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はるな愛という希望


◆ エッセイ概要 ◆ 

 はるな愛さんという性同一性障害を乗り越えた女性タレントの話を導入として、小説「リング」の貞子という半陰陽の女性の話に触れ、ゲイ・レズビアンなどの同性愛者たちへの差別や偏見について述べ、性自認・身体性・性的指向の組み合わせを提示。性的少数者たちへの尊厳の確保とエールを送る。


 性別、性愛とは不可思議なものである。

 男性でありながら女性である人や、女性でありながら男性である人、男性でも女性でもない人。男性同士の恋愛に、女性同士の恋愛。男性女性の両方を愛せる人。男女両方を愛せない人。

 色々な人が世の中にはいる。

 さて、この性別というものは、不可思議なものである。

 タレントのはるな愛さんをテレビで拝見したときに、彼女の明るいキャラクターに魅了された。彼女の豪快さや元気は、パワーとなって周囲に放射され、それを見ているだけで放射された元気が身体に染み込んで来る気さえする。彼女の披露するエアあややは、私の面白さのツボとなっている。

 テレビのトーク番組で、彼女が、自らの身体を以前は男性、現在は女性であること、しかし戸籍は男性であることを発言されているのを拝見し、世の中にはこういうこともあるのだと、妙に納得したことがあった。

 いつだったか、大学時代の法医学の講義の際に、「半陰陽」を学んだことを思い出した。半陰陽とは、第一次性徴がはっきりしない、性別がはっきりしない事例である。(正確な定義ではないことはご容赦を。半陰陽の定義については議論があります)

 その講義の際に具体的な事例として取り上げられていたのは、外性器が女性であると思われていて、周囲から女性であると取り扱われてきた人が、生理も来ないままに思春期を迎え、やがて好きな男性と結婚するとなった際に、受診した産婦人科で、生殖器としてあると思われていた子宮が無く、そこには生殖機能を持たない精巣があり、この時初めて自分自身が女性ではなく男性であったことを知り、絶望の果てに自殺してしまったケースであった。教鞭をとる法医学の教授はその自殺体の法医学解剖について述べておられた。

 何ともやり切れない話である。

 生殖機能を持たない精巣を持っていたとしても、自分自身は女性であると思い、女性として育ってきたこの女性にとって、目の前に提示され直面した事実を受け入れることは難かっただろう。その悔しさは想像を絶するばかりである。
 まさか家族が自らの命を絶つという悲劇的結末を迎えるとは考えてもいなかったであろう女性の遺族も、そうであるならば生理が来ないことを早めに不審に思い、体調を危惧してずっと前に婦人科受診を勧めておけば良かった、と恐らく悔やんでも悔やみきれない思いを抱いているに違いないと思う。

 私が半陰陽という言葉を知ったのはこれよりもずっと前のことだった。

 鈴木光司の大ヒット映画「リング」の中で、テレビのブラウン管からの本人ご登場パターンというあまりにも斬新過ぎる演出で話題となった、あのオドロオドロしいキングオブお化け・貞子こと、山村貞子は、小説「リング」の中では、超能力を持つ不気味で美しいという相反する性質を併せ持つ薄幸の半陰陽者として悲劇的に描かれている。

 映画「リング」の中では大人の事情で割愛されていたと思われるこの半陰陽について、小説「リング」ではストーリーの中核をなし、非常に重要な骨子となっている。


 注意※ 小説「リング」をまだお読みで無い方は、以下の下線内を“必ず”お読み飛ばし下さい。物語の核心に迫るネタばれを含みますので、未読の方にとって物語の面白みを損ねる可能性があります。

 半陰陽、すなわちこの作品では、女性・男性の両性の生殖機能を持つ両性具有であった山村貞子が、地球最後の天然痘ウイルス保菌者の男に強姦されたことにより、その呪いは始まる。
 閉じ込められた古井戸の中で、彼女の両性具有という特殊な生殖機能と、彼女自身に侵入した天然痘ウイルスとが手を組み、さらに他人を呪い殺すことのできる彼女自身の強大な超能力パワーを用いて、猛烈に増幅させていた全人類への恨みつらみを、呪いとしてビデオテープに念写しする・・・というのが、この「リング」の呪いにおける最大のポイントである。
 すなわち、超能力、両性具有、天然痘、という目に見えない人智を超えた最強トリオが手を組んだことで、爆発的に増殖する呪いの未知なる生命体が誕生したのである。

 実社会では、半陰陽の場合は性器が痕跡的であり生殖能力を持たないとされている。この作品での両性具有は、

「男性性器と女性性器を兼ね備えた人間、それは完璧な美と力の象徴」(引用元:鈴木光司「リング」角川ホラー文庫)

 とされていて、単独で生命を生み出す神話的なマザーとして、ファンタジックに描かれている。貞子の生み出したものが未知の生命体であることからしても、ファンタジー要素が強いために、著者自身も同作をホラー扱いすることに違和感を覚えると述べられている点でも、小説「リング」は、ホラー要素よりもファンタジー要素が強い作品であると言える。

 しかし、そうは言っても、読後、恐怖感に脳天を直撃された私は、うっすらと涙を浮かべ、唇を噛み締めながら、ともすればゾゾゾっと得体の知れない物が走りそうになる背筋に必死に堪えつつ、布団の中で「寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ」と言い聞かせながら悪夢に怯え一睡もせずに夜を明かした時の事を、今でもよく覚えている。あれは本当に恐かった。


 半陰陽の事例で学んだことは、人の性別という不可思議さである。
 染色体の数や性腺で決まるとされる性別であるが、半陰陽のように外形から性別の違いを付けることが困難である場合には、性別をどう捉えるのか、議論の分かれるところである。

 何を基準に性別を決めるのか。そもそも性別を決めることに意味があるのか。

 そもそも、私は専門家ではなく、知識のない全くの素人である。
 それで、以前、気になって図書館で色々調べたことがある。

 調べていて感じたのは、外形的な性別と、内心の性別と、さらに性的指向とが、性差別や偏見の問題とともに混ざり合い、問題を分かりにくくしている、ということである。

 この世には、性別に関して、少数派のマイノリティー、「性的少数派」が存在する。

 性愛に関しては、ゲイ・レズビアンといった同性愛者、バイセクシャルといった両性愛者、性別に関しては、半陰陽、トランスジェンダーといった性同一性障害などといった性的少数派の人たちにとって、彼ら彼女らが自らのアイデンティティを保持する上で、現在の差別的な状況は何とかしなければならない。

 この点、同性愛については全く知識が無かった私であったが、同性愛について書かれた娯楽的な好奇的な本ではなく、性差別の問題、人権の問題として、またはジェンダー問題として、同性愛について問題提起的に取り上げられている文献をいくつか読んだ際に、私を形成している目の前の価値観が瓦解したのを、はっきりと知った。全身へ稲妻となって走る衝撃。
 知らないことは、もはや罪である。

 同性愛問題は、日本において、広く深く浸透し、差別の対象とされている。
 差別されている彼ら彼女らの心中を察すると、物狂おしい懺悔と後悔の念に苛まれる。

 もし私だったら、私だったら。

 女性の自分が男性を好きになる異性愛を当たり前のことのように信じていたのが、単なる大多数のマジョリティに過ぎないことを知った。それは、大多数の温もりの中に置かれた自分が、少数派から目を背けてきた事実に他ならない。
 私の身体は恐怖でガタガタと震え出した。

 もし私だったら、私だったら。

 権力闘争において少数派はつねに排斥の対象となる。かつてナチスがユダヤ人を完全抹殺しようとしたときのように。多数派と異なる少数派の異分子は、権力者を畏怖させ、揺るがす存在となるために排除へそのベクトルが動く。
 少数派は時の権力者に睨まれ、ひっそりと息をひそめる。

 多数決原理は民主主義の基礎とされているが、今では悪名高いナチス党も、多数決原理のもと、当時の議会第1党となり得たではないか。これぞ多数派社会。
 日本の小選挙区制度でも多くの死に票が出て、多数派の論理を押し付けられる。またこれも多数派社会である。

 同性愛については、深刻な差別問題であり、日本は立ち遅れていると痛感した。

 マスメディアなどのテレビでは、同性愛者を「おかま」として蔑視した表現を行い、ニューハーフの人たちを「女性よりも女性らしい男性」として好奇的に取り上げている。タレントのはるな愛さんを「おっさん」と呼ぶお笑い芸人の人たち。

 これはゆゆしき事態である。

 性的少数派の人たちは、自己尊厳を保つために一心に努力し、自己表現を行ってきた。彼ら彼女らは、性自認の内心と、身体的性の外形とを一致させようとするために、男性らしい格好をしたり、女性らしい格好をしたりと異性装を行ったり、性転換を行ったり、戸籍に記載された性別を変更してきた。

 あるいは、どうしても好きになる相手が同性であることをなぜ否定されなければいけないのか、異性を好きにならないといけないと誰が決めたのか、疑問を持ちながらも、排斥される恐怖から、自らの性的指向に敢えて背を向け、異性愛者として振舞わなければならない屈辱感に苛まれながら生活している人たち。

 多数派から押し付けられる画一的な価値観に対して、声にならない悲痛な声が聞こえてくるようだ。多数派から排斥されるかもしれないという恐怖は、自尊心の保持主張であるカミングアウトを躊躇させ、精神に甚大な被害を生みだしている。

 彼ら彼女らのアイデンティティは、その崇高な自尊心は、きっと、とても傷つけられている。表面は屈託無い笑顔を振りまいていても、きっと内面は悲しんでいるはずだ。多数者と異なっている少数者たちは、道化役でも見世物では決して無い。自尊心と尊厳を持った人間なのである。

 さて、話がとりとめなくなってしまった。

 ここで、自分の性別が何であるかを認識する内心の「性自認」と、自分の身体的性別が何であるかの外形的な「身体的性」、自分が好きなのは男性か女性か両性かという「性的指向」について場合分けしてみた。
 素人なのでうまく分けられていないのご容赦あれ、ということで、とにかく、大まかに理解できればいいかと思う。(非性愛などはまだよく分かりません)

【性自認、身体性、性的指向についての場合分け】
※縮小表示しています。画像を詳しくご覧になりたい方はクリックして、原寸表示でご覧下さい。別ウインドウです。PNG画像ファイル、59KB。
 

 さて、驚くほど、沢山の場合分けのバリエーションが出来上がった。大多数と思われていた男女の異性愛は、男から女、女から男、という2パターンしか存在しない。

 性別という二分論的な区切りに疑問を持つようになった小説「リング」の読了後以降、私が認識として抱くようになったのは、性別を判別するのが曖昧なケースが存在するということである。外性器も内性器も、性自認も曖昧なケースがある、という、まさに「十人十色」を目の前で提示されたことだった。

 さらに、当然と思われていた「性別」が曖昧な場合があるのなら、当然と思われていた「男性が女性を好きになり、女性が男性を好きになる」という異性愛にも曖昧なケースがあっても当然、と考えるようになった。同性愛もあり、異性愛もあり、両性愛もある、これぞ十人十色、違いが人間のバリエーションを豊かにするのだ。

 性自認と身体の性とが食い違うために苦痛に苛まれるケースを性同一性障害とされるようで、性自認と身体の性とを食い違いを適合させるために、性転換手術が取られるようである。
 性転換手術で内心と外形の性の同一性を一致させるには高額の医療費がかかるであろうし、それが出来ぬままに苦痛の生活を送っている人もいる、ということを考えると、本当に辛いことだと思う。

 場合分けを書いて気付いたのは、そもそもマジョリティ・マイノリティという区別も、もはやナンセンスではないか、ということだった。

 そもそも、異性愛が推奨されたのは、近代国家において、男女で子を作り国民人口を増すための、国家の維持繁栄のためのシステムのためではなかろうか。
 歴史的には、平安時代末期から戦国時代にかけても男性同士の同性愛である男色が浸透していたし、古代のギリシアや古代ローマのように、同性愛が制度化され公然と為されていた時代もあった。

 紫式部「源氏物語」においても、源氏の兄である朱雀院が、源氏を見て「俺コイツのこと大好き!」と、同性愛に近い感情を寄せているのにも、平安時代当時の性愛のバリエーションの豊かさが伺える。

 濃淡のある性愛の指向は、女性は100%男性が好き、男性は100%女性が好き、といった、竹を割ったような西洋的な二元論では割り切れない。7割は女性が好きだが3割は男性が好き、というような、その性愛指向の境界線の曖昧さは、あたかもグラデーションの美しい水彩画のようである。

 異性愛婚を推進した画一的な性的指向の押し付けは、ここ200年の近代国家が制度化したものにすぎず、それ以前の有史以来の性愛における人間の豊かさは宇宙的でさえある。

 さりとて、性別、性愛の取り扱いは難しい。

 性自認が女性、身体性が男性、性的指向が男性である私の大学時代の友人は、外形的には男性が男性を愛する同性愛であるが、内面的には女性が男性を愛する異性愛であるという、複雑な胸中を語ってくれた。
 男性の様相をしているが、性自認が女性であるために、私は彼女を「お姉さん」と呼んでいる。本人が女性であると思っている以上、彼女を女性として接するのが一番だと考えたからである。
 自分が女性であるという気持ちを身体で表現するために、女性の格好をするのだが(異性装)、マッチョ体型でごつごつとした筋肉質の体型に合う女性服は見つから無いのが現状であった。稀に女性の格好をして街を出歩いても、通行人から白い目で見られ、視線に怯えて飛ぶように帰宅するしかない、と悲しげに呟いていたのを思い出した。
 性的少数者は孤独である。

 だからこそ、性別、性愛の扱いは難しい。

 ――ミケランジェロのダビデ像のように筋肉隆々の「男性的な」身体は「男性」であらねばならない。ジャイアンは粗暴ないかつい体躯であらねばならない。しずかちゃんは女性らしい色合いの上衣とスカートを履かねばならない。のび太はしずかちゃんを守らねばならない――。

 画一的な価値観である、男性・女性という外形、内心、異性愛に一致したジェンダー的な性別役割分担が、断固として存在する。

 マッチョなジャイアンが性自認を女性とし外形を女性となるのを望むのであれば、可愛らしいレースのスカートを履けばいいし、しずかちゃんが性自認を男性とし外形を男性となるのを望むのであれば、デニムの半ズボンを履けばいい。
 だからと言ってそうは出来ないのが、今の世の中である。性別への画一的な取り扱いは保守的な考え方の人たちの徹底的な抵抗がある。

 性自認・身体的性・性的指向の表明(カミングアウト)は日本ではまだまだ難しいのが現状だ。

 私は、その人自身の身体的な性がどうであれ、その人が自分自身をどの性別だと認識しているかによって、その人の性別の取り扱いを決めるのが良いのではないかと思う。
 性自認という内心を、その人の性別として取り扱うことが、その人自身のアイデンティティの尊重につながると考えている。

 見た目の身体性が男性であっても性自認が女性であれば、その人は女性である。
 すなわち、自分が女と思えばその人は女であり、男と思えばその人は男であり、どちらでもあると思えばその人はどちらでもあり、どちらでもないと思えばその人はどちらでもないのである。

 メディアでは「オネエ」と称して女性的な男性をやや寛容になりつつあるが、オネエとも言わずに女性として取り扱うべきだと私は思う。本人がそう望むのなら、そうすべきである。

 しかし、性別、性愛の取り扱いは難しい。

 性別の取り扱いを定めたところで、果たしてそれに意味があるのか、という問題も出てくる。男性だから優遇されるとか女性だから冷遇されるとかといった、男女参画の問題ではない。

 むしろ、男女の性別が渾然一体となった場合においては、男か女かと単純に振り分けてカテゴライズすることよりも、その人自身の個性が重要になってくると思われる。これが男女の線引きを超えた本当の「個性」では無いかと思う。

 これからは、誰かと恋愛目的で交際する場合に、今まで当然とされてきた異性愛という前提を見直し、「私は異性愛者ですが、あなたはどうですか?」「私は同性愛者ですが、あなたはどうですか?」と選択肢を広げて示す習慣を構築すべきだと思う。
 性的少数者が存在する以上、配慮が必要だからだ。

 タレントのはるな愛さんをテレビで拝見したとき、「ついに希望の星が現れた」と思った。
 今までのように、性自認と身体的性の不一致で、「ニューハーフ」や「おかま」などというひどい言葉を与えられてきた段階から、性自認と身体的性を一致させた、可憐でキュートな彼女が、性的少数者の中から蝶のように可憐に羽ばたき現れた。

 はるな愛さんは、性別という二分論的な画一的な枠組みを乗り越えた、性的少数者の希望である。彼女が彼女自身の個性を生かし、もっと活躍して欲しいと思う。

 言葉足らずの部分も多いとは思うが、以上が私の心を込めた熱弁である。
 この世の中から差別や偏見が減り、差異を受け入れ、男女の性別や性愛を超えた、本当の個性で各人が尊厳を持って生きていける、そんな時代が来て欲しいと願わずにはいられない。

   

 性的少数者の方々に自由を! 

   

 これが私の切なる願いである。

 最後に、違いのあるハイビスカスの花を。まさにそれは、画一されていない、ありのままの美。差異という違いが事物を豊かにする。

 


 

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エッセイ:特選」カテゴリの記事

コメント

私は性的少数者です。


人からどう見られているのか凄く気にしながら生きてきました。


読んでとても勇気わいてきました。

私はそのままで生きていこうと思います。
もっと理解してくれる人が増えるといいのにと願います。

あなたの話は、勇気をくれる。

まだカミングアウトはできないけれど
でももう少し生きていけると思った

私は男性でも女性でもないセクシャルマイノリティーです。もっと開けた世の中が、時代が来ることをねがってます。

物心つく前から自分が男ではなく女だと思っていました。でも家族も友人も分かってくれない。嫌なのにサッカー部に入れられて苦痛しかなかった子ども時代。今でもひた隠しにして生きている。自分を消したくて何度も衝動に駆られた。自分の見た目が男だから?でも自分は女だと思っている。男性が好きなのにすぐにゲイといわれて傷ついた。みんな何も知らない。・ ・ ・ ・ でも今日「はるな愛という希望」を読んで沢山泣いた。色々つらいこと思い出して泣いた。

>見た目の身体性が男性であっても性自認が女性であれば、その人は女性である。

本当にそう思う。そのままの自分でいたい。これからも。まだもう少し頑張ってみようとおもう。あなたからのエールは確かに受け取りました。

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