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戦慄のエアポケット

 


 

◆ストーリー概要◆

 「私、人を殺めたことがあるんです――」

 大都会のビル街の真ん中にひっそりと佇む古いさびれた美容室。そこへ偶然立ち寄った私は、穏やかな語り口で身の凍るような話を始める店主の言葉に、思わず息を飲んだ。

 妻と愛人の命を奪った血染めのハサミで平然と私の髪を切る美容師の店主。やがて店主は妻と愛人を塗りこめた壁に私を案内するのだが――。

 あやなくも気付いてしまった人だけの落ちてしまう空気の落とし穴――エアポケットの恐怖。白昼夢のような不思議な体験をどうぞ。


「私、人を殺めたことがあるんですよ」

 美容師の言葉に、手元の雑誌をめくるのに集中していた私の手が止まった。
 私は思わず顔を上げ、目の前の鏡の中に映り込む、美容師の顔をまじまじと眺めた。

「本当ですよ。私、嘘なんか言いません」

 美容師はそう言って鏡の中の私に微笑みかけた。
「それで、今日はどんな髪型になさいますか?」

   

 ある日思い立った私は、髪を短くするために、とある美容室に入った。

 都心に程近い近代的なビルの立ち並ぶ中にあるその店は、どことなく下町風情の漂う古びた印象の美容室だった。
 外壁の半分以上を蔦に覆われて、店の看板はまるで読み取れなかった。
 中に入ると、客の誰もいない店内で、待ち合い用の年季の入った革のソファーに美容師である店主が寝転んでスポーツ紙を読んでいた。

 壁には色褪せた美容ポスターが何枚も乱雑に張られ、棚には埃を被った漫画本が山のように積まれていた。
 部屋の隅には枯れかけの観葉植物の鉢が幾つも置かれ、そのうち横倒しになった数鉢からはカラカラに乾いた細かな土がこぼれていた。

   

 私は呆然として美容師である店主を眺めた。
 店主は戸惑った顔つきになり、
「どうかなさいましたか?」
「いえ……」私は口ごもった。
「それでは髪型はどうなさいますか?」
「短く……してください」
「かしこまりました」

 店主の応対は至って丁寧で手際も良い。
 頭の少し薄くなりかけた少し小太りの恰幅のある肌艶の良い体型は、どこにでもいるおじさんという雰囲気を醸し出していて、その温厚そうな印象に私は好感を持った。

「最近この街には大きなビルが増えましてね」
「はぁ……」
「ほら、通りの向こうはみんなそうですよ。この店の両隣だけではなく真後ろにもビルが建ってしまいまして」
 店主の朗らかな表情からは先程の発言の名残を、微塵も感じさせない。
「それじゃあ、ビルで働く人たちがこの美容室を利用するんですか?」
 私が言うと店主は首を振った。
「ビルの人たちはちっとも来ませんよ。あなたのように、何気なく立ち寄る人たちがごくたまにいるくらいで」
「それじゃあ商売は大変ですね」
「商売が楽じゃないのはどこも一緒ですよ」
 そう言って店主はニヤリと笑った。

   

 しばらく雑談が続き、私は気になっていた話を店主から聞き出すことにした。
「さっきの話は一体どういうことでしょうか」
「さっきの……?」
「ほら、私は嘘はつきませんっていう……」
 慎重に選んだ私の言葉を、店主は、ああなるほど、と大きく頷いて、手にしていたハサミをキャスター台に置いた。

 鏡の中の私の目をじっと見つめ、「女房を殺したんです」と言った。

 その真剣な顔つきに私は背筋の冷たくなるのを覚えた。
「比喩的なものですよね。殺したようなものだっていう……」
 店主は笑って首を振った。
 ハサミを手にして私の髪を切り始めた。
「いえ、このハサミで刺したんです。あっけないものでした」
 笑みを浮かべる店主の手にあるのは血塗られたハサミなのか。

 私は自分の足が血の通わなくなったように冷たくなっているのが分かった。
 震える声で絞り出すように言う。

「なぜ、ですか」
「この店の奥にある休憩部屋に女房は男を連れ込んでいやがったんですよ。毎日、毎日。私が店で客の髪を切ってる最中にですよ」
「はぁ……」
「年末年始の忙しい時に客が立て込んできたのに女房は男としけこんで手伝いもしない。とうとう、ある日我慢の限界が来ましてね」
 私は髪にテンポ良くハサミを走らせる店主を見つめ、ゴクリと唾を飲んだ。
「それで……」
「男もろとも刺してやりました。私はこれでも可哀想なことをしたなと反省しているんですよ」
「それじゃあ、刺された二人は」
「そのまま休憩場所で息を引き取りました。死に顔が苦しそうであまりにもひどいので、どうにか埋葬してやろうかと思いましてね」

 私は「ひっ」という声を出し思わず息を呑んだ。

「ちょうど店を改装していたものですから、新しくできた納戸の壁に二人を塗り込めました。ついでにその納戸に仏壇も作ったんですよ」
 言うべき言葉が見つからない。黙っていると、店主が、
「帰りに仏壇を見てやって下さいよ。素人作りにしては結構手の込んでいる自慢の品なんです」
 私は目を丸くして、「け、結構です」と叫んだ。
「そんなこと言わないで下さいよ。お客さん。なに、香典をせびろうってわけじゃないですし」
 私は店主のおどけた口調の中に笑っていない座った鋭い眼を見つけ、コクリと小さく頷いた。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

「店もだいぶガタがきてるんでね、改装しようかと思ったのですが」
「はぁ」
「ここはビル街の真ん中ですからね、土地代が高騰していて、店を潰して土地を売って、売った金で別の土地に美容室作ったほうが儲かるみたいなんです」
「そうはしないんですか」
「できませんよ。取り壊すときに女房と愛人の死体が出てきたら困るじゃないですか。だから引っ越しも改装もできないんですよ」
「死体を掘り起こして別の場所に埋めるとか……」
「こう見えて信心深いんですよ、私。供養のために仏壇も手作りしたくらいですから。だから掘り起こしたくはないんです。障りが起こるのが恐いんです」
「それじゃあ……」
「後先考えずに納戸に死体を塗り込めたのがいけなかったんです。納戸は店の中心部分にありますからね。改装すべき場所にあるのが厄介なんです」
「なるほど……」
「そもそも、後先を考えていたら殺しなんか最初からしませんけどね」
「え、ええ」
 店主は私の髪を切り終えた。後頭部に置かれた手鏡を、私の前方に置かれた大きな鏡とを合わせ鏡にして、切り終えた髪の全体の仕上がりを確認する。
 やはり店主の美容師としての腕は良いようだ。

   

 私が椅子から立ち上がると、店主はにこにこ笑いながら、私に「こっちです」と手招きした。

 狭い店内の洗髪台の向かいにあるお手洗いの横に例の納戸はあった。
 意外に広く、2畳はある広さだった。入ると、カビっぽい湿気と少しすえた臭いがした。

「元々はただの掃除用具入れだったんですが、もう少しだけ拡張しようと、壁紙を剥がしたちょうど同じ頃に二人を殺してしまったんです。いえ、殺したのは別の部屋ですよ」
 そう言って店主は納戸の奥へ私を案内した。
「壁を叩き壊したら思ったよりも脆く崩れて、いい具合に空洞ができましてね。二人を中に押し込んでから隙間を埋めるように土を流し入れたんです」
 納戸の天井と左右の壁は何の変哲も無かったが、奥の壁は不自然なほど材質の異なった沢山の板切れで無秩序に張り合わされていた。
 よく見ると、同じ箇所に何枚も重ねて張られている。何かが書かれているようだが、顔を近づけてみても薄暗くてよく見えない。
 納戸の天井には裸電球が一つぶら下がっていた。
「あれは点かないんですか」私が電球を指すと、店主は
「ちょっと待ってくださいね」
と納戸を後にし、しばらくして懐中電灯を手にして戻って来た。
「電球そのものは新しいんですが、点くとものの数秒で消えてしまうんです。漏電しているのかもしれませんが、なにぶん、電気屋を呼ぶに呼べない事情があるものでして」
 店主は私に懐中電灯を点けて渡した。私は納戸の奥の壁を懐中電灯の灯りを頼りにつぶさに観察した。

 書かれている文字は漢字を細々と書き連ねているのを見ると、お経なのだろう。
 丁寧に書かれたお経にはさほど不気味さは無い。

「何かお札とかも貼ったんですか。お経とか漢字の書かれている板が沢山あるんですけど」
「そりゃ絵馬ですよ。お寺の住職に頼んで絵馬にお経を書いてもらうんです。卒塔婆よりはマシかと思いまして」
「はぁ」
「毎朝少しずつ板が剥がれているんです。剥がれた部分の板がどこにも見当たらないので、新しく買った板を次から次へと張っていたんですが、ぼろぼろと剥がれてしまって。お経を書いた絵馬を打ち付けてからは幾分収まったんですが」

 足元から上ってくる冷気に私は震え上がった。夏なのにここは指先がかじかみそうなくらい寒い。

「足元に仏壇を置いているので見てくださいね。あなたがさっき蹴飛ばしそうだった……そう、それです」
「これ、ですか?」
「そうです」
 脇に抱えられそうな小さな観音開きの仏壇が、納戸の奥の隅に置かれていた。
 この暗さではけつまずいて転がしてもおかしくない。
 黒く塗られた底の浅い木箱を蝶番などをつけて作り替えた物だった。
 触ると木のザラザラとした質感を感じた。
 ささくれだった木の表面が何度か私の指の腹を刺した。
 観音開きに開かれた箱の中には、線香立てがあるばかりで、位牌など何か書かれた物はない。
「位牌とかは無いんですか?」
「最初のうちは燃やされるたびに作ってたんですが、つい先日燃やされてからは作るのを止めました。線香立てだけですが、意外にシンプルで良いものですよ」
「燃やされる……?」
「ええ、壁も剥がれるだけじゃなくて仏壇も燃えるんです。火の気は線香くらいですが、いつのまにか出火していて、なに、単なるボヤですよ」
「それで……」
「事情が事情なだけに、消防隊呼ぶわけにもいかなくて。自分で消し止めました」
「怪我とかは……」
「やけどしていたんですが、病院に行くと、私を診察している最中に、目の前でお医者さんや看護師が次々と倒れましてね。嫌な予感がして慌てて飛ぶように帰宅したんです」
「それで……」
「また仏壇が燃えてましたよ。今度は部屋の半分を焼いてました」
「なるほど……」
「この店を売りに出すことが本決まりになったときも、契約した不動産会社の人やここを買い取ってビルを建てようとしたビルのオーナーが、次々と倒れましてね。売り出すのは急遽取り止めることになったんです。店を売ろうにも売れない事情とはそういうことです」

 冷気が粘つくように首筋に絡み付く。ゾクゾクと総毛立つ思いに襲われる。

「何度か荷物をまとめて家を出たんですが、その行く先々で関わる人が次々と倒れてしまうので、恐くなって家から一歩も出ず仕舞いですよ。あの絵馬や仏壇の木箱は電話でお願いして宅配してもらってるんです。私は家から出られませんから」

 私は震える声で店主に尋ねた。
「あの……私は、大丈夫なんでしょうか。死にたくはないんですが」

 店主は首を捻って、考え込んだ。
「店に来た人の帰った後は分かりませんね。私にも知る術はないものですから。宅配に来る人達は毎回違うので、まさか全員が全員、ということは無いとは言い切れませんけどね」

   

 代金を支払って店を出る。

 振り返ると、確かにあの美容室は外観からして違和感に満ちている。
 新しくビルの建て並んでいる中にひっそりと建つ古びた一軒の美容室に、せわしなく通りを過ぎ行く人達は気付かない。

 あやなくも気付いてしまった人だけの落ちてしまう空気の落とし穴――エアポケットか。

 少し歩くと交番を見かけた。
 今見てきたことを話そうかと思い、どうしようか、とためらった。
 話してどうなるというのか。あの美容室へ警官と連れ立って行く前に、そもそも美容室を再び見付けられる保証はどこにもない。
 エアポケットのように、店がどこか見知らぬ街へふわふわと飛んでいってしまうのではないか。
 馬鹿げているかもしれないが、私にはなぜかそう思えてならなかった。

 髪を触ると切り揃えたばかりの裾の髪が、木箱に触れた際に出来た小さな傷口の上に、ちくりと刺さった。

 見上げるとまだ陽は頭上近くにあり、高かった。
 どうやら白昼夢でも見たような気分だ。
 身体は熱っぽいのに、頭から首筋にかけて冷や汗だらけだ。
 照りつける太陽と陽炎の中で、電柱が稲穂のようにざわざわと揺れていた。

   

◆ 終わり ◆

   

・・・あとがき・・・

 最後までお読み下さり、ありがとうございます。
 心より感謝を申し上げます。

 今回、ココログのブログネタマガジン「コネタマ」に参加いたしました。
 「美容院に行った時、美容師さんと会話する?」というブログネタを着想とした作品を書いたつもりです。

 乱歩「白昼夢」をイメージして書いていましたが、気付くと、呪怨みたいな話になってしまいました。こりゃ失敬。

***

 さて、作品はいかがでしたでしょうか。楽しんでお読みくだされば幸いです。

 なお、文章に稚拙な部分が多く見受けられるとは思いますが、筆者の文章力の未熟さゆえでございますので、ご容赦下さいまし。

 ご感想などございましたら、コメント欄にお寄せください。
 心よりお待ち申し上げております。

 この度はお読みくださり、誠にありがとうございました。

琉球の宮


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コメント

ココログ広場から来ました。
ぞっとしました。
年間何人いるか分からない行方不明者ですが、
こういうエアーポケットに落ちる場合もあるのかと
ちょっと想像してぞっとしました。
神隠しかもしれません。
変な汗かきました。

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