった。
「仏壇のおじいが、まだこっちには来るなっていってるよ」
「そうかねぇ…」
 しわがれた声はともすれば今にも消え入りそうだ。
「そうさ。まだまだオバアはがんじゅーさ※」
 (※がんじゅー=元気/沖縄方言)

 ガラガラドーンと激しい雷鳴がした。

 ポツリポツリの雨は次第に本降りとなり、やがてベランダの軒先のトタン屋根が雨に激しく打たれて、痛々しいまでの雨音を響かせ始めた。
 騒々しい雨音を静かにしようとアルミサッシの窓を閉めるべく、スプーンをスープ皿に戻し、介護ベットそばの椅子から立ち上がる。

 豪雨だった。
 雨は容赦なく地面に叩き付けられている。それはまるで、数千、数万、数え切れないほどの天から降ろされた白い紐が地面と結ばれているかのような不思議な光景だった。
 ベランダに出て雨の匂いを嗅ぐ。薄暗い雲の下、見渡す限りの雨の筋。豪雨はまるでハープの弦みたい、ふと思う。

 窓を閉めた途端、むっと室内の熱気がたちこめる。扇風機を回そうかと考え、オバアは扇風機を嫌い、自然風を好むことを思い出す。
 少しだけ窓を開け、奥の部屋の窓も開けて風の通り道を作る。

「寝かして」
 オバアのこの言葉は、昼飯はもういらないというサインだ。手元のスイッチを押すと、モーター音がして起き上がっていたベットがゆっくりと沈み込むように倒れる。オバアはうなり声を上げながらベッドの倒れるままに任せる。スイッチを押してベッドの高さを調整し、次にオバアの頭を持ち上げて枕の移置を直す。
 枕を直した手をふと止めた。オバアのふさふさと生えた髪。銀髪と黒髪の混じった豊かな髪。昔はよく白髪を抜くのを手伝ったっけ…
 思わずオバアの手を取る。昔はふっくらとしていた指。
 そう、肉が緊密に骨の周りにまとい、毛細血管が指の先の先まで張り巡らされていた。表皮と中の肉が密集し厚みをなし、中身がぎゅうと詰まりぴんと張った肌。赤みを帯び、豊かな肉付きだった頃。
 それが今では骨が透けそうなくらい肉が無く、毛細血管はもう指先まで血を運んでいないかのように、指はかちこちに固まっている。表皮と中の肉が分離し、表皮はつまめそうに薄い。

 明治、大正、昭和という激動の人生をこの手で切り開き生き抜いてきた。この手の皺の一本一本に歴史の重みがある。
 戦争のことを多くは語ってくれなかったが、鉄の暴風が吹き荒れて焼け野原だったこの地で、家族を守り、強くたくましく生きてきた。

 オバアの手を取り、ハンドクリームをつけて優しく撫でる。皺の一本一本に染み渡るように、心をこめて優しくさすり、手を包み込む。
 私の手の温もりがオバアに伝わり、毛細血管が指の先の先まで流れますように、と心を込める。
 オバアの横顔を見ると、涙はもう無かった。


 冷えた手の皺の刻みひとつひとつに、幾重にも織り上げた人生を感じる。

 その時、ベッドに朱色の陽が差し、私は驚いて身体を思わず横に傾けた。私の傾けた身体を覆い被さるようにして差し込んだ夕焼けは、オバアの指の金の指輪に一瞬反射して輝いた。
 
 雨はもう止んでいた。


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