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リポーターセンス 3


◆第3章 ◆

 数日後。マリアによる幼児虐待の事件リポートが放送され、それは大きな反響を呼んだ。マリアのリポートを望む多くの視聴者の声が、怒涛のようにテレビ局に寄せられたのだ。社会背景の反映か、単なる現代人の趣向・傾向なのか、そのリクエストの多くは、より赤裸々で、より残虐で、より衝撃的で、より激しくて……という、より一歩前へ進んだ描写を望むものばかりだった。
 「描写の語彙を増やすために、色々な本を読むように」と、プロデューサーは当初マリアに告げていたが、マリアへの視聴者のリクエストの傾向を考えて、「特に、ホラー小説やサスペンス小説などの、リポートに使えるジャンルを絞って集中的に読むように。緊迫感や残忍さなど視聴者が望むものを適確にイメージできるようにしなければいけないから」と、訂正してマリアにアドバイスした。
 マリアは、帰宅途中に、指摘されたホラー小説やサスペンス小説、官能小説などの有名な作家の作品を古本屋でどっさり買い込んだ。ふと、テレビの昼メロを思い出し、エロティシズムも視聴者が好むはずと思い、官能小説も過激なタイトルを選んで数冊購入した。
 マリアは、今よりももっと頑張るぞ、と自分自身に喝を入れた。

 放送翌日に一日だけ休みをもらった後、マリアは再び取材リポートを開始した。マリアの事件リポートがあまりにも好評なために、プロデューサーの計らいで、マリアはいくつかの事件を掛け持ちしながら、取材に取り組むようになっていたため、マリアは以前のような丁寧かつ綿密な取材ができなくなってしまっていた。マリアはそれが少し残念だったが、全部の事件に全力を注ぐことを決意し、それでも淡々とインタビューや聞き込みなどをしながら、着実に資料を集めていった。

 今回のリポートは、いじめを苦にして自殺した少年の事件だった。一人の少年に対して、複数人の少年たちが、暴行・恐喝を繰り返し行ったのだが、徐々にそれがエスカレートしていき、それを苦にして、被害者少年が、登校途中にあったマンションから飛び降り自ら命を絶った、というものだった。

 マリアは、スタッフと一緒に、亡くなった少年の家へ行き、焼香した。少年の話を聞くと、両親は目を潤ませるばかりだった。いじめた少年たちに対し、損害賠償訴訟を提起し、係争している最中です、と母親は泣きじゃくりながら言った。
 亡くなった少年の両親にインタビューを撮った後、両親の許可を得て、その少年が自分に向けられる日々のいじめについて綴っていた日記を読むことができた。
  全体のページに渡って、「死にたい」「なんで僕は生まれてきたんだろう」「誰か僕を殺してくれないかな」「いっそ事故にでも遭えば」と、相手への恨み辛みよりも、自分の生を悔やむ言葉が多くあり、少年の心の傷の深さを知ることとなった。凄惨ないじめの記録である日記を読みながら、マリアは胸が苦しくなって、何度か涙をこぼしてしまった。
 日記の紙面に自分の涙の染みをつけないように、時折目をハンカチで拭いながら読んでいたが、よく見ると、紙面にはぽつりぽつりと字のにじんだ跡があり、少年が書きながら涙を流していたというのが容易に想像でき、それが更にマリアの心を痛ませた。その字のにじんだ文面は、厭世的な想いと、両親への愛に溢れていた。
  最後に日記が書かれたページには、いじめを行なった張本人の少年たちと思しき名前が、丁寧に罫線を引いた一覧表となって書かれていた。マリアは少年の苦しみが脳髄に染み渡るように伝わってきて、居たたまれない気持ちになった。しかし、これは仕事。自分はやり遂げなければならない。マリアは自分自身に気合を入れた。
  少年の両親にお礼を言い、マリアたち取材班は、少年の家を後にした。

 リポート現場は、亡くなった少年が飛び降りたビルの屋上で行なうことになった。ビルの専用駐車場に取材ワゴンを乗り入れながら、ワゴンの奥の席に座ったマリアは、車窓から目の前のビルを見上げた。
  高層というわけではないが、かなり高い建物だ。沢山の部屋のベランダで布団や洋服などの洗濯物が色鮮やかに干してあり、風でひらひらとはためくと、さながら鯉のぼりのようだった。
 マンションに入る。そのままエレベーターで屋上へと向かった。少年はこのエレベーターをどんな思いでに乗ったのだろう、とマリアは心が痛くなった。そして、屋上についた。


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 屋上の重い扉を開くと、まぶしいくらいの青空の下、殺風景な灰色の地面が広がっていた。取材スタッフは重い機材を地面に置き、準備をし始めた。
 マリアは独り、路上側に面した柵のついた端に向かった。照りつけるような暑い日差しに、ふっと気の遠くなるような意識が遠のく感触を、マリアは感じた。柵に両腕をかけ、前かがみに体重をかけてもたれかかる。目の前のコンクリートの途切れた端に、揃えて置いてあったという少年の靴が幻影となって、今も置いてあるような気がした。
  少し身体を乗り出して下を見下ろすように軽く覗き込む。小さな車と、ごく小さな人間の姿。それほど高層ではないと思ったが、こうして見ると、その高さに息を呑んでしまう。交通量の多い道路なのか、絶えることなく車が流動的に動いている。ここから落ちたということは―――。
  マリアは想像して胸が苦しくなった。思わず目を閉じた。耳元で風を感じる。汗ばんだ首元をすり抜ける涼やかな風。それは、そこで少年が命を自ら断った絶望と悲しみに色塗られた場所だとは思えないくらい、切ない心地良さのする風だった。
 少年の想い。明日も明後日も続くであろう、いつまで続くか分からないいじめによる精神的かつ肉体的苦痛より、たった一瞬の激痛と存在しない明日を選んだ少年。そんな少年が、この場所で、自らのこの柵を乗り越え、靴を脱ぎ、地上へと飛翔した。一つの小さな生命の灯火が消えた、哀し過ぎる現実。

 さぁ、靴を脱ごう。脱いだらちゃんと靴は両足揃えて置くんだ。怖くなんかないよ。下の世界を見下ろすから怖いんだ。なら、背を向けて下を見なきゃいい。そして、両手を真っ直ぐ横に水平に伸ばすんだ。両手両足、全身で風を風を感じるよ。凄く気持ちがいい。そして、深呼吸をしながらゆっくりと体重を背中にかけていくんだ。すると、足が床から離れるんだ。
 怖くなんかないよ。後ろに、ふかふかのベッドがあると思えばいい。青空の布団に包まれながら、遠い遠い大地のベッドに身体を沈めよう。落ちてくよ。落ちていく。すーっと落ちていくんだ。一筋の飛行機雲と、ビニールシートのように真っ青な空。目の前一面のブルー。風のタオルケット、青空の布団が全身を包み込む。なんて爽快な気持ち。
  ほら、ベッドについたよ。ふかふかなベッドに身体が沈み込んだよ。なんてふかふかなんだろう。果てしなく身体が沈んでいくんだ。沈みすぎて、もうあんなに青空が遠い。ベッドのふかふかの闇が身体の周りを埋め尽くしているんだ。
  目の前が狭くなってきたよ。青空が小さい。もう青色はビー玉くらいになった。後は闇だよ、闇、闇―――。

「ちょっとマリアちゃん! 何してるの! 飛び降りないで!!」
 マリアは激しく両頬を叩かれ、ハッと我に返った。周りを見渡すと、マリアは柵にまたがり外に身を乗り出していた。その身体をスタッフ数人が抱きかかえていた。
 足元の地面から噴き上げる風と、その吸い込まれそうな遠い地面が目に入り、「怖い!」と思わずマリアは身震いした。スタッフたちに抱えられるようにして、マリアは屋上の入り口付近に運ばれた。
 神山がマリアの目を覗き込み、肩を揺すった。
「どうしたの? 少年に感情移入して飛び降りたくなったの? 何考えてるの!」
 顔を真っ赤にして、激しい口調で叫んだ。マリアは入り口の壁に背をもたれ、呆然としていた。
「ごめんなさい……。自分が分からなくなって」
  マリアの虚ろな目を見て、神山は怒鳴った。
「出会った時の目と同じだよ! 自分を取り戻さなきゃ。冷静になって」
  神山はマリアの横に座り、マリアの身体を包み込むように優しく抱きしめた。
「ほら、目を閉じて深呼吸して。いい? 君は今、マンションに着いたばかりだ。車を出て、玄関に向かう。そして、屋上へ着いた―――」
 耳元で囁くように呟いている神山の声を聞いて、マリアは自分を顧みて泣きそうになった。
 自分はなんてことをしたんだろう。どうして飛び降りようとしたんだろう。分からない。分からない。時々自分の意識が遠いところにいくことは多かったが、遠のいている最中にマンションから飛び降りようとしていたとは思わなかった。なんてこと、なんてこと……。
 混乱していた自分が、落ち着いてきて、少しずつ見えるようになって、マリアは神山に抱きしめられている自分を考えて、照れと恥ずかしさで一杯になってしまった。顔が熱い。頬が真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
 自分は、今、神山さんに抱きしめられているんだ。Tシャツに包まれた神山さんのがっしりとした身体。背中に回された腕。汗の臭い。首を傾げると触れる髪。神山さん。神山さん。なんて心地良い響きなんだろう。仕事なんか忘れて、このままの状態でずっといたい。私は神山さんのことが―――。マリアは思わず神山の背中に手を回した。神山が慌てたようにビクッと身体を震わせた。
「ちょちょっと、マリアちゃん?」
焦って問い掛ける神山の声を、マリアは「もう少し、このまま……」と神山の耳元で囁いた。しばらく時が流れ、遠巻きに神山とマリアを眺めていたスタッフたちが声をかけた。
「ラブシーンは仕事が終わってからにしてくれよ!」とヒューヒューと口笛を鳴らして笑いながら冷やかした。慌ててマリアと神山は互いの身体を離し、立ち上がった。マリアは神山と目が合い、少し照れたように笑った。神山は少しはにかんで、カメラを準備するために機材の元へ向かった。その後姿を見て、マリアは胸が満たされる気分だった。

 マリアがファイルと見直していると、ディレクターが声をかけてきた。
「それはそうと、マリアちゃん。今回のリポートはどうしようと考えてるの?」
マリアは少し考え込んで言った。
「自分の中のイメージでは、少年たちのいじめが始まってから、徐々にいじめがエスカレートする様子と、被害少年の心の変化を重点的にリポートしたいです。
  いかにいじめが理不尽なものなのか、ということを一番伝えたくて。被害少年の日記を何度も読みましたので、そこがとても印象深かくて。イメージがきれいに浮かぶんです。少年の悲痛な心の叫び声が」
 マリアの言葉に、ディレクターは顔をしかめて眉間に皺を寄せた。
「いじめの描写もいいんだけどね……。それよりも、もっと残酷な描写が欲しいんだよね。少年がこの屋上に着いてから、飛び降りた後、どう悲惨に亡くなったかが、マリアちゃんのリポートの中心にして欲しいんだ。事件は、飛び降り自殺であって、いじめじゃないだ。そこのところを理解して欲しい」
  その言葉にマリアは戸惑った。
「でも、私は死体写真を実際には見てませんし、少年の最後の瞬間やその後の様子は警察発表の大雑把な発表からしか得てませんから、少年がいかに悲惨に亡くなったかは、私には分かりません。それは少年の死体を発見した方のインタビューのほうがより悲惨さが視聴者に伝わるんじゃないんですか?」
  マリアの言葉にディレクターは首を振った。
「発見者や目撃者のインタビューそのものが知りたいんじゃないんだ。人々のインタビューは事件を淡々と伝えているが、それだけなんだ。事件を目撃した、あるいは事件に関係したというその唯一の貴重な価値だけをインタビューは求めている。しかし、君のリポート違うんだ。詳細で豊かな言葉で表現した事件を我々は知りたいんだよ」
「でも、私は死体の写真を見ていない以上、詳細には表現はできませんよ。いじめのことなら、日記に詳しく書いてあったので、イメージが沢山浮かぶのですけど」
  マリアの言葉に、ディレクターは笑った。
「あまり深く考えなくていいよ。警察の報告書をイマジネーションたっぷりに言えばいいんだから。連想したことでいいし」
  マリアは思いがけない話に目を丸くして動揺した。
「想像して、ということですか? 想像上のことを言うのは、嘘を言うことですよね? 《真実》のリポートをするのが、私の役目じゃないんですか? 私の中にある《真実》のイメージを自由にリポートとして話していいはずじゃないんですか? そうプロデューサーが言ってましたし……」
  ディレクターはマリアの言葉を制して、
「それは今までの話。確かにマリアちゃんの才能は素晴らしいよ。光るものがあると思う。大反響があったし」
  ディレクターは続けた。
「マリアちゃんのリポートを見た視聴者が、ただ単に『素晴らしかった。また見たい』というだけの感想だったら、今のままでいいと思うんだ。でも、実際は、『凄く良いけど、こうだったらもっと見たくなる』とか、『こうであったらいい』とリクエストしてきている。良かったと評価されたものを同じレベルで延々と放送するわけにはいかないんだ。
  もっと面白く、もっとスリリングに、もっと見たいと思わせるように、常に視聴者の要求に応えるような変化しなければいけない」
 ここまで言って、ディレクターはマリアの両肩を正面でつかみ、マリアの目をしっかりと見つめて言った。
「いいかい、マリアちゃん。テレビはスポンサーあってのものなんだ。スポンサーのテレビに対する指標は、いかに多くの人にCMを見てくれるか、ということだから視聴率になる。で、視聴率は視聴者のこと。視聴者の要望に応えることが、視聴率アップにつながり、スポンサーの期待にも添えるんだ。だから、これからは君の自由なリポートももちろん大事だけど、カメラのレンズの向こうには何千万人の視聴者がいることを意識してリポートして欲しい。 《より衝撃的》なリポート、それが視聴者の望みなんだ。それが、絶対不動の《真実》なんだ。これを忘れないで欲しい」
  ディレクターの話に、マリアは腑に落ちず、考え込んでしまった。
 客観的な事実としての《真実》。視聴者の希望する存在としての《真実》。どちらも真実であるならば、どちらがより《真実》なのだろう。私が行なう《真実》のリポートは、一体どちらの《真実》なの? 私のリポートが視聴者に向けたものである以上、私にとっての《真実》は、視聴者の望む《真実》なのだろうか。でもそれは、本当の《真実》ではないはず。でも、でも―――。
 考え込んでいたマリアをスタッフたちが呼んだ。マリアはハッと我に返り、慌ててマイクを握り直して神山のカメラを探した。カメラの前の撮影位置につき、軽く髪を手直しして深呼吸をする。
 悩んでいても、しょうがない。この仕事での自分の存在意義は、リポートそのものにあるのだから。リポートが少々変化しても、リポートはリポート。それがマリアの事件リポートであることには変わりない。視聴者の望む《真実》をリポートすることは、《真実》のリポートをすることと同じことだ。これからは、それが私の《真実》のりポート。それでいい。それが《真実》なのだから―――。
 マリアはカメラをしっかりと見つめ、ゆっくりと語り出した。

「乾杯!」
  二人の互いに合わせたビールがガチャンと小気味良く鳴った。神山とマリアは軽く笑顔を交わしてビールを飲んだ。
 リポートが無事終わり、マリアと神山はテレビ局に寄った後、その近くにある屋台のラーメン屋に夕食をとるために入った。屋台のカウンターに横に並んで座った二人は、揃って同じラーメンを注文した。マリアは夜の屋台でラーメンを食べるのは初めてだった。物珍しそうに、店主のラーメンを作る手際や油で茶色く汚れたアルミの天井をマリアは面白そうに眺めた。
「マリアちゃん。本当に色々とありがとう」
 神山がポツリと呟いた。ラーメンの上に載せる野菜を炒める音で、半ば消えかけて聞こえたその声に、マリアはドキッとした。昼間の光景が思い浮かんだのだ。

 マンションの屋上。照りつける太陽。重なった身体。伸び上がった一つの影。ワイシャツ。背中に回された腕。温もり。神山さん―――。

 マリアは神山に気付かれないように、神山とは反対側にそっぽを向くように肘をつき、横を向いて赤らめた頬を隠すようにした。燃える頬。記憶が鮮明に立ち上る。
 私は何てことをしたんだろう。恥ずかしい。神山さんに嫌われていたらどうしよう。どうしよう。どうしよう―――。

「……さっき神山さん、私にありがとうって言いました?」
 公園脇にあったラーメン屋台に入った神山とマリアは、二人並んで座っていた。ぼんやりと眺めていた湯気立つラーメンの器から視線を逸らし、マリアは神山へと向き直って聞いた。神山はラーメンに口をつけていないマリアに目を一瞬見張ったが、視線をラーメンに戻して、話し出した。
「うん。言ったよ。マリアちゃんのお陰で番組は救われた。とても感謝してる。君のリポートの驚異的な視聴率を見ると、君が本当の金の卵っていうのを実感するよ。俺はなんて凄い宝物を見つけたんだろうな。自分でも驚いているよ」
「そんなこと、ないです」
 マリアは少し照れた。以前は同じことを言われても、ただ謙遜というよりは買い被られている申し訳なさというような気持ちで言っていたが、なぜか今は、神山に誉められるだけでくすぐったくなるほどに嬉しかった。照れた自分を隠すように、マリアはラーメンの熱さを少し耐えながら、ラーメンを一生懸命食べた。
「一つ聞いてもいい? マリアちゃんって、好きな人とか、いるの? ―――いなかったら、俺と付き合ってくれないかな?」
 何気なく話している会話のついでに飛び出した神山の言葉に、マリアは飛び上がるような衝撃を受けた。胸が打ち付けられるように激しく鼓動した。
  神山さんが、自分と、付き合う? 神山さんが? 神山さんが。神山さん。かみやまさん―――。自分も神山さんのことが―――。でも、でも。神山への恋しさに痛いほどに高鳴る胸。なのに。自分は―――。
「好きな人は、いません。でも、今は仕事で大変なので、付き合うとか、ちょっと考えられません」
  マリアは小さな声で呟いた。しかし、心の中で嵐のように葛藤が起こった。心にもないことをどうして平気で言えるの? マリア? どうしちゃったの? 自分の気持ちを正直に言えばいいのに。あのマリアの背中に回された腕と温もりは、マリアの心をがんじがらめを捕らえたはずなのに。あれは神山に想いを告げる背中への後押しだったはずなのに。
  マリアは、目の前に余韻として浮遊する、心に反して自らの口をついて出た自分の言葉を、何が何でも掴み取りたい衝動に駆られた。
  どうして、どうして。後悔するくらいなら、どうして素直に神山の言葉に頷かなかったの? それはね―――と、どこからともなくマリアの中で声が響いてきた。それはマリアの単なる強がり。でしょ? 今すぐに抱きしめて欲しいのに、それを言うと、何かを失うような気がして怖かっただけ。可哀想なマリア。お前は単なる弱虫。
  でも―――と、マリアの別の部分が言い返す。今は弱いかもしれないけど、強くなったとき、今度はちゃんと自分から神山に付き合って欲しいと言おう。今はまだ、自分に自信がない。まだテレビ局でちゃんとした自分の場所があるわけじゃないし。自信を持てたら、そのときは、もう一度、神山に、神山に―――。
「そっか。分かった。俺はただ、マリアちゃんのことが好きだから、ずっと一緒にいたくて付き合って欲しかったんだけど、まだ仕事始めたばかりだったね。それに、俺とマリアちゃんとでは、結構年齢差とかもあるし。無理言ってごめんね。忘れて」
 ラーメンを食べ終わった神山が、優しい笑顔をマリアに向けた。その笑顔の優しさが、マリアの胸に深く深く差し込んだ。
  確かに、十五歳以上の年齢差が二人の間にあったが、それはマリアにとっては、年齢差があるという客観的事実のみでしかならず、それはマリアの意識に何の働きをもたらすものではなかった。年齢差なんてどうでもいい、とマリアは思った。
  マリアへ向けた神山の顔が正面へと向き直る瞬間、屋台の照明がキラリと強く反射して神山の横顔に当たり、その顔が切ない表情になっているのにマリアはハッと気付き、マリアは自分で自分を傷めつけたくなった。

 数日後。マリアのリポートは放送後、またもや大反響を呼んだ。ディレクターの言った通り、リポート描写の残虐性が好評だったらしく、多くの電話やファックス、メールで、「サスペンスドラマのようだった」「スリラー小説のようだった」などという感想がテレビ局に寄せられた。
  マリアがフリーに近い単なる雇われリポーターだと知った他のテレビ局から、リポートの依頼が続々と舞い込んだが、プロデューサーは、マリアのリポートを自分たちのテレビ局の専売特許だと主張して、丁重にリポーター依頼を断った。そのため、他のテレビ局では、自分たちの局のリポーターを使って、マリアのような事件リポートを行なった。あらゆるテレビ局で同じようなリポートを頻発に行なったため、事件リポートはある種の流行となっていた。しかし、マリアのように、完全アドリブで臨場感溢れる特殊なリポートのできるリポーターは、全くいなかった。
  事件リポートが乱発する中、際立った才能を開花させたマリアのリポートは、他の事件リポートと一線を画していて、それが更なる視聴率アップへとつながった。いつしか、マリアの事件リポートの視聴率は、人気ドラマ並みの高視聴率を叩き出すようになっていた。他のテレビ局は、躍起になって、無名の役者や声優を使って、再現ドラマのように演技力たっぷりのリポートを行なわせる戦法を試みたが、それはかえって「わざとらしいリポートで面白くない」という視聴者の不評をかってしまい、作戦は失敗に終わってしまった。
 マリアの事件リポートの人気が飛ぶように上がるにつれ、視聴者の関心は、マリアのリポートだけでなく、マリア自身へもと広がった。事件をリポートするというお堅いイメージからか、当初は新聞からの取材が多かったが、マリアの年齢の若さに、次第に若者向けの雑誌からの取材も増えていった。やがて、テレビのトーク番組のゲストとして招かれるようにもなった。リポーターになった切っ掛けでもある、マリアの事故の目撃証言の映像は、マリアの勤めているテレビ局で、「ほれ見ろ」と自慢するかのごとく、事故から数ヶ月も経過しているのにもかかわらず、何度も何度も放送された。
 何度も自分に対する取材をこなし、テレビ出演を経験していくうち、マリアの中に、強い気持ちが生まれてきた。上手くやっていけるだろうか、という不安の多かった心境が、次第に自分が認められた、という揺ぎ無い安心感に変わっていった。それは、元々自分が精神の強い気丈な人間であるということを取り戻したようだった。マリアは淡々と様々な事件リポートをこなす横で、マリアを真似をして次々と降板させられているマリアと同じ事件リポーターを見て、他にはない自分だけの唯一の個性を実感し、それがマリアに更なる強い安堵感を生み出した。マリアは自らの仕事に対する自信をつけたのだった。自信をつけたマリアは、一層、精力的に何件もの事件取材を掛け持ちし、より衝撃的な事件リポートを行い、雑誌や新聞の取材を受けた。
 いつしかマリアは、世間で一際輝く時の人となっていた。

 現場へ降り立ち、マリアは事件ファイルを読み直した。最近は事件リポート以外の仕事が多くて、以前は一週間かけて一つの事件リポートを完成させていたものが、今では三日で一つ、というペースになっていた。充分な事件取材ができている、とは言えなかったが、それよりも何よりも、マリアには、自分自身の事件リポートに対する感性を信じていた。取材内容が少なくても、自分の事件リポートの才能があれば、上手く事件を描写し、リポートすることができる。大勢の人に自分の才能を認められたことで、マリアの自信は揺るぎないものへとなっていった。プロデューサーやディレクター対しては、以前は、彼らの全ての要求を受け入れて、それを実現するように努力していたが、今ではマリアは堂々と自分の意見を主張するになっていた。
 マリアは、自ら進んでボイストレーニング教室へと通い、レッスンを始めた。演技力を身につけようと雑誌で見つけた小さな劇団に見習い生といして入団して、仕事の合間を縫って合宿などに参加した。一日ニ時間はテレビ局の資料室にこもり、全社の新聞やスポーツ紙に目を通した。さらには、カルチャーセンターで、小説の書き方講座を受講して、自分の表現の描写により磨きをかけようとした。少しでも空いた時間を見つけると、本を読み、知識を増やすようにした。最高視聴率をとったことで支給されたボーナスで、家庭用ビデオカメラを買い、それをいつも持ち歩くバッグの中に入れ、自分から何かスクープを撮れないかと準備していた。 マリアは、身体がいくつあっても足りない、と思いながらも、自分の存在感のある仕事に、心地良い充実感を感じてた。満ち足りた想い、そのものだった。

「今日の事件は……マリアちゃんの得意分野じゃないの?」とディレクターがおどけて言った。マリアは苦笑して少し頷いた。確かに、得意なジャンルかもしれない。残虐性の高い事件は、マリアの表現能力に輝きが増す、とプロデューサーが絶賛していたからだ。
「とにかく、頑張るだけです。他の局のリポーターに負けないように!」とマリアは微笑んだ。

 事件は、数人もの人間を殺害した放火殺人だった。犯人は逮捕され、今は公判中だった。犯人と何の関連性もない家に、その家の住民が寝静まった頃を見計らって、犯人は灯油を庭中に撒き、火を放ったのだった。住宅は全焼し、逃げ送れた住民は全員焼死した。近隣の住宅数棟に延焼し全焼して、焼死者が多数出たというとても残虐な事件だった。 犯人の幼少時代における両親による虐待などの過去や、犯人の動物虐待に興じる異常な性癖が明らかになり、連日その事件がワイドショーを賑わせていた。
 タイムリーな話題なだけに、マリアがこの事件をリポートすれば、驚異的な視聴率を叩き出すのは目に見えていた。

 マリアは、いつもの通り、目を閉じて事件の様相を脳裏に深くイメージさせた。日々のリポート表現の勉強が効を奏したのか、マリアの頭の中は、絶えることなくこんこんと湧き上がる事件の描写のフレーズで一杯だった。あれも言いたい、これも言いたい。この表現はかなりショッキングで使えそうだ、などとワクワクする気持ちを抑えられずに考えていた。

 灯油の臭い。庭は一面の灯油のじゅうたん。月明かりに照らされて、草木が艶やいだ一瞬のとき。小波のような青白い炎は、白い光を放ち、いくつにも姿を変容させる怪物になった。燃え盛る炎。揺らぎ。飛び散る火花はまるで美しい珠玉のよう。
  ……って、美しい、って言っちゃダメかな、やっぱり。不謹慎とかクレームがついたら困るから、この表現はカットしよう、と。瞑想に耽りそうになりながらも、意識を取り戻して、マリアは慌ててファイルにメモをした。

 煙だ。煙が部屋に侵入している。火事か。近所が火事なのか。いや、違う、我が家が火事なんだ。胸が苦しい。煙を吸い込んだみたいだ。娘は。息子は。妻は。みんなのそばにいけない。熱い。炎が扉を食べている。逃げ道がない。苦しい。息ができない。力が出ない。どうして身体が動かないんだ。起き上がらないと。逃げないといけない。娘は。息子は。妻は。
  熱い。熱い。熱い。昨日の夕食は美味しかった。冷蔵庫に飲みかけの日本酒がある。熱い。熱い。熱い。助けて。誰か助けて。明日は営業先に回った後は、お昼休みに役所に行こう。火事だ。焼けている。身体が。みんな焼けている。焦げている。自分の身体の肉が骨が血液が。熱い。熱い。熱い。

 あちこちで人肉が焼けている。身体の皮膚がとろりとめくれ落ちて、あちこちに散らばっている。仰臥して焼けた屍体。積んだ木炭のように覆い被さるように燃え尽きた数人の屍体。苦痛に歪んだ顔面の、眼球が焼け落ちて黒く落ち窪んだ目。漂う異臭。焦げた皮膚、肉。エキゾチックな香り。なんて香ばしい。―――香ばしい?


イメージ画像【写真素材 足成】より借用

 マリアはビクッとして全身を身震いさせた。自分は今、何を考えていたんだろう。目を覆いたくなるような恐ろしい情景が脳裏に凝縮し、そして散っていった。自分の想像力に一瞬寒々しく思ったが、それも表現能力を沢山身につけたせいだ、と思い直し、再び事件を頭の中で思い描いた。

「今日も良かったよ!」
  神山はマリアのリポートが終わると、以前と変わることなく、爽やかな笑顔で、マリアを誉めた。
「ありがとうございます」
  マリアは神山を見て微笑んだ。そのマリアの笑顔を神山はニッコリと笑って受け取り、パッと機材を肩に担いで取材ワゴンに向かって走り出した。
  その神山の後姿を見て、マリアは愛しさで胸が痛かった。なんて素敵な人なんだろう。つれない返事をした自分に対し、何事も無かったかのように、爽やかに笑顔を見せるその優しさ。マリアはますます神山に惹かれている自分に気付いていた。神山の行動の全てが気になった。前にも増して、神山に対して熱っぽい視線を送っている自分がそこにいた。今なら、きっと自分は言える。神山さん。
 以前の自分はこの仕事に対して自信がなかった。しかし、今は違う。他のリポーターを意識して、絶対に負けないように、色々とリポートに役立つ知識や表現方法を学び、身につけつつある。自分のこの秀でた感性に、自分自身、信頼を寄せることができるようになった。だから、だから―――。今の自分には勇気がある。昔のように強いマリアに戻った。たぶん、きっと、絶対。神山さんに、自分の想いを伝えよう。今なら、きっと。

「神山さん……ちょっと」
  取材ワゴンの一番奥の席で、膝を並べてマリアの横に座っていた神山に、マリアは小さな声で囁いた。
「あの……先日のお付き合いの件で……」
 とマリアが言いかけると、神山は首を左右に振った。
「いいんだ、マリアちゃん。忘れて」
  小さな声で言い放つように答え、神山は過ぎ行く窓の外の景色を眺めた。それを見て、マリアは今しかない、と思った。マリアは深呼吸をした。自分ならできると何度も自分自身に言い聞かせて、マリアは行動に移した。
  マリアは、何気なく横に置かれた神山の手を取り、両手で包み込むように握り締めた。窓の外を見つめた神山の目が驚いたように大きく見開き、せわしなく瞬いた。その表情の変化を、ワゴンの前に座ったスタッフは誰も気付いていない。マリアは、神山の手を握ったまま、正面を見つめ、神山だけに聞こえるくらいの小さな声で、言葉を続けた。
「以前の私は自信がなくて、どうしても言えませんでした。でも、今の私は、仕事を一生懸命頑張っていて、自分に自信を持てるようになりました。だから、だから……先日言えなかったことを今、言います」
  神山がゆっくりとマリアへと顔を向けた。二人の視線が合った。マリアは神山の目を見て、囁くように言った。
「私、神山が好きです。きっと、お会いしたときから」
  神山の目がさらに大きくなった。神山の手を握り締めたマリアの両手の上に、すっと伸びてきた神山のもう一方の手が重なった。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
  神山の声は小さくかすれていた。マリアは胸が一杯になった。神山の目を見つめ、ずっと見ていたい、と思った。

 マリアの日常は、日を追うごとに、徐々に超過密スケジュールになっていった。リポーターに必要な表現や描写を学ぶ機会は、その習得の度合いに合わせて徐々に減らしているものの、それ以外の仕事が分刻みでびっしりと詰まるようになっていた。同じテレビ局内でのワイドショーやいくつかの報道番組で、レギュラーのリポーターとして出演するようになっていた。打ち合わせや下準備などを寝る間を惜しんでマリアは仕事に没頭した。
 神山とは、以前は事件リポートの取材で毎日顔を合わせていたが、今では一週間に一度くらいしか合わせることがなくなった。マリアが素直な自分の気持ちを神山に伝えたことにより、二人はお互いの気持ちを少しずつではあるが通い合わせつつあった。一応二人とも同じ取材スタッフということもあり、急に親密な関係になっては、ディレクターから何か苦言でも言われかねない、と二人は敢えて口にはしなかったものの、互いの胸の内にはその不安があった。ただ、今までは業務連絡的なやりとりだった携帯電話のメールは、一気に親密さの度合いを深め、互いの身体を思いやる優しさ溢れる文面になっていった。二人の距離は、少しずつだが縮まっていた。

 マリアの事件リポートが輝きを増すにつれ、マリアのファンの中には、自分たちで開設したインターネットのホームページに、マリアの名言集なるコーナーを作るほどの熱狂ぶりを示したファンもいた。ファンが増えるにつれ、マリアの表情豊かさに目をつけたファッション雑誌が、マリアをモデルにして撮影を行なったりした。ごく普通の体型のマリアにオシャレな服を着せると、とってつけたようではあったが、いかにもモデル然とした風にも見え、さらにマリアの地味な顔立ちに施した派手なメイクは、マリアの顔をカメラ映えさせたため、ファッション雑誌のにわかモデルとしては、好感があったらしく、読者の人気も急上昇した。マリアはとことん忙しくなっていた。

 多忙になったことで、マリアの事件リポートの取材頻度は極端に落ちていた。綿密、徹底、隙のない取材という方針で行なわれていたものが、いつしかありきたりの取材レベルになっていた。そうして取材の質は一気に落ちたが、マリアの事件リポートの質は向上する一方だった。描写の残虐性はより鮮明になり、表現の露骨性は一層クリアーになっていった。
 マリアは、事件リポートで描写しなければならない取材で足りない部分を、自らの想像力の感性、イマジネーションに全面的に委ねていた。
 客観的に存在する《真実》を見事に描写していたマリアのリポーターセンスは、事件の残忍さや残酷さ、悲惨さなどがクローズアップされたものを徹底的に描写する《真実》へと変わっていた。マリアはただひたすら、今まで通り、自分の脳裏に浮かぶ情景のみを表現していった。ただ、絶対的な情報量の少なさから、マリアの脳裏に浮かぶ情景は不鮮明だったが、それをマリアは自らのイマジネーションでああもあろうか、こうもあろうかと補い、独特のリポートを作り出していった。マリアの描写する《真実》は、いつしかマリアの《真実》となっていた。

   

◆ 第4章へと続く ◆


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