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運命の子たち

 


 

 世間で一時期、「赤ちゃんポスト」が話題になったことがある。

 この赤ちゃんポストとは、諸般の事情のためにやむを得ず、親が自ら育てることの出来ない新生児を、匿名で養子に出すためのシステムである。

 「ポスト」という投函物のような無機質の名前に、若干の抵抗はあるものの、概ね私はこの赤ちゃんポストには賛成である。
 なぜなら、赤ちゃんポストが存在しない場合において救えなかった命、すなわち嬰児殺や堕胎について考えると、これらが決して許されないものだからだ。

 体外に排出されて「人」になって殺すのか、体内で「人ではない」段階で殺すのか、という違いで、嬰児殺と堕胎とでは刑罰の軽重は異なれど、等しく人、及び人になるものの生命を一方的に奪うという客観的な状態には、変わりには無い。

 私は例外を除き、人工妊娠中絶の反対論者である。
 (例外とは、自らの意に沿わない性暴力を元にした性交渉(レイプ)に基づく妊娠、そしてその人工妊娠中絶である。これを認めることは女性の尊厳を尊重する上で欠かすことが出来ない)

 私は全ての命の芽生えに、宇宙的な尊さを覚える。

 その考えの生まれる契機になったのが、平安時代に紫式部によって書かれた「源氏物語」を読んでからであった。

 源氏物語――ややもすると、絢爛豪華な平安王朝や酒池肉林のハーレム状態、めくるめく淫乱と貪婪のイカガワシイ世界・・・というような下世話な印象ばかりが先行するが、決してそれだけではなく、四季折々の見事な自然描写や、心理描写、そして骨太の人間ドラマが緻密に描かれている立派な文学書である。

 さて作品中において、源氏は、晩年に兄・朱雀院から懇願されて、兄の子・女三宮を妻にすることとなった。実兄の子、であるから、女三宮は、源氏にとって血の繋がった姪に当たる。

 叔父と姪のただならぬ関係・・・さながらメロドラマの泥沼の修羅場を想起してしまうが、愛憎・恋愛模様以前に、そもそも、この叔父と姪との関係はタブーとされる近親姦であった。

 このタブーとされる道徳的な際どさが、源氏物語をして発禁処分や禁書として掣肘を加えられてしまった原因だったらしいのだが、これはいいとして。

 中年男と少女との新婚生活の蜜月は長くは続かず、女三宮は、源氏の友人(義兄)・頭の中将の子・柏木と密通し、その間に子を産み落とす。女三宮にとって柏木は、夫の義兄の子、すなわち甥である。
 姪と結婚した源氏は、甥に妻を寝取られコキュとなってしまった。

 ああ、なんてややこしい!

 ふとしたことから、女三宮が産んだ子を、自分ではなく、甥の柏木との間の子であることを源氏は知ることになる。知ってからの源氏の苦悩は尽きないが、源氏は「生まれた子に罪は無い」と言い、生まれた子・薫を大変良く可愛がる。
 女三宮に対しことあるごとに辛辣な言葉を浴びせかけ、陰湿にいびるが、薫への愛情は尽きることが無い。まさにこの可愛がりようは博愛のようである。

 源氏にとって、薫より以前に、素性を明らかに出来ない不義の子が、かつていた。

 源氏の犯した若き日の過ち。
 父・桐壺帝の妻であり、源氏にとって義母に当たる藤壺との禁じられた恋の果てに授かった子・冷泉。桐壺院は何もご存じなく逝かれた、と源氏は信じる一方、冷泉は源氏が我が父であるということを何かの折に知り、源氏を熱い眼差しで時折眺める。

 そして、今回。妻・女三宮の幼すぎるゆえの過ち。
 強大な権力<アンタッチャブル>を有する源氏の邸内に忍び込み女三宮との密かな逢瀬を重ねた柏木。その愛欲の罪業の果てに生れ落ちた子・薫。

 これら冷泉と薫においては、本当の両親は何某であるとして、彼らの面前で素性を明らかにすることはできない。表面から見ると、神々しいばかりの瑕疵無き玉であるがゆえに、出生の秘密は禍々しいばかりで、秘密を知る者は墓場まで持ち込まねばならないトップシークレットであった。

 桐壺帝の子として冷泉を産み落とした藤壷、そしてその実父である源氏。
 源氏の子として薫を産み落とした女三宮、そしてその実父である柏木。

 我が子を見るたび思うたび、真実を知る親は、背徳に負けた己の深き罪業を懺悔するばかりである。我が子には何らの罪は無い。

 源氏に関して言えば、若き日の藤壷との不義の関係は、女三宮と柏木から受けた仕打ちと、長い年月を経た因果応報として、密接に呼応し絡み合う。
 源氏が女三宮と柏木の関係を知ったように、かつて源氏の父・桐壷も、源氏と藤壷の関係を知りつつ、知らない振りをして天使のような朗らかな顔をして亡くなったのではないか。苦悩する源氏の推測は尽きない。

 不義の子ではあるが、彼らは、産まれるべきして産まれてきた「運命の子」である。
 決して「過ち」というミステイクで産まれてきたわけではない。
 人類誕生の神秘は、神の見えざる手である。

 「柏木ごとき若造に重鎮の自分が見くびられた」というプライドを傷つけられた源氏の憤怒は烈火のごとく腸が煮えくり返るくらいに沸いていたが、その燃える怒りの矛先は、決して薫には向かなかった。
 やがて、柏木が病で伏しこの世を去ると、源氏の心は立ち込めていた濃霧が晴れるように清々しくなっていた。密通を働き自分を裏切った柏木と女三宮を、ともに赦そうと決意する。そして、不義の子・薫にひときわ愛情を傾ける。

 もしやきっと、この子は産まれるべき何かのお導きがあったのではないか、と薫の気高さ、尊さに免じて、女三宮と亡き柏木を仏にも似た澄み切った慈悲深い寛容さで赦すのである。

 子は全て、生まれるべくして産まれてきた。
 皆、運命の子である。

 さて、不義の子は、自らの出生の秘密を知り、どう自らと向き合ったのであろうか。

 まず源氏と藤壷の間にできた不義の子・冷泉は、帝としての在位中に真実を知り、懊悩し、一度は源氏に譲位を打診するも断られ、やがてこのために自らの身を退け、お世継ぎに帝の地位を譲位する。帝の位から下りた後は、心清らかに過ごしていた。

 女三宮と柏木との間にできた不義の子・薫は、宇治十帖の主人公として活躍するが、出生の秘密を知る前から、陰鬱に過ごして来た。
 父・源氏の亡き後、幼い母・女三宮は仏門に入り、薫のそばにはいない。歳の離れた兄・夕霧は堅物で薫は相談も出来ない。姉・明石の姫君は中宮となり、そばに近寄ることも出来ない。恵まれた環境にありつつも孤独な薫は老成して育ち、苦悩は尽きない。
 出生の秘密を知ると、自己嫌悪を募らせ、ひたすら厭世的になり、出家願望を強くする。やがて仏門に身を寄せようと、八の宮の門戸を叩くのである。

 ちなみに、志賀直哉「暗夜行路」では、自らが祖父と母の間に生まれた不義の子であることを知った主人公・時任謙作が、荒れに荒れて、泥沼に身を沈めるような自堕落な生活を送っていた。

 自らの出生が不義によって生まれたことを知った子は、自らの運命を呪う。生まれてくるべきではなかったと、強く自らを嫌悪する。
 精神の深い部分において、自らの生への懐疑を抱き、強く揺さぶられる。

 この心理過程は必然でもあり、これについては慰めの言葉が見つからないのが悔しいところではあるが、確実に言えることは、どんな由縁の出生で生まれてきたとしても、産まれてきた本人の生命は掛け替えの無いものであり、その生を決して呪ってはならない、ということである。

 産まれるべくして、産まれてきたのだ、と。
 そして、産まれてきた子は、皆、運命の子である。

 世間では、自らの幼子を虐待の末に死なせてしまう事件が後を絶たないが、もし親が我が子を手元に置くと虐待してしまうのであれば、自らの手元から子を手放すべきである。

 運命の子たちは、産まれるべくして産まれてきた。
 子はその人を親として選んで産まれてきた。
 その選択の重みは神秘の領域であり、神の見えざる手である。
 子は親を選び、親は子に選ばれた存在である。親が子を選んだのではない。

 運命のこうのとりに乗って運ばれてきた子どもたちは、自分を育ててくれるであろう親を選び、やって来た。
 したがって、親には付託された運命から子を預かり育てる義務があるが、子は親の所有物ではないために、親による子に対する虐待などの暴力は決して許されない。

 しつけと称して子に暴力を振るう親がいるが、コントロールすべきは子ではなく、暴力を発動させてしまう親自身の精神状態である。子を服従してはならない。

 どうしても暴力を振るってしまうのであれば、運命の子を預かる資格は無いものとして、自らを悔いながらも、子を手元から離すことが必要となってくる。
 虐待死などを防ぐためにも、「赤ちゃんポスト」など、子を守る機関が必要になってくる。

 子は全て、尊い運命の子たちである。

 しかしながら、世界中では真っ先に亡くなるのが、この幼い子たちである。

 児童買春、人身売買、児童への強制労働、ストリートチルドレンの孤児たち、貧困で治療を受けられない子どもたち、内戦で親を失った難民の子どもたち、エイズに罹患した子どもたち、飢餓に苦しむ子どもたち・・・。

 運命の子たちは、選ばれてこの世に産まれてきたはずなのに。

 尊い子どもたちが長く生きられない世界の国々の状況を思うたび、私はひとしきり憤りを覚えるのであった。

最後に、夕刻の風景を。 子どもたちにとっての素晴らしい明日が来ることを、朱の空に願う。


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